第96話 グレートリセット

「お前はデータにあるぞ、アンリ・テルミドール。純粋な人間技術者エンジニア管理者アドミン級。これは驚いたな、脅威の15122歳」

 ノワール達を先に行かせた後、顔の無い銀色の巨人『オメガルーデンス』は別に驚いていない癖におどけて言った。

「失礼ね。女の子に年齢の話はしない、とはデータに無かったのかしら」

 アンリも全く表情を変えずに台詞を返す。

 彼女が口を動かすと、周囲を取り巻くように、無数の粒子が蒼い光を反射しながら舞って揺蕩たゆたった。

「それと、貴方には『私に勝った』というログが残っているはずだけれど、それが間違ったデータであることを証明してあげるわ」

 前に箒を構えて続ける。

 ちなみに彼女の『魔素コーディング』は、持っている杖に宿った魔力によって増幅される。なんていうことは全く無く、雰囲気で持っているだけに過ぎない。


「――空間を限定、掌握。高速で増殖し、融合して爆ぜろ。トゥルートゥルートゥルー

 空中に浮かんだ硝子ガラスのようなものが、ルーデンスを包み込んで、その中で大爆発が起こった。

 相当な衝撃に見えるが、音も漏れず、びくともしないところから、ただの硝子ではないのだろう。

(前回は止められたものを、何故止めなかった……?)

 一方で、アンリの周囲で展開されていた物理シールドの一部にヒビが入った。以前と同じく、投擲されたのは、ルーデンスの指だ。瞬時に異物は消去され、同じくシールドに空いた指先程度の穴も修復された。

 爆発が終わって、硝子の中が晴れてくると、そこには変わらない姿の敵が居た。

「……虚像ね。空間に投影している立体映像ホログラム。くだらないわ。――私に勝てないからって、時間稼ぎしてどうするのかしら」

 アンリは苛立ち気味に、頭の『クマミミカチューシャ』を取り捨てる。

「データには、『魔素使役を長時間続けると、疲労により昏睡する』とあるぞ? つまり、待ちは有効な手ではないのか?」

 アンリはポーカーフェイスを崩さなかったが、敵のデータ分析に、内心臍を噛む。

 相変わらず面倒臭い相手だ。舌打ちしながらも、辺りを見回した。

「大体が、本来的には時間を稼ぐのが我々の役割だ。グレート・リセットの時は、もはや近いぞ」

投影機プロジェクター……? それらしきものは無い、か。下手すると壁全体が……いや、本体は?)

 そうだ、投影機より本体を叩いてしまえば良い。しかし、以前のルーデンスは見上げるほど巨大だったはずだ。上階と変わらない造りの部屋は、広いが見通しも良く、潜める物は置かれていない。

 打開のために動いている間にも、ルーデンスの『指弾』はアンリのシールドに、間断なく突き刺さり続けている。

「……っ」

 ツーサイドアップにして結んでいた両側の麻紐が、ほとんど同時に弾けて他の髪の毛と合流した。

(空いた穴から、魔素のレーザーを通したのね。油断できない……できれば動きたくなかったけれど、仕方ないわね)

