魔獣アンテセッサ

第17話 イヒカ壁画

 隧道を抜けたら、そこは雪国だ。

 雪が見上げるほどに積もった、真っ白な景色に、隧道の上半分だけ露出した出口だけが真っ黒に目立っている。

「う~……久々に来ると、やっぱり寒いな~~」

 ぴょこん、と猫耳型の帽子が現れると、雪を登ってノワールが姿を現した。隧道内の暗闇も、眼がだんだん慣れてきたので、走ってすぐに辿り着いた。まだ日は真上に来ていない。

「なんで外套を買わなかったんだろう……」

 用意してきた防寒具を完全装備して、対策はばっちりだと思っていた。

 しかし思い出以上に寒くて、十分だと思われた装備では少し足りないくらいで泣きそうになった。

「早くリサを見つけて、熱のクオリアを付与してもらおう……」

 切実な想いを持って、ノースポールを目指した。


 隧道の終わりから遺構の終点はすぐだ。完全に崩落した遺構を降り、北へ直進する。ノースポールの里までは、距離にして遺構踏破の10分の1程以下かと思われるが、体感は同じか倍くらいの長さに感じる。

 とにかく走り辛い。ノワールは、雪は綺麗だと思うのと同時に、忌々しくて嫌いだった。


 半日ほど走り続けると、懐かしい里が見えてきた。

 円形の土地を木の柵で囲った、急勾配の三角屋根が特徴で、背の低い家がまばらに立ち並ぶ、広くない集落だ。

 以前に来たときは、うるさくはない程度に人の気配がしていたが、今は他の雪の土地と同じように、しんと静まり返っていた。

 ノワールは嫌な予感がして、里の中央に位置する一番大きな家、酋長の家に飛び込んだ。

「おじいちゃん! ……おじいちゃん?」

 やはり中にリザリィの祖父である酋長の姿はなかった。

 家の奥の居間には、村人が何人か寝かされていて、動けるらしき人が慌ただしく看護していた。

「村の人たち、何があったの? おじいちゃんはどこ?」

 何が起こったのか、大体は分かっていたけど、確認しなければならなかった。

「酋長は、還ったのだ。どういう訳だか分からないが、この里に再来したアンテセッサによって、還されたのだ」

 リザリィの外套と同じ模様の布を纏った、背の高い壮年の男が言った。

「……」

 やはりか、と予想はしていたが、ショックを受けたノワールは目と耳を半分伏せ、エプロンの裾を握りしめて言った。

「ごめん……なさい。あの時、私がリサを連れて行かなければこんなことには……」

 2年前に、リザリィを里から連れ出した直接の原因は自分にある。リザリィが残っていれば、こんな惨事にはならなかったと思ったノワールは、罪悪感でいっぱいだった。

「それは気にするな、外界の戦士よ。リザリィ様は放っておいても居なくなっていただろう、時間の問題だったはずだ。それに人はみな、過去の選択というのを、後悔したがるものだが、悔いても意味はない」

 リザリィと似た、優し気な笑顔をノワールに向けて向けて言った。ノースポールの住人達は、外界の人間と違った、特別な哲学や死生観を持っているように感じた。

「……うん、悔いていても、意味がない! 私にできることを……決着をつけてくるよ。この手で、責任をもってわからせてやる!」

「あぁ、頼むぞ。リザリィ様は、奴らの足取りを追って、ワッカの神坐かむくらへと向かった。あと良かったら、これを着ていけ、外界の戦士よ、寒そうだ」

「実は寒かったんだよ、ありがとう! 行ってきます!」

 そうしてノワールは、頂いたノースポール伝統の外套を羽織ると、目的地に向けて走り出した。


 ワッカの神坐は、以前ノワールがこの土地に来た際、ラインホルツ山を登りながら、リザリィから『神性のクオリア』やら『純氷のクオリア』やらを注入された場所だ。

 あの時は無我夢中だったしクオリアによる興奮状態にあって、あまり良く観察していなかったので道があやふやだったが、リザリィが立ち去ってからさほど時間が経っていないらしく、足跡を辿って行けばいいのだと気付いた。

 足跡は透明な氷で出来た洞窟へと入って行った。ノワールも人2人分ほど空いた入口から侵入すると、短い廊下の先、祭壇のように見える台の前にリザリィは居た。ボーっと立って、上を見上げて、居た。

