第48話 千景の決意

 突然の言葉に、二人は呆気にとられたように千景を見つめ返した。


 ずっと考えていたのだ。

 千景は袂に入れていた巾着袋から、赤い実を取り出した。

 行灯の明かりを受けて、それは艶のある光を反射していた。


 焔が母の魂から形成した、非時香果トキジクノカク

 愕然とした瞳で頼人は千景の手に持つ赤い実を睨んだ。


「トキジクノカク……! 何故千景がそれを持っているんだ! まさか……」


 頼人は舞台の火柱の方を向いた。

 千景は頷く。


「焔から渡されたものです」

「何てことだ……」

 頼人は呟いた。


「鬼とは人の魂を持ちながら、人の器を捨て、妖の器として生きること。人の身では不可能なことを成し遂げるため、犠牲を払って得た力だ」


 信人は静かな声で説明した。いつもの優しい声音とはまた異なる、かつて王位にいた名残を感じさせる威厳のある声音だった。


「この神剣も、大蛇を退治した尾から生まれたと言われているけれど、その伝説も巨大な妖を倒すために王は鬼の力を得て倒すことが出来たと、歴代の王の間では伝えられている」


 千景は自分の中で思い浮かんでいたことを、具体的に口にしていく。


「人の身では不可能なことを成し遂げるため……では、鬼の器になり、そしてこの身をもって封印すれば、彼らは救えるのでしょうか」


 身の内に魂を封じることは、少なくとも翁の中に信人の魂を眠らせていたということを踏まえれば、不可能な現象ではない。


「良いわけあるか!」

 千景の提案に、頼人は眦を吊り上げた。


「我々が速やかに魂を浄化するのは、野放しになった魂が悪用されないようにというのもある。焔はかつて、非時香果を利用した実験をしていたぐらいだからな」


「だからこのことは、黄泉の世でも秘匿されていることなんだよ。今は必要なことだと判断したから二人には話したけれど、誰にも話してはいけないよ」

 信人は千景と、傍にいる悠幸に釘を刺した。


「とにかくそれは、トキジクノカクとなった者の魂の尊厳を奪うことになる」

 頼人は険しい面持ちを崩さなかった。


「これは私の母、橘梨子の魂だったものです。母は許されないことをしたと自分の行いを悔いていました。この力で、黄泉の世を救うことに使われるならば、それが贖罪になると思います」


「人の器を捨てるというのは、我々と同じ体を持って生きられないことだ。大怪我を負うことや大病にかかることはなくなるだろう。

 けれど、肉体の代わりに寿命が肩代わりになる。長生きはきっと出来ない。

 千景がこの黄泉を守ることも、育ての母の罪も含めて、責任を負う必要はないんだ」


 普段の千景だったら頼人にここまで言われて、怯んでしまっていただろう。

 だが、千景も今ばかりは譲らなかった。


「私は責を負うような大それたことは考えていません。確かに、黄泉の世を守れるなら守りたいと思っていますし、彼らも救いたいです。

 それ以上に私にはやりたいことがあります。悠幸様と共に生きたい。そのために、黄泉の世が必要なのです」


「だが……!」

「……少なくとも、明昭王の年齢までは、生きられますよね」


 彼らが王位を奪ったと同時に、黎仁は消えたという。もしかしたらそれは、本当に寿命だったのかもしれない。千景がその時の記憶を見たわけではないが、なんとなくそうではないかと黎仁のこれまでの様子を思い返して感じた。

 充分だ、と千景は思った。


「──千景」

 振り向くと、信人と目が合った。


「止めないといけないのに、言葉が出てこないんだ。思えば千景を養子に出したのも私が勝手に決めたことだから……後悔していないといえば嘘になるし、後悔していると言い切れるわけでもない。

 多分、どっちを選んでも後悔しているんだ。そしてどちらを選んでも、肯定できるように千景が生きてくれたと信じている」


 千景は頷いた。その揺るぎない眼差しに、信人はわかったよ、と小さく言う。

「でも、悠幸はどうかな?」


 千景ははっと振り向いた。悠幸は珍しく、不機嫌そうな表情を浮かべていた。

「悠幸様、勝手な判断なのですが……」


「千景。千景は今後とも私の傍で仕えてくれるのだろう? じゃあ、私の許しがいるのではないか?」

 その言葉に千景は詰まった。

 千景の心苦しそうな様子に、悠幸は少しだけ表情を和らげた。


「昔から千景が体調を崩して熱を出すたびに、ずっと不安で胸が押しつぶされそうだった。千景まで自分を置いていったらどうしよう、と思っていた」

「悠幸様?」

 思い返すように、悠幸は少しまぶたを落とす。


「正直、私にはこれが何かわからないし、千景が口にするとどうなるのか、想像がつかないんだ。

 でもきっと千景は体が弱いから、鬼にならなくとも病気でいつか私を置いていってしまうかもしれない。それなら、明昭王の年の頃までは確実に生きてもらうのも一つの選択肢かなって思っている。こればっかりは、誰にもわからないもんな」


 そして悠幸は顔を上げると、千景を真っ直ぐに見た。

「私も千景の道を信じる。鬼となる道を選んでも、選ばなくとも。どちらにしても、私も一緒に戦うから」


 千景は、泣きそうな、それでいて誇らしく思うような、一言では言い表せない表情を浮かべた。悠幸の信じてくれる心が、本当に嬉しかったのだ。

 信人と悠幸の出した答えに、頼人は溜め息をついた。


「絶対間違ったことは言っていないと思うんだがな……。二人が千景の提案を認めるのなら、わかった。出来る限りの助力をするとしよう」

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