第27話 馬車道

(んんっ、思ったより揺れるし、雰囲気が暗い。お尻も痛くなってきた)

 規則的な馬の足音と、けたたましい車輪の音だけが響いていた。

 ノワールはガタガタと揺れる、十数人がひしめいた乗合馬車内で、想像と違う様子に戸惑った。もっとこう、何かきらきらしたものを想像していたのだが、現実は暗くて地味なものだった。

 たまに大きく跳ねる時があるが、その度に骨盤の出っ張りがお尻の肉に突き刺さるようで、目的地に着くころには磨り減ってお尻自体が無くなっているのではないかと不安になる。

 ふと両側に開く窓から外を見ると、そんな現実からは逃避して、気分転換を図ろうとした。

「おぉ、こりゃ確かに早い」

 自分で走るよりは断然遅かったが、これだけの人数を、この速さで、御者と馬が居れば輸送できるのならすごいことだと思った。


「……んっ⁉ あれは……?」

 走行中の騒音のせいか、すっかり耳で知覚ができなかったが、遠くに複数の人影が見える。

 馬を駆って……どう見ても悪者の男が数名並走していた。汚れた貫頭衣を羽織って、砂埃を防塵する布を口周りに1周させた、頭をツルツルに仕立てた男達だった。

「だからなんで毛が無いのよ!」

 思わず膝を叩いてそう叫んだ。静かだった乗客たちは、けが無いとは何事かと色めき立って、窓の外を見ると、一様に苦虫を噛み潰したような顔をした。徒歩で行くより安全だからと高い馬車を選んだのに、という気持ちと、これから身ぐるみを剥がされ、どんな酷い仕打ちを受けるのかという諦念で頭を抱えた。

 だがこの正義の化身、ノワールが乗った馬車で、そのような蛮行が行われることは無いだろう。

「みんな、安心して! 私がやっつけてくるから‼」

 しかし所詮メイドの戯言と、乗客たちの渋い顔は止まなかった。ノワールは気にせず窓から身を乗り出して翻ると、屋根へと躍り出た。

「賊共‼ この私が居る限り、お前らの好きにはさせない! かかってこい!」

 屋根上で、改めて敵の数を把握する。5・6……見ていた窓の逆側にも居た。賊の数はノワールが思ったより多かった。

 風に遮られて、賊たちに声が届くことは無かったが、目は惹いたようだった。

 メイドを1人捕えることができれば、そのまま身代金誘拐に発展しても良いし、美人だから他の楽しみ方もある。馬車強盗団は、標的を屋根のメイド1人に決めたようだった。

 1人が縄を取り出して、ノワールに投げつけてきた。先は環状になっており、引くと捉えられる仕組みの投げ縄だ。

 剣を解き放って、縄を切る。そこで初めて気づいた。ノワールには屋根からの攻撃手段が無かった。

 加えて足場の悪さだ、馬車が石に乗り上げたりすると、連動する様にノワールの身体が宙に浮かんだ。


 6人の賊が、次々に縄を投げ始めると、そのうちに誰かの縄に捉えられて、屋根から引き摺り降ろされることになった。

「ぐえぇ~~~ッ‼」

 賊たちはメイドを地面に引き回しながら、乗合馬車から離れていった。そうなると、乗客たちの顔は、晴れて満面の笑顔になって歓声があがった。

 結局、乗客たちに必要だったのは、力強い励ましの言葉ではなく、身代わりの山羊だったのだ。


「うおぉぉ!」

 ノワールは相当な速度で馬に引きずり回されて、一見するともうダメそうだったが、地面のおうとつで大きく跳ねた時に空中できりもみし、体勢を立て直して着地すると、縄で縛られたまま走り出した。

 そうして走りながら体勢が完全に整ったところで、思い切り足でブレーキをかけると、縄を腕に絡ませて持っていた男の肩が外れたらしく、倍に伸びたかと思ったら千切れて本体も馬から落ちた。縄が緩んで解け、自由になったノワールは残りの賊を追い始めた。

 生脚で馬に追いついてくるとは、夢にも思っていなかった賊は恐怖した。メイドの格好をした人型の何かが、剣を携えて並走してくる。しかも仲間が1人、また1人と追いつかれた順番に脱落していくのだ。

 ノワールにとって、馬は自分より遅い生き物だから追うのは容易い。むしろ騎馬中に逃げ道は無いのだから、袋小路に追い込まれた獲物を狩るくらい容易いのだ。

 全力で走って、騎手に飛んで斬りかかるだけだから造作も無い。最後の1人を切り伏せて落馬させると、その足で乗合馬車へと追いついて飛び乗った。


「ふぅっ、終わった終わったー……」

 ノワールが戻った乗合馬車の内部は、再び訪れた静寂に支配されていた。誰も戻ってきた英雄に目を合わせようとしなかった。

「……あれ? 皆さん、どうしたの? に喜んでいい所だよ?」

 悪気なく笑って、そう言うと、剣に付着した賊の血を振って払った。乗客たちはますます背すじを伸ばして座りなおした。

「あ、これよくあるやつでしょ。助けた私が化け物扱いされるやつ! 前に想像したことあるよ、違う?」

 誰もノワールの問いに応えない。ノワールは褒められれば嬉しいが、他の人からの評価など二の次だったから、腫れもの扱いで問題無かった。むしろ、この集団の心理状態を間近で体験出来てラッキーだと思っていた。


(次に口撃が始まり、次に投石が始まって……)

 静かな緊張状態ならまだ良い。乗客の不安が爆発し、暴徒と化して、自分が排斥されることだって考えられる。

 その場合、どうするべきなのだろうか。

 その場合、乗客たちは正義を排斥する悪とは言えないか? 守るべき民が悪ならば……


(こんな時、子供が乗っていれば、無垢な顔して物事の本質を捉えてくれるのが定石だけど……子供が乗ってないや)

 心臓の辺りがぎゅっとして、頭の中がモヤモヤした。

 考えていたら、なんだかやっぱり段々と、立ってなかった腹が、鎌首をもたげてきたので考えるのをやめた。


「わりいわりい、馬が怖がってて、落ち着かせるのに時間がかかっちまった。嬢ちゃんすげえなー、馬車と乗客どもを守ってくれてありがとうよ! 礼を言うぜー!」

 そう言って礼を述べたのは、子供ではなく、御者の老人だった。外からの声掛けだから、大声を張り上げている。

 無の表情になっていたノワールはハッとして応えた。

「どういたしまして!」

 人助けなんていうのは、この台詞を言う事で、ようやくしっくりくるのかもしれない。

「おじいさんこそ、こんなに大勢を運んでくれてありがとう!」

 今回の馬車狙いの野盗退治は止むを得なかったとはいえ、やはり正義の柱は暗躍するのが精神衛生上にも望ましい。しかし、力の強弱に関わらず、差別なく皆がお互いに讃えあえる世界になったらいいな、とノワールは結論付けた。

「どういたしましてだぜ! そんなお礼を言ってくれたのは、お嬢ちゃんだけだ! おい客ども、お前らもお礼くらい言えるようになれよな!」

 これと言って意地が悪くもなく、かといって良くもない、中庸な乗客達は居心地が悪くなって、各々そっぽを向いたり寝た振りをしたりして耐え続けた。


 乗客たちにとって居心地の悪い旅は今しばらく続く。少なくとも、馬車がレモンライムの停留場に到着し、銀髪のメイドが下車するまでは。

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