第100話 それぞれの明日

「『異常気象』というのが続いているのだそうだよ。確かに、これほど雨が降ったのは記憶に無いな~」

 ミントグラスの村外れの、大きな領主屋敷。

 全体指令を出すための部屋には、領主と1人のメイドだけが座っていた。

 いつもは賑やかなこの空間も、今は雨が地面を叩く音だけが響いている。

 メイドのノワールは長く続いている雨に嫌気がさしたのか、気力すら豪雨が流してしまったのか、返事もせず机に両肘をついて、どこか何も無い空間を見続けていた。


*


 魔王エルガスタを討伐した後、崩落する塔から脱出した隊員たちは、アンリのゲートによって、このグラス屋敷に無事帰還した。

 一行は晩餐で主人に対して簡潔に報告を上げると、ごちそうもそこそこに、こぞって大浴場に行き、疲れと汚れを洗い流してから眠りについた。

 ほとんど全員がいた。身体的な疲労はもちろん、今回の戦いは、全員が思う所ある結果になったらしいことが、口数からも窺えた。


 翌日に指令室で起こったのは、雪崩のような休暇申請の連続だった。

「あの、ご主人様。私、ちょっと調べたいことがあるんですが、暇を貰って構いませんか?」

 リザリィは既に外套を纏っていて、珍しく荷物を持っている。レネィの作った、引っ張って転がせる、革製の衣装鞄を携えていて、出ていく準備は万端だった。

「――王立歴史博物館。きっとあそこなら、私の知りたい知識……私の感じている違和感に対する答えがあるはずです」

 エリクがどこで何をするのか尋ねると、そう答えて、許可を待たずに飛び出していった。


 次に指令室へ現れたのは、ミリカだった。

 浮かない顔をして、申し訳なさそうに、けれどいつも通り優雅に椅子へ腰かけた。

「――わたくし、修行に出て参りますわ」

 彼女は真剣に、決意の篭った眼で告げた。

 エリクは、持っていたティーカップを口から離して、ミリカの顔を二度見た。彼女の強さは全隊員中でも随一で、このような申し出は初めてのことだった。

「もちろん、言われるまでもなく体は完璧なんですけれども……わたくしが、魔素如きに後れを取るのは、きっと精神が未熟だからだと考えたのですわ」

 そうなのかもしれない。いや、分からない。

 エリクには全く見当も付かない話だった。魔素で操られたこともないし、魔素を当てられた覚えすらない。ましてや無意識のうちに仲間を皆殺しにしたことなど無かったからだ。

「ノノも、連れて行ってよろしいかしら? わたくしが直々に稽古をつけてきますわ」

「え? え? ミリカ姉、お出かけ? どこ行くの?」

 エリクはミリカにすら許可を出した覚えは無かったが、彼女は偶然歩いていたノノアを捕まえると、肩車をして持っていった。


 次はレネィか? アンリか? エリクはもはや覚悟を決めていた。全員が、活動や自身の在りかたについて葛藤するような時期にぶつかっているのだなと感じていたし、今生の別れでもあるまいと、容易く考えていた。

 また、魔王を討伐したのだから、これからは魔族の脅威も減るだろうとも考えていた。一種の平和ボケというものだった。

「識別番号JP001『エリク・グラス』様、ご機嫌よう」

 意外にもドアをくぐって現れたのは、清廉なイメージのある、グリーンゴールドのロングヘアーをなびかせた空色のスミスメイド、鍛冶くんだった。

「マスター、こと、JP008『レネィ・リィンズ』は、今朝カストラーダに発ちました。『しばらくは帰らねぇ』以上です。伝言命令完了、シークエンス2046完了。シークエンス2047に移行。帰還します」

 鍛冶くんは事実と意味不明な文字列だけを淡々と、端正な笑顔を伴って述べると、去っていった。


「おはよ、パパ。あれ? みんなは? お風呂かなー」

 次に指令室へ入ったノワールも、やはり心ここにあらずというか、何か悩んでいるということは、明白だった。

「みんな、それぞれ……そうだな『自分探しの旅』に出たよ」

 エリクは適切な言葉が見つからなかったから、それらしい言葉を選んで答えた。

「ね、パパ。私は、自分を探しに、どこへ行けばいのかな」

 いつもと違う、寂しい部屋の椅子に腰かけて、右手を顎の下に置いて、頭を支えた。目は窓の外の、どこか遠くを見つめている。

 ノワールは『正義の柱』発足から今まで、どんな辛いときでも、努めて明るく振舞ってきた。

 不屈の意思は隊長としての矜持だったし、そのやり方が隊をまとめる上でも大切だと思っていたからだ。彼女の単純で、多くない信念の1つだった。

「ノワール……」

 エリクには、かける言葉を見つけることができなかった。

 前日の晩餐でノワールから報告を受けた時も、アルジェントが対峙した際に告げたという『我々は魔族と同一の存在』であるという主張について、玉虫色の返答しかできなかった。


*


 雨は、やはり降り続いている。

「ねぇ、パパ。私の手ってね、不自然なものを『修正フィクス』できるんだって」

 ノワールは目の前に右手を持ち上げてきて、左右にゆっくりと回転させながら言った。

「私自身の体を触って、修正しろと命じたら、私はどうなってしまうんだろう? 悪いところが無くなって『正しい状態』になるのかな。もしそれで私が消えてしまったら、それが『正しい状態』なのかな……」

 エリクは内心、歯噛みした。

 お前は私にとって、不自然でも何でもない、かけがえのない存在だ。そう言って慰めた所でノワールが納得するとは思えない。

 大切なこの子が一番悩んでいるときに、苦しんでいるときに何の声もかけられない、無力さを噛みしめたのだ。


「ノワール、エリクが困っているわよ。自身の成り立ちに興味を持つのは自然なことだけれど、今のあなたは精神的に不安定すぎるわ」

 いつの間にか部屋に入って、ノワールの後ろに立っていたのはアンリだった。

 激しい戦いを終え一晩またいだ彼女は、雰囲気が少し違うようだった。以前のメイド服とは違う、黒紫の法衣を纏い、顔には先日魔王から入手した、まだ見慣れない眼鏡が掛かっている。気のせいか、ロングストレートの髪の毛はいくらか長くなった気がするし、少し背も伸びているように見える。

「……全てを知る覚悟はできているの? できているなら私の過去の清算に着いてきて。私に分かることは、ついでに何もかも教えてあげるわ」

「ん、もちろん行くよ。私は知らなきゃいけないんだ。知って、真実を受け入れなきゃいけないんだ……」

 ノワールは、アンリが差し出した、細くて真っ白な手を掴んで立ち上がった。

 次の瞬間、少女2人は、音も立てずに光の粒子となって、屋敷の北西方向へと消えていった。


「た、た、大変ですよお前ら! 『カデイシアの森の古の魔王』と名乗る者からの挑戦状が届いています! 『の』多ッ、こいつ漢委奴国王かんのわのなのこくおうかよ」

 タイミングを見計らったかのように、物凄い勢いで指令室のドアを開け放ったのは、モカだった。

「モカちゃんか。実はもう、ノワール隊のみんなは誰も居ないんだ。……って何? 魔王だって? ったく、こんな時にどこのどいつがいたずらしてくるんだ? 騎士団に通報しといて」

「――御意に」

 すぐにモカは出て行ってしまい、再度エリクは一人で、しばらく雨模様を覗った。

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