第30話 妖怪激戦

 海老名と聖子は即死だった。

 和樹1点、虫丸が0点、史帆2点。

2人の死を見届けた史帆は『幻想将門伝』をはじめた。👹ラスボスまで68匹

 オボが現れた!群馬県、新潟県に伝わる妖怪。同じ名前でも内容は全く異なる。


 群馬県利根郡柿平

 イタチが化けたような妖怪で、人が道を歩いていると、足にまとわりついて歩く邪魔をする。放っておくととても歩くどころではないので、刀の下げ緒、着物の小褄などを切って与えることで足から離れさせることができるという。


 かつて、利根郡利根の山から小学校に通っている少年が、下校際に17時頃に山道を登り始めたところ、道端の草むらから赤ん坊の産声のような声が聞こえた。恐怖した少年が駆け去ろうとしたところ、声はますます大きくなった。ようやく家へ帰り着いて祖父に事情を話したところ、祖父が言うには、その声はオボの泣き声だということであった。


 新潟県南魚沼郡

 民族学研究所の書籍『綜合日本民族語彙』などに記述のある怪獣。まだ新しい墓を暴き、亡者の脳髄を食らうとされる。山犬のこととの説もあるが、人に姿を見せない神秘的な獣ともいわれる。また、佐渡島では「ウブ」と呼ばれ、嬰児の死んだ者や、堕ろした子を捨てたものがなるとされ、大きな蜘蛛の形で赤子のように泣き、人に追いすがって命をとる。履いている草履の片方をぬいで肩越しに投げ、「お前の母はこれだ」と言えば害を逃れられるという。

 新潟の方がレベルが高い。

 

『ぬらりひょん』は七星剣でオボと戦った。思いのほか、強く。キャラが転倒すると戦闘不能になる。

 源扶の援護もあり、何とか倒した。平将門は最終章ではHPが200にUPする。オボとの戦いで100HPまで下落した。

 

 どこかの食堂に入って回復させたい。 

『なんだバカヤロー』に入った。唐揚げが最高に美味い。評価は3.07。

 評価が3なので50%回復!『ぬらりひょん』が150HPになった。


 その後、臨江閣りんこうかくという大手町にある、近代和風建築の迎賓施設にやって来た。本館、別館、茶室は国の重要文化財に指定されている。


 本館は1884年(明治17年)9月竣工。当時の群馬県令・楫取素彦かとりもとひこの提言がきっかけとなり、前橋の企業や町民有志の協力と募金により、迎賓館として建てられた。建物名の「臨江」は「利根川に臨む」の意である。建物は、木造2階建て、入母屋造、桟瓦葺き。1階には「一の間」「次の間」「三の間」「控えの間」を設け、建物西側の突出部には「奥座敷」「次の間」がある。一の間は畳をはずせば能舞台として使用できる設えになっている。2階には「一の間(御座所)」「次の間」「控えの間」がある。1893年(明治26年)10月20日から21日にかけて、近衛師団小機動演習天覧のための行幸の行在所となり明治天皇が宿泊した。


 茶室は京都の宮大工・今井源兵衛によって、本館より2か月遅れて1884年(明治17年)11月に完成した。木造平屋建て。東側に8畳の書院、西側に4畳半の茶室を設ける。書院部分は寄棟造、茶室部分は入母屋造でいずれも桟瓦葺きとする。


 別館は1910年(明治43年)8月竣工。群馬県の主催で開催された一府十四県聯合共進会の貴賓館として建てられた。木造2階建て、入母屋造、桟瓦葺きの建築である。1階には和室5室と60畳大の洋室があり、2階は180畳大の大広間とする。延べ床面積は、約1,001.02m2。建築にあたっては安中の中山道杉並木の老杉の払い下げを受けて使用したと伝えられる。


