第38話 説得

 結界を解くために、今浄化の間にいる術者らの総力を結集して内側から破壊する。

 頼人のその案に対して、術者らは始め反対をした。


 一つは、頼人への影響を慮ってのこと。結界は頼人の力を利用している。破れば彼に強い衝撃が向かうことが予測されたからだ。


 そしてもう一つの理由は、浄化の間にいる妖や悪霊への影響であった。

 頼人の力が消えると、妖を保護する聖域の均衡が保てなくなってしまうのだ。


 そうなれば、黄泉の世にまだ浄化されていない悪霊や妖怪が放出されることになってしまう。

 もしそれらが現世にまで出て行くと、探して捕らえることは一層困難になってしまうだろう。


 だが、最終的に頼人の説得で、一つ目の懸念事項は渋々ながらに了解された。そして二つ目の影響が、今いる術者たちの力でどこまで持ち堪えられるか検討していたところ。


「しゅ、主上!」


 術者らが集まっている中、狩衣を着た比較的年若い男性が、焦った様子で頼人のもとへ向かってきた。


「白鵠の浄化が破られそうです……!」

 その知らせに術者らはざわついた。


「よりによって今か⁉」

 あまりの間の悪さだ。頼人は白鵠のもとへ向かうと、その光景に目を見張った。

 水の膜が薄くなり、消えかかっていた。白に戻りつつあった白鵠の羽は再び半分以上が黒く染まり、動きが以前より活発化している。


 今、彼らが最も懸念していた妖がこの白鵠であった。

 ただの妖ではなく、御仏の付喪神の転身したこの妖が、中途半端な状態で覚醒するとどうなるか予測がつかないというのが現状の見立てであった。


 白鵠は、后妃が捕らえた際の水の膜を、保護するための封じとして今も利用していた。

 頼人は剣呑な眼差しを浮かべた。

 膜が弱まっているということは、彼女の身に何かあったことにほかならない。


 そもそも藤子は現世の人間であるため、土地を流れる聖なる水脈の力を利用して力を発動していた。それは彼女の地道な鍛錬による賜物だ。

 焦燥が募りそうになるのを、頼人は深呼吸をして抑える。


「うろたえるな。まずは皆で出来る限り、術で修復を」


 すると、頼人の声が聞こえたかのように、白鵠の目が見開いた。

 術者らはどよめいた。封印がほぼ解けかけているということに違いない。


「まったくこれだから火急に慣れていない若者は。下がっておれ」

 奥から素早い足捌きでやって来る土御門を、僧侶の無仙が制する。


「最年長は黙っていなされ。経験はこういう時に積むものです」

「ああ。ここは我々神官に任せてくれればよい」

「またお前は!」

 頼人は術者三人の勃発した言い争いに、こんな時にまで揉めるな、と口を開きかけた時。


「白鵠様、お声は聞こえますか? このようなところから、申し訳ありません。どうかこの声を聞いて頂きたいのです」


 悠幸が毅然とした声で告げた。けして大きな声ではないが、周りにいた術者らが思わずはっとするほど、その声に重みが伴っていた。


「悠幸?」

 頼人は驚いて、突然白鵠に声をかけた悠幸を凝視した。



「苦しいですか? 呼吸は落ち着いて出来ますか? 勝手なお願いに聞こえると思います。でも、あなたを守りたいので、どうかあなたの声も聞かせて下さい」


 覚醒したばかりであるため、まだ完全に力を出せないのだろう。

 白鵠は鋭い瞳で、悠幸を睨む。


 悠幸は近付いた。

 次の瞬間、白鵠は嘴で己を包む膜を破ろうとした。術者らは咄嗟に悠幸を守るため、結界を張ろうとする。


「待って下さい。大丈夫、落ち着いて!」

 そして悠幸は白鵠を包む膜に触れる。水で出来た膜は触れると波紋が浮かんだ。


「苦しいですね。辛かったことも、悲しかったことも、聞かせて下さい。だから、どうか自分を傷付けないでほしいのです」

 すると白鵠は血を吐くように呻いた。


「私は、化け物だと気付かされた……人を救うために生まれたというのに……結局は、私も醜い生き物の一つに過ぎなかった……」


 悠幸は彼の心の叫びに、目を見張る。浄化の影響で、彼本来の自我を取り戻していたのだ。


「あなたの身に、何があったんですか」


「この身を壊され……寺を焼かれたんだ。私を信仰していた者も、誰もいなくなった。神仏分離令で、寺が廃止されることはわかっていた。だから……そのまま消えるはずだったのに」


