第11話 主上の話
「千景、涙目になっているが大丈夫か」
「だ、大丈夫です」
千景は口元を押さえて、何とか返答した。涙もそうなのだが、汗がじわじわと吹き出す。
予想だにしない辛味が舌に広がっていた。
単に塩辛いではなく、香辛料独特の香りと共に何ともいえない味わいを醸し出す深みのある辛さだった。
心配をする頼人の器は夫の責務を果たそうとしたのか、見事空になっている。
悠幸は基本的に何でもぱくぱく食べる、好き嫌いのない健啖家だ。そういうわけで千景だけ残すわけにもいかなかったのだ。
泣きそうになりながら食べる千景に、悠幸は別の皿を差し出す。
「千景、これは甘くて食べやすいぞ。口直しにどうだ?」
ひし形に入れられた黒蜜がかかった寒天のど越しが良く、つるりと入りそうだ。
「頂きます」
千景はありがたく受け取った。
「二人とも、変わらず仲が良くて何よりだ。
年若く見えるが、彼には悠幸より年上の二人の子どもがいる。
悠幸の父である
「悠幸も現世の学院に行きたいと言っていたな」
「はい! 向こうで色々と学んでみたいです。父上や主上も学院に行かれていたのですか?」
悠幸は尋ねた。
以前千景にも現世にて勉学をするのはどうか、という打診があったのだが、千景自身が悠幸様のもとにいたいと言って断ったのだ。
「私の子供の頃は、学院がまだ設立されてなかったんだ。
兄上は体も弱かったからこちらで学んでいたんだが、私は父の命で軍の教育機関に行かされていたな」
軍神と呼ばれた悠幸の祖父である明昭王は、千景が生まれた時には既に亡くなっていたので、どのような人となりかは詳しくは知らない。
ただ開国という激動の時代に現世の天子や治世も支えたと言われている。
古くからの伝統を廃止した一方で、黄泉の世の地位を対等なものに築いたという。
そのため、史上最高の王と良い評価もあれば、そのやり方や手腕に疑問を持つ声も未だに上がるぐらい評価は極端であった。
千景は匙と空になった器を置いた。
「た、食べられました。最後の方は味が慣れてきたのか、意外と美味しさを感じられました」
「よく頑張ったな。偉いぞ」
頼人は労うと、千景は安堵したように大きく息を吐いた。これで堂々と后妃に報告出来る。
「では千景も食べきったところで、そろそろ本題に入ってもいいか?」
頼人の真剣な声音に、千景と悠幸は顔を引き締めた。
「知っての通り、黄泉の王は魂鎮めの儀で、多くの魂を浄化している。輪廻をめぐるため、とても大事な仕事だ」
悠幸は、はいと殊勝に頷く。
「ところがこのところ、現世の人口が増え、それに追随するようにこちらに来る魂の数が増えている。
その数は半世紀で一千万以上。そして人口増加に伴い魂の輪廻のめぐりが早くなり、さらに五十年後には人口が倍になると言われている」
千景は耳を疑った。
「人口が、倍!?」
人口が増加しているのは知っていたが、想定以上の予測に、千景も愕然とした。
「詳細は記録科の書庫に記されている。対策として現状、神官、陰陽師や僧侶など力のある術者たちを増員していたが、余裕のある状態ではない。
そして今後、起こり得る可能性として待ち受けているのが、現世の諸外国との戦争だ」
現世の国は軍備の増強をしており、異国との戦争は列強入りをする上で、避けて通れない事態であった。
列強と同盟を結べば、それを理由に参戦することもあるのだという。
「そうなれば、一度に多くの者が命を落としますね」
「現世で今後、多くの魂がこちらに流れることになりそうだ。その備えのためにも、悠幸の力が戻らないか、もう一度検証したい」
千景は強張った表情で、無礼にならないよう視線だけ悠幸の方へと向けた。
悠幸は静かに瞬きだけした。その顔には焦りもなく、ただ静かに受け止めている様子であった。
王の后である藤子は、浄化の力を持っておらず、彼らの息子と娘も、かつての悠幸ほど強い力を宿していない。
主上の言わんとすることはわかる。だが、千景は恐る恐る伝えた。
「お言葉ですが、悠幸様のお力は心の傷によるもの。それを……」
「もちろん、悠幸の心を第一に考えたい。ただ、この先のことを考えて、だ」
頼人の言葉に千景は押し黙った。そこまで言われればもう反対は出来ない。
「わかりました」
悠幸は真っ直ぐな目で頷いた。
「もうあの日から五年が経ちました。きっと回復の兆しは以前よりはあると思います」
悠幸の決意に、千景はただ彼を見守ることしか出来なかった。
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