第25話 触手凌辱

 求めているリンゴの情報があったカデイシア大森林は、内陸の大部分をすっぽりと包む超巨大な森林だ。東西は距離にして、あの『ゴッタラート大陸縦断遺構』の倍程度に伸びているらしい。と以前、未踏地域の調査を終えたエージェント・マキナが言っていた。


 そんな広い森だから、大体アエスヴェルム北東方向の近隣なら、どこからでも森に入ることはできるが、一番近い街道の入り口を北に入っていくことにした。

「そういえば、あまり立ち入ったことが無かったな。ちょっと楽しみ!」

 大陸の主要な都市等には、ほとんど訪れたことのあったノワールだが、細かな村や施設のほか、未踏地域である『エクサラートの脊椎』『東の最果て』と、ここ『カデイシア大森林』には足を踏み入れたことがなかった。


 時間は日が丁度真上にある頃だったが、森の中は鬱蒼として薄暗かった。樹木が競い合うようにして陽の光を求め、自分が他の植物より高く、重なるようにして枝を伸ばしていった結果だった。

 なんの用意も対策もなく、物見遊山の面持ちで、カデイシア大森林に踏み込んだノワールは、激しく後悔していた。

「くそっ……こんなはずじゃあ……」

 珍しく泣き言が聞こえた。

 対峙していたのは、巨大な甲虫だ。先ほどの乗り合い馬車くらいの大きな甲虫で動きは緩慢だったが、そのノコギリの様な前足を振り回してノワールを食べようとしてくる。その力も見た目通り強力で、打ち合いたくは無く、できれば避けたかったが、この森がそうさせてはくれなかった。

 足元はほとんどが沼の様になっていてぬかるみ、膝近くまで沈んで、とうとう靴の中までも泥が侵入してきて気持ちが悪い。

 もはや捲りあげて腰で縛った、着心地の良かったメイド服も、純白のエプロンも、泥に汚れて乾いた部分は灰色になっている。

 この泥濘ぬかるんだ地面が、ノワールの機動性を奪い、それを奪われるのは彼女の戦闘スタイルにとって致命的だったから、窮地に陥っていた。

 足がうまく使えないから、腕を最大限に活用するしかない。真正面から甲虫の鋸刃と打ち合って、しばらく剣戟の音が鳴り響いた。結果としては、レネィの鍛えた鋼鉄とそれを扱う剣士ノワールの勝利だった。

「ぅおりゃあぁぁ‼ くたばれぇぇー!!」

 甲虫の両手を切り落として、本体の頭に致命的な一撃を加えるだけだったが、足元の泥のせいで、辿り着くまでに思ったより時間を要した。まるで夢の中で走る時に、気持ちは全力だけど全然進まないようなもどかしさだ。

 様々な要素が、すべてノワールに不利に働いた。本来ならすぐに決着がついただろう、今の甲虫1体にかまけている間、威圧的なばかりの物量の敵に囲まれていた。


「魔物だか、攻撃性の高い動物だか……とにかく敵性の生物が、波のように押しかけてくる‼」

 間断なく虫、植物、獣、様々なあらゆる種類の魔物が襲い掛かってくる。それらを回避したり、剣で叩き切ったりと忙しい。

 先ほどのように攻略に手間のかかる甲虫でも現れようものならば、時間を取られている間にまた囲まれる。その繰り返しで、入り口付近から全く動けなかった。

「確かに、未踏地域になる理由も分かる……わ!」

 襲い来る木の枝を払って、何十匹目かの『鞭の樹』を切り伏せても、変化のない大群の光景。何の対策も無しに攻略するのは不可能だと思い知った。

「ここは暴力の森だ、森自体が私を拒んでいるようにさえ感じる」

 悔しいがここは一度、撤退して違う方法を考えよう。そう思って下がろうとした瞬間だった。


 いつの間にか後ろに潜んでいた、巨大な球根状の本体を持つ植物の魔物が、ひげ根の触手を無数に伸ばしてノワールの手足を掴んだ。両手を動かそうとするが、常人に比べて遥かに腕力の強いノワールでも、びくともしなかった。

「わっ」

 そのまま膠着状態が続くかと思いきや、凄まじい力で空中に持ち上げられると、上下をひっくり返された。

 捲って縛っていたメイド服が胸の辺りまで下がり、空中に開け広げられた下半身を守る防具は、頼りない薄布1枚になってしまった。

 ノワールの白い身体に触手を這わせて、栄養価でも値踏みしているのだろうか、触られている方には薄気味の悪さを感じさせた。

「くっ……このっ……」

 手を動かすことができれば、剣で難なく切れそうな触手だったが、力では負けていた。そのうちに剣を握っていた右手を太い触手で弾かれて、剣も沼の中に落下してしまった。


 植物はノワールの身体の凹凸等には興味なく、ただ殺して足元に置いておくことで養分にしたいだけだから、手足をそれぞれの方向に引っ張って、空中でバラバラにしようとしているようだった。今の所はノワールの力と拮抗していて、千切れる様子は無かった。

 だが、ノワールの手足に無限の持続力が無ければ、それも時間の問題だろう。それに、この植物は腹が減っているのか気が短いようで、早くこの美少女を養分にしたいようだった。

「がぼっ……! がぼぼがぼっ……」

 ノワールを逆さに固定したまま、沼に沈め始めた。動かせるのは顔と尻尾と耳くらいで、なんの役にも立たなかった。

「ぶはっ、やめ……」

 首を曲げて、ほんの一瞬だけ口が沼から出たが、すぐに深くまで沈められた。頑張って数十秒間は藻掻いたが、もう限界だった。


(そうだ! 尻尾で剣を拾って……いや無理だ、そんなに重いものを持ち上げられる器官ではない‼)


(うそでしょ⁉ こんな……くだらない…… 馬の好物なんか、採りに来て、死ぬの……⁉)


(いやだよ……パパ、誰か、助けて……‼ まだ、やり残した、ことが……)


 最期の数秒間は、矢の如く過ぎ去っていく現実とはかけ離れて、いくらか考える時間が長く感じた。

 ノワールの意識は、次第に泥に飲み込まれるように、薄れていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る