第23話 覚醒
「……楓様。もう落ち着いたので、大丈夫です」
千景は顔を上げた。まだ胸の苦しさはとれないが、帰ろうと思ったのだ。
きっと千景の居場所は、悠幸の隣にしかない。どれだけ苦しくとも、真実を知っても、悠幸を想う気持ちは変わるわけがないのだ。
「すみませんが、もしよろしければ、先に宮へ戻って新しい衣を用意しておいてもらえませんか。このまま帰れば、皆に迷惑がかかってしまうし、驚かせてしまいますので。裏から戻ろうと思いますので、準備をしておいてもらえたら助かります」
「わかりました。待っていますね」
楓はほっとしたような表情を浮かべた。千景の傍に持参した傘を置くと、来た道を戻って行った。
と、その前方から黒い外套に頭から布を被いた長身の男が歩いて来ていた。
ぶつからないよう、道の端に寄った楓を通り過ぎ、迷う様子も千景の方へと向かって行く。
千景は視線を地面へと落としていたが、雨の音に紛れて何者かが近付く気配を感じ、顔を上げた。
先程とは異なる衣服であったが、その男は焔であった。
傘はさしておらず、よく見ると、雨粒は弾かれ、彼の衣も髪も肌も、何ひとつ濡れていなかった。
「わかりきっていたことだろう。黙っておけば、今まで通りにいられたものを」
焔の低い声音に、千景は険しい顔で立ち上がった。
「元はといえば……」
千景は言いかけて、口をつぐんだ。この男のせいではない。
養子に出されたことも、千景が真実を知らされたのも、悠幸が知ってしまったことも。
千景は、焔を見据えた。
「聞きたいことがある」
「俺にか?」
「ああ。確かに屋敷に火を放ったのは母かもしれない。けれど……あの火事は、鬼火だと言われているぐらい火の回りが早かった。駆け付けた近衛や衛士、主上もすぐには対処出来なかったほどに」
千景の脳裏に昨晩の燃えたススクイから現れる焔の姿が浮かんだ。
「お前が妖を倒す時に操っていた炎。この気配、覚えがある」
焔は千景を見下ろしたまま、顔色一つ変えない。
「確かにきっかけをつくったのは母だ。だが、その小さな炎を扇動し、母や信人様たちの命を奪ったのは、お前なのではないか……⁉」
証拠はない。だが、確信に近い問いだった。
焔は口を開いた。
「だったらどうする?」
千景の濡れた瞳の中に、確かな激情が揺らめいた。
それを見た焔は、僅かに。ほんの僅かにだけ口元に笑みを浮かべる。
千景は渦巻く憎しみの中に、僅かにほっとしてしまう自分がいることに気付いて、罪悪感が募った。あの火事は全てが母のせいではなかった、と囁く声があったからだ。
「それなら、お前を……許さない……」
荒れ狂いそうな感情を胸に、千景は銀の炎をかざした。
けれど同時に、罪悪感や母の断罪、悠幸への申し訳なさの気持ちも押し寄せてきた。
「あれ……」
かざしたはずの炎が急激に勢いを失い、消えていく。
自分と悠幸の大切なものを奪ったこの鬼神が憎いのに、自分の出生を含めた怒りまで全て彼に押し付けようとしていることに気付いて、自分への嫌悪も募ったのだ。
焔はしらけた表情を浮かべ、ゆっくりと千景に詰め寄った。
「今のお前はとんでもなく無様で滑稽だな。主人のためと行動したのに、暴いたのは育ての母が犯した罪と、自分の出生の秘密ときた。そして主人のために欲した力は、主人を追い落とすための力になるとは」
「違う! 私は悠幸様を追い落とそうなどと思っていない」
この力を悠幸に渡すことが出来れば良いのに、と思う。
そうすれば、母の犯したことへの償いに、少しはなるだろうか。
「いや。悠幸の力が戻らないのは貴様のせいなんだよ。貴様の存在が、悠幸を不幸にしている」
「そんな……」
焔の畳み掛けに、千景は過呼吸を起こしたかのように動揺した。
「夜の光景を覚えているか? 貴様が手を振り払った時に現れた守りの壁を」
千景の脳裏に昨晩の光景が蘇る。
「悠幸の浄化の力は、失われたんじゃねえ。貴様を護ることに使われていたんだ!」
「────っ!」
千景の心は悲鳴を上げた。
次の瞬間、水晶が砕けるような音がした。
雨に混じって、氷の欠片のようなものが降ってきた。その欠片は千景や地面に当たる前に溶けて消えていく。それは攻撃を受けそうになった時に、千景を守った結晶であった。
千景は、千景自身が護られていた力を拒絶してしまったのだ。
焔は喜悦の笑みを浮かべた。
「ようやく会えたなあ? 待っていたよ、無防備な貴様を」
千景の腕を掴んで、軒の柱に打ち付ける。背中に走る痛みに千景は顔を歪める。
守り刀を召喚しようとしたが、強く掴まれたせいで手に力が入らない。それどころかびくともしない。
「千景さん!」
違和感を覚えて離れた所から二人の様子を伺っていた楓は、異変を察知し飛び出した。
「楓様、逃げて下さい!」
焔は駆け寄った楓を片腕で突き飛ばした。彼女の華奢な体は地面の水溜まりに打ち付けられる。傘は飛び、雨が容赦なく降り注いだ。
「お前……っ!」
怒りを滲ませる千景に、焔は黙らせるよう口を手で覆って塞ぐ。
「あの夜、俺は貴様を連れ去ろうとした。だが、邪魔が入った。信人、そして悠幸」
塞がれた手はぞっとするほど冷たかった。
千景は必死でもがいたが、塞がれた手の押さえつけが強く、呼吸がまともに出来ない。
「もっとも、用があるのは貴様じゃねえ。貴様の魂だ」
焔が千景の耳元に顔を寄せる。
そして、低い声でその名を呼んだ。
「目を覚ませ。──
次の瞬間、千景は心の臓が強く熱を持ったように感じた。
「うっ……!」
千景は呻き声を上げる。仄かに燐光が立ち昇り、千景を取り巻いていく。
そして千景は失われていく意識の中で、たった一人の主の名を紡いだ。
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