世界と神とマソとヒト
第101話 禁足地ミスティア① ノワールの正体
屋敷から転移して次に2人が踏んだのは、太古の昔、人々に『禁足地ミスティア』と呼ばれ忌まれた土地だ。
荒涼とした、何もない平野で、空は暗い。暗雲が立ち込めて、雪を伴った暴風が渦巻き、至る所で稲光が走っている。
「ここは……?」
いつものメイド服だと少し寒い。
こんな、色彩を失ってしまったかのように灰色な、終末じみた世界があるなんて。
ノワールは今まで見たことも感じたこともない空気を感じた。
五感で感じるのは漠然とした『嫌な気配』だったが、正体は掴めない。
「ここは『ミスティア』、かつて私が住んでいた家のある『完全に管理を放棄された場所』なの。今は御覧の通り、風化した一部しか残っていないけれど」
灰色の大地を踏みしめつつ、アンリは語った。
「管理を放棄……って、誰が管理していたの? まさか『
「残念ながら、そのまさかよ。しかし、神とはいっても『新しい神』……彼らが魔素によって世界を管理し始めたのは、人類の歴史からしたら、つい最近の話になるのかしら」
彼女の説明を聞きながらも、嫌な気配は増していった。武器を構えたかったが、丸腰でそのまま出てきたので、それも敵わなかった。彼女にとっては鋼鉄の刃だけが精神を安定させてくれる、信仰の対象と言えた。
「あったわ、この扉が目印。上の方を見て、あそこに見えるのが、私の部屋よ」
辺りには、もはや時が経ちすぎて、廃墟の名残となった瓦礫のようなものが散乱していたが、立派な門扉だけが綺麗な状態で宙に残っていた。
「目印が欲しくて、この扉だけ空間を隔離しているのよ。ここ最近は、特に浸食が激しくて、宙に浮かんでしまったけどね」
不思議なことばかりだったが、ノワールが上を見上げると、更に奇妙なものが目に入った。
球体状にくりぬかれた、家の一部が浮かんでいるように見える。
「……あれが、アンリの部屋?」
浮かんだ家の窓からは、微かに青い光が漏れ出ている。
「あれは私がやったんじゃないの。あれがいわゆる、
そう言いながら、アンリはノワールの手を引いた。
ふわっと景色が流転したかと思うと、2人はどこか部屋の中に居た。
「……さっき下から見ていた部屋かな?」
青白く、ほんのりと黴臭い部屋。
手狭ながら、色んな置物や家具が所狭しと並べてあり、乱雑な雰囲気だ。
一画に置いてある机の上には整然と紙の束が積まれ、その一枚一枚にはびっしりと見知らぬ文字の羅列が書いてあった。
「そこのドアを開けてみて。見るだけで、先に進んではダメよ」
ノワールは何となく、場所の想像がついていたが、アンリの言うとおりに扉を開けた。
「やっぱり! この下が、さっきの場所だよね」
扉は空中にあると見え、先ほどまで立っていた大地が眼下に広がっている。吹き荒れる強風と雪は、透明な膜によって音も、温度すらも遮られているようだった。
「邸内には、得も言われぬ異次元の獣がうろついているけれど……今の私なら大丈夫でしょう、きっとね……いや、できれば会いたくないわ」
言いながらノワールの開けた扉とは逆にある扉を、ゆっくりと確認しながら開ける。彼女は以前、テルミドール邸をうろつく異形に追い回されて、並々ならぬ恐怖を植え付けられたことがあった。
「ほら、見て。おかしいでしょ。空間が捻じ曲がっているのよ」
扉から覗くのは、正面玄関だ。
「あら?
