第7話 新学期

 4月5日

 新学期がスタートして3日が経過した。

 一雨梅子いちぶりうめこ勝神胡桃かすかみくるみ御坊木通ごぼうあけび新宮西瓜しんぐうすいか枇杷島大地びわじまだいち印南酸塊いんなみすぐりもゲームに参加していた。

 梅子は浦島高校3年2組の担任。枇杷島は浦島高校の臨時教師、それ以外は文芸部の部員。亡くなった杏を含め、全て女性だ。

 放課後、一堂は3年2組の教室に集まっていた。梅子は文芸部の顧問、大地はその助手。杏たちは部員。酸塊、西瓜が3年。胡桃と木通が2年だ。杏たちはついこの間、2年生だった。まだ新1年生は部活が決まっていない。

「まさか、杏ちゃんが殺されちゃうなんて……」

 酸塊が芥川龍之介の『杜子春』を読みながら言った。唐王朝の洛陽の都。ある春の日の日暮れ、西門の下に杜子春という若者が一人佇んでいた。彼は金持ちの息子だったが、親の遺産で遊び暮らして散財し、今は乞食同然になっていた。


 そんな彼を哀れんだ片眼眇すがめ(斜視)の不思議な老人が、「この場所を掘る様に」と杜子春に言い含める。その場所からは荷車一輌分の黄金が掘り出され、たちまち杜子春は大富豪になる。しかし財産を浪費するうちに、3年後には一文無しになってしまうが、杜子春はまた西門の下で老人に出会っては黄金を掘り出し、再び大金持ちになっても遊び暮らして蕩尽する。


 3度目、西門の下に来た杜子春の心境には変化があった。金持ちの自分は周囲からちやほやされるが、一文無しになれば手を返したように冷たくあしらわれる。人間というものに愛想を尽かした杜子春は老人が仙人であることを見破り、仙術を教えてほしいと懇願する。そこで老人は自分が鉄冠子[9]という仙人であることを明かし、自分の住むという峨眉山へ連れて行く。


 峨眉山の頂上に一人残された杜子春は試練を受ける。鉄冠子が帰ってくるまで、何があっても口をきいてはならないというのだ。虎や大蛇に襲われても、彼の姿を怪しんだ神に突き殺されても、地獄に落ちて責め苦を加えられても、杜子春は一言も発しなかった。怒った閻魔大王は、畜生道に落ちた杜子春の両親を連れて来させると、彼の前で鬼たちにめった打ちにさせる。無言を貫いていた杜子春だったが、苦しみながらも杜子春を思う母親の心を知り、耐え切れずに「お母さん」と一声叫んでしまった。


 叫ぶと同時に杜子春は現実に戻される。洛陽の門の下、春の日暮れ、すべては仙人が見せていた幻だった。これからは人間らしい暮らしをすると言う杜子春に、仙人は泰山の麓にある一軒の家と畑を与えて去っていった。

 

 酸塊は5匹殺していた。河童、天狗の他に袖引小僧そでひきこぞうを3匹殺していた。埼玉県比企郡川島町中山上廓や埼玉県南部付近に伝承が残る妖怪である。

 下記の行動のとおり、姿を見せずに道行く人の足止めをして悪戯するような行動をすることから容姿は不明である。


 妖怪画家・漫画家水木しげるのイラストでは、黒い体に子豚のような顔をした妖怪の姿で描かれている。また、水木の故郷である鳥取県境港市には、水木の妖怪画を立体化したブロンズ像が多数設置された「水木しげるロード」という商店街があるが、ここにも袖引き小僧のブロンズ像が設置されている。


 夕暮れの帰宅を急ぐ者の袖をクイと引く。振り向くが誰もいない。気を取り直して歩き出そうとするとまたも手がクイと引かれるといわれる。


 伝承地での話では、袖引小僧は元は落武者の霊であり、落武者が通行人に助けを求めて袖を引いているともいう。


 また埼玉県の伝承によれば、貧乏な家の子供が、道端の地蔵の陰で共働きの両親の帰りを待っており、両親が帰って来たので飛び出したところ、両親は最近評判の盗賊だと思って殴りつけて死なせてしまい、その子供の霊が袖引き小僧となったという。


 似た妖怪に、茨城県筑波郡大穂町(現・つくば市)で老いた雄のムジナが妊婦の匂いに発情して袖を引くという袖引き狢がある。


 西瓜は化け狸を7匹殺していた。

 野山に棲息している狸たちが人間を化かしたり不思議な行動を起こしたりすることは、史料・物語または昔話・世間話・伝説に見られ、文献にも古くから変化へんげをする能力をもつ怪しい動物・妖怪の正体であると捉えられていた一面が記されている。広く認識されている最古の例としては、奈良時代に編まれた『日本書紀』(推古天皇35年)に「春二月、陸奥有狢。化人以歌。」(春2月、陸奥国に狢あり。人となりて歌をうたう)という記述があり、次いで『日本霊異記』、『宇治拾遺物語』、『古今著聞集』など平安時代から鎌倉時代にかけての説話にも「狸」という漢字で示された獣が話に登場している。


 江戸時代以降は、たぬき、むじな、まみ等の呼ばれ方が主にみられるが、狐と同様に全国各地で、他のものに化ける、人を化かす、人に憑くなどの能力を持つものとしての話が残されている。むじな、猯(まみ)との区別は厳密にはついておらず、これはもともとのタヌキ・ムジナ・マミの呼称が土地によってまちまちであること・同じ動物に異なったり同一だったりする名前が用いられてたことも由来すると考えられている。関西ではまめだ(豆狸・猯)、東北地方ではくさい、くさえ(くさいなぎ)などの呼ばれ方もあるが、いずれも動物としての呼称と共通したものである。文章表現としては漢語を用いた妖狸ようり怪狸かいり古狸こりなどの熟語も存在する。


 人間を化かすほか、化け狸の大きな特徴にはふくらませた腹部を叩いて腹つづみを鳴らす(狸囃子)、巨大な陰嚢を用いて人間を襲ったりする、などが挙げられ、いずれも江戸時代から狸の特徴として絵画や物語などを中心に確認できる。大きな陰嚢については「狸の金玉八畳敷き」という狸全般に関する慣用句から発生したものと考えられている。『本朝食鑑』巻11(1697年)の狸の項目にも「化ける」行動を含めこれらの挙動が記載されており、狸がこのようなことをすると考えられていたことを確認することができる。八畳敷きの陰嚢を畳敷きの座敷や大きな寺院とみせて人を化かそうとするが、そこに煙草の火あるいは針などを落とされて狸が失敗をする話は昔話として日本各地で明治から昭和前期にかけても広く採取されている。


 狸が人間を化かす話は京都・大阪・江戸などの都市部や各地の城下町では狐による話と同様に親しまれた。沖縄県や島嶼部(南西諸島、伊豆諸島)を除くほぼ日本全国各地に昔話や伝説が存在するが、佐渡島(新潟県)や淡路島(兵庫県)、四国には狢・狸に関する伝説が近世から特に数多く記録され、残されている。


 

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