 仏の化身ともいうべき白鵠。信じていた。自分の使命は人を救うことだと。

 だが、人間の悪意を目の当たりにし、非情な仕打ちを受け、闇をまとう妖に変化した。

 彼は、自分自身に絶望をしたのだ。


「どんなに優しい気持ちを持っていても、そこにある一点の辛さで、どうしようもなく恨んで苦しくなるのが、心なんです」


「もうよいのだ……頼む、殺してくれ……終わらせてくれ……!」


 血を吐くように白鵠は呻く。

 悠幸はそんな彼の姿を痛ましげに見つめる。

 ここに来るまでの間に彼は、誰かの魂を奪い、傷付けてしまったのだろうか。

 だが、悠幸はそれを尋ねることはしなかった。


「……私は、五歳の時に屋敷が燃えて、両親を亡くしました。その後も悪気はなくとも辛い言葉が耳に入って来て、人を信用出来なくなった時もあります。恨む気持ちも憎む気持ちも、何で自分がこんな目にあったんだ、と思う時もあるんです」


 今の悠幸に浄化の力はない。彼の苦しみを、癒してあげることは出来ない。


「恨んでも憎んでもいい。でも、あなたが、あなた自身のことを嫌いにならないでほしい。自分に価値がないなどと思わないでほしいのです」


 力を失ったとわかった時、悠幸は怖かった。戻らないと突きつけられた時もそうだ。力を使えない自分は、必要ないと言われるのではないかと。


 だが、そんなことはないと言ってくれた人がいた。

 その一言が、本当に安心したのだ。


「あなたはきっと、その姿を見せるだけで、たくさんの人の救いになる存在です」


 どんなことがあっても、味方だからと傍にいてくれる千景の存在が、悠幸にとって大きな支えだった。


 だから言い切れる。

 あなたがいてくれるだけでいいのだ、と。

 それがどれだけの大きな勇気になるのかということを。悠幸は身をもって知っている。


 悠幸は一つ、提案をした。

「いつか、私は両親を亡くした屋敷の跡地に、菩提を弔える寺を建立したいと思っているのです。もしあなたさえよければ、どうか、そこの守り仏になっていただけませんか」



 白鵠の脳裏に蘇った光景がある。

 仏として寺の本堂に奉られていた時のこと。


 寺に毎日熱心に祈りを捧げる幼い子どもがいた。


 朝は日が昇らぬうちに目を覚まし、勤行、掃除、お供えをし、ようやく朝餉をいただく。食事は粥と漬物という質素なもの。

 その後は勉学、御仏へのお勤め、花を活けるという作務を行っていた。

 大人に混じって過ごす俗世から離れたその子の生活は、それはそれは勤勉なものであった。


 いつかその子が出家をして、この寺を継ぐのだろうか。感心しながらその子の成長を見守っていた。

 だが、情勢は変わり、その子は寺から去ることになった。子どもだけでない。寺にいた多くの者が去ることになった。


 寺から去る最後の時、その子どもは本堂の赴き、いつの日か自分が寺を再興させるから待っていてほしい。そう告げた。


 諸行無常の世の中で、その言葉が光になっていた。

 夕日が差し込む本堂で、深々と一礼をして去って行く姿。


 朽ちていく寺。埃や塵が積もり、鼠や虫が這う。

 やがて打ち捨てられ、火に包まれるまで、その言葉は白鵠の心に忘れることなく深く刺さっていたのだ。



「私は……人の魂を奪った。闇に落ちた化身だぞ……」

「ええ」


「どれだけかつてのように振る舞っても、罪は消えない。心がまっさらに染まることはない」

「それでもかまわないのです」


 悠幸は腕に巻いていた包帯を外した。昨日の傷の箇所が露わになる。血は止まっているが、今もひりついた痛みがあり、浸出液がうっすら滲んでいる。肉は腫れて微かに盛り上がり、軟膏を塗った後は白っぽく変色している。


「傷も痛みも、罪も苦しみも、共に癒していきましょう。私は痛みのわかるあなたがいい」


 悠幸は心の底から願って、白鵠に届くようにと声をあげる。


「どうか私たちの願いになって下さい!」

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