第18話 クオリスの本領

 円筒に沿うように湾曲した下り階段を降り、入り口の対角線上に来たのか、左手の壁に変化があった。

「ここの扉で行き止まりです。この先は、我々ノースポールの民が立ち入ったことの無い聖域となっ⁉──えぇっ⁉」

 リザリィが案内する指先は、巨大な爪痕によって破壊された扉と、地下へと続く真っ暗な入口を指していた。

「なんてことを……踏み入ってはいけない聖域だというのに……‼」

 畏れか怒りか分からないが、リザリィは声を震わせて言った。

「──わくわくしますねぇ‼ ノースポール民はもちろん、歴代の酋長でも、誰もこの先を見たことは無いんです!!」

 次の瞬間には、眼を宝石の様に輝かせて、胸の前に手を握って、ワクワク・ポーズをしていた。

「切り替え早! 好奇心!」

 リザリィの切り替えの早さは超一流だった。そもそもクオリス全体が、すぐに『悩みのクオリア』を抜いて白黒を決したがる癖があった。


 破れた扉と、下り階段の先には、氷の外壁が乱反射させた光の届かない、真の暗闇があった。

 ノワールは背負っていた荷物からランタンを取り出すと、燐寸を擦って火を灯した。

 何も言わなくとも辺りから『明かりのクオリア』を抽出しているリザリィと顔を見合わせて、笑って頷いた。

 階段、と言うより壁を伝って螺旋状に伸びた水晶の梁が、等間隔に下っていた。中央は吹き抜けになっており、眼下には奈落まで続いているかのような深い暗闇が口を広げている。

「暗いけど、すぐに1番下に着く……って考えるのは愚かだよね? こんなところでアンテセッサに襲われたら……ひとたまりもな──」

 言い終わる前の瞬間だった。ランタンの光に獣の目が反射して、一瞬早く気付いたノワールは、身をよじって喉笛目掛けて切り裂こうとしてきた爪を回避した。

「うおぉ! あぶ……リサ、気を付けて‼」

 リザリィも慌てて護身用の短剣を構えて身を守りながら、先ほど抽出した明かりのクオリアを中央の吹き抜けに投げ捨てた。

「全然足りませんっ! けど、奴は見えましたね!」

 足元の少し先まで無数に散った明かりのクオリアが照らし出した。

 光に浮かび上がってきたのは、以前来た時に奇しくもこの2人が消滅させたはずの魔獣、酋長の仇、アンテセッサだ。

 まごうこと無き漆黒の毛皮に吊り上がった瞳、鋭い牙と爪を持った巨大な狼は苛立ちを露にして言った。

「また邪魔が入ったと思ったら……この間の騎士とクオリスですか……」

 どうやっているのか、石壁に張り付いて、ノワールと睨み合っている。

「『また』邪魔しに来ましたよ、今度は確実に仕留めますからね!」

 言いながらリザリィは不思議に思っていた。以前も、確実に仕留めたはずだった。肉体の消滅はもちろんのこと、クオリアが崩壊して霧散するのも確認した。構成するクオリアの崩壊は、存在の崩壊と同意義だ。『死』ではなく『消滅』なのだから『復活』もあり得ない。

「……全く、ここをどこだと思っているのです? 『聖域』ですよ? クオリス風情が」

 リザリィは面食らったが言い返した。

「なっ、こ、こっちのセリフですよ! 早く出てってください!」

 生意気なクオリスめ、とでも言ったつもりだろうか、アンテセッサは咆哮すると、壁を走ってノワール達に襲い掛かってきた。


(まずい……この状況は、やられる!)

 ノワールは獣とリザリィが口上を述べている間に、状況を分析していた。

 この魔獣はここで、待ち伏せをしていたのでは無いかと思うほどに不利だった。

 第一に足場。落ちたら即死と思われる上に、足元の幅は狭く、突き出した梁と梁の間が遠く離れている。一歩も動けない。

 第二に暗闇。左手がランタンで固定される、これはまだいいが、アンテセッサの被毛は光を反射しない、完全な黒だ。この視認性では、相手が透明であるのと等しいだろう。

 第三は奴の機動力だ。奴は壁を走ってくる。ノワール達は壁を走れない。つまり不利ということだ。


 ギィン!

