第21話 格ゲー

 2019年7月7日

 ゲームクリエイターの武田敦弘たけだあつひろの好きなことは格闘ゲームをプレイすることだった。ある日、武田は謎の招待状を受け取り、奇神館と呼ばれる洋館に招待された。


 奇神館に到着した武田は、他の3人の男女と一緒に、武装した男達によって囲まれた。男達は、彼らをデスゲームに巻き込むことで、かなりの金額を稼ごうとしていた。


 デスゲームは、奇神館の中で行われ、各部屋に格闘ゲームの課題が与えられる。課題は、対戦相手を破り、印を集めることでクリアする必要がある。残酷な掟があるため、印の数が足りない参加者は罰則が待っている。当然、失格や失敗すると、武装した男達による処刑が待っている。


 武田は、自分がプレイしているかのように、格闘ゲームの世界に飛び込んだ。格闘ゲームの知識を活かしながら、課題を解決していく。しかし、残忍なデスゲームに参加することは彼自身も知っていたため、制限時間内にすべての課題をクリアしなければならない。


 脱出の方法はないし、参加者との交渉も許されていない。武田は、最後まで生き残り、デスゲームをクリアすることができるのだろうか?それとも、残酷な彼の運命は、処刑場への道だけなのだろうか?


 敵の数は4人だ。

 フランケンシュタインの仮面の奴、ドラキュラの仮面の奴、ゾンビの仮面の奴、口裂け女の仮面の奴。

 対する宿泊客は武田の他には、馬場和泉ばばいずみ〈建築士〉、山県歌彦やまがたうたひこ〈設計士〉、飫富英二おぶえいじ〈イラストレーター〉がいる。


 最初の任務は💀の印をゲットすることだ。

 武田たちはキャラを4人中、2人倒せばゲット出来る。武田たちは武器を携帯することは許されていない。 

 フランケンシュタインたちは4人全員を殺すことが出来れば、10万を山分けすることになる。

 最初の舞台は101号室だ。

 フランケンシュタイン→ドラキュラ→ゾンビ→口裂け女の順に強い。

 最初は和泉がトライすることになった。

 和泉の持ちキャラは平良将たいらのよしまさだ。平安時代前期の武将で、平高望の三男(あるいは次男、四男)で、母は正室の北家藤原良方の娘。平将門の父。下総国を本拠とし、桓武平氏の中心人物。武家平氏の実質的な祖の一人とされる。従四位下 鎮守府将軍。

 生年を貞観15年(873年)とする史料が存在する。


 寛平元年5月13日(889年6月14日)、宇多天皇の勅命により平姓を賜与され臣籍降下し昌泰元年(898年)に上総介に任じられた父の高望とともに坂東に下向した。良将の最初の営所は不明であるが、後に県犬養春枝の娘を妻とし、下総国・豊田郡を拠点にしたといわれる。


 県犬養春枝の経歴は伝えられていないが、その先祖・県犬養浄人は、天平勝宝7年(755年)に下総少目として名が見える。


 父高望の上総介の任期が過ぎても帰京せず、前任の常陸大掾である源護の婿として常陸国に在った長兄の国香や、上総国に在った次兄の良兼とともに、良将は下総国に在って未墾地を開発し、私営田を経営。また鎮守府将軍を勤めるなどし、坂東平氏の勢力を拡大。その後各地に広がる高望王流桓武平氏の基盤を固めた。


 なお、将門記巻首、今昔物語集では名を良持とし、良兼は舎弟(良将が兄)と書かれている。


 良将の子孫である氏族は、子の将門が承平天慶の乱で戦没し、孫の将国が常陸国信田(信太)郡浮島に逃れて、曾孫の文国が称した信田氏のみである。


 平将門の乱の原因として、良将が鎮守府将軍であった時代に築いた奥州への利権を巡ってのものであったとする説がある。


 対するフランケンシュタインの持ちキャラは源護みなもとまもるだ。官位は常陸大掾。素性は不明だが、一般的には一字名から武蔵権介の源宛(箕田宛)と同族の嵯峨源氏と推測されている。『尊卑分脈』には、源融-源副-武蔵守源俊・下野掾源運兄弟-鎮守府将軍源增(源運の子)という系図が見出せ、この一族との関連が指摘されている。