「あれっ、のんたん……何でここに?」

 リザリィは、声のする方向へ顔だけ向けると、力なく笑って言った。内部は氷の壁に外の光が屈折しているのか、室内とは思えないほどに明るかったから、虚ろに笑う潤んだ目がしっかりと見て取れた。

「おじいちゃん……やられちゃったんだって。ここは、里の民のクオリアが行き着く場所でもあるので、挨拶もしてたのです……」

 涙を限界まで湛えた瞳を伏せると、真珠のような大粒の涙がこぼれ出た。

「村で聞いたよ。私は、リサの指令を早く終わらせるために、手伝いに来たんだ……でもさ、リサ、今はゆっくり泣きなよ。泣いてから、先に進もう?」

 こういった負の感情は精神衛生上、溜め込まないで放出した方が良いのは、ノワールが一番分かっていた。

「うぅっ……ぐすっ、のんたぁんん! ぐずっ、ずるるる~~!」

 リザリィは優しくしてくれるノワールに抱き着いて、その豊かな胸に顔をうずめて、堰を切ったように泣きじゃくった。

「よしよし……ん。思ったより鼻水が……」

「っはふぁー! 気が済みました‼ のんたん、一緒にまた、あの憎きアンテセッサをやっつけましょう!」

 若干顔が引きつっているノワールをよそに、リザリィは腫れのクオリアを目から抜き去って気持ちを切り替えた。

「と、ともかく、村をあんなにして……何より私のリサをこんなに泣かせたのは絶対に許せない‼」

 ノワールも胸にできた鼻水の橋を手拭いで取り去ると、決意を新たにした。

「痕跡は、奥まで続いているようです。奥は行き止まりのはずですが……行ってみましょう」

 2人は祭壇を正面に見て右の通路に進んだ。


 神坐の内部は静謐だった。入口から純氷の壁をずっと反射しているのか、どこまで行っても透明な明かりが柔らかく道を照らしている。空気が冷えて引き締まり、背すじが伸びてしまうような雰囲気。もしも神が居るのならば、このような場所に居るのだろうと、そう思わせるに足る場所だった。

「リサはさ、神様……確か、イヒカ様。の存在を信じているの? 本当に居るのかな?」

 神という存在に対し、どちらかというと否定的なノワールは、純粋な興味から聞いた。

「それはもちろん巫女っていう位ですし、信じていますよ! 本当に居るかは分かりませんが、居ても居なくても、神はそれぞれの信じる民の心の拠り所として在ればいいのです」

 心の拠り所を神というのならば、ノワールの中の神は、この腕の筋肉と剣だ。抜き身で持っていた柄を握りしめ、刀身に目をやると、鋭い光を反射させて返事をした。気がした。

 コツ、コツと、2人分の足音だけが、厳かな氷の通路に響く。

 この建物の中央は円筒状になっているのか、通路の先は左側に曲がった下り階段になっていて見えない。進行方向に向かって左手の壁は氷ではなく石で出来ているようで、その壁面には独特なタッチの絵が描かれていた。

「黒い獣。これはアンテセッサだよね。それと、この服の模様はノースポールの民だ」

 通路全面を使って描かれたアンテセッサの絵は3つあった。里を悪いものから守っている描写が多く、どう見ても悪い獣の様には描かれていなかった。やはり聖獣であったというのは、壁画によると事実らしかった。

(少なくとも、12年前に『狂う』前は、こんなにも穏やかで優しい描かれ方をしていたのに……)

「あ、この神々しい人が『イヒカ様』だね!」

 壁画の中には大きく取り上げられた人物が、1人だけ居た。明らかに他の村人とは描写のされ方が違うから、それこそが壁画を遺した者達にとって大切なことだったのだろう。

 透き通った白い肌、濡れて澄んだ氷のような蒼い髪の毛をなびかせて、地面に川を作っているようにも見える。耳は尖って長く、見たことの無い不思議な尻尾が生えている。瞳を閉じて、ラインホルツ山の頂から麓のノースポール全体を抱いている、そんな絵が描かれていた。

「こんなに大きな人は、見かけなかったね」

「ふふ、私も見たことはありませんから、物の例えでしょう! ──しかし、こうしてアンテセッサが居たんですから、もしかしたらイヒカ様もいらっしゃるのかも知れませんよね」

(しかし居るならば、私達クオリスが危機に陥った12年前も今も、助けてくれているのでは……となれば居ないか、助けに来れない理由が……?)


 そんな話をしながら、2人は階段状になった通路を先へ進んで行く。

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