 アンリは走りながら、再び口を動かす。

「――魔素走査スキャンフィールド展開。広範、シンプルスキャン」

 走る足元から、音もなく魔素の蒼い粒子が床に広がっていく。まるで雨あがりの水たまりに走る、波紋のような光景だ。

「――フォルスフォルス……」

 マシンガンのように撃ち込まれる、指弾や魔素のレーザーを無効化しながら、まずは部屋の外周を走査していく。

「――トゥルー。いや、こいつは違うわ。お得意の透明な爆弾じゃない、何らかの物理弾丸を飛ばしてたのもこいつね」

 舞うように走りながら、途中で外周に潜んでいるらしき『透明な爆弾』を解除して、置物に変えていった。


 一通り外周を潰した後は、渦を巻くように走査範囲を狭めていく。

「――トゥルー。はぁ、はぁっ……ようやく見つけたわ。捕らえて縛れ」

 ある地点で、とうとう走査網に反応を見つけたアンリは動くのをやめた。

 魔素の光が敵を発見し、彼女の号令で糸状に伸びて、それを捕らえた。

「昔から、マラソンは苦手なのよ……げほっ」

 両手を膝に置き、背中で息をしているが、いつものように昏倒はしなさそうだった。


「見ない間に縮んだのね。何とかしてあざむき、逃げよう、隠れようといった気概が感じられるわ、恥ずかしくないの?」

 案の定、透明になって身を隠しつつ、逃げ回っていたルーデンスだったが、サイズは極小さい。掌に収まるそれを掴んで、多角形の硝子で囲い、空間ごと隔離した。

「あっけないけど、あなたはこれで終わりね。1つだけ気になったことがあったから、それだけ答えて」

 ガラスを宙に浮かせて固定すると、アンリは問いかけた。

「――『グレート・リセットが近い』と言ったわね。最後のリセットからは2千年しか経っていない」

 これまでにアンリが観測したリセットは3回、内直近の2回は丁度5千年毎に行われていた。

「いや、もっと重要なのが……その情報はの……?」

 リセットは、この世界の根幹にあるシステムだ。存在すら知る者は極めて少ないだろう。もしかしたら、アンリの探していた『声の主』に繋がるかもしれない。

 硝子に隔離されたルーデンスの、くぐもった返答の声が、不気味に響き渡った。


*


 そのフロアには振動と、砂埃が乱舞していた。

黒化状態ハートブリード。我々の体に起こる黒化現象のことを、僕はそう呼んでいる」

 アルジェントは解説をしながら、中空に無数の銀色の剣をノワールめがけて落とした。

 ノワールは高速で円を描くように走り、時には剣で弾いて回避している。

「そしてこれがの、純黒化状態コラプスブラッドだ」

 上から襲い来る剣の雨と本体による斬撃が、一層激しさを増す。回避行動を続ける彼女のメイド服は、所々が破れて素肌が大きく露出している。

「おいおい、甘く見るんじゃないぞ。なにしろ君の肩には全人類の、いや、世界の運命がかかっているんだ」

「こいつっ……このっ!」

 全身に黒の幾何学模様が浮かんだ純黒化状態コラプスブラッド・アルジェントの攻勢は、苛烈を極めた。

 ノワールの体には、打ち漏らした攻撃から生じた、中小の赤い筋ができて血を滴らせていた。

 斬撃が幾重にもかさなって押し寄せるようだ。しかし未だに薄紅の両手剣プリンセスツヴァイは悲鳴をあげながらも、しっかりと役割を果たしている。

 黒化は、今対峙しているこいつと同じ存在であることを強く認識してしまうため避けたかったが、ノワールの意思に反して、髪はみるみるうちに黒く染まって行く。目の前の敵に対抗するためには、に頼らざるを得なかった。

 髪が黒く染まれば染まるほど、この闘いは楽になる。

 鏡がないから自分の姿は見えないが、アルジェントの刃を押し返せるまでの力を見るに、ほぼ真っ黒に染まっているのだろうことは窺い知れた。

「なるほどね。君の力は要するに、オーバークロックだな。さらに『不自然なモノを修正フィクス』する能力。単純明快で、僕にとって最も恐ろしい相手だ」

 話している途中でも当然のように続いていた応酬の中で、ノワールの両手剣が、アルジェントの右腕を断ち落とす。

「『正しき姿に修正』なんてされたら、僕はどうなるんだ……ブルッ、恐ろしいから考えるのはやめよう」 

 次の瞬間には、落ちたはずの右手を振り上げて戦闘を再開する。

(ん? 今、右手に当たった……はず……?)

 ノワールはいぶかしんだ。

 後方に宙返りしながら、不可視の音速剣ソニックアクトを放って距離を取る。

 やはり、音速を越えた剣圧の刃はアルジェントを腹の辺りから上下で真っ二つにした。

(今のは確実に殺ったはず! ……いや、何故だ。確証が持てない)

「不思議そうな顔をしているね。そりゃそうだろう、教えてあげるよ。僕の能力はね……」

 言っている隙に、ノワールは彼の上に跳躍した。今度は正中線から縦に真っ二つにした。今までに何度も切ってきた、人の肉を断つ現実的な感触だ。

「――直前の事実を1つだけ『やり直すアンドゥ』能力さ」

 さっき縦半分に斬ったような気がする。いや斬ったのだろう。ノワール当人の実感すらも、曖昧になって無かったことにされているのだ。


「ほら、ここを斬ってごらん?」

 アルジェントは、自分の首を指差しながら、剣を正眼に構えたノワールにゆっくりと近付いた。

 遠慮なく首を切り落とすが、瞬きの間に元へ戻ってしまう。

「ね、言った通りだろう」

 敵が近付くたびに1歩ずつ下がりながら、様々な場所を斬りつけては元に戻るのを繰り返した。

 次第にノワールの額から、汗が滴り落ちる。耳は伏せられて、尻尾は体に巻き付けられた。

「さっきまでの威勢はどうしたの? ははーん、わかったぞ――」

 下がるノワールのかかとが、背中が、壁につく。

「受け入れてくれたんだよね、僕との子作り」

 アルジェントはノワールを壁に押し付けて、身体を彼女に擦り付けながら、なお抵抗しようとする両手を頭の上で抑え、全てを奪おうとした。

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