第94話 ザインツムトーデ

「みっみみっみ……ミリカ姉、あわ、たっ、助けに来たよ‼」

 真っ青な顔で声と足を震わせて、ミリカとデマイズの間に割り入ったのは、下の階で行方不明になっていたノノアだった。

「ノノっ⁉ おまえ、先に行けと……いえ、この際、何も言いませんわ! ちょっと時間が欲しいのですわ! 死ぬ気で耐えて下さいまし‼」

 いつものミリカならば、ノノア如きに甘く見られたものだと𠮟りつける所だったが、今回ばかりは干天の慈雨だった。自然と頬が緩み、生きる希望が湧いてきた。

「も、もう……助けに入った時点で、もとより死ぬ気だよッ‼」

 1人残ったミリカのことがどうしても気にかかって見に来たものの、ノノアの中で絶対の力を持つ彼女が、敵に圧されている姿を見て戦慄した。途中まで足が言うことを聞かなかったが、このままではミリカがやられるという時になって、ようやく決心がついたのか飛び蹴りを放つことができた。


 デマイズは標的を最後に攻撃されたノノアに変更して、やはり目視できないような速度で近付いて、横一文字に薙いだ。

「うわっ、は、はやっ……!」

 見ていてわかっていたことだったが、実際に間近で相手をすると更に敵の攻撃は早く、強い。腰が引けてしまったノノアは真っ二つになって霧散、直ちに消滅した。

「何してるのかしら、アイツ……おっと、余所見は程々に、集中、集中ですわ。全く、この機構を考えた奴はセンスがありませんわ!」

 遠目に見ていたミリカは、奴が来ない間に小夜啼鳥サヨナキドリに何か細工をしながら、イライラしていた。


「あッ……ぶなぁ、真っ二つになって霧散して消滅するかと思ったよ!」

 ノノアは、その一挙手一投足について、規則正しい間隔で残影を遺しながら歩いていた。

 気が付けば辺りには霧のようなが出ている。発生源を辿ると、ルテシアの名産品で良く採れるのだという、『蜃気楼ファタ・モルガーナ』の名を冠するグローブが光輝いていた。

 単純だが効果的な仕掛けだった。現にデマイズの攻撃を回避するのに大きく貢献している。効果範囲は狭いらしく、ミリカの位置からは上手く像を結んでいないようで、デマイズが何も無い所に空振りしているのは滑稽で、遊んでいるように見えた。

「ノノ! 絶対に当たるんじゃありませんわよ! 攻撃もするんじゃありませんわ!」

「当ててもダメなの⁉ 注文が多いなぁ……」

 道具の助力もあり、自分でも回避可能と知ったノノアは、精神的にも少し余裕が出てきたようだった。

 デマイズは相変わらず表情を変えずに、虚像を追いかけて空振りしていた。

「ん……? 霧が晴れて……? あ、機械が止まった! ヤバい!」

 機械は霧の代わりに煙を上げ始めた。

 それに伴って、しばらく続いた幻影オニごっこも終わり、再度ノノアへ向けた攻撃が激化する。

「うわぁ! ワッ……うわぁ~!」

 しかし意外にもノノアは、悲鳴を上げながらも軽やかに回避し続けている。肩口に大きな傷を負ったミリカより、回避能力が優れているようだ。

 しばらく交戦して動きを見切ったのか、足の震えが無くなったためか分からないが、1つ大きく成長したようだった。

「きっと人はみな、デマイズと隣り合わせになることで、生を実感するのですわ。頻繁に死と相対しなければ、分からないこともありますわね……よしっと」

 なんだかんだで、今まで窮地に陥ったことのないミリカも、今回の死線で学んだことは多い。

 他人事のようにしみじみと語りながらも、先ほどまで小夜啼鳥に何か細工をしていたかと思ったが、いつの間にか先端の形が少し変わった宝杖を前に構えていた。

「ノノ、待たせましたわね、上出来ですわぁ~! 最後に1つ頼まれてくれるかしら?」

「おぅ、あっ、わわっ!」

「では最後に、特大の隙を作って下さいまし!」

 ミリカは、返事もままならずデマイズの猛攻を躱し続けているノノアに対し、お嬢様らしく相手のことなど構わずに言いつけた。

(この人マジで言ってるの⁉ そんな隙……1度で良いから見てみたいよぉ~!)


