第20話 聖獣アンテセッサ

「仕返しですよ、これで御相おあいこでしょう」

 アンテセッサはご満悦だった。ずっと煮え湯ばかり飲まされて来たこのクオリスに、致命的な一撃を加えたのだ。

「いやぁああ‼ リサ! リサぁ‼」

 ノワールは泣きそうになりながら、リザリィの手を拾って駆け寄った。

「ぐぅ……痛っ、た……」

 当人はうずくまって真っ青な顔をしていたが、凄まじい速さでまず痛みのクオリアを抜き、口を使って傷の根本を紐で縛り、氷のクオリアで覆って応急処置を施した。真っ青だったのは、単純に血液が流れすぎたからだった。

「リサ……手、手が……ほら、これ」

 拾ったリザリィの手を本人に見せつけて言うノワール。

「手は、くれてやりました。のんたん……次に奴が狙ってくるのは私の頸椎です。首を牙で狙うはずです。お願い、あいつを絶対に捉えてね」

 リザリィはそう耳打ちして、残った左手でノワールの頬を撫でると、アンテセッサとノワールに背を向けて後ろに駆けだした。

「くっくく、自分だけ逃げ出すとは無様ですね! さ~て、次は脊椎を首から引っこ抜いて、骨髄を啜りましょうかね。それとも足を両方もいで……やっぱり骨髄が舐めたいなぁ」

 リザリィの予想は、嫌と言うほど当たっていた。


 次の瞬間にアンテセッサは地面を蹴って、直線状に構えるノワールに邪魔をされないよう、斜めに45度の角度をつけて突進した。リザリィとの距離を半分ほど進むと、90度方向を変えた。方向転換の際に減速は一切しなかった。

 その方向転換を終える前の一瞬の短い時間だったが、ノワールは焦燥感で圧し潰されそうになった。手に汗が滲み出て、足が冷えて全身の力が抜ける、そんな感覚を味わった。

(どうしよう、あいつ、私より速い、追いつけない、私、守れない……? リサが、殺される‼)

 そう思って、リザリィの死の予見という過大なストレスがかかった瞬間だった。

「あれ? なんでゆっくりになっているんだろう??」

 周囲から音が消えた。アンテセッサが光を纏って、リザリィに向けてゆっくりと進んでいた。追いかけられているリザリィに至っては、止まっているのに等しい。鬱陶しく顔にぶつかってきていた雪も、空中に滞留して見えた。

 これは幸いとノワールは走って、いとも簡単にアンテセッサに追いつくと、首へ細剣を突き刺した。


 パン!

 また例の破裂音がノワールの耳に入った。

 その音と同時に、雪は元の通りに猛烈な勢いで吹雪きだし、風雪の音が鳴り響く。

 アンテセッサは唐突に致命傷を与えられ、そのままつんのめってリザリィに激突した。

「きゃあっ! ……あっ、私、死んでない! のんたんがやってくれたんですね!」

 雪の上に押し倒されて、半分埋まった状態になったリザリィは、何とか藻掻いてアンテセッサの下から這い出した。

「こ、これ以上は、好きに、させねぇ……出ていき……やがれ」

 アンテセッサは倒れた状態で身をよじって、ぶつぶつと呟いていた。

「もうやめろぉぉ‼ 頭ッ……いやだっ……うわあぁぁ‼」

「な、なに……⁉ どうしたの? 急に……」

 呟きが絶叫に変わって、走り寄ってきたノワールがうろたえた。

「落ち着いてください、アンテセッサ。辛かったですね、今、楽にしてあげますからね……」

 怖れることなくアンテセッサの頭に手をやると、膝枕をして安静にさせた。

「やっぱり、何となく理解できてきましたよ。この頭の中の小さなモヤモヤが『魔素のクオリア』なんですね」

 リザリィはアンテセッサから『苦痛のクオリア』を抜きながら言った。

「ううぅ、クオリス……クオリス」

「この子は、何者かに操られています。『魔素』と呼ばれている、確かアンリさんも使役する媒体でしたっけ……それに侵されているようです」

 アンテセッサの頭から背中にかけて、毛並みをなぞりながら撫でる表情は、暗い。

「……ですよね? ノースポールの伝説、三位一体の聖獣アンテセッサ。私達が消滅させた他の、もう一体はどこに?」

「そ、うだ、操られて、こんなみじめな……も、もう一体は、自分を取り戻して、また操られる前に、と、自ら腹を破って、死んだ……私も、早く殺して。あんた達……クオリス達……イヒカ様に、申し訳が無い……」

