第12話 浄化の間
翌日。剣術の稽古を終えて一息ついた千景は、簀子に倒れ込んだ。
「努力って報われない……」
ただ単に体力がないだけであるのだが、これまでの人生経験から得た悟りを千景は呟いた。
昨日の謁見の後、料理の味の感想を伝えるために千景は藤子と少しの間、話すことが出来た。
その時に彼女の強さの秘訣を聞いてみたところ、彼女の返答は基礎体力を上げること、というものであった。
結局は体力か、と千景は多少がっかりしたが、彼女の話の内容は精神論や根性論ではなく、ある程度医術を踏まえた呼吸方法や体の動かし方であったため、納得はいくものであった。
かといって実践出来るかどうかはまた別問題である。
心なしか汗の量がいつもより多いなあなどと考えていたら。
「千景、終わったら一緒に来てほしいんだ」
倒れていた千景を、ひょいと悠幸が上から覗き込んだ。
「どちらへ行かれるのですか?」
「うん。実際に浄化が必要なところへ赴いてみようかと思って」
悠幸ははきはきと答えた。主上に言われてから、悠幸なりに色々と考えたのだろう。
こういう何事にも前向きに取り組むところは、彼の長所である。
「ということは、浄化の間に?」
「ああ。主上もいつでも足を踏み入れてかまわない、と仰って下さった」
浄化の間とは、浄化に時間のかかる悪霊や妖が封じられているところだ。
実際は山の洞窟を伝った奥にある空間だ。
陰陽師や寺の僧侶、神官などその道の第一人者らが交代で浄化に当たっているのだ。
もちろん主上もいるが、主上は浄化の他にこの黄泉の世を統括するという任があるため、つきっきりというわけにはいかない。
「なあ、千景。魂鎮めによる浄化の力とは、正しいのだろうか」
悠幸はなだらかな下りの渡り廊下を歩きながら尋ねた。
片側は木々の生い茂った繁みであり、反対側は麓の平屋が立ち並んでいる景色が見えた。
宮に仕える人々も一部は住み込みだが、多くはこちらに居住を構えており、家族が住んでいる者も多い。
景色の中、時折見える靄のような筋、あれらは彷徨っている魂の軌跡だ。
「私は、数は多くないけど魂鎮めではなくて自身の心と向き合って、自分の力で浄化した魂も見て来た。その方が当人たちも納得するんじゃないだろうか」
言わば浄化は本人の意志とは無関係に、強制的に清められる。悠幸はそのやり方に疑問を持っているのだ。
「ですが、お一人お一人に対応されていたら、この黄泉の世は魂で溢れかえってしまいます。そのために悠幸様のお力に期待されているのです」
「そっか……」
千景は少し、どきりとした。今のやり方に疑問を持つ、というのが、不敬とまではいかなくとも、後ろめたい考えのような気がしたのだ。
確かに悠幸には浄化の力は失われているが、それでも彼に出来る精一杯のことをやっている。
初めは上手くいかないことも、徐々に彼らの心を変え、最後には悔いなく黄泉の世を去ったり、別の生き方を見付けたり、することが出来ている。
特に妖などは浄化でその心で持ち直しても、同じ問題を抱えることも少なくないだろう。
ただそれが数十年から百年単位で起こることなので、千景ら人間の寿命に比べればその周期は長く、その都度浄化をすればよい、という考え方も理解出来る。
「さあ、着きました。入りましょう」
「うん」
二人は榊が飾られた洞窟の前に訪れた。
入口は川が流れており、板敷きの人の手によって作られた廊下が川を沿うように伸びている。涼やかな水の音が聞こえる。
洞窟に入ると、水気を含んだ空気が二人を取り巻いた。夏は涼しく、冬は温かい。常に一定の温度を保っている。
内部は落ち着きのある青白い光の行灯が一定の間隔をもって、辺りを照らしている。
もし完全な暗闇になってしまっても道筋がわかるように、拳程の大きさの数珠玉を繋ぎ合わせたような手摺がある。それを伝えばいいというわけだ。
角を曲がった先に、不意にその空間は現れた。
山の内部の鍾乳洞のような天井の高い、巨大な空間が広がっている。石造りの床が広がり、落石防止のために朱色の円柱や梁が要所要所で支えられていた。
千景と悠幸の姿に気付いた術者の一人が、慌てて近付いて来た。
「宮様方、もしや……」
「浄化の力に触れたいのです。宮では今、私の力が戻らないか検討していると聞きました」
悠幸の言葉に彼は一度上司を呼ぶために、ここで待つよう伝えた。
現れたのは、上官の僧侶であった。年齢は六十頃であろうか。にこやかな笑みをたたえ、黒の袈裟に、幾重にも腕に巻いた数珠を握っている。
僧侶は悠幸と千景に一礼した。
「主上から事情は伺っております。ようこそお越し下さいました」
すると、奥から青鈍色の狩衣姿をした、僧侶よりさらに高齢と思われる男が現れて口を開いた。
「ちょっと待った!」
男はしゃきしゃきとした足取りで、僧侶に詰め寄る。
「案内なら、この私、陰陽師代表、
声には迫力があり、空間内ではよく響いた。
「いやいや、ここは私、
のらりくらりと僧侶がかわしていたところに、さらに白無地の浄衣である神事服の壮年の男が現れた。生真面目に彼は挙手した。
「いえ、ここは神官の私めが。そもそも浄化の間は、代々神官が預かりになっていたはず」
「なーにを勝手なことを言っておるのだ!」
「明昭王の代に、等分に役割を与えられたのをお忘れではあるまいな」
大まかに分けると術者の中でも陰陽師、僧侶、神官らの派閥があるらしい。三者三様の姿をした者が、喧々諤々と話し合いをしている。
「あ、あの……」
手を煩わせるのも申し訳ないので、改めて時間の余裕のある時に来訪する旨を、千景は提案しようとしたが。
「せっかく久方ぶりに宮様方が足を運んで下さったのですぞ」
「そちばかりずるいぞ。老い先短い年長者に譲らんかい!」
「一番かくしゃくしているくせに何を言う。私だってお二人に覚えてもらいたいのだ」
まるで孫を取り合いする祖父らのような言い合いが始まってしまい、千景と悠幸は顔を見合わせる。
「悠幸様。こちらへ」
「うん……あのままにしていいのかな」
「触らぬ神……いえ、術師に祟りなしです」
決着がつくまで悠幸には近くにあった比較的平らな岩の上に腰かけてもらい、千景は傍で待つことにした。
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