第87話 番外編⑭-1 無知なる者の慟哭

「海、凄かったねー!」


「ああ、凄かったな」


「海、おっきかったねー!」


「ああ、でかかったな」


 馬車の荷台から足をぶらぶらさせながら、レジーナははしゃいでいた。


 海を見たのはもう一昨日のことだが、まだ興奮冷めやまぬ様子。


 ジェイク――改めバーンは、馬車を徒歩で追いながら、そんなレジーナを微笑ましく思っていた。


 バーンたちがいるのは、ロハンドール帝国領の南、海に面した小国、スートリア神聖国だ。世界的な宗教の総本山であり、巡礼や観光に訪れる者は後を絶たない。


 そして今、バーンは馬車の護衛に参加している。


 海を見に行くのに、バーンたちは駅馬車の護衛しながら移動してきた。レジーナを荷台に載せてもらう契約なので報酬はやや少なめだったが、生活には充分だった。


 今はその帰り。行きとはべつの、とある馬車の一団が護衛を募集していたので参加した。


 それが、聖女の護衛団だと知ったのはあとのことだった。


「聖女さまってどんな人?」


「スートリア教で、一番大事にされてる人だ。神の奇跡の体現者だとかでよ、まともな治療士ヒーラーとは比べものにならない癒やしの力を持ってるんだと」


「じゃあ一番えらい人?」


「いや一番偉いのは教皇らしい。聖女は、言ってみりゃスートリア教の象徴だ」


「よくわかんないけど、凄い人なんだね?」


「まあそうだ。凄い人だ。あとで挨拶に行くか?」


「んー、よくわかんないからいいや」


 バーンも聖女にはさして興味はない。


 スートリア神聖国に来たのは、冒険者国際奨励法を適用していないこの国ならば、冒険者ギルドからの追っ手は来ないと見込んでのことだ。また、巡礼者に紛れれば、多少身分が怪しくても入国できるからでもある。


 やがて岩肌の山道に差し掛かり、バーンは予定通り、最後列へ回って殿しんがりを務める。レジーナとはしばし離れる。


 聖女はともかく、レジーナの安全のためにも気を抜くことはない。


 だがそれは、バーンには防ぎようのない事態だった。


 轟音が馬車列を襲った。


 いくつかの馬車が吹き飛び、崩れた岩が降り注ぐ。


 あまりの事態に唖然とする他の護衛を押しのけ、バーンは走った。


 レジーナ。レジーナはどうなった!?


 馬車の残骸に崩れた岩と土砂が積み上がっている。血の臭い。人間の残骸が散乱している。その中で、バーンはちぎれた少女の足を見つけた。


 ゾッと背筋に悪寒が走る。


「レジーナ! どこだレジーナ!?」


 バーンは壊れた馬車を掘り起こす。


 やめろ……。やめてくれ!


 バーンは、今まで祈ったことにない神に必死に祈る。


 罪人は俺だ。俺だけなんだ! レジーナは違う! 間違えて連れて行かないでくれ!


 指先から血が出て痛んでも掘るのをやめない。邪魔な岩や残骸は【クラフト】で壊して取り除いていく。


 その甲斐あって、バーンはレジーナを見つけ出す。


 生きてはいる。しかし、その右足は膝から先が失われている。出血も激しい。このままでは死ぬ。


 唇が震え、涙がこぼれてくる。


 どうしてだ。どうして俺じゃなく、レジーナがこんな目に遭う!?


 バーンはちぎった自分の衣服で、レジーナの足を止血し、抱きかかえる。


「聖女様! 頼む、聖女様! 助けてくれ!」


 前方にいるはずの聖女を求めて走る。護衛の一団に止められたが、助けを求める声に聖女はみずから駆けてきてくれた。


 長い金髪の美しい女性だ。純白の僧侶服は、すでに幾人もの治療をおこなったためか、赤黒い血の痕で染まっている。


「そこに寝かせてください!」


 言う通りにする。さらに、ちぎれた足を差し出すが、その状態を見て聖女は首を横に振る。


 足を繋げることはできない。だが、命は助けられる。


「聖女様、お逃げください! 前衛が突破されます!」


 護衛のひとりが大声で聖女に訴える。前方では戦闘の音が聞こえる。それが徐々に近づいてくるのがわかる。


 しかし聖女は動かない。


「今やめたらこの子は救えません!」


「逃げなければ……貴方が亡くなられたら、この先誰も救えなくなります!」


 聖女は迷いの中、唇を噛んだ。血が溢れる。


 その決断が下る前に、バーンは叫ぶ。


「やめないでくれ! その子は俺のすべてなんだ! 俺はどうなったっていい、助けてくれ! 俺なんかのために、その子を死なせないでくれ!」


 涙を流しながらバーンは前進する。


「あの化け物は俺が片付けるから! 絶対に、治療を止めないでくれ!」


 返事を待たずにバーンは駆ける。護衛が「お前の装備じゃ無理だ」と叫んでいたが、関係ない。


 前衛の護衛団に合流する。相対するのは巨人型の魔物。知能が高く、魔法さえ使いこなす最低でもA級上位――成長度合いによってはS級にも届く魔物だった。


 この国は強力な魔物が多いと聞いていたが、通りすがりにS級に遭遇するとは思わなかった。


 戦っている護衛たちは、誰も彼もバーンより格上で、装備も一級品だった。それらが束になっても敵わない。


 だが、バーンにはわかる。


 どうすれば、あの巨人型魔物を材料に


【クラフト】の発動で、魔物はその強さに関わりなく、死体となった。


 バーンが聖女のもとへ戻る中、誰も口を利かなかった。ただ唖然としていた。


「頼む、聖女様……レジーナを助けてくれ……!」


「はい……。はい! 助けます。あなたのお陰で救えます。他の方々もみんな……!」


 聖女の声に呼応するように、誰かが声を上げた。


「英雄だ! この国に新たな英雄が現れたぞ!」


「やめろ! 俺は英雄なんかじゃない!」


 歓声が上がりかけたのを、バーンは泣き叫んで止めた。


「その逆なんだ! 俺は罪人なんだ! 俺の罪のせいでこの子は、ひどい目に遭っちまったんだよぉ! ちくしょおぉ!」





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