第102話 禁足地ミスティア② 天罰の剣

 その後のノワールは少しだけ、憑き物が落ちたようだった。

「神の管理下に於いては、全てがプログラム通り、人間は役割通りに動いていたけど、それでも稀に、システムのほつれが現れる。瑕疵バグによって役割を逸脱した者。つまりノワール。あなたのような瑕疵者デフェクターのことよ」

「私みたいな、命令の通らない瑕疵者が増えたら、神にとって誤算が増えるだけだよね?」

 再度、ノワールは階段を登り始め、アンリも続いた。

「その通り。もちろん瑕疵バグは最初に取り除かれるわ。最初の頃は複数の神たちで分担して、瑕疵があったら一つ一つ解決していったようだけどね。途中から何があったのか、5000年毎に全ての人間と構造物を入れ替える、世界再構成グレートリセット方式へと変えたのよ。結果的に、何一つ不自由のない……起伏のない平和な世界が、17000年も続いたの」


「世界再構成……繰り返される、何もかも偽物の世界。もはや管理に失敗してるんじゃあ……」

「失敗とも、成功とも言えるわ。それより超長周期で、同じような文明を維持し続けてきたのに、なんで突然……維持管理を止めたのか、それどころか『魔族』なんてものまで発生させて、リセットを早めるだなんて……」

 そういえば、魔王エルガスタが言っていた。アンリは眼鏡を人差し指で触りながら考える。

「エルガスタは、『役割』を与えられて、人類と戦っていた。と言っていたわね。『約束通り、世界再構成は無かったことになる』とも。つまり人類に魔族を仕向けた黒幕は……」


 ノワールが再度、足を止めた。

「ん……? エルガスタといえば、最期にアルジェントが言っていたよね。『スイッチを、無かったことにした』って。あれ、どういう意味なんだろう」

 アンリの動きも、ピタっと止まった。

「ノワール、今なんて言ったのかしら? 『スイッチを、無かったことにした』って?」

 アルジェントが、魔王に止めを刺したときに、確かにノワールの耳に入った。多分、誰にも聞こえていないか、聞こえていてもミリカだけだろう。しかもその時、ミリカは戦闘不能の状態だった。

「確かにそう言ったよ。……だから、早く僕のもとにおいで、早くしないと『終わっちゃうぞ』って」

 アンリは血の気が引いて、壁にもたれかかった。

「なんで早く言わないのよ‼ バカノワール! 不味いわ、リセットが掛かったら、私たちの行ってきた何もかもが無駄になる! そして、神が管理を止めた、リセットの先に待っているのは、『完全なる無』に違いないわ!」

 アンリこそ12年も秘密を黙って寝続けていた割に、大したものだなと、ノワールは思った。

「こうなったら、私の過去に対する清算なんてどうでもいいわ。早く――」


 ひた。ぴちゃ。何かの液体が、ノワールの頬に垂れた。

「……雨? ちょまっ、う、うわぁっ! アンリー! 上、上‼ ……ヴォエッ、何あれ気持ちわるぅぅ‼」

 天井からぶら下がっていたのは異次元の獣だ。あまりの醜悪さに、ノワールが吐き気を催しながらもアンリに注意喚起した。

「谺。蜈??謗?勁螻」

 人や獣、どちらにも属さないような姿。長さも太さもまばらな3本足を主に、べたべたと柔らかい触手のようなものを無数に引き摺っている。それらに支えられる、見上げるような胴体はボコボコとひずんで、まばらに太い針のような毛が生えていた。

