第103話 禁足地ミスティア③ 灰色の部屋

 異次元の獣を退けた2人は、問題なく紙片を集めていった。

「ん……? 妙ね。前回、こんなところにドアなんてあったかしら? 気になるけれど、開く気配はないわね」

 アンリは12年前、ここで目覚めた時に探索して以来、この生家には訪れたことが無かったが、この灰色くて、血まみれの部屋には強烈に覚えがあった。

 他は生家の『次元が歪んだ』と言われれば納得できる風景なのだが、ここだけ全く生家と関係が無いのだ。

 屋敷の大食堂より少し狭い程度の、白い部屋に、長い灰色の机が2列並んでいる。天井には白い光源が机と並行に埋め込まれて、チカチカという音と共に明滅した。

 机の上には折りたたまれた四角い黒の板が置いてあり、紙の束がそこらへんに散らばっている。血まみれの模様は、どうやら複数人の手で付けられたもので、大きさも様々だった。

 前回は記憶も曖昧な状態かつ、次元の獣という恐怖に追われながらの探索だったが、今回は魔素も完璧に操ることができるし、頼りになる隊長が一緒だから全く怖くない。


 先述の通り、アンリにとって見覚えのある部屋だったが、違和感は空中に浮かんでいた。見覚えが無く、ふと現れた扉は、机の上の中空に浮かんで、固定されていた。

 扉は彼女の魔素による開錠を受け付けずに、浮かび続けた。

「ふににに‼ ふぎゅー! ……アンリ、ダメだ。この扉、本気でやっても開かないよ……こんな不自然なもの、叩き斬って修正してやろうか」

「待って。きっと何か、この場所に関連した開錠方法があるはず」

 性急なノワールをいさめつつ、アンリは机の上に等間隔で並べられた謎の板を調べ始めた。

「ん……? 何か……光った!」

 アンリが板を持ち上げて、回転させたり、ツルツルした面を触ったりしていると、その面が光って文字が現れた。

「旧世代の接触型デバイスは、電源キーを直接押すか、画面をタップすることで起動します」

「ノワール? 何であなた、そんなことを知っているの?」

 アンリは驚いてノワールの方を見ると、彼女は『ヘルプガイド』と書かれた冊子を振って答えた。


「ふむふむ……アトミック電池? によって、使用時5700年程度、待機時には……」

 冊子はアンリが魔素使役の際に使う言語で書かれた文献だった。要するに『機械』らしい、光る板は、彼女が文献を読解しながら触れるたびにコロコロと表情を変えた。

「……すごいわ、ノワール。この機械、持っていけるだけ持って行きましょう」

「大丈夫かな、異次元の物を持ち帰っちゃって……」

 ノワールは机上に設置された機械の板を全て回収して、辺りに転がっていた、これまた見たことのない素材の紐でまとめて持った。

「大丈夫、きっと持ち主が居なくなって、随分経っているはずよ。次元が隔離されているのもあって、綺麗にのこっているけれどね」

 机に遺されていた物の中には、透明なケースに入った、個人証明カードのようなものがあった。小さなカードに写された、所有者と思われる像は、現代とは衣服や装飾などからして、雰囲気が異なる人間だった。

