第2話 仮面

(2)


 彼の髪はかなり伸びていて、いや、もう少し人間の生理的反応を言えば――


 …痒い、に尽きた。


 だから彼は髪に手を入れるとひたすらに掻いた。

 思えば長崎を出て夏の暑い最中、ここ大分と熊本の境であるNまで無心に自転車を漕いできた、無心になるまで此処に来た理由は何か?それは自分自身の枕元の投げだされた本の所為である。


 ――本の表紙、それは折口信夫と書かれている。


 学者自体は日本民俗学の開拓者と言ってもいいかもしれない。まぁ民俗学の学者である。

 では何故その本を彼——四天王寺ロダンは手にしているのか。

 ロダンは旅人である。

 実は山口の彦島を出て九州を自転車で旅している。最近は長崎に居た。長崎に居た時、書店に入った。旅人にとって心慰める友人は誰かと問われれば、それは人それぞれかも知れないが、彼四天王寺ロダンにとっては夜寝静まる僅かの時に開く本がそうだった。

 長崎市内で一冊の本を手に取った。それが折口信夫の民俗学の本だった。


 ――民俗学、聞いたことはあるがその学問は分からない。


 それがロダンの知識一辺だったが、しかしながら読めば読むほど深く入り込んだ。いや、熱中したと言った方が良いかもしれない。古くから伝わる風習、伝承。それら諸々はなんと色んな文化経済の角度から接触がある事か。

 それから彼は日中ランドナー自転車を漕ぎ、夜の就寝時には民俗学の本を読んだ。

 彼自身にとって幸運は九州と言う土地は民俗学としても土地伝説にも非常に魅力的な題材が今も残り、そして郷土史研究と言う側面からもとても興味が尽きない土地だという事だった。

 そして先程迄面前に居た財前先生。

 先生はこの山奥の辺鄙なNでダム管理者相手の旅館を経営しているが郷土史家としての見識もさながら、中央の学壇に対しても鋭い研究論文をする学者であることが分かり、ロダン自身がこの旅中にネットで調べて是非にでも会って見たいという思った人物だった。

 まぁロダン自身が熱中したのは仮面――つまり、「面」であった。彼も大阪で劇団をしている。劇中でも仮面は道具で出て来る。その仮面、思えばこれ程劇中で演じる役者をのめり込ませる道があるだろうか。


 ――ロダンは考える。


 何ゆえに人は「面」つけてあれ程の嬌態ともいえる舞いを舞えるのか。人は現実の世界を離れて仮面を被ることで何故、神の領域に這入りこめるのか?

 ロダンはその答えに虜になり、財前先生を訪ねた。

 先生は熱心にもじゃもじゃアフロヘアを掻きながら訪ねる背高のまるでマッチ棒のような若者を見て言ったのだった。



 ――それは「面」いや「仮面」を被ることで死を身近に感じるからでしょう。

 それはあの世と常世。それらを見る事ができるのは神だけ。

 だからこそ、舞人は神がかり、あれほどの痴態のような神楽を舞えるのでしょうね。 それには人間を棄てなければ。


 それには仮面、——「面」が必要なのですよ。



 ロダンは財前先生の言葉を思い浮かべながら、今夜神楽で舞う舞人の「面」を思い浮かべて髪を激しく掻いた。思い浮かべたのは木彫りの面貌だけではなかった。

 彼は或ることも思い浮かべたのである。

 それは戦後に起きたこの神楽面にまつわるある忌まわしき事件だった。

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