第98話 魔王エルガスタ

 最後の階層は、他の階層より、いくらか明るかった。

 超巨大な硝子が壁代わりに設置され、土や岩を遮っている。光は正面……ノワール達の対角線上の硝子から差し込んできているようだ。トンネルのように、外へ繋がっているのだろう。

 そんな出口へ向かう途中に、大きな玉座が設置してあり、魔族が座っていた。

「……人間風情が、よくぞここまで辿り着いたものだな」

 眼鏡をかけた神経質そうな、背が高く、青白い新鮮な死人のような肌の青年だ。

 青年は着けている大げさな外套を、大げさにひるがえして声を張り上げた。

「我が名はエルガスタ! 『』エルガスタである!」

 ノワールを先頭に、ミリカ・ノノアの前衛3人は、じりじりと展開しながら間合いを詰めていく。

 エルガスタの台詞を聞いて、後ろに居たリザリィが派手に噴き出した。

「リサっ⁉ 何か、攻撃でも受けた? 大丈夫?」

「ブフーッ! ま、ま、魔王って~~‼ 前にのんたんが言ってた通りじゃないですかよ! ひっひっっ、預言者かよっ! そんでダサすぎ! ブフッファー!」

 彼女はこれでもかというくらいに爆笑した。全員が「そんなに笑うほど⁉」というくらい笑った。

「……」

「さぁ! 始めようじゃないか……人類が勝って、自由と安寧を手に入れるか! 魔族が勝って、混沌をもたらすのか! これが最終決戦だ‼」

 間をおいて、エルガスタが吠えた。心なしか、顔に赤みがさしているが、口上の熱気は衰えていない。

 両手に漆黒の魔素を纏わせて合わせた。そうしてできた、大きな闇の一塊をノワールたち前衛を目掛けて投げつけた。

 リザリィは、もはや床に背をついて笑い転げている。

「あなたの魔素使役、口語じゃないのね。流石、ということかしら」

 アンリは感心したように言いながら、構える前衛達の前に躍り出て、魔素障壁を展開した。

「ノワール、丁度いい機会だわ。私の盾を壊さずに、闇の塊だけ『修正フィクス』してみなさい」

 巨大な漆黒の闇の塊は、彼女の障壁に阻まれてはいるが、じわじわと押されつつあった。

「えぇ⁉ 相手は魔王だってのに、練習⁉ こんな状況で……まぁいっか」

「失敗したら私は消滅するけど……大丈夫、信じているから」

 わざわざ物騒なことを伝え、重圧をかけてくるアンリを、不服な眼で見ながら、ノワールは障壁に手を伸ばした。


 これは修正フィクスしない――

 アンリの魔素を消さないように、頭の中で考えながら触れる。やり方は誰も教えてくれないから不安だったが、試すしかない。これで障壁が消えたら、アンリと一緒に消えてなくなるかもしれない。

「――くッ‼」

 息をするのも忘れて集中する。

 障壁は、消えていない。その薄皮のような幕の先には、漆黒の弾がある。

(これだけ消す。この黒い魔素だけ……)

 ――これだけ修正フィクスする!

 弾に触れ、魔素を分解する。イメージを強く思い描いて、伸ばした右手に伝達した。

 瞬間、短い乾いた破裂音と共に、魔王エルガスタの放った魔素だけがかき消えた。

「大体、成功ね」

 アンリの判定に、ノワールが深く息をつくと、魔素の障壁と、自分のメイド服が粉々に砕け散った。

「やり方は分かった……でも、私には向いてないかも」

 どっと疲れがきた。終わった後で、練習は後回しにして、アンリの障壁ごと全て消去したほうが早いと思った。


「……」

 魔王エルガスタは、眼鏡のブリッジを指先で整えた。

「魔王、もう終わりか? 大厄災を起こしたのは貴様で間違いないな」

「如何にも。今まで様々な手を尽くし、人類を滅殺せしめんとしてきた。ある時は魔物を大量に造って、転送装置ポータルで各地に送った。またある時は、古代に封印された魔族を蘇らせ、魔族が入れない領域があれば、土地の聖獣を操って襲わせた」

 魔王の自白に、笑いから復帰していたリザリィの奥歯がきしんで鳴った。

「何故、そんなことをしようと言うんですか?」

「? それが魔王に言う言葉かね。魔王として生まれたのだ、世界を混沌に陥れる義務があるだろう? この話は貴様に言っても分からないか、役割を持たぬ『イヒカの庇護種クオリス』よ」

