第27話 二人きりの夜

 変な噂が流れていないということは、私たちがスローライフを送ったあの村の人たちが他言していないという証明でもある。

 我ながら、いい人に恵まれていると感謝するばかりだ。


 噂といえば、アロマロッテがリリアンヌを王宮の外へ、願わくば国外へ追いやるために有りもしない噂を流したという出所不明の話題が王宮から王都へと広まっているらしい。


 これは情報通のムギちゃんからの報告。

 ちなみに犯人は私ではない。


 個人的には、この前のガルザと辻くんの争いを見た使用人の誰かだろうと踏んでいる。

 私を殺そうとした罪をなすりつけるような行為をされたのだ。怒るのも無理はない。

 ガルザが謹慎処分になっただけなのも、反感を買った一因だろう。


 後から聞いた話だが、私がリンゴを苦手としていることは誰もが知っていることで、細心の注意を払って食事を作っているらしい。

 スローライフ中にリンゴをかじらなくてよかった、と密かに胸をなで下ろしたのは内緒だ。


「次代の王位争いで国が真っ二つ! って城下では言われてるんだってさ。ムギちゃん情報」


 寝る前のご挨拶に訪れた私はそのまま辻くんの部屋で寛がせてもらっている。

 対面に座って果物をかじる辻くんは小気味のよい音を立てながら咀嚼中だ。


「まだフェルド王子が生きているのかも分からないのに、ですか?」


「こんなに国政が変わったんだよ? 絶対に気づいている人がいるでしょう。貴族は野暮なことは口にしないって何かの本で読んだから、きっと明言はしていないんだろうね」


「早くスローライフの続きがしたいですよ。思ったよりも王子って大変ですね」


「そりゃあ、ね。これから国王になるお方ですから」


 ケラケラ笑う私の隣に腰掛けた辻くん。

 何かを目で訴えてくるが、何を伝えたいのかイマイチ分からない。


 とりあえず、座り直すと彼は何を思ったのか、私の膝の上に頭を置いてソファに寝転んだ。


「お? ん? えっと、ん?」


「すみません。少しだけ。後で蹴ってください」


「別に嫌じゃないからいいけど。こんな粗末な膝でよければ」


「そんなことはありません」


 膝枕をして欲しかったらしい。

 ジーツーとムギちゃんがいないとはいえ、随分と大胆になったものだ。


 よく考えると、当初の二人暮らしだった頃は何もなかったな。

 それから、婚約者(仮)に戻った後も特に何もなかった。

 じゃあ、これからは……?


「辻くんって性欲ないの?」


「ぶっ!? な、なんでそんな話になるんですか!?」


「え、だって、ねぇ? ほら、分かるでしょ?」


 あまり直接的なことを言いたくない気持ちを汲んでくれたのか、辻くんはそっぽを向いてしまった。


「無くはありませんよ。必死に抑えているだけで」


 これは意外な反応が返ってきた。

 耳まで真っ赤にして。


「僕は美鈴さんと正式な婚約者に戻ってから、と考えています」


「そうだね。私もそう思ってるよ。よかった、同じで」


「じゃなかったら、こんな風な関係になっていませんよ」


 その通りだと思う。

 仮に辻くんが襲いかかってくるような人だったらスローライフには誘っていないし、婚約者に戻して欲しいとも言っていない。

 これ以上、からかうのは止めておこう。


「僕は魔王に殺されませんよね?」


「あー、すっかり忘れてた。私さ、その話をするために戻ったんだよ」


 王宮に戻ってからというもの、スローライフとは真逆の忙しい日々を送っていたから失念していた。


「魔王と仲良くなったから辻くんの死亡エンドはもうないよ。魔力コントロール勝負で魔王に勝って、今ではマオさんって呼んでる。近々、王宮に呼び出して国王陛下と会談してもらおうかなって思ってるんだよね」


 その顔、懐かしい!

