第62話 私のもうひとりのお母さん

 新技術推進協会へ成果物を提出する期限まで、あと一ヶ月。


「ばあや! できたよ!」


 アリシアは工房から屋敷へ走ってきて、まっすぐ、ばあやの部屋にノックもせず入った。


 しかし、そこで目にした光景に勢いが止まる。


「ばあや……なにをしているんだ?」


「はしたないですよ、アリシア様。設計のお手伝いも済みましたから、生家へ戻る準備を進めていたのですよ」


「それは保留にするって言ってたじゃないか」


「この仕事が終わるまで、とも申し上げましたよ。私の仕事は、終わりました」


「ばあやは、本当に……本心からそうしたいと思ってるのか?」


「はい。視力の衰えた役立たずは、ただの穀潰しでしかありません。今のガルベージ家の状況を鑑みれば、私などを養い続ける余裕はございません」


「嘘だよ、ばあやは嘘つきだよ! その視力をどうにかできる道具を作ったのに、どうして自分でそれを使おうとも思わないの?」


 また素が出てしまう。年相応の口調になってしまう。


 ばあやは押し黙った。やがて申し訳なさそうに目を伏せる。


「本当は……この命の続く限りお側にいたいと考えております。しかし、私の役目は本当に終わったのです。私は……みなさまを虐げる、あのヒルストンや頭の固い職人たちと同じです。古き思いを手放せずにいるのです」


「ばあやが、あんな人たちと一緒のわけないよ」


「いいえ。私は実際に、アリシア様はこのような事業に関わるべきではないと考えておりました。ほんの数人で、お国を救う事業を興すなど、できるわけがありません。それより後継ぎを作り、騎士として育て、領地の挽回を目指す……そのように暮らしていただきたいと考えておりました」


「古い考えだよ。それに……」


「ええ、まさに。まさにその通りなのです。私はみなさまがあの、素晴らしい装置を作り上げたとき、思い知ったのです。できるわけがないと考えていた私の浅はかさと、古臭さに」


「ばあや……」


「みなさまを受け入れたのは、あわよくばショウ様をご伴侶に、との打算がありました。しかし私の思うよりずっと、あの方々は素晴らしかった。私のような者は、きっと老害と呼ばれるべき、邪魔者なのです。お国を救う大きな事業を、妨げることしかできません」


「違うよ……。ばあやがそう考えるのはね、見えなくなっちゃったからだよ」


 アリシアは小さく首を振り、ばあやに渡したくて持ってきた物を取り出す。


「ばあやは見えないから、昔の記憶を頼りになんでもやっちゃってる。だから考え方も、古いままになんだ。見え方が違えば、きっと変わる。変えられるよ。だって……」


 感情が溢れて、呼吸が詰まる。視界が滲む。涙が零れてくる。


「だって、私を育ててくれたのは、ばあやなんだよ。古臭い職人や貴族には邪険にされて、でも仲間たちは褒めてくれて、新しいことにも楽しんで挑戦できる。この心は貴方が――私のもうひとりのお母さんがくれたものなんだよ……」


「アリシア様……」


「だから、ちゃんと見て。私のこと、私たちのこと。これからのこと」


 アリシアは生産品第一号のレンズで作った眼鏡を、ばあやに手渡す。


 ばあやは黙って古い眼鏡を外し、新しい眼鏡をかける。


 ばあやは、息を呑んだ。


「見える?」


「見えます。アリシア様のお顔が……よく見えます」


 ばあやは目尻から流れ落ちる涙を、そっと拭う。小さく笑う。


「やはり、見えないのはいけませんね……。もう立派な大人のレディになったと思っていましたのに……よく見たら、まだ、こんなに幼い……」


 アリシアは自分の今の口調や表情が、当主に相応しくないと自覚しながらも、ばあやの胸に飛び込む。


「そうだよ。私はまだ大人になりきれてない。いつだって背伸びしてるんだ……」


「いけませんね。本当に、いけません。これは私が、まだまだ教育しなければなりませんね」


 ばあやは穏やかに、アリシアを抱きしめた。



   ◇



 おれたちが工房で一休みしていると、アリシアに連れられて、ばあやがやってきた。


 その眼鏡は、おれたちが先ほど作った物に替わっている。


 ばあやは深々と頭を下げた。


「みなさまのお心遣いに感謝いたします。大変、貴重な品を頂きました」


「気にしないでください。その眼鏡のレンズは、ばあやさんの協力あってこそ作れたんだ。これからは同じ物を、安く早くいくらでも作れる」


 答えると、ばあやはおれのほうをじぃっと見つめてくる。


「視力が衰え、大切な物を失っていくすべての人のために……と聞き及んでおります。お陰様で、私も失わずに済みました。みなさまのお心が、私を救ってくださったのです。ありがとうございます」


 それからばあやは、ずい、とおれのほうへ接近した。


「ときにショウ様。アリシア様はいかがでしょうか?」


 ちらりとアリシアに目を向ける。「私のことを無闇に褒めるな」と言われているが、まあ、本人にではないならいいか。


「素晴らしい女性だと思いますよ。懐が深くて、順応性も高くて、意外と可愛らしいところもある。自分の大切に思うものの為なら、すべてを懸けてもいいというような姿勢も――」


 みるみる真っ赤になるアリシアの横で、ばあやは小さく手を叩く。


「よろしい。ショウ様、アリシア様とご結婚なさいませ」


「えっ!?」


「ばあや! ショウにはソフィアが」


「ではショウ様、貴族をお目指しください。一夫多妻が義務ですので」


「ばあやさん! その件についてもっと詳しく!」


 慌てるアリシアと、話題に食いつくノエル。


 騒がしくなる中、ソフィアは「ほら、これが一番なのです」とでも言いたげに、おれに微笑んだ。





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