 机上には、持ち主の全身像を写した紙片も立てかけてあった。以前、アンリが作った紙片と同じ、写実的な像が描かれている。

「この人の服って、たまに街でも見かける、王立研究所の制服と似てるね」

「それは『白衣』と言って……よし、開いたわ。スタンドアローン方式で、この端末から直接、コードを入力する必要があったのね」

 空中に浮かんだ扉の枠は、開錠の音と共に、ドアの本体をだらしなく垂らした。


「ん――また灰色の部屋だ。色彩が無くて、気が滅入ってくるね」

 ノワールがしゃがんで、下から扉の奥の景色を見て言った。

 奥には今いる部屋と同じような光景が広がり、面白みに欠ける。

「――行楽地じゃないんだから、楽しくなくても仕方がないわ。とにかく進みましょう」

 アンリに先を促されたノワールは、空中のドアに跳躍して飛び込むと、急に横方向から重力が掛かって頭から滑り込む形になった。

「うぅ、いたた、これ慣れないよ……」

「何かしら、少しだけ屋敷の指令室に似ているわね」

 先ほどの部屋と同じような広さだが、机は長方形に並べられ、椅子は中央に向いている。机や壁も血で汚れていた前の部屋とは違い、綺麗な状態だった。

「……? この束は、他のものと年代が違うわ」

 アンリは、他の紙より色褪せて、いくらかしわが寄った、紙片の束を取り上げて目を通す。

「――これは、技術者エンジニアの記述。なるほど、そうだったのね……ちょうどいいわノワール。そこに座って、説明するわ」

 促されるままに、ノワールは席に着いた。アンリも、その隣に腰かけて、今まで集めてきた紙片を広げて時系列順に並べ直した。


『1704年、12月4日。待望の我が子が生まれた! 女の子だ、名前はヘンリエッタ。ただただ健やかに育ってほしい』

 ノワールは、渡された紙片に書かれた言葉を音読して見せる。

「そういえば、ノワール。あなた、古代の言語が読めるのね? さっきデバイスのマニュアルを読んでいるときは自然すぎて気付かなかったわ」

「あっ、そうだね! 私もいつもと違う言葉だって気付かなかった!」

 他人事ひとごとのようにノワールが返事をすると、アンリが話を元に戻した。

「それはひとまず置いておくとして。その手記は、私の父が残していた日記の一部なのよ、何か変なところは無いかしら?」

「変なところ……うーん、ヘンリエッタ? ……いや、日付だ。なんだ1704年って。いや待てよ、1万年前とか、数字のスケールが大きくて良く考えてなかったけど、アンリって、なの……? 今が1826年だから、122歳ってこと? え……ありえない!」

 アンリの見た目は、どう見ても自分と同じ歳か、少し上程度にしか見えないから、ノワールは122歳説を自ら破り捨てた。

「さっきも説明したけど、この世界は5000年周期でリセットを繰り返しているわ。それは1704年だから、私は15122歳よ」

 アンリは以前ルーデンスに対し、女の子にとって、年齢の話はタブーだと言ったことがあったが、自ら告げる時は淡々としていた。

「――ま、まぁ、それだったらモカちゃんも、あの見た目で28歳だしね」

 アンリの秘密を告げられたノワールは、若見えのモカを引き合いに出して現実逃避をした。

 信じられないけど、信じなきゃいけない仲間だから逃避しながら信じることにしたのだ。

「生きた経験のない、ただ重ねただけの年齢なんて、何の意味も為さないのよ」

 それはまともに人間的な経験をしていない自分に対するあざけりだった。

 勝手に口を衝いて出た言葉で、後から考えると自分でも理解し難い発言だと思ったが、アンリは何故だか無意識に自嘲したのだ。

「アンリは長い時の中で、魔素を扱うっていう、類稀たぐいまれな能力を身に着けたんだよね。アンリが居なかったら、その経験が無ければ、私たちは……人類は魔族に負けていたんじゃないかな。だから十分、経験や能力は生かされていると思うけどな」

 ノワールは優しいから、こうしてフォローしてくれるのを期待して自嘲したのか。アンリは自分に、果たして子供っぽい部分が残っていたのが恥ずかしくなって、続きを急かした。


『1708年――19日 どうやらアンリは、他の子より成長が遅いようだ。心配ではあるが、何があっても変わらぬ愛情をもって育てて――』

『1710年――――日 寝ている時間と起きている時間が、我々の倍ある。個性的といえばそうだが……』

『1716年12――日 歳を重ねるごとに、容姿の幼さが際立つ。他は正常なのに……いや、正常なだけにアンリは悩んでいる』

『1718年――――  アンリはもう断片的にしか起きない。完全に成長が止まっている。何人もの医者に診てもらったが、全員首をかしげて、終わりだ。もはや神に祈るか……それとも呪術医シャーマンとやらの非科学的な民間療法に頼るか……』

『―――――――――― アンリが起きない。生気はあるが、脈も息もなく、冷たい。呪術医はまだ来ないのか!』

『1720年7月29日 真白いロングコートらしきものを着た、見るからに怪しい呪術医シャーマンだ。だがもう、こんな藁にでもすがるしかない』

 アンリの生い立ちと、『体質』に関する記述だ。この断片的な手記の他にも、幼いアンリの記述は尽きず書かれていたのだろうことが伺え、愛されていたのだろうことも分かった。

「ん……この『白いロングコート』って、さっき言ってた、白衣のことじゃ?」

「断定はできないけど、その通りだと思うわ。さっき、机の上に、白衣の写実像……『写真』があったでしょう? この場所は『』の……拠点か何かなんじゃないかしら」

 アンリはノワールに代わって、続きの紙束を読み始めた。

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