第3話 悠幸

 黄泉と呼ばれる世。その中心地の山に、清望殿せいぼうでんと呼ばれる宮が存在していた。

 一説には冥府とも、竜宮城の元になった城とも言われており、瓦屋根に白塗りの壁と鮮やかな朱色の柱が目を引く、幽玄な佇まいであった。


 その宮の屋根の縁に悠幸は座っていた。利発そうな目鼻立ちに、大きな瞳が印象的だ。額のよく見える短めの前髪は、溌剌とした印象を与える。

 彼は手元に光り輝く玉──魂を乗せ、屋根からの雄大な景色を一望していた。


 ここは現世とは異なる空間に存在する。太陽も月もない世界であり、闇を溶かしたような空には、現世の満天の空で見るよりも遥かに多くの無数の光の粒が散らされている。


 周辺は蓬莱のような山々に囲まれ、所々発光する植物が幻想的に紅葉や緑樹、白い岩肌を浮かび上がらせていた。さらに視線を下ろせば提灯の温かな光によって、山の裾に広がる小さな町並みが活気づいている様子が見えた。けして多くはないが、人々が行き交い、その合間や空中にふわりと白い靄のようなものが時折漂っていた。


「悠幸様、ようやく見付けました!」


 ぜいぜいと息をきらして、千景は屋根から顔を出した。悠幸のいそうな所を方々探し回り、立てかけられていた梯子を発見し、ここまで上ってきたのだ。


「わ、見付かった」


 悠幸は目を丸くし、ばれてしまったかと笑った。

 そして千景を見つめる。


「千景、息がきれているではないか。すぐに戻るから、無理して登ってくる必要はなかったのに。そうでなくても体が弱いのに、また熱を出したらどうするのだ」


 千景は首を振った。

「いえ、私は悠幸様のお父上様から悠幸様の御身を託されたのです。ここは危のうございます。すぐに下に降りて下さい」

「心配性だなあ」

 悠幸はむう、と膨れっ面をした。


 屋根の上といっても、本堂から正面に突き出した低めの二対の屋根の上であり、縁も緩やかな比較的安全な位置だと言いたかったのだろう。

 だが、千景からすれば、危険なことに変わりない。


 言われた通りに悠幸は手元の光を一度袂に入れると、梯子をつたって降りていく。糸鞋しがいという絹糸で作られた靴を履いているため、軽くて足首をしっかり紐糸で固定されているので脱げにくい。最後の一段はひょいっと軽やかに飛ぶと、木造の舞台上に降り立った。


 ここは、山の急勾配な崖の地形を利用したせり出しの舞台になっている。格子状に組まれた木材の上に、広々とした空間がせり出しているのだ。

 現世から訪れたものは、京の清水の舞台に似ていると言う。どちらの歴史が古いのか定かではないが、少なくとも優れた建築技術の上に成り立っている建物なのは間違いない。


「出られるなら、一言お伝え下さい。でないと宮の者が心配を致します」

「そしたら千景も付いて来るだろう?」

「無論です」

「ほらあ、そういうところだ」

 悠幸は口を尖らせた。


 千景は腕を組む。

「私だってこちらに来るぐらいなら、何とも言いません。でも屋根に乗ったりするから心配なのです。わざわざ、あの子たちを巻き込んで」

「協力するって言ってくれたから」


 あの付喪神の三匹は、来世は人間に生まれ変われるように、黄泉の世で善行を積んでいるらしい。といっても果たしてこれが徳や善行になっているのか、甚だ疑問である。


 ちなみに以前は等身大の悠幸人形を置いていったことがある。

 その時の悠幸は得意げに胸を張ってこう言ったのだ。

『よく出来てるだろう? 楓様と私の渾身の一作だ』


 正直、布団の中に置かれていたら騙されていたかもしれない。元気が良いのは喜ばしいことだが、たまに彼はとんでもないことを思いつくので、そのたびに千景は冷や冷やさせられた。


「今回は何をなさっていたのですか?」

「うん、この子に黄泉の景色を見せてあげたんだ」

 悠幸は袂に入れていた光の玉を取り出し、千景に見せた。円形だが、はっきりとした形があるわけではない。

 それは不意に形を変えた。


 悠幸より幼くて、おかっぱ頭の少女の姿となった。鮮やかな赤い布地に牡丹の花という仕立ての良い着物を着ているので、裕福な商家の娘だったのだろうと想像がついた。

 だが、それは霊体であり、魂や彼女を形作る意識そのものであった。


 少女は恐る恐る千景を見上げる。

「次の世に向かう前に、外の美しい景色を見たいって言われたんだ。生まれた時からずっと病気がちで、外に出たことがほとんどなかったそうだ。だから、ここの綺麗な景色を見せてあげようと思ったんだ」

 少女は千景にぺこりと一礼する。千景も慌てて一礼した。


『お話を聞いてもらっていたの。私の為にって、ここまで連れて来てくれたの。だから叱らないであげて』

 少女は一生懸命に言い募った。

 千景は膝をついて、少女に目線を合わせた。

「悠幸様はお優しいですものね。私もよく存じています。特別な景色、見られて良かったですね」

 うん、と少女は頷く。


『親より先に死んだらいけないって。おばあ様に言われたわ。賽の河原でずっと石を積むことになるよって。そうなの?』

 不安そうな表情を浮かべる少女に、悠幸は首を振った。

「そんなことないぞ。確かに川はあるけれど、そんな寂しいことしないよ」


「そうです。こちらは常世へ直接向かうことの出来なかった魂が来るところ。あの世とこの世の狭間で黄泉と呼ばれています。私たちはその魂の心を清め、常世からまた生前の縁に近いところへ行けるようお手伝いをするところなのです」

 すると少女は瞳に滲んだを拭って尋ねた。


『じゃあ……また、お父様とお母様に会えるの?』

「ええ。同じように親子としてお会い出来るかはわからないですが、きっと」

『それでもいいの。そっか……じゃあ、ちょっと安心かな』

 少女は寂しさの中に、安堵の笑みを口元に滲ませる。


 悠幸と千景は、顔を見合わせるとほっとしたように微笑んだ。

「ここでお待ちしていれば、黄泉の王が来て下さります。毎日、祈りを捧げて魂鎮めの儀をなさりますので、あなたも一緒に次の世へ行けますよ」

『わかったわ』

 こくりと頷いて、少女は欄干に手を添えて景色を眺めていた。


「主上のように浄化の力を使えたら、もっと早く送ってあげられるのにな……」


 悠幸は少女の後ろ姿を眺めながら、ぽつりとそう呟いた。

 悠幸と千景はこの黄泉の世で生まれた人間だ。そして悠幸の一族は代々黄泉の王の責を担ってきた。浄化の炎を身の内に宿し、魂を浄化させて次の世に送る役割を持つ。

 悠幸はかつて誰よりも強い浄化の力を持っていたのだが、五年前の火事の日を境に失われたのだ。


「悠幸様……」

 千景が励まそうと口を開きかけたその時。

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