第97話 アルジェントの空白

 刹那、アルジェントの首が、鋭利な大鎌によって切断されて落ちた。

「なんだよ、いい所だったのに。君たちはマナーが悪いな。邪魔しないでくれる――あれ? 痛った……」

 落ちたはずの首は、いつの間にか元の場所に戻っていた。しかし、同時に錨で叩きつけられた腕は、変な方向にひしゃげていない。

「やめろ、殺すぞ――」

 次は魔素の刃で袈裟から腰にかけて両断され、同時に膝の関節を蹴りで破壊された。

 どちらを『無かったこと』にするか、答えは明白だった。

「痛い、痛い! 寄ってたかって、なんて奴らだ。こんな、酷すぎる……」

 選択しなかった膝は、体重を支えることもできなくなって、とうとうアルジェントは涙目になって尻餅をついた。

「み、皆ぁ……」

 ノワールは安堵して気が抜けたのか、髪の色があっという間に元の銀色に戻った。

「のんたん、大丈夫ですか⁉ 何もされてませんね……⁉」

 リザリィがいち早く近付いて、ノワールの安否を確認する。隊長を助けに来たのはもちろん、それぞれの仕事を終えて合流した隊員たちだ。

 ミリカとノノアが先頭に立ち塞がり、横にアンリとレネィが付いた。後ろにはモカとリザリィが控え、ボロボロになったノワールを全員で取り囲む形だ。


「――。……前回も邪魔が入った」

 以前、港町ネルヴィアにてアルジェントと直接の戦闘があった時も、ミリカとアンリがノワールを助けに来た。

「……ちくしょう。なんで僕には、いざという時に助けてくれる仲間が居ないんだ!」

 涙を流して、折れ曲がっていない方の左手を振って地面を叩いている。戦意を喪失したのか、彼もまた髪色が銀に戻っていた。

 全員が思った。これは極めて幼児的な癇癪かんしゃくに違いない。

「……ねぇ、アルジェント。心を入れ替えて、正義の使者として生きるなら、私が友達になってあげる!」

 提案をしたのはノワールだ。他の全員は、どちらかというと大反対といった様子で、眉間にしわ寄せて彼女の方を見た。

「……いやだ! ノワールは、僕だけに優しくしてくれなきゃ嫌なんだよ!」

 レネィはこの様子に既視感を感じ、故郷のカストラーダに居た子供たちを懐かしんだ。

「そうだ……ノワールは、僕のモノなんだ。ノワールが僕のモノにならない、こんな世界なんて……お前ら、覚えてろよ! 絶対に後悔させてやる!」

 やはり子供のように、月並みな台詞を残すと、再度黒化してどこかへ消えた。

 消える直前、ミリカが彼の胴体を串刺しにしたが、無かったことにされたようだった。

「……ふぅ、危なかったよ……ミリカ姉、レネ、アンリ、ノノア、リサ、モカちゃん。皆、ありがとう」

 脅威が去って、いよいよ安心したノワールは、脱力してその場にへたり込んだ。


「あの子、なんだか可哀想でしたね……」

 リザリィには、アルジェントの癇癪は哀れに見えたらしい。

「――確かに彼の生い立ちには多少、同情の余地がありますね」

 最初にノワールと共に立ち会っていたモカは、彼の心情をつぶさに読み取っていた。

「ノワールと同じく、12年前、とある町に突如現れたらしいですが、始まりは悲惨なものですね。ノワールやミレイは、運が良かっただけだというのが……良く分かります」

 アルジェントは生まれた町で、何も分からない空白のまま、大厄災による混乱と恐怖で暴徒と化した人間達にさらわれて凌辱の限りを尽くされた。

「ノワールの空っぽだった心を、一番最初に満たしたのは、騎士クラウスによる正義ですよね」

 では、アルジェントの心を支配しているのは何なのだろうか。彼の心を最初に満たしたのは……

 モカは人のそういった感情を汲むのが苦手だから、考え込んで黙ってしまった。


「事情はともあれ、あいつは油断なりませんわね。今後は一層、ノワールちゃんに張り付いて警戒せねば……」

 湿っぽくなった雰囲気を壊すように、ミリカがノワールにピッタリと張り付いて話題を切り替えた。

 フローレスを退けた後、階段を駆け下りてきたミリカは、左肩口から大量の出血をした跡が痛々しい。鎖骨も鋭利に切断され、左腕は力なく垂れている。痛がらず、平気でいるのが不思議なくらいだった。