 常陸国筑波山西麓に広大な私営田を有する勢力を持っていたといわれ、真壁を本拠にしていたと伝わる。この領地と接していた平真樹と境界線をめぐり度々争っていた。真樹はこの争いの調停を平将門に頼み将門はこれを受ける。一説によるとこの調停の為に常陸に向かっていた将門を子・扶らが野本にて待ち伏せて襲撃したと言われている。また、『将門記』にある「女論」が襲撃の要因ともされ、詳しい経緯はわかっていない。いずれにせよ、この戦いが平将門の乱の中の最初の合戦であり始まりであるといえる。


 承平5年(935年)2月、将門との戦いで子の扶・隆、繁は敗死、護の本拠はすっかり焼き払われ、その際平国香は焼死したとされる。護は常々息子達の死を嘆いていたが、娘婿の平良正が将門を討つ為に兵を集め戦の準備を始めると、その勝敗の帰趨もわからないうちから非常に喜んだ。しかし良正は敗れ、後に良兼と国香の子・貞盛も加わり再び戦うがここでも敗れてしまう。承平6年(936年)、護は朝廷に将門と真樹についての告状を提出し、朝廷はこれにもとづいて将門らに召喚の官符を発したが、承平7年(937年)4月7日の朱雀天皇元服の大赦によって結局は全ての罪を赦されてしまった。その後「将門記」にも名は登場せず動向は不明だが、ほどなく病死したと考えられる。


 少なくともこの戦いに勝たないと和泉は死ぬこととなる。『3、2、1……死合開始!』ゲームの舞台は山門だ。夕暮れに鐘の音が響き渡る。

 和泉たちがプレイしてる『幻想将門伝FIGHT』は90年代に流行ったスーパーファミコンのソフトだ。和泉は35歳、スーファミ世代だ。『シムシティー』や『スーパードンキーコング』などで遊んだ。

『シムシティー』は、街を建造するシミュレーションゲームでシムシティシリーズの第1作目である。1989年から1991年にかけてリリースされた。学校や家で嫌なことがあると、火事や洪水、地震などを起こしてせっかく造った街をメチャクチャにした。

 

『スーパードンキーコング』(SUPER DONKEY KONG)は、1994年にイギリスのレアが開発、任天堂が発売したスーパーファミコン用横スクロールアクションゲーム。日本では1994年(平成6年)11月26日に発売された。日本国外でのタイトルはDONKEY KONG COUNTRY。キャッチコピーは「デジタルゴリラ出現!!」。

 コースは6つの「レベル」に分かれ、1レベルあたりそれぞれ5-6のステージとボスステージで構成されている。ステージの分岐という概念はなく、順番にこなしていく必要がある。ただし、一度クリアしたステージは何度でもプレイすることができる。


 操作できるキャラクターはドンキーコング及びディディーコングの2種類であるが、一度に同時操作はできず、常に一方のキャラクターを操作することになる。


 スーファミのカセット差し込み口シャッターは、ファミリーコンピュータ時代の手動式からスプリングによる自動開閉式に変更された。カセットを差し込む動きでシャッター部分が本体内部側へと倒れ、抜き出すと元に戻る。また電源スイッチを入れるとカセット差込口内部にツメが出る機構が備えられており、カセット前面下部のくぼみを引っかけロックされる。これによって電源スイッチを入れたままカセットを抜き差しすることはできなくなった。イジェクトレバーはボタン式に変更された。通電時には電源ランプが点灯する。


 和泉は↓↘→+A🔵の順でボタンを押した。良将の必殺技、龍神射りゅうじんしゃが発動する。弓矢を撃つと巨大な炎が敵キャラに襲いかかる。

 ドドドォン!!

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る