第10話 頼もしい仲間

 3日 - 将棋の奨励会三段リーグにて藤井聡太が14歳2か月で四段昇段 (プロ入り) を内定。史上5人目の中学生棋士となり加藤一二三九段が記録していた14歳7か月を62年ぶりに更新。正式な昇段日は10月1日となる。


 和樹はパワハラに耐えかね『浦島食品』を先月末に辞めた。失業手当をもらうには7日間の待機期間が必要だ。和樹は故郷の茨城県坂東市に戻って来た。親父とおふくろが『早く結婚しろ』、『仕事決めないとダメだ』とやかましい。織田家は厳しい家柄で、月7万入れないといけない。

 朝から両親は食卓でケンカをしている。味噌汁が温いって理由でだ。

 和樹はスマホと充電器をリュックに入れて、マウンテンバイクに跨り冒険に出た。源扶と戦った直後にスマホの調子が悪くなり、修理に出したりしたので久々の冒険だ。坂東市は将門の終焉しゅうえんの地だ。

 

 坂東市岩井図書館にやって来た。評判は4.0。

 天之麻迦古弓あめのまかこゆみを手に入れた。日本神話に登場する弓。天若日子あめのわかひこが持っていた弓矢(弓)で、天之波士弓あめのはじゆみ天鹿児弓あめのかごゆみ、とも表記される。


 天羽々矢あめのははやと共に、葦原中国に遣わされる天若日子に与えられた。


 葦原中国平定において、高天原の命を受けて葦原中国を訪れた天若日子は、8年たっても高天原に戻らず、逆に高天原から派遣された雉を射殺してしまう。この時に使われたのが、天之麻迦古弓と天羽々矢である。


 雉を殺した天羽々矢は高天原まで届き、高木神が矢を投げ返すと、その矢にあたり天若日子は死んでしまった。

 

 扶はきっと工場に現れるはずだ。

 和樹はマウンテンバイクに跨り工場を探した。

 鳥のさえずりが聞こえる。風が心地良い。

 坂道をグングン登っていく。黒煙が立ち昇っている。工場だといいな。煙突が見えた。距離を縮める。廃品工場だ。

「やった!」

『ベルゼブブ株式会社』

 ベルゼブブ(ラテン語: Beelzebub)は、キリスト教における悪魔の一人。旧約聖書『列王記』に登場する、ペリシテ人の町であるエクロンの神バアル・ゼブルが前身とされる。新約聖書『マタイ福音書』などではベルゼブル (Beelzebul) の名であらわれる。

 ベルゼバブ、ベールゼブブとも表記される。この名はヘブライ語で「ハエの王」(一説には「糞山の王」、「糞の王」)を意味する。


 本来はバアル・ゼブル(ヘブライ語: בַעַל זְבוּל‎ [Ba‘al zəḇûl])、すなわち「気高き主」あるいは「高き館の主」という意味の名で呼ばれていた。これはおそらく嵐と慈雨の神バアルの尊称の一つだったと思われる。 パルミュラの神殿遺跡でも高名なこの神は、冬に恵みの雨を降らせる豊穣の神であった。一説によると、バアルの崇拝者は当時オリエント世界で広く行われていた、豊穣を祈る性的な儀式を行ったとも言われる。


 しかし、イスラエル(カナン)の地に入植してきたヘブライ人たちは、こうしたペリシテ人の儀式を嫌ってバアル・ゼブルを邪教神とし、やがてこの異教の最高神を語呂の似たバアル・ゼブブすなわち「ハエの王」と呼んで蔑んだという。これが聖書に記されたために、この名で広く知られるようになった。

 

 口コミを見た。

 卜部建うらべけん 評価は2.5。

『雰囲気の悪い会社で、給料は安く重労働です。夏は暑いし冬は寒いし、ホコリぽい劣悪な環境で一緒に、働きませんか?』


 とんでもないブラック企業のようだ。

「誰がこんなところで働くか」

『浦島食品』では弓矢を手にしていたが、今回は日本刀を手にしている。

 将門は天之麻迦古弓を所持している。今回は勝てるかも知れない。

 前回の扶が偽物に思えるぐらい、メチャクチャ弱かった。先攻は扶だった。扶は日本刀で攻撃してきたが、将門は回避した。将門は天之麻迦古弓を射て、扶を撃破した。

 戦ってる最中、和樹は那須与一なすのよいちを思い出していた。平安後期〜鎌倉時代の武士。 下野しもつけ(栃木県)那須荘を領した那須資隆なすすけたかの子。 弓の名手。 『平家物語』によれば、元暦げんりゃく2年(1185)の源平屋島の戦いで平家方の船上にたてられた扇の的を馬上から射おとし、敵味方から賞賛された。

 弓矢が体に突き刺さってるにも関わらず、扶は平然と喋り出した。

『将門殿、それがしには未来が見えまする。殿はこののち藤原秀郷により命を奪われます。命を助けていただければ、思う存分働きまする』

 コマンドに『源扶』を助けますか? はい・いいえ』と表示された。

 和樹は扶を助けることにした。


 史実では扶は討ち死にする。そのまま将門は大串・取手(下妻)から護の本拠である真壁郡へ進軍して護の本拠を焼き討ちし、その際に伯父の国香を焼死させた。同年10月、源護と姻戚関係にある一族の平良正は軍勢を集め鬼怒川沿いの新治郷川曲(八千代町)に陣を構えて将門と対峙するが、この軍も将門に撃破され、良正は良兼に救いを求め、静観していた良兼も国香亡き後の一族の長として放置できず国香の子の平貞盛を誘って軍勢を集め、承平6年(936年)6月26日上総国を発ち将門を攻めるが、将門の奇襲を受けて敗走、下野国の国衙に保護を求めた。将門は下野国国府を包囲するが、一部の包囲を解いてあえて良兼を逃亡させ、その後国衙と交渉して自らの正当性を認めさせて帰国した。


 同年、源護によって出された告状によって朝廷から将門と平真樹に対する召喚命令が出て、将門らは平安京に赴いて検非違使庁で訊問を受けるが、承平7年(937年)4月7日の朱雀天皇元服の大赦によって、全ての罪を赦される。帰国後も、将門は良兼を初め一族の大半と対立し、8月6日には良兼は将門の父の良将や高望王など父祖の肖像を掲げて将門の常羽御厩を攻めた。この戦いで将門は敗走、良兼は将門の妻子(良兼の娘と孫とされる)を連れ帰る。だが弟たち(『将門記』には「舎弟と語らいて」とあり公雅や公連とされている)の手助けで9月10日に再び出奔し、将門の元に戻ってしまった。妻子が戻ったことに力を得た将門は、朝廷に対して自らの正当性を訴えるという行動に出る。そこで朝廷は同年11月5日に一つの太政官符を出した。従来、この官符は平良兼・平貞盛・源護らに対して出された将門追討の官符であると解釈されてきたが、前後の事実関係とのつながりとの食い違いが生じることから、これを公的には馬寮に属する常羽御厩を良兼・貞盛らが攻撃してしまったことによって良兼らが朝廷の怒りを買い、彼らへの追討の官符を将門が受けたと解釈する説が有力となっている。いずれにしてもこれを機に将門は良兼らの兵を筑波山に駆逐し、それから3年の間に良兼は病死し、将門の威勢と名声は関東一円に鳴り響いた。


 将門がレベル3になり、HP&MPが150になった!

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