第26話 "眠り姫"アンリ
「──カオス・エクスプロージョン」
ノワールの上空から懐かしく細い声が響くと、一瞬だけ周りの音が消えて、空間が収縮した。直後、弛緩したかと思えば、一気に破壊の渦が広がった。
魔物と周辺の森林を消滅させて、残ったのは圧倒的な破壊の跡だけだった。それでいて不思議と、ノワールは無傷で泥の中に転がっている。
「……ほら、ノワール。私が来たわよ……もう、大丈夫」
極小サイズの鈴の音のような、美しく耳当たりの良い、今にも消え入りそうな、そんな声が聞こえた。
上空からゆっくりと箒に跨り浮遊して降りてきたのは、黒紫のマジカルメイド、アンリ・テルミドールだ。
「がぼぼ! がんぼッ……⁉」
気付いたノワールは無様にも泥の水面に、うつ伏せになって藻掻いた。
「ごぼっ、げほっ、アンリー‼ げほっ、ふぇえ…… 起きて、メモを読んで来てくれたんだ! ひぐっ、ぐすっ」
泥で全身が汚れて、顔面まで泥だらけになったノワールは、涙を流しながら心底感謝した。『起きたら自分のところに来て欲しい』とメモを残した過去の自分も褒めたかった。
「アンリが居れば、難なく進めそう! 本当に助かるよ!」
「……えぇ、でも、あまり時間が、無いわ……急ごう……」
ノワールは沼に落ちた剣を拾い、掲げて喜び勇んだが、アンリは眠たそうに眼を擦って先を急いだ。
アンリは魔法使いだ。
本人は『魔法』とは呼ばず『魔素コーディング』と呼んでいるが、他から見れば、おとぎ話に出てくるような魔法そのものだ。
この世界で、アンリ以外で魔法といえる技を使うのは、強いて言えばリザリィくらいのもので、それも厳密には魔法とは言えないだろう。
(リザリィの使うクオリアは、まだ論理的だ。アンリの使うそれは……もはや『魔法』としか説明しようがない)
今回もゲートとかいう空間転移の魔法を用いて、ノワールの居るはずの上空に現れたのだが、森林に隠されて見えなかったから、味方以外の全てを吹き飛ばしたそうだった。
「……ところで、こんなところで何をしてたの?」
襲いくる魔物は、2人の周囲を球状に覆っているらしい見えない
「ここにしか生えない、禁断のリンゴを取りに来てさ……」
てへっと肩をすくめるノワールに、呆れたような目線を送りつつ言った。
「それで死にかけるって……あなたには、もっと大事な役割があるでしょう……」
「い、いや、これには深い訳があってね……」
そのように話をしながら、ゆっくり歩いているが、やはり魔物は間髪入れずに襲い掛かってきては、アンリの結界に触れて、無かったことの様にされている。
「……ノワール、まずい、まだ見つからない……?」
半刻ほど探したが、目的の果実は見つからず、アンリの目は半分くらい閉まって来ていた。
瞼の閉じ具合と比例するかのように、アンリの結界の範囲、つまり魔物を自動的に攻撃する範囲が狭まっているようで、侵入してきた大きな魔物はノワールが切り伏せるようになった。
「……ぐッ‼ 猛烈な、峻烈たる、ガツンとくる眠さだわ……」
乗っていた箒も高度が落ちて、ほとんど地面を引き摺るようだ。ノワールとは比較にならないほどの破壊力、応用力を持つ『万能の魔女』アンリ・テルミドールの弱点は、極度の
「アンリがここで寝たら確実に2人ともやられる! 耐えて! あッ、あれだッ‼ 金色に光る、禁断のリンゴ……ついに見つけたぞ‼」
ノワールは視界に入ったリンゴの樹を見据え、一足で届く距離まで近づくと、
「アンリ―! ゲート! ゲート開いて‼ 目的地は……グラス屋敷ならどこでもいいや‼」
「……ふにゃ? ──ふぇート、ぐらしゅ屋敷……」
ややグニャグニャな呪文を唱え終わると同時に地面に空いた穴へ、泥と共にアンリが倒れるように吸い込まれた。ノワールも滑り込むようにして閉じかけの穴へと入って行った。
「……? なんか……⁉」
グラス屋敷の前で蟻の行列を観察していたモカは、第六感によって気配を感じ取った。その場から数歩下がると、空中に穴があいて、そこから泥が滝のように流れ出てきた。続いて、ずるりとアンリが垂れ落ちた。更に、ひと呼吸おいてからノワールが勢いよく着地した。
「うわ、うわうわ、くっせぇ……」
多雨林独特の黴臭いような苔臭いような匂いがあたりに立ち込めていた。
「あ、モカちゃん! 良い所に居た、ここ掃除して、アンリをベッドに運んでおいて! 私は着替えてまた行ってくる!」
「いや、何言ってんのこいつ。絶対に嫌ですけど……」
モカが発した拒否の声は風に遮られて、泥を撒き散らして走り去るノワールには届かなかった。
「……モカちゃん、ごめんね、お願い。もうすぐ、この
こっくりこっくりと頭を揺らしながら、泥まみれになったアンリが言った。
「はぁ~、あんたとは長い付き合いです。そこまで頼まれちゃ仕方ないですね」
モカは水入りのバケツとデッキブラシを用意してきて、寝ているアンリもろとも、庭の泥を掃除しはじめた。
一方、爆速で泥だらけだった身なりを整えたノワールは、急ぎ馬車乗場に向かった。
「ここまで死にかけたりして苦労したんだ、これで機嫌治してよね……!」
金色のリンゴを持って、閑散とした馬車乗場に着いたノワールは唖然とした。
「おー、嬢ちゃんか。あの後、馬がすぐに機嫌を治して運行が再開したんだわ」
管理人が聞きたくない答えを教えてくれた。
「ん? すげぇな! 禁断のリンゴ探して来たのか? もう意味ねぇけど──」
ノワールは涙を流しながら金色のリンゴに齧りついた。
「あーあ、それ売れば高いのに。勿体ねぇなぁ」
ノワールにはリンゴの売価など関係なかった。お金のために、死ぬ思いをして持ってきたわけではなかった。
「ちくしょおおおおおお! なんだこれうめぇあああ‼」
かといって自分で食べるために持ってきた訳でもなかったが、
涙を流しながら食べたそのリンゴは、少しだけしょっぱい味がしたが、今まで食べたことが無い美味しさだったという。
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