第10話 后妃の料理
主上の案内で渡り廊下を通り、千景と悠幸は本宮の奥へと向かう。
それぞれの母屋は宮や寝殿と呼ばれ、建築様式は寝殿造を基調としているのに対し、奥に行くほど書院造の要素が強くなっている。
棟によって建てられた年代が違うからだ。
通されたのは、川床の間であった。
浅瀬の川の上に畳敷きの床が作られ、傍には段々になった小さな滝の音が絶えず響いている。
苔むした岩が川の所々に点在し、水の香りと涼しげな空気が辺りを満たしていた。
主上は襖を開けた。と、同時に何故か閉じた。
「主上?」
悠幸が尋ねる。主上は何故か渋面しており、恐る恐るもう一度襖を開けた。
「藤子、どうしたんだ」
后妃は女官を統括するのも職務の一つだ。今、藤子は女官らと共に仕出しの準備をしていた。
本来ならば后妃は指示を出すのが役目で動く必要はない。
だが彼女は、自身が動く方が性に合っているようで、そのため仕出し作業そのものは驚いてはいないのだが。
「
にっこりと藤子は仕出し盆を持って笑った。頼人とは主上の名だ。
頼人は、恐る恐る尋ねた。
「待ってくれ、悠幸や千景もいるんだ。その……今じゃないといけないか?」
「異国の料理は慣れない者が多いのです。ぜひ、様々な意見を伺いたくて」
千景はふと閃いた。これは藤子と直々に話せる貴重な機会となるかもしれない。
「あの、もし私でよろしければ……」
すると藤子はぱあっと顔を輝かせた。
「ありがとうございます! ぜひ、感想をお聞かせ下さい」
「藤子!?」
「頼人様は絶対ですよ。お願いしますね」
「………………わかった。また感想を伝えよう」
たっぷり間をとって頼人が答える。
藤子は嬉しそうに頷いた。
「お話もあると思いますので、どうぞごゆるりとお過ごし下さい」
藤子は悠幸と千景に一礼をして退室していき、他の女官らもそれに続く。部屋には主上と悠幸と千景と、最低限の女官らを残すのみとなった。
頼人は額に手をやり呻く。
「……彼女は努力家で申し分ない后妃なんだが、料理は上手くなるまでにだいぶ時間がかかるんだ……初めて作る料理だろう? 大丈夫だろうか……」
「叔母上の方がお強いのだなあ」
悠幸の何気なく呟いた一言に、千景は慌てて諫めた。
「悠幸様っ!」
残った女官らは仲睦まじい彼ら、主に弱った頼人の様子に笑いそうになるのをうつむいて堪えている様であった。
釣行灯で照らされた部屋の中央には、色とりどりの食事の乗った膳が並べられている。
光沢のある椀にはほかほかの白米が盛られ、海の幸、山の幸が彩り良く並んでいる。
柚子の爽やかな香りのする鯛の蒸し焼き、なめらかで気泡一つないきのことかしわの茶わん蒸し、柔らかくだしで蒸された野菜の煮物、とろとろのあんかけがかかっている湯葉巻き、他にも千景が知らない料理が何品もあった。
なるべく冷めないように急いで準備されたようだ。まだ湯気立っており、食欲のそそる香りだった。
悠幸は席に座ると、嬉しそうに手を合わせた。
「いただきます!」
食べ盛りの悠幸は、どの料理も美味しそうに口に運ぶ。元々表情豊かであるが、こういう時の反応は特にわかりやすい。
主上は悠幸の食べっぷりを嬉しそうに眺めていた。
黄泉の世は農耕や作物を育てることに適していない。日光が現世に比べて乏しいので、黄泉の環境に適した植物は栄養が豊富とは言い難い。
王といえど普段の食事内容はもっと質素であることを知っているので、どうやら悠幸らのために特別に振る舞ってくれたのだとわかった。
そして。
「これが、后妃様直伝の異国の料理……」
千景は椀を近寄せる。藤子の用意した料理は、茶色のとろりとした汁物料理であった。芋や人参などの具材があり、今までに嗅いだことのない強烈な香辛料の香りがした。
「千景、無理して全部食べなくていい。彼女の味覚は少し変わっているんだ……」
頼人は気を使ってそう言ったが、千景は首を振った。
「いえ、これも強さを得るために必要なことなので……!」
「……いや、特に何の強さも得られないと思うんだが」
千景の内心を知らない頼人は不可解そうに首を傾げる。
千景は覚悟を決めて、箸から匙へと持ち替えた。
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