第8話 本宮

 夕の刻になると、千景と悠幸は本宮へと向かった。

 千景と悠幸は清望殿の手前にある、仁香殿の一室にて待機していた。簀子からは内庭がよく見える。


「大丈夫か?」

 深呼吸を繰り返す千景に、悠幸がそっと尋ねる。

「え、ええ。ただの緊張です」


 千景は落ち着くように、そっと自身の胸に手を当てた。

 主上との謁見は、やはり緊張してしまう。

 悠幸にとっては叔父にあたる存在だが、千景にとっては黄泉の頂点に立つ人だ。


 悠幸は主上との謁見ということで萌黄色の半裾はんきょ姿だ。狩衣に似た童装束で、後ろ身頃を短く仕立てている。

 金砂子というごく細かい金粉が振り落として染色されている。蒔絵のような美しさで、薄暗い所でも金箔が映える目的があった。


 千景も拝謁の為、淡黄色の絹衣に青墨で橘と蝶の模様が上品に描かれた直衣姿だ。腰元には紺色の平緒を巻いている。

 元々、青摺袍あおずりほうという神事用の服が、時代を経て改良された橘家伝統の謁見用衣装だ。


「悠幸様と千景殿ではありませんか」


 簀子を歩いていた腰に太刀を下げた王の近衛の男性が、気さくに声をかけた。

染井そめい和孝かずたか様。いつもお声かけ下さり、ありがとうございます」

 彼は嬉しそうに歯を見せて笑った。


 年齢は四十前後で刈り上げた髪に肩幅広くがっしりした体格だが、見た目に反して親しみやすく、接しやすい人柄だ。

 千景と悠幸は以前、悪霊のとり憑いた狼が黄泉に迷い込んで暴走した時に、彼に危険なところを助けてもらったことがある。


 近衛といえば武術にも学術にも優れた者がその任に着くことが出来る。

 また実体のある刀や剣を持つことが許されている。それだけ王の信頼に足る人物なのだ。


 悠幸に仕える千景からすれば、密かに憧れている地位でもある。悠幸が王もしくはそれに準ずる役割を担うのはまだ当分先なのだが。

 悠幸はこそっと千景に尋ねた。


「千景も近衛を目指しているのではないか? 伝えたら、それ用に色々と教えてくれるかもしれないぞ。そうだ、何なら今、私の方から伝えようか?」

 色々とすっ飛ばした悠幸の提案に、千景は慌てて止めた。


「いえ、け、結構です。……お気持ちは嬉しいのですが、なにしろ、師範の方に普段つけて頂いている稽古の内容だって、半分も出来ていないので」


 無理をすればすぐに体調を崩してしまうので、自分の限界がわかるのだ。

 幼い頃、今は亡き母方の祖父に稽古をつけてもらった時、このままでは大きくなっても近衛になるのは難しいと言われたことがある。

 それがずっと心に引っ掛かり、千景は近衛への憧れを口に出せなくなっていた。


「あ、じゃあ叔母上に聞くのはどうだ? 女性だから体つきも男性より難しいはずなのに、とてもお強いぞ」

「確か現世でお育ちになった方なので、元々黄泉の世のことを存知なかったわけですものね」


 千景は悠幸の発想になるほど、と頷いた。

 だが悠幸にとっては叔母という身近な存在でも、千景にとっては気軽に話を聞ける存在ではない。何か尋ねられるようなきっかけがあるといいのだが。


「主上のところに行くのですか」

 和孝の問いかけに、千景は頷いた。

「はい。まだ儀式の最中なので、こちらで待っているのです」


「あ、じゃあ、俺案内しますよ」

 千景は驚いた。

「いえ、魂鎮めの儀を邪魔するわけには……」


「大丈夫ですって。二人には格好良いところを見てもらいたいって一回ぼやいていたのを、俺は知っているんですから」


 和孝はにやりと笑うと、こっちこっち、と二人を手招きした。

 いいのだろうか、と思いながら千景と悠幸は付いて行った。

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