第20話 提案
まだ空が薄紫に染まる前の時間帯。
生暖かい湿った風が吹き込み、空は曇が垂れ込めている。
清望殿へ赴こうとした頼人は視線の先、渡り廊下に千景が跪いている姿を見付けた。
千景は主上の姿を視認すると、居住まいを正し深々と平伏した。
「千景……?」
黄泉の一日は薄明の刻の前に始まる。
王は祈りを捧げ、白んだ空を確認し、それが再び暗くなるのを機に黄泉の全土の明かりが灯される。そうしてこの黄泉の世の昼が始まるのだ。
内密に尋ねたいことがあるという千景の希望により、頼人は場所を移した。
清望殿内部、舞台の奥側にあたる空間であった。清望殿そのものが儀式の場なので、人が立ち入ることはほとんどない。
悠幸が堂々と立ち入るのは、王の一族なので大目に見てもらっているというのはある。
御殿は古く年季の入った大黒柱が幾本も並び、建物全体を支えていた。
「主上、私は……先代の信人様の子なのですか?」
憔悴しきった様子で千景は尋ねる。
主上の前であるため直衣など一応の体裁は整えているが、髪は乱れ、顔色の悪さから一晩休んでいないことは明白であった。
「……知ってしまったのか」
「はい」
千景は体の熱や血流を集中させ、手元に小さく、銀の炎を出現させた。
頼人は静かにそれを見る。
銀の炎は揺らめくと、やがてふっと消失した。
「千景が母だと慕っていたのは本当の母親ではない。千景の名は、王族の系譜にも載っている。……辛かったな」
千景はようやく信頼出来る者からの言葉に、真実なのだと実感する。そして項垂れた。
「……私は、邪魔だったのでしょうか」
王位は基本的に長子が継ぐことになっている。
現段階では頼人の子か、前王の子である悠幸が継ぐのかは決まっていない。
だが、千景が生まれた時は信人が王であった時代で、順当にいけば千景が継ぐことになっていたはずだ。
たとえ悠幸の力がどれだけ強くても。
「それは違う!」
頼人は否定すると、千景の肩に触れた。
「千景は邪魔だったんじゃない。浄化の力は、その者の体力と精神力を必要とする。
体が弱ければ、すぐに奪われてしまう。兄上も王になってわずか数年で体調を崩された。橘家に行かせたのは、千景に健やかに生きてほしかったからだよ」
千景は信人の姿を思い返した。
「お優しい方、でした。そうですよね、勝手な推測をして申し訳ありません」
頼人は俯いたままの千景に、一つ提案した。
「千景、もしお前さえよければ、一族に復帰するのはどうだ」
頼人は真っ直ぐな目で千景を見た。憐れむわけでも、同情するわけでもない。
それは千景を慮ると同時に、この世を担う王としての責務を全うするためのものでもあった。
「正式な手続きを踏めば、千景も問題なく王族へ復帰できる。
体が弱いのは懸念事項だが、昔より体調を崩すこともなくなったし、努力もしている。力の制御方法も教えてやれる」
「ですがそれは……」
「同情とかではないんだ。千景の力だって、十分にこの黄泉を支える力になってくれると見越してのことだ」
「私は……」
だが、そうなれば千景が兄であり主となり、立場は逆転するのだ。
「黄泉の世を、我々と共に支えてほしい」
仕えるのは黄泉の世か、悠幸か。
悠幸を支えるのが自分の役目だと思っていた。
千景にはその答えが出せないでいた。
ふと、木の板の軋む音がした。柱の裏に人がいるのがわかった。
「誰だ」
頼人が鋭く
「す、すまない……。千景がどこに行っていたのか、気になって……」
そう言って柱の影から現れたのは、今千景が最も出会いたくなかった相手。
主であり、そして、実の弟だと判明した悠幸であった。
悠幸の戸惑った表情に、話の内容を聞いていたのは一目瞭然だった。
千景は居たたまれなくなり、主上に一礼すると、その場から逃げるように立ち去った。
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