 隙が無ければ、作ればいい。

 心の中のルテシア闘技場の2回戦敗退者ハウロンが、声を聞いたことも無いのに語りかけてきた。

(拳と拳じゃない、相手は巨大で鋭利な刃物を、恐ろしい速さで振ってくる。いなせる? 無傷で……いや、いやできる! ノノアならできるさ‼)

 最終的には自分に問いかけて、自分で答えて解決した。ハウロンなんて居ないのだし。

 ノノアは全身の神経を究極まで集中させて、相手の動き、大鎌の動きを視た。

 横薙ぎを腕で受け流すのは鎌の形状的に厳しい、逆袈裟切りも同様だ。そうなると狙うのは、袈裟か縦一文字。

(左、右。縦……早すぎて捉えられない。左……次!)

「……斜め斬り、来たっ! ――刹那せつなッ‼」

 左腕で円を描くように、刃の腹を滑らせる。

 刹那という技名の通り、猶予時間が極めて短く、難しいタイミングだった。技は成功し、デマイズの鎌は勢いが余って地面に突き刺さった。

 ノノアは息をするのも忘れたまま、当たる直前で止めた、敵の脇腹に延びる右の正拳を震わせた。

「で、できた……っ! あぶな、手が出るところだった」

 デマイズが、地面に刺さった大鎌を抜いて、再度ノノアの方を向く。発生した隙は極僅かだが、ミリカにとっては紅茶を淹れられる程に感じられる、長い隙だった。

「ナイチンゲールの、もう一つの呼び名をご存じかしら? ――『死を歌う鳥』ですわぁ~‼」

 ミリカが叫ぶと同時に、小夜啼鳥は今日1番の歌声を響かせる。

 硬くなっていたはずのデマイズは、右側頭部から左腿にかけて、左右に分かたれた。直後、四角い粒子を飛び散らせて、光の柱になって消えた。

 決め手は奇しくも、オリジナルのフローレスと同じ、全力の『落葉ラクヨウ』だ。

 飛ばした武器は小夜啼鳥だが、デマイズを真っ二つにして尚、先の壁にめり込んで、柄の一部しか見えない状態になっていた。

「や、やっつけた……んだよね?」

「えぇ、再生能力が無くて良かったですわ。もしそこまでされていたならば、あるいは……」

 壁の宝杖まで歩きながら2人は勝利に安堵した。

 オリジナルと同じ再生能力があったなら、外から陽光を取り込むこともままならない、この場所では成す術もないだろう。

「まさか、これを解放することになるとは思いませんでしたわ。わたくしとしたことが、完全に油断でしたわね……」

 埋まった小夜啼鳥を引き抜いて、ミリカが嘆息した。手に携えた宝杖の変形した部分からは、象牙色の鋭い刃が大鎌の形に伸びている。と思ったら幻のように、音もなく掻き消えた。

「ミリカ姉、そっきの大鎌って、その棒が変形したの?」

「変形というよりは、現れる、といった感じですわね。ほら、ノノもやってごらんなさい。横に構えて、念じてみて?」

 ミリカは小夜啼鳥をノノアに手渡して、簡単にレクチャーした。

「こ、こう……? うわっ刃が出た! 何だこれ……目がぐるぐる、回る……」

 ノノアが棒を握って、簡単に念じると先程の刃が現れた。同時に激しい眩暈めまいに襲われ、すぐに手を離してしまった。がらんどうとしたフロアに、金属の重々しい音が響く。

「ふふ、グレイス家にある山ほどの宝から見つけた、出自は不明の貿易品、鎌ですのよ。ほんの小さいときに良く触って、気絶してはお姉さまに怒られましたわ」

 カチャカチャと、先端の嘴部分を元の形に戻しながら、ミリカは懐かしんだ。

(え、あの眩暈、危険すぎるでしょ。ミリカ姉はなんで平気なの、やっぱり怖いわ……)

「……それとノノ、ありがとう。おまえが来なければ――やられていましたわ。本当に強くなりましたわね。技も、心も」

 ミリカはノノアの腰辺りに手を回して、胸を押し当てながら抱き上げた。

「み、ミリカ姉……やめてよ、恥ずかしいよ」

 ノノアは彼女と出会ってから初めて褒められた。恥ずかしいやら腰のあたりが柔らか気持ちいいやらで顔が真っ赤になってしまった。


「それはそうとミリカ姉。最期、あいつが消える直前に口を動かしてたの、気付いた? なんて言おうとしてたのかなぁ」

「そうなんですの? 全く気付きませんでしたわ~」

 一分いちぶの隙すら見逃さないミリカだ、当然、気付かないなんてことは無かった。


(――デマイズが、フローレスが最期に遺した言葉は『ありがとう』ですわ。殺してくれてありがとう、ですわ。悪趣味にも程がある……)

 思ったより時間を食ってしまった。

 ミリカは思いを胸に仕舞い込んで、合流を急ぐ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る