「くっ……!」

 重い金属音が鳴った。ノワールは辛うじて剣で爪を防ぐが、そのまま体勢を崩して梁に手がついた。

「きゃあっ!」

 続いて後方から金属音とリザリィの悲鳴が聞こえる。リザリィは短剣を構えてはいるものの、その剣技は護身用の域を出なく心許ない。

 と、ノワールが心配していた所、体勢を崩したリザリィは、あっさりと落下した。


「……」


「うそだ! やだやだやだ!」

 ノワールは状況を理解すると、真っ青になってランタンを放り投げた。後のことを考えるより先に、梁に手をかけて足のバネを最大限に使い、リザリィ目掛けて跳んだ。

「うわぁっ! あ、ありがとう、のんたん!」

 そのまま剣をリザリィの外套に引っ掛けると、壁に剣を突き立たせて吊下がった。

 幸いにも真下に梁があるが、状況は絶望的だった。ノワールはゆっくりと剣を引き抜いて、リザリィと共に下へ降りると、そのまま前に立って庇う形になった。

「リサ、お手上げかもしれない。この暗闇じゃ相手も見えないし、この足場じゃあ……」

 リザリィは、ふふふん、と得意げに鼻を鳴らすと小声で言った。

「のんたん、よ~く辺りを見てください」

 ノワールが見回すと、小さな明かりが動いているのが分かる。

「あっ! あれは明かりのクオリア⁉ なるほど!」

 その明かりは2人に向けて素早く近づいてくるが、ノワールの剣に阻まれて、舌打ちを残して引き返した。

「さっき交錯した時に、余ってたクオリアを付与したのです!」

 リザリィはぼんやりした普段からは想像できないほどに、意外にもしたたかだった。そういえば前も、今も、ずっとそうだった。

「ふふん、ふんふん、そろそろすごいことが起こりますよ?」

 小さな凍結音……ノワールは初めて聞いたが、そう表現するしかない音が徐々に大きくなって、やがて入口の方から順に轟音となって顕れた。

 水晶の梁を繋ぐように氷の階段が出現し、吹き抜けとなっている中央の天井からは、大きな柱をかたどった巨大な氷が伸びていく。そうして上下をしっかりと繋ぐ柱になった氷には、明かりのクオリアが乱反射し、この竪穴全体を氷の進行と同時に上から下まで照らし出した。

「わぁ、すごい……!」

 ノワールはあまりの出来事に口を開けて、間抜け面に、間の抜けた台詞で驚嘆するしかなかった。

 クオリスの一生で、最も接する機会が多いのが『雪のクオリア』と『氷のクオリア』であり、当然ながら技の練度が違った。氷や雪に関しては、別次元の力を発揮できる。

「見ましたか、これが我らクオリスの本領『氷結彫刻フロストスキュルテュル』! どうですか、アンテセッサ! これでお前の有利はありませんよ!」

 リザリィは腰に手を当てて、今はもう光に照らされて露わになった魔獣の姿を、短剣で指して言った。典型的な挑発のポーズだ。

「チッ、小賢しいクオリスめ……っ」

 ノワールが間髪入れずに放った剣圧の刃を躱しながら、アンテセッサが舌打ちした。

「騎士も癪ですね……クソっ」

 アンテセッサも大人しく、されるがままという訳では無かった。壁面や新しくできた足場、縦横無尽に空間を使って2人に迫る。

「流石の速さだけど、姿が見えていればどうということも無いね!」

 ノワールは剣を持った右手を伸ばして構え、突進してくる魔獣に気を合わせると、一歩下がって反動を付けた渾身の突きを放った。

 ノワールの剣が魔獣の口腔を突き刺して、霧散させた。

 直後、何故かリザリィの高い喚声が響いた。

「違う‼ のんたん、今のは囮です! 奴は上です!」

 いつの間にか入れ替わっていたのか、いや、ノワールが迎え討ったのはどうやらいたらしいガンドだった。

 常人ならばそのままアンテセッサの爪で、首の大事な血管がやられていただろうが、ノワールは柔らかい身体をぐりんと捻転させて、そのまま上方向へ半月状の斬撃を放った。

 刃は魔獣の爪を遮って止まり、迫り合いになった。

 アンテセッサは両手と牙も凶器だから、空いてる方の手を、梁に背を付けて防戦するノワールに繰り出した。

「くっ……う!」

 ノワールは剣を持っていない方の手で、何とか魔獣の爪を抑えた。掌を切り裂かれて、鮮血が氷の階段に飛び散った。

 すると今度は、アンテセッサが大きな口を開くのが見えた。

 後ろからは、リザリィが走って近付いてくるのが、信じられないくらいスローに見えた。

「流石に……口同士で押し合いは嫌だな……」


 ノワールは、覚悟を決めて目を瞑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る