蜜穴館

第21話 享楽主義者達

『ふぃい~ゆ~♡』

 ノースポールを後にして、屋敷へと急いでいたノワールとリザリィの2人だったが、帰り道の途中で予想外の足止めを喰らっていた。


 ノワールが誘って入った、ゴッタラート大陸縦断遺構の隧道入り口を降下したところにある『温かいお湯の泉』だった。これを2人は通称して『温泉』と呼ぶことにした。

「これぇ♡ 『温泉』……世界最高の大発見ですよぉ~~~♡」

「でしょ~♡ 最高金賞受賞でしゅお~~~♡」

 2人はたまに一緒に屋敷のお風呂に入ることはあったが、大自然の中で裸になって、熱いお湯に浸かるのは格別だった。リザリィ曰く、お湯の成分も屋敷のものとは違うらしい。

 出会った時から身体的な快楽に弱かった2人は、そんな訳で、かれこれ2日はここに貼り付けられていた。


 寝ては温泉に浸かったり、じゃれあったり、のぼせては風にあたった。右手を失ってやり辛そうなリザリィの身体を洗ってあげたり、逆にノワールの背中を洗ったりして、夢のような時間を過ごしていた。

「のんたん、助けに来てくれて、ありがとう」

 そろそろ温泉の快楽に慣れてきたのか、座って普通に喋れるようになったリザリィが言った。

「んーん、リサを助けるのなんて、当然だから気にしないでー」

 ノワールはうつ伏せになって浮かんでいた体を、ひっくり返して返事をした。

「……結局、アンテセッサを操っていたのって、何者だったんでしょうね」

 ずっと引っかかっていたことを聞いてみた。

「んー……『』かな!」

「魔の、王……? そんなのが居るんですか⁉」

 リザリィはギョっとして聞いた。

「んー、居るんじゃないー? 魔王、ダセぇー! ぶわーっはは!」

 ノワールが笑うと、2人とも思わず噴き出して笑った。

「ぷふふッ、いや私は真面目に聞いているんですから‼ 魔王って‼」

 このように、2人が完全に温泉の魔力から抜け出せるまで、あと1昼夜を要した。


 縦断遺構を帰る際、リザリィが考案した『ウマの様な娘走法』によって、時間の短縮に成功した。

 その方法とは、ノワールがリザリィと荷物を背負って、全速力を出して走る。すぐに溜まる疲労のクオリアを、背負われたリザリィが絶え間なく取り去るというものだ。

 単純で馬鹿馬鹿しいが、実際に半日で遺構を縦断する事に成功した。

「途中から捨てないでとっておいてみたんですけど、これ、付与したら疲労で人を殺せるかもしれませんよ!」

 リザリィは自分の身長程にも育った鈍灰色のきらめきを見せつけて、はしゃいでいた。

「あー疲れ……てない……怖い」

 ノワールはいくら全力で走っても疲れないから違和感がすごかったし、途中で飽きてきたから休もうと思っても、すぐに飽きのクオリアを抜かれるので、何だか恐ろしくなった。


 屋敷に着く頃には、日が完全に落ち、丁度夕飯の頃合いだった。

「お姉ちゃんだ‼ おかえり!」

「リザリィ、その右手……どうしたんだ‼」

 2人はそれぞれの反応で出迎えられた。

 今回の冒険の説明を兼ねて、いつもの一家とレネィ、リザリィの皆で食卓を囲んだ。

 偽モカ達ヘミテウスのこと、アンテセッサのこと、魔素による隷属が行われていたこと、あとの大半は温泉の話だった。

 エリクはリザリィの右腕を心の底から心配していた。

「これですが、私はそんなに悲観していないんですよ、また生えてくるかもしれませんし……」

 そんな訳はないだろうと、やはりエリクは憐憫の眼差しでリザリィの右手を見た。

「とにかく、命だけでも無事で良かったじゃねぇか。死ななきゃ勝ちなんだよ」

 レネィが豪快に肉を喰らいながら言った。

「ほーなんれふよ」

 リザリィは隣についたノワールに食べさせてもらって、すっかり満足そうだ。旅の間、ずっとやってもらっていて、癖になりそうだった。

 手が無いと食べさせてくれるし、体を洗ってくれるし、洗われるのははちょっと恥ずかしくてくすぐったかったが、こんなにノワールの優しさに触れられることは無いなと思っていた。

