二、妖怪の世界

 そもそも何故人間の私が妖怪たちの住む世界、妖界にいるのか。それはただ単純に、空間の亀裂に飲み込まれたからだと言われた。

 人間の住む人間界と妖界は、平行世界のように別次元に存在している。ただ人間たちはそれを認識できておらず、妖怪たちは人間界を認識している違いがあるとのこと。人間が妖界に来ることは滅多になく、来ても事故で飲み込まれたことにより命を落としてしまうことが多いらしい。それ故にこの世界には人間を弔う墓場があるらしいが。

 私も空間の亀裂に飲み込まれたのは、雪の降る寒い時期で大学の帰りだった。レポートを教授に提出し、疲れ果てた体に鞭を打って帰路についていた。寝不足か疲れか、私はその最中に眩暈を起こした。軽い眩暈はすぐに落ち着き、私は早く帰って寝ようと思った。

 ただ重い荷物を持って、雪が薄っすらと積もる中とぼとぼと歩いていた。そこに一個のボールが足元に転がって来て、足でそれを止めたのを覚えている。

「そこのネーチャン!ボール返して!」

 すぐ傍にある公園から甲高い子どもの声が聞こえて、そちらに視線を向けた。そこには子どもがいた。ただ八個の目を持ち、背からは虫独特の脚をわしゃわしゃと動かしながらもちらを見ていた。

 私は状況が理解できないものの、子ども声に急かされるようにボールを公園に向けて蹴り飛ばした。コントロールが上手くいったようで、蜘蛛を連想させるその子どもの足元にボールは飛んで行った。

「ナイスコントロール!」

 子どもはそう言って、他の子どもたちの輪に戻って行った。他の子どもも見れば、そこには角の生えた子ども、足が魚特有のヒレである子ども、終いには原型が留められていない生物と言っていいのか分からないのもいた。

 これは幻覚なのだろうか……。学業が忙しすぎて疲れから見たのだろうか、それとも白昼夢なのだろうか。そう思いながら古典的であるが、私は自分のほっぺたを抓った。しかし結果は痛覚を刺激しただけで、広々とした公園で遊んでいる子どもたちの姿は変わりない。

 不可思議なことを体験すれば、人間は一周回って冷静になるものだ。その時の私もそうで、恐怖心よりもまず病院か警察署に行くのが良いだろうと判断した。子どもたちのキーの高い声を背にし、私は見慣れぬ街を歩き出した。

 道中、すれ違う人々は私をも物珍しく見て来た。その視線の先を見れば、その人々も人間ではなかった。子どもたちと同じように人間でない外見、中には人間に近しい者もいたが視線的にきっと人間ではないのだろうなと判断ができた。

 そんな視線に耐えながら病院を探していれば、先に見つけたのは警察署だった。交番の方が見つかると思っていたが、立地的に警察署の方が近かったようだ。未だ刺さる視線をよそ眼に、私はふらふらと警察署に入った。

 中に入れば冷めきった私の身体を暖房が温め始める。芯まで冷めきった身体が、暖気によって溶かされるような感覚だった。そんな感覚を得ながら、私は警察署の中を見回した。

 そこには外と同じように人ならざる者たちが右往左往していた。どうやら忙しいようで、入って来た私に気が付いていないようだった。

普通に声をかけるべきかと考えあぐねていると、背後の自動ドアが動いて冷気が中に入ってくるのを感じた。

「うぃ~、寒い寒い。早く炬燵に入りたい」

 男性と思われる声が次いで聞こえ、顔をそちらに向ければそこには二足歩行をした三毛猫がいた。寒さで身震いをしている姿を見れば、尻尾は二股に別れており、警察官と思われる制服を着ていた。

 そして三毛猫も私に気が付いたようで、視線をこちらに向ければ目をかっぴらいて金色の目に驚愕の色を宿した。

「に、人間!何でこんなところに!」

 その声に受付も漸く気づいたようで、驚いた様子でこちらを見始める。急に視線が集まったことにより、私は戸惑いこの場から逃げてしまおうかとも考えた。しかしそれを見抜いたのか、三毛猫は私の服の裾を掴んで声をかけて来た。

「人間のお嬢さん、失礼だが今日は何でここにいるんだい?」

 その愛らしい顔で三毛猫は質問をしてくる。ごく普通に、自然に。普通の対応に更に戸惑いながらも私は口を開いた。

「あの、気づいたら周りに人間がいなくて、とりあえず病院か警察署を探してました」

「そうか、そうか。そりゃ最善の判断だ。恐らく君は飲み込まれてしまったのだろう。周りが変化する前に眩暈が起きたり、倒れたりしなかったかい?」

「め、眩暈はしましたけど……」

三毛猫の質問に受け答えしていると、三毛猫はうんうんと頭を上下に揺らして話を聞いている。そして何処か納得した表情を浮かべると、私の服の裾を離して私の前に立った。

「それは飲み込まれる前兆で、たまぁにあるんだよ。中には事故に遭って不幸な目に遭う人間たちもいるが、君は普通に来れたんだなぁ」

 良かった良かったと言いながら三毛猫は、私の手を引いて歩き出した。正直三毛猫は子どもサイズで、私より身長が低い。そのため少々前かがみになって引っ張られるように私は歩き出した。

「俺は猫又の双六。ここの警察署に勤める警官だ」

「は、はぁ……。私は峯岸翠と申します」

「翠か、綺麗な名前だね」

 口説き文句なのか、ただ純粋にそう言ったのかは今でも分からない。でもこれが私が妖界に来た経緯で、同居人である双六さんとの邂逅であった。

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