 彼女の問いに、エルガスタは、さも不思議そうに答えた。

「……混沌? 義務……? 何を言っている? 世界を混沌におとしめるなんて、そんな『役割』があるものか! 私がここで、断罪してやる!」

 リザリィの心情を代弁し、ノワールが怒って宣告する。

「やれるものならやってみるがいい。ノワール・アールグレイ、私には、お前が一番の混沌に思えるが……。さて、お互い喋るのは終わりだ。貴様らの息の根を止めて、今日こそ全てを終わらせよう!」

 再度戦闘態勢に入った魔王は再度、外套を大きく翻して、叫んだ。


「――ううぁあっ!」

 開戦の合図があった直後、悲鳴と金属の落下音が、同時に響いた。

「『大富豪のお嬢さま』の役割を持つミリカ・グレイス――の人間だ。ある意味で最も不自然な存在だ。普通の人間だから、魔素による干渉を全て通す」

 ミリカが頭を押さえて悲鳴を上げたのだ。ルーデンスに操られた時と同じだった。

 すかさずアンリが彼女のそばに寄り添って、頭の中に入り込んだ魔素を中和した。

「あぁ、あ、ミリカ姉……よ、良かったぁ」

 ノノアとレネィはミリカが苦しみ出したのを見て戦慄したが、対策も迅速であり、そこまで脅威に感じる必要はなさそうだった。

「ミリカ、あなたは魔素使いあいつと相性が悪いわ。少し休んでいて。リザリィ! この子をお願い! 『魔素のクオリア』が見つかったら、すぐに抜いてあげて!」

「はい!」

「うぅ……畜生、ですわ……。面目ありませんわ」

 ミリカは激しい眩暈めまいに襲われて、地面に手をつく。急いで駆け付けたリザリィは、熱っぽくなった彼女の額に手を当てて、優しい声をかけた。

「ミリカお姉さん、私に任せて、安心してね」

 リザリィの手当にすっかり安心したミリカは、彼女に体を委ねて、安らかな顔で意識を失った。

「案外、容易たやすいな。まず1人。いや、3人か」

「しまっ――」

 アンリが何かに気付いて、声を上げたのも束の間。エルガスタが指を弾くと、ミリカ・リザリィ・アンリをまとめて、隔てるようにして水晶の中に閉じ込めた。

 ノワールが動く間もなかった。

「ミリカ姉! リサ姉! アンリ姉……! あいつ、ミリカ姉の対策を取ると分かっていて、囮にしたんだ」

 ノノアは再び戦慄した。

 口語でない魔素使役――とアンリは言っていたが、隙が無く厄介だ。魔素の使役ではエルガスタの上をいくだろうアンリも、呪文を先読みできずに対応が遅れたのだろう。


 レネィは、3人が捕らえられた水晶に向けて、迅速に貫通釘弾ピアッシングネイルを撃ち込んだ。

 もちろん貫通しても、誰にも当たらないような場所に撃ったが、それも杞憂に終わった。魔王の水晶は、今まで全てを貫通してきたレネィの弾丸も、一切受け付けなかった。

「馬鹿な、なんだありゃ……? 素材は……」

 3人は水晶の中で、閉じ込められたまま、時が止まってしまったかのように固まっている。

「余所見をしている場合か? カナヤコの直系。隠者種ヘミテウスの鍛冶屋レネィ・リィンズ」

 口語を介さない魔素使役は脅威に他ならなかった。

 ここに居てはいけないと、感じ取って空中へ跳んだレネィだったが、例の水晶に捕らわれて、そのまま宙へ固定されるようにして浮かんだ。


(不味い、不味すぎる。しかし、私に魔素は通用しないはず……いざとなったら)

「魔素は受け付けない、そう考えているのか? 『重大な瑕疵バグ』ノワール・アールグレイ。甘いな、その力でも対応できないことはある、空間ごと固めてしまえば能力は発揮できまい」

「ふん、やってみろ! お前の魔素など、私の能力でかき消して――」

 エルガスタが指を鳴らすと、大剣を前に突き出したポーズのままのノワールも、例外なく一瞬にして水晶のオブジェに捕らわれた。


「さて、残るは……」

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