 ノワールはノワールで『あ~ん』とスプーンをリザリィの口に持っていけば、お口を開くのが可愛いし、もぐもぐしているのを見るのも、赤ん坊の世話をしているみたいで愛おしかった。つまり相互利益になっていた。


「いーなぁ! ノノアにもやってよ、あ~ん♡ ががぼぉ!」

 ノノアが真似して大きく口を開けると、ノワールは即座に長いパン1本を喉の奥まで突っ込んだ。

「どう? 美味しい? お姉ちゃんの食べさせてあげたパンだもの、美味しいよねぇ。あはははっ!」

「わははっ、こういう鳥、見たことあるよな!」

「やめてあげて下さい! もう! ジャムも塗らずに……」

 そんな風に笑いの絶えない、楽しい夕食の時間は過ぎていった。


 ノワールは久々に自室で寝ることになった。どこでも良く眠れる体質なので特段感慨というものは無かったが、精神的に疲れていたのか、この晩は特に良く眠れた気がした。



「ノワール、起きてください、大変なんですよ」

 数日後の朝、モカが大変じゃ無さそうな無表情で、ノワールを揺り起こした。

「むにゃにゃ? モカちゃん? おはよう……」

(そうだ、モカちゃんに精神感応能力テレパスがあると知ったことは黙っていてあげて欲しいと、ゴッタラート縦断遺構の中間辺りから下に降りて西にある廃墟で、モカちゃんと同じ顔した種族の人達に言われたんだった……)

 ノワールはベッドから起き上がると、しまった。しかも隠すどころか全てを克明にイメージしてしまった。

「あああ、思っちゃった! ごめん! ていうか心の中身隠すのなんて無理じゃない⁉」

「……? 心の中身? 何、言ってるんです?」

 モカは一瞬の間を置いて、いつものように両手でピースサインを作り、首を傾げながら答えた。

「あれ? モカちゃんにはテレパスが無いのかな? じゃあ勘違いかな~、モカちゃんってどこ出身なの?」

 どうやらモカに能力は無いらしいと安心して、ノワールは急ぎ朝の支度をしながら訪ねた。

「ゴッタラート縦断遺構の中間辺りから下に降りて西にある名も無き集落でしたね。今は廃墟と化しているはずですが……」

「……もろにそこじゃないか!」

 ノワールの頭はこんがらがったが、心が読めるわけでは無さそうだった。

「まぁそんな下らねーことはどうでもいいんですよ、大変なんですよ。聞いてください」

 メイド服に袖を通し、リボンを絞めながら、ノワールの耳はモカの方向へ向いていた。

「こないだ、ノノアが魔族信仰の施設をぶっ潰したじゃないですか。そこの残党どもが集まってるっぽいんよ」

「ぽいんよ。って」

 着替えが終わったノワールは、髪の毛を解かしながらも、耳はピクピクとモカの方へ向けて忙しい。

「ミントグラス郊外、アエスヴェルム寄り南の娼館『蜜穴館ハニーホール』に潜入して、再度ぶっ潰して来てくださいよ」

「潰す……なーんだ、いつも通りじゃない。ん? 『しょうかん』ってなに?」

「……」

 準備のできたノワールが、洗面台へ向かう前に尋ねると、モカは露骨に目を逸らして黙った。

「行ってらっしゃい」

「え、なに、なんなの⁉」

 これは何か、ただならぬ秘密を隠しているな。ノワールはそう感じ取った。


「ところで、モカちゃんと同じ顔の種族って、何人居たんです?」

「ん? 3人居たよ」

 やっぱり同郷の人のことが気になるのかな、と思いつつ、ノワールは早速、魔族信仰残党の根絶へ向かうことにした。

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