第15話 謎の男

 千景が訪れたのは、かつて火事があった宮の跡地であった。

 同じ山の中だが、本宮や松ノ宮から離れた所にひっそりと存在する、元は紅桜院と呼ばれる建物だった。

 悠幸が力を失った場所であり、千景と悠幸が出逢った場所でもある。


 あの頃、悠幸の父である信人は、体調を崩して王の座を頼人に譲位し、この宮にて静養をしていた。

 元々信人は体が弱く、頼人が王の補佐していた形だったのだが、浄化の力は彼の心身を削った。

 持病もあったようで、千景と母が住み込みをしていた頃は、表立って姿を見せることも少なかった。


「立ち入り禁止区域に足を踏み入れること、どうかお許し下さい」


 千景は手を合わせて非礼を詫びる。土地の浄化のため、禁域に指定されているのだ。

 足を踏み入れると、その瞬間、何となく体が重くなったように感じた。

 千景は周囲を見渡した。


 当時は桜の花が美しい屋敷であった。一度火事で全てが消失してしまったので、今は荒れた野原となっている。

 提灯や行灯もないため、頭上の点々とした光のみが視界を照らしている。


 千景が足を進めると、ススクイが足元にふわふわと舞った。その名の通り、煤を食う妖である。

 彼らはどちらかといえば提灯の火をともす妖に近く、疎通をとることは出来ない。


 残っているのは土台部分だけだったが、土の香りと共に懐かしい光景が千景の脳裏に蘇った。

 稽古をしていた庭。共に遊んだ畳の広間。日向ぼっこをした簀子。


 あの頃は、誰からも愛される悠幸が羨ましい、という感覚を千景は持っていた。

 まだそれほどまでに、自分も子どもだったのだ。


 あの火事は一気に火の手が回ったので、鬼火ではないかとも言われている。

 山に火が燃え移らなかったことだけは、僅かながらも幸いであった。

 千景はそっとしゃがみこんで、湿り気のある黒い土に手を触れた。

 たとえ力の残滓でもいい。何か残っていないだろうか。


 しゃらん、という金属の重なる音が背後からした。

 千景がばっと振り向くと、そこには長身の男がいた。

 突然現れた見知らぬ人物に、千景は思わず固まった。


 その人物は笠をかぶり、袈裟のような衣服を纏っており、手には錫杖を握っていた。

 今しがた聞こえた金属の音は、錫杖頭部の輪形の金属が打ち合う音だった。


「貴様は本当に弱い存在だな」


 それが第一声だった。低い声音に侮蔑の色が混じっている。千景の肝を冷やすには十分な威圧感だった。


 僧侶のような姿をしたその男は笠をずらし、その下から覗く切れ長の鋭い瞳で千景を見詰めた。

 その虹彩は赤み混じりで、血の色を連想させた。


 笠を動かした拍子にはらり、と髪がひと房零れ落ちた。透き通るような銀色の髪。そして通った鼻筋に整った容貌。


 ──人間離れをしたおそろしさだった。ただの僧侶ではないことが、すぐにわかった。


 瞳を見て、千景は浄化の間でぶつかった男だということに気が付いた。


「お前は、洞窟の中にいた……!」

「ああ。偵察用だから本体じゃねえけどな」


 一歩、その男は千景に向かって踏み出し、千景に向かって手をかざした。千景は身構えたが、男は特に何かする素振りもなく、その手を引いた。

 千景の頬に冷や汗が流れた。


「浄化の力」


 その言葉に、ぴくりと千景は震えた。

「手がかりを探しているんだろう?」

「お前は一体何者だ。何故それを、いや……」


 悠幸は表向き“力を失った”ではなく“力が十分に回復していない”という体をとっている。

 内部の事情に詳しい者でない限り、失った悠幸の浄化の力の手がかりを探す、という千景の行動を読み当てることなど出来ないはずだ。


「貴様が力を望むなら、再び俺のもとへ来い。そうすれば、貴様の望みを叶えてやろう。そして俺が何者かも教えてやるよ」


 瞬きをすると、いつの間にかその姿は消えていた。

 見上げた空は薄色に染まりつつあった。

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