 私が熊の魔物を狩ってきた時と同じく、だらしなく口を開けている辻くん。

 寝転んでいるからか、唾が気管に入ったらしく、勢いよく起き上がってむせ込んだ。


「大丈夫?」


「大丈夫じゃありませんよ。なんですか、それ。そんなの聞いてませんよ!?」


「公爵領にいた時の話だからね。あ、そうだ。私に光の精霊魔法をかけておいてくれたでしょ。ありがとうね。おかげで魔王の攻撃を防げたんだよ」


 その仕草も懐かしいな。

 いつぞやと同じく、頭を抱える辻くんは諦めたように顔を上げた。


「何をするつもりですか?」


「魔族は食事問題を解決したいだけみたいだから、私のマギアインディゴを使えばどうにかなると思う。辻くんも使うつもりはないでしょ?」


 藍色の魔力、マギアインディゴは闇魔法を発動するために必要な色の魔力だ。

 辻くんが唯一使用したことのないカラーで、私もどんな精霊が出てくるのか、どんな魔法を発動するのか全く分からない。


「そうですね。死を司る魔法ですから、あまり使いたくないですけど。本当に魔王を王宮に入れて大丈夫ですか?」


「大丈夫だよ。マオさんは負けを認めたから、私に逆らうような真似はしないと思う。ムギちゃんとも仲良しだったし、ジーツーのことも知ってたよ。あと、精霊魔法にも驚いてた」


「……今更ですけど、僕たちってとんでもないメンツですよね」


「そうだね。魔力量は国王以上でコントロール力は魔王以上の私。唯一の精霊魔法使いの辻くん。伝説のドラゴンのジーツー。魔王の耳として暗躍するムギちゃん。うん。私たちだけでこの世界を征服できるかもね」


「魔王以上に強い敵はいないですよね?」


 ゲームを全クリした私が断言しよう。


「いないね。でも強いて挙げるなら、魔人スピロヘーテかな」


 ゲームの中でも名前しか明かされていない謎の生命体。

 大昔に封じ込められて、王宮の地下に封印の壺を埋めたとかなんとか。

 レベルも能力も未知数だから強いかもしれない。


 そのように補足すると、辻くんは取るに足らないと判断したのか、興味を無くしたようだった。


「話を戻しますけど、いつ呼ぶんですか?」


「明後日かなー」


 眠くなってきたから部屋に戻ろうした私の発言に辻くんがよろめいた。


 やっぱり、辻くんは疲れているんだよ。

 早く寝かせなきゃ。


「じゃあ、また明日ね。おやすみー」


 ふらふらと私を追い越した辻くんが扉のドアノブに手をかける。


「どしたの?」


 一向に扉を開けてくれない辻くんを見上げた時、軽く顎を引かれ、温もりのある柔らかいものが額に触れた。


「――っ!?」


「おやすみなさい、美鈴さん。また明日お会いできることを楽しみにしています。愛しています」


 くっそ、くっそ。

 眠気が吹っ飛んじゃったじゃないか。


 開かれた扉から素早く廊下に出て、早足で自室へと向かう。


「送りますよ」


「いらない! どうせ、ムギちゃんがどっかにいる! おやすみ!」


 不意打ちはずるい。ずる過ぎる。

 出会ってまだ一年も経ってないけど、ホントにもう。


「顔、赤くにゃぁぁぁい?」


 どこからともなく現れ、普段から猫なで声を出さないくせにここぞとばかりにニヤニヤ顔で煽ってくるムギちゃんを無視して自室へと向かう。


「覚えておきなさい」


「デコチューしてくれたら覚えておくにゃぁ」


 夜にもかかわらず、音を立てて扉を閉めた私は寝ぼけ眼のジーツーを抱き枕にして布団に潜り込んだ。


 翌日は寝不足で一日中、ぼーっとしていたのは言うまでない。

 魔王の招待を明後日にしたのは我ながらファインプレーだった。

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