「ノノアもミリカ姉の手助けしたんだよ!」

「そう言えばノノ、無事だったの⁉ 勝手に動いちゃダメでしょう、ミリカ姉に迷惑かけて! 心配したんだからね!」

 褒めてもらおうと、姉に報告するノノアだったが、無断で作戦行動から外れたことを叱られてしまい、頬を膨らませた。

「ま、まぁまぁ、ノワールちゃん。今回は本当に助かりましたわ。ノノが助けに入らなければ、わたくしも危うかったですし……」

 ノワールはミリカの言葉に驚いた。ミリカが苦戦する状況で、ノノアが役に立ったという。ミリカにフォローされて、得意顔になっているノノアを取りあえず引っぱたいてから、しみじみと感心した。ノノアは何が起こったか分からず困惑した。


「のんたん、これで応急処置は完了しましたよ。周りに生命の気配もない土地だと、私の出番がありませんね……」

 リザリィは殺風景な、この塔の内装を見回して目を伏せた。

 重傷を負っていたミリカを先に処置して、順にノワールの処置を終えた。出血の多い傷には包帯を巻いて、無傷の自分から生命のクオリアを抽出して分け与えた。それだけで小さな傷は、たちまち塞がってしまう。

「何言ってるの、今だってリザリィが居なかったら、止血もままならないんだから!」

「わはは! ちげぇねぇ! だって誰も敵の攻撃が当たるって思ってねぇんだもん! 包帯すら持ってねぇ!」

 ノワールのフォローにレネィが爆笑し、つられて皆笑った。


「さて……服の破けや汚れは、こんなもので良い?」

 敵の熾烈な攻撃によって損傷し、血や埃で汚れたノワールとミリカのメイド服を、魔素によって修復し終えたアンリが言う。

「ありがとうございました、アンリお姉さま。相変わらずの手際ですわ!」

 ミリカの、血に塗れた水晶糸のメイド服は、レネィが仕立てた時と同じ状態に戻った。

「ノワール、あなたは手に気を付けて。触れたら分解されて半裸に逆戻りよ。今度はその力の使い方も考えて、練習しないとね」

 あちこちが包帯だらけになったノワールも、せっかく元に戻してもらった服を『修正フィクス』しないように、両手を浮かせて気を付けながら、問題がないことを確認した。

あいつアルジェントが、この塔の主だったのかな? やっつけたから、もう外に出られるかな?」

「だと良いんだけどね。アルジェントは、我々をおびきだした黒幕がいるらしきことは言っていた。上まで行って確認するのは大変だから、先に1番下の階まで行ってみよう」

 ノノアの問いに対して、ノワールは少し考えてから慎重に答えた。

 この階には『10F』と記載があったから、もう少しで底にたどり着くはずだ。一行は隊長に従って先を目指すことにした。

「……急ぎましょう、あまり時間がないわ」

 アンリは、先刻聞いたオメガルーデンスの言葉が気になって、先を急ぐよう促した。

(本当に、のかしら……? リセットが掛かれば、私たちのやってきたことは、全ては無になって終わりになる。その前に早くを探し出さないと)


 再度、一行は揃って、ほの暗い階段を慎重に降りていくが、何事もなく『』まで着いた。

「さて最後の『1F』……やはり、居る。皆、準備して!」

 長かった階段も、とうとう途切れて無くなった。さらに感じるのは敵の気配だ。

 隊長の号令1つで全員が戦闘態勢になって、最後の階層へ踏み出した。

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