自分に聞かれても、何も分からない。とノワールは思った。扉から覗いている正面玄関は、右方向に90度弱傾けた風景だ。
「うわぁ、実際にくぐると、思ってるよりずっと変な感じ……」
状況は分からないながら、勇んで先に扉をくぐったノワールは、視覚と重力の違和感に喘いだ。扉の先はしっかりと左方向へ重力がかかっている。平衡感覚の鋭い彼女でも、初めての経験で、流石に膝をついてしまった。
「さて、まずは1枚。この手帳の端切れと同じものが何枚かあるから、一緒に探してもらえる?」
アンリは玄関廊下の左に置いてある机の上から1枚の紙片を取り上げて言った。
どうやら彼女はノワールにこの紙片の回収を手伝ってほしいらしい。
「そんなこと! 簡単簡単!」
「そう簡単に済めばいいのだけど……」
2人はT字に別れた左の通路を先に進んだ。
廊下を曲がるとすぐ目の前に、扉が現れた。ノワールはドアノブに手をかけると、ミスティアに到着したときの『嫌な気配』がふと現れて、消えた。
「なんだろう……靴の中に氷の棒を入れられているような冷たい気配、すぐに消えたけど、この家に何か居る……?」
「多分その気配、さっき言った『異次元の獣』だと思うから……できるだけ避けていきましょう」
アンリほどの実力者が怖がるほどだから、余程恐ろしいやつに違いない。ノワールは身震いしながらも、そっとドアノブを捻って押した。
*
「複雑な説明はまたの機会に持ち越すけれど――神によって管理された世界は魔素によって成り立っているといっても過言ではない状態だった。どのくらいかは分からないけれど、長い間ね。ところが12年前のある日、全てが変わった。私の観測が正しければ、大厄災の日を境に、世界は神の管理から外れたのよ。このミスティアの管理放棄から、およそ17000年後……」
道中、いくつかの紙片を回収しながら、アンリは多くを語った。
「無責任な奴だな。そのせいで多くの人々が魔族に苦しめられたんだ」
神という存在に対し懐疑的なノワールは憤る。
「――まぁ、神も所詮は……ううん、色々あったんだと思うわ。私は、ずっと、ずっとその神の、救いを求める声を聴いていた……12年前に目が覚めた時から、声は聞こえなくなった。何かあったのは間違いないのよ」
(
「あの時、私は自分の使命を見た。この世界を見届ける。私が寝ている間に、世界に何が起こったのかヒントを得るため、最も大きな魔素の揺らぎ。特異点。瑕疵である――あなたの元へ跳んだのよ」
ノワールは、アンリが来た日のことを鮮明に覚えている。
今にして思えば、アンリに触れ、無意識に彼女の魔素を
*
空間が捻じくれて、先の見えなくなってしまっている、長い長い階段を進む2人。
「元々、この世界に居たのか、そのタイミングで生み出されたのかは不明だけど、急に『魔族』が押し寄せたのもこの時で間違いないわ。もっとも、私が
「――私は、やっぱり魔族と同じなの?」
ノワールは、このタイミングで一番気になっていたことを聞いた。
「結論から言うと、同じよ」
アンリの返答は、あっけなく、迷いもなく、早い。
あまりにも毅然として、ノワールがしょげる隙も無いくらいだった。
「魔素というものは、究極的に万能な物質。できないことなど、ほとんど無いわ。当時数十億に及んだ人間を、同時に管理下へ置くことができるほどと言ったら分かるかしら。『管理下』っていうのは、ミリカのように、簡単に操れるって意味ね」
数を買い物の金額以上に数える必要のなかったノワールには、パッとしない数字だったが、何となく途方もないことだけは分かった。
「無駄な管理の発生を防ぐために、生殖の仕組みを変えたのよ。人間が、人間を生み出さないようにしたの。ちなみに、同時期に動物も全種類が
「おかしいよ、増えないなら、人間は滅んでいるはずじゃない」
「大丈夫、人体のタンパク質を再現することくらい、造作もないから。自動的に特定のタイミングで子供を造って、ある程度の人口を維持したのよ。父親役と母親役にも、子供が最初からいた記憶を持たせてね」
「それって……」
階段を登る足が止まる。
大厄災以前は、神に操られた人間が、自らの意思とは無関係に役割を果たしていた。
途中から、生殖によらず魔素によって『再現』されていた。
それってもはや、人間といえるのか。
「つまりね。人間も、動物も、魔物も、あなたも同じ存在なのよ。神が造ったもの、言わばタンパク質の塊。成り立ち自体に変わりは無いわ」
ノワールは複雑な気分だった。
突如発生した自分が、最も異端で、最も不憫な存在であるものだと思って塞いでいたが、真実は想像を超えてきた。
なんだ、生まれた時から自由意志を持った、自分が一番、人間らしいんじゃあないか。そう思えた。
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