 そこから生えた流線形をした部位には、眼も鼻も耳も無いが、口と思しきものが無数に開いて、何らかの粘液を垂らしていた。

「あっ……」

 密かに迫った獣に、アンリが着用していた魔王の眼鏡こと脳波検出型魔素命令デバイスを弾き飛ばされた。

 獣は正に『あっ』という間に触手でアンリの全身を捕らえ、口腔を犯し始めた。これでは魔素を使役できない。

「……もワール、え゛っ……で、瑕疵者能力デフェクターセンスれッスン2も! おえぇっ、『想いの剣』――もががっ」

 口腔内を蠕動する不快な触手にえずき、涙を流しながらノワールがやるべき事の指示を出す。

「想いの……剣?」

 ノワールは丸腰だった。早く何とかしないと、アンリが立派な苗床になりそうだ。

 ただし、剣を持たないノワールは困惑するしかなかった。焦りが、思考にノイズを走らせて、見過ごせないストレスを彼女にもたらした。

「えっと、えっ⁉ ……あっ、あっ分かった!」

 アルジェントやミレイも、情報体の剣を顕現させていた。そうだ、自分にもきっとできるはずだ。

(想起しろ! 明確に、私の心の剣を右手に持っているイメージを!)

 剣を打ってもらう時に、鍛冶くんやレネィに出す注文を思い出す。

『カッコよくて、羽のように軽くて、何でも斬れるやつ作って!』

 本当は、そんな贅沢な機能は必要なかった。できると確信したノワールは、右手を上げて宣言した。

「私は、絶対に挫けることのない、正義の刃が欲しい!」

 まばゆい黒の光が辺りを照らしあげた。掲げた右手に瑕疵バグのエフェクトと共にあらわれたのは、やや細身の、シンプルな直長剣だ。全身は余すところなく黒銀だが、光の反射がある箇所は純白に見える、幻想の鋼鉄でできているようだった。

「できた! これが私の想いの剣……『天罰の剣』正義の烙印ブランド・ノワールだッ――!」

 言うなりノワールはアンリを捕らえる触手や本体を数回、彼女ごと斬って払った。

「ぴギィぃぃッ‼」

 物凄い悲鳴を上げたのは、獣ではなくアンリだ。

「がぼぼっ……おええっ!」

 獣から解放されて体から煙を上げながら、階段にもたれかかったアンリは、口から触手や粘液のようなものを吐き出して、息を荒げている。斬られて悲鳴を上げたはずの彼女は、不思議と無傷だった。

 反対に異次元の獣は絶命して、魔族と同じように蒸発してしまったようだった。

「……じょ、上出来。はぁっ……はぁっ。あいつと、私の中の魔素だけを切り裂いたのね……しかし、私が生きていることをかんがみるに、その『正義の烙印ブランド・ノワール』は斬る対象を選べる刃かしら……?」

「いや、選べないよ。この剣は、その名の通り『悪』のみを斬ることができるんだ!」

 ノワールは胸を張って、自信満々に言い放った。

「え、その善悪の判断は……誰が裁定するの……?」

「えぁ……?」

 あ、これ完全にノワールこいつの主観で斬るのか否か、決めてるだけだ。アンリは当人すら気付いていない『正義の烙印』の特性について悟った。

「――まぁ、私が全くのでよかったと言うべきね……。その剣は、あなたの信念の剣、あなたが折れない限りは、絶対に折れないはずよ。そのうえ出し入れも自由だから、便利よね」

「ほんとだ、超便利……」

 剣を出したり消したりして確認しながら感心しきりだった。


「アンリ、さっきの話の続きだけどさ。私もアンリのおかげで自分の存在を受け入れて、気持ちの整理がついたよ。だから、アンリの過去も、ここでしっかり清算していこう! リセットだって、きっとまだ時間はあるよ。何とかなるなる!」

 ノワールは特有の、人懐っこい笑顔を見せて励ましながら促した。アンリは久しぶりに見る彼女のこの表情と、何の根拠もない楽天的な主張に、自分の気持ちが驚くほど落ち着いていることに気が付いて苦笑した。

「ふふ、ありがとう、ノワール。じゃあ、お言葉に甘えようかしら。もしかしたら、へ繋がるヒントも見つかるかもしれないしね……」

 アンリは脳波検出型魔素命令デバイスメガネを拾い上げて装着し、再び歩き出したノワールの後を追った。

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