第30話 匂い袋

「后妃様、どうか私たちを信じて下さい!」


 千景は声をあげた。

 その気迫に、衛士らは戸惑った。彼らも千景のことは知っている。


 黄泉の住民からすれば千景が霊体であることも一目でわかるため、何らかの事情があることは察せられた。

 だから今の千景がどういう存在であれ、捕らえることが忍びなかったのである。


「では、あなたが本物の千景様だという証はあるのですか」


 冷静な声で后妃は返す。

 千景は迷ったが、捕らえられた楓を見て、やむを得ないと観念する。


「……橘千景は、本当は先代の王の子です。この銀の炎が、その証です」


 千景は銀の炎をかざした。

 自分でその事実を言うのは、苦しかった。だが、今は背に腹は代えられなかった。


「千景さん……」


 ぽつり、と楓は小さく口にした。

 それはまだ楓に話していなかったことだった。


 藤子はその事実を知っていたのであろう。

 顔色を変えることはなかったが、知っていたのかと憐憫にも似た色が瞳に僅かに浮かんだ。


「わかりました。ですが、どちらが本物か、どちらの言うことが正しいのか、その炎だけでは私に区別がつくわけではありません」


「……はい。でしたら、どうか楓様だけでも、解放して頂けませんか。お願いします。彼女は巻き込んでしまっただけなので、どうか……!」


 すると楓は真っ直ぐ后妃の方を向いた。


「いいえ、千景さんを主上と悠幸様のもとへお連れして頂ければ、全てがわかると思います。その代わりに私を人質として捕らえて下さい」


「か、楓様……!」

 楓の申し出に、千景は仰天した。


「もしも千景さんが偽物であると分かれば、私も処罰を受けます」

 楓の必死の訴えが通じたのであろう。


 藤子は一つ、頷いた。

「わかりました。では、あなた方は彼女を私の宮の一室へ。くれぐれも丁重に扱うように」


 藤子は女官らへ指示を出した。

 そして衛士の方へと向く。


「あなたは引き続き、ここの番をお願いします。あなたは共に来ていただけますか」

「はっ」

 二人組のうちの年若い衛士は威勢よく返答をした。


「千景さん。これをお守りとして持って行って下さい」


 楓は女官らの間から手を伸ばした。

 女官らはいいのだろうか、と后妃に視線を送ったが藤子は咎めることはしなかった。


 差し出されたのは匂い袋であった。緑地の袋に白い糸で花模様の刺繍がされている。


「ですが、そうしたら楓様の身が……」

 楓は首を振った。


「いいえ。私の匂い袋は別にあります。実は千景さん用にお作りしていたものなんです。渡す機会がなかなかなくて……」


 受け取った匂い袋からは、白檀の香りがした。

 楓らの部屋にある仏壇を思い出すような、心落ち着く香りだった。


「私の方は大丈夫ですので、どうかご無事で」


 楓は千景を安心させるようにそっと笑った。

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