 アンテセッサは途切れ途切れに、涙を流しながら話した。

「聖獣……操られていたのか。でも、今は正気に戻ったじゃない」

「のんたん、あなたはどういう訳か、魔素を消滅させる力があるようです。それで一時的にですが、アンテセッサは正気を取り戻しました……が、私も認識して初めて分かりましたが、魔素というのは空気中に満遍なく存在しているようです。一時的に自我が戻ったところで、またすぐに操られてしまうでしょう」

 ノワールが今まで経験してきた、あの弾かれるような感覚は、魔素に干渉して消滅させている結果、返ってくるものらしい。

「……今まで自我を取り戻す度に、想像を絶する苦悩を抱えていたはずです。永い、本当に永い間、ノースポールの守護者として存在していたんですから……」

 アンテセッサは震えて、じきに息が荒くなってきた。

「……っぐ!」

 聖獣は自らの意に反して、上半身を捻ってリザリィの脇腹に噛みついた。牙は深く突き刺さり、鮮血が衣服や周辺の雪を染めた。ノワールは歯噛みしながらも、剣を下げて見守っている。

「もう、ダメだ……やく、はやく、殺して……クオ、リス、お願い」

 涙を流しながら、懇願した。リザリィは噛まれても尚、優しく撫でながら続けた。

「ここで、私が……終止符を打つしかないんです! クオリスの長として、ノースポールの酋長として……!」

 何とかして助けたかったけど、どうにもならないから、アンテセッサと自分に対する言い訳として、決意を口にする必要があった。涙を堪え、短剣を高く振りかざすと、叫んだ。


「正義を‼ 執行します‼ この聖獣のクオリアが、安らかでありますように!」


 短剣を深く突き刺して、アンテセッサの体内にある『存在のクオリア』を分解した。

「……あぁ。リザリィよ、ありがとう……」

 最期にそう言い残して、リザリィの膝に抱かれた聖獣の存在は光となって消滅した。

「……それは、こっちの台詞ですよ……永い間、ノースポールを……守ってくれて……ありっ、ぐぶっ‼」

 破れたお腹を左手で押さえ、ぜぇぜぇと、肩で息をしていたリザリィだったが、ついに血を吐いて倒れ込んだ。

「あ……あえ?」

 ノワールは状況がヤバすぎて一瞬アホになってしまったが、気を取り直した。

「えっと、リサが自分を治す前に倒れたら、ヤバい! ……そうだ、里の人たちなら‼ 急げッ‼」

 リザリィは里までもつのか分からないくらいの満身創痍だ、ノワールは全力を尽くしてノースポールの里まで運んだ。



 アンテセッサとの闘いから7日ほど経って、すっかりと雪国の生活にも慣れたノワールは、今日もクルム森林へやってきて、リザリィに供えるためのキノコを探しに来た。

「どうして見つからないんだ、リザリィの好きだった『雪割キノコ』……」

 悲しいような、懐かしいような表情で、黙々とキノコを探す。


「ちょっとちょっと! 死んだみたいな言い方しないで下さいよ‼」

「わあぁーーびっくりした‼ リサ、目を覚ましたんだ! 良かった、もう大丈夫なの⁉」

 膝を地について作業しているノワールに、リザリィが後ろから飛びついた。

「のんたんと里の皆のおかげで助かりましたよ! キノコにうなされる夢を見ました。現実にも起きたら枕元にキノコが大量に供えてあって……」

 ノワールはリザリィを背負ったまま起き上がった。

「うわっと! のんたん、早速ですけどお屋敷に帰りませんか? すぐにでも試したいことがあって……」

「いいよ、リサの体調が良いならすぐに出よう! じゃあ飛ばすよ~‼」

「うわぁ、わはは! 早い早い‼」


 ノワールが承諾すると、全速力で疾駆して里へ向かった。

 2人で里の皆に短い挨拶を交わすと、屋敷への帰路につくこととなった。

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