第47話 霊力

 術に封じられていても、熱気が建物にまで及んでいる。

 千景は顔を歪めた。火事の中、屋敷内を逃げ回った思い出が蘇ってくる。


 悠幸はそっと信人のもとへと向かった。信人は他の者に見付からないよう隠れながら、術で火の柱を封じていた。勢いは凄まじく、黄泉の水脈から得た水を大気内に変換して辛うじて保つことが出来ている。

 悠幸は、恐る恐る声をかけた。


「……本当に父上なのですか」

「よく似た人かと思ったかい?」

 信人の穏やかな声音に、悠幸は切なく目を細めた。


「だって……もう何年も前に亡くなられたと思っていたし、それに」

「それに?」

「もっと大きかった気がしたから……」

 すると信人は少し噴き出すのを我慢したような笑みを浮かべた。


「それはね、悠幸が大きくなったからだよ」

 大きくなったねえ、と信人は悠幸の頭を撫でた。

 そして千景の方を向く。


「千景も立派になったよ」

「ありがとう、ございます」

 千景はつっかえながら返答した。まだ千景は立派になった、と言われるほど成長した気がしなかったからだ。


「私の最期の、ひどい頼みを聞いてくれてありがとう」

「いえ……!」

 確かに悲しい頼みではあったが、火の手が回っているあの極限状態の中、ひどい頼みだとは千景は思わなかった。


「私の火事の日、屋敷に出た後のことを覚えていなかったのは父上の力だったんですね。炎が戻った時に思い出しました」


「私は輪廻の理を曲げてしまったんだ。だから、死者が接触するのは良くないと思ってね。でも……その分浄化の力のこととか、大変な思いをさせてしまった。すまなかったね」


 そして信人は翁の身の内にて魂を封じ、眠りについていたことを話した。

「あの人は優しい妖だ。本当はあまり干渉してはいけないのに、私に二人の声が届くように、何かと理由をつけて傍にいってくれたからね」

「そうだったのですか……」


 すると頼人が訪れた。

「親子の久々の会話中にすまない。兄上、神剣を頂いても?」

「ああ」


 頼人は信人から受け取った神剣を手にしたが、霊力をほとんど使いきっているため、いつもの使い慣れた形に変化することはなかった。

 頼人は顔を歪める。


「焔を……彼の魂ごと消せば、治まるはずだ。どうにかして、術者らを呼び戻して、全ての力を総動員して……滅する」

 千景は小さく呟いた。


「でも、それではあまりにも彼らが……」

 彼らを消してしまうだけでいいのだろうか。

 ふと千景は悠幸が言っていたことを思い出した。


『なあ、千景。魂鎮めによる浄化の力とは、正しいのだろうか』


『私は、数は多くないけど魂鎮めではなくて自身の心と向き合って、自分の力で浄化した魂も見て来た。その方が当人たちも納得するんじゃないだろうか』


 千景は考える。

 黎仁は神剣で千景を消滅させようとした。舞台の外へと飛ばした。

 だが、もしこうなることを予測していたのなら。

 彼は千景が焔に取り込まれないよう、行動していたのではないかとすら思えた。


 黎仁の真意は今となってはわからない。

 意識の中で出逢った彼。彼の言動。そして黄泉の世で成し遂げたことと背負ったもの。


 やはり焔の最後の言葉が、黎仁を最も近くで見ていたあの言葉が、黎仁の魂を一番表しているのだと思った。


 頼人の意見に信人は待ったをかけた。

「術者を呼び戻したら、黄泉の世の崩壊が早まる危険性があるし、何より頼人の身が持たないよ」

 頼人は一歩も引かない。


「どちらにしても崩壊する危険が高いことに変わりはないでしょう、それなら一か八か力を総動員した方が良いです」


「思い切りはいいけれど、お前の考えることはきっと焔や父も読んでいるはずだ。そう簡単に滅することが出来るとは思えない」


 慎重に動くべきだと考える信人と、賭けに打って出るべきだと考える頼人、二人の考えは真っ向からぶつかる。

 すると、悠幸は口を挟んでよいのか一瞬迷ったが、はっきりとした声で提案した。


「それなら、私の力を使って下さい。私の浄化の力は、強いのでしょう⁉」


「強くても、あの鬼神を相手に、人間の悠幸の力が耐えられるかわからない」

 今この瞬間も信人の霊力をもって結界の術で封じているため、力は刻々と削られている。


「私も自分の命はともかく、信じて体を預けてくれた翁殿を消滅させるわけにはいかない。他に霊力の代わりになるものなんて……」


「あのね……」

 信人のもとに、リンとマロとカメ助がぴょこぴょことやって来た。

 実は千景を助けに行った後、千景と悠幸が舞台に向かおうとしているところに合流した。一緒に白鵠の背に乗せてもらい、彼らが飛び降りた後、付喪神らも屋根に降り立ってずっと御殿の方で様子を伺っていたのだ。


「どうしたんですか?」

 信人は身をかがめた。


「リンたちの魂、使っていいよ」


 思いがけない付喪神たちの言葉に、はっと信人は息を呑んだ。

「どうして……」


「だって、リンたち、人間になりたいから」

 リンは耳をそよがせて、身振りを大きく説明する。カメ助はひょこっとそれに続いた。


「せっかくもらった命だもん。輪廻に入って、また元気に生きたい」

 マロはおっとりした口調ながらも、しっかりと言う。


「それでね、いつか僕たちを生み出してくれた姫様に、会いたいんだ」

「ありがとうって伝えるんだよね」

「良いことしたから、次は人間になれるかなあ」

「楽しみだね」


 信人の瞳が揺れた。

 三匹は元々雪子の願いが付喪神になった存在だ。

 悠幸と千景の前で話したことはないけれど、彼らは覚えている。

 雪子に可愛がってもらい、大切にされていた日々を。


 そんな彼女が、自分の命よりも大事にしていたものを守ってほしいと彼らに願いを託し、火事の日を境に生まれたのだ。


「駄目だ!」


 止めたのは悠幸であった。

 三対の目を向けられ、悠幸はええと、と目をそよがせる。彼らの望みはわかるけど、うまく言葉にならないのだ。


「あなたたちがいなくなると、悲しむ人がいますからね」

 信人は優しい目で三匹を見つめる。

 悠幸はうん、と頷いた。


「いつの日かのお別れなら、笑ってその時が来たんだね、また別の形で会おうねって送り出せるけれど、まだ早いよ」


 火事で両親を亡くし落ち込んでいた悠幸を、彼らは間違いなく元気付けてくれた存在だった。


 人間になりたい気持ちも、自分たちを作ってくれた雪子に会いたい気持ちもわかる。

 でも、まだ消えないでほしい。

 それが悠幸の、偽らざる思いだった。


「他にも方法があるはずだから、考えよう」


 千景は信人と頼人のもとへ近付いた。


「頼人様、信人様。鬼になるとは、どういう存在になることなのか教えて下さい」

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