 1945年(昭和20年)から1954年(昭和29年)7月まで前橋市役所庁舎として使われたほか、1981年(昭和56年)まで中央公民館。


 2階の大広間に、創建当時に無かった舞台が設置されていたが、「平成の大修理」で撤去して創建当時の姿に戻すことになった。


 大広間は詩人の萩原朔太郎の結婚式でも使われた。


 築100年を過ぎたため、2016年(平成28年)3月より1年半近くをかけて耐震補強工事を含めた大規模な改修工事を実施した。

 よって史帆は別館を見学していない。


 この日は赤城温泉郷の宿に泊まった。

 赤城山(標高1827.6メートル)の南斜面の中腹、群馬県道16号大胡赤城線周辺の標高900メートルから700メートル付近に温泉地が点在する。荒砥川沿いには赤城温泉、忠治温泉、粕川沿いには滝沢温泉がある。


 これに赤城高原を加える場合もある。4温泉地を総称して「赤城南麓の宿」という場合もある。


 確かな記録があるものとしては元禄時代の「湯之澤温泉」(湯之沢温泉)をルーツとし、これが赤城温泉に改称した。ほかの3温泉は近代以降の開湯である。


 国定忠治や大前田英五郎にゆかりがあるとされており、特に夏季の納涼と冬季の湯治の利用客が多い。また、赤城山への登山基地としても利用されている。山菜料理や川魚料理が名物とされる。

 

 旅館に着くまで様々なモンスターと戦った。

 👹ラスボスまで55匹


 その頃、俺は静岡県の清水にいた。

 伊豆半島の付け根に位置する温暖な地域である。町の中心地域を柿田川が北から南に流れ、町内で町を南東から西に横断する狩野川に合流する。急峻な山々(主に静浦山地:沼津アルプスとも)に抱かれた平野部によって成り立っており、平野部には田畑が広がり稲作が盛んである。山々では林業も行われている。


 国道1号(沼津バイパス-三島バイパスの接続点)が町北部を東西に横断しており、このため沿線地域は商業活動が盛ん。西に沼津市、東に三島市があり、これら人口密集地への交通の便が良いこともあってベッドタウンとして機能し、農業地帯でもある町の南部に至るまで宅地開発され、多くの住宅街を擁している。


 町役場は柿田川に近い狩野川北側に位置しており、その南東には沼津卸商社センター(通称「沼津卸団地」)が広がり、静岡県東部の物流を担っている。

 

 俺は『幻想将門伝』を起動させた。

 弓矢は桔梗の前に打ち勝ち、最終章に突入した。

 👹ラスボスまで40匹


 俺は対面石八幡神社《たいめんせきはちまんじんじゃ》にやって来た。

 黄瀬川と県道380号(旧国一)が交差する「黄瀬川大橋」の東方、八幡やはた地区に鎮座している。


 南の「黄瀬川橋」を通る県道145号(旧東海道)から、200mに渡る長い参道が社殿に向けて北へ延びている。


 創建不詳だが、社殿の西脇に、社名の由来にもなっている、治承4年(1180年)に源頼朝と源義経が対面して腰掛け、平家打倒を誓い合ったと伝承される腰掛け石「対面石たいめんせき」があるため、それ以前の創建ということになる。


 徳川家康が、天正19年(1591年)に東海道を足柄越えから箱根越えに改めた際に、当社も西向きであった社殿を南向きにし、新しく長沢の地を割いて街道に面した参道を作らせ、社領二十石(後に実高四十石)を給し、八幡大菩薩と刻んだ神刀も奉納、天下太平を祈願した。


 明治8年(1875年)、清水・長泉両地域の郷社に列せらた。


 べとべとさんが現れた!

 べとべとさんは日本の妖怪の一種で、夜道を歩く人間の後をつけてくるといわれる。奈良県宇陀郡では暗い夜道で遭うといい、静岡県では小山を降りてくるときに遭うという。

 足音がするのみで人に危害を加えることはないとされるが、足音を不気味に感じるときには道の片側に寄って、「べとべとさん、お先にお越し」(奈良県)「お先にお越し」(静岡県)「お先にどうぞ」(同県)などと唱えれば、ついてきた人間から離れるという。妖怪漫画家・水木しげるはこの妖怪と思われるものと遭遇したことがあると語っている。水木の地元、西日本旅客鉄道(JR西日本)境線・米子空港駅の愛称が「べとべとさん」駅である。

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