第11話 抗魔パルチザン

「……ッ!」

 振動が伝わってくるような重い金属音と共に、ノワールが咄嗟に出した剣の、残っていた刃が全て折れ飛んだ。唐突に気配が現れたと思ったら、空間が裂けて何らかの攻撃を受けたのだ。


「勘のいい奴だな」

 声は、老人の男か女だ。いや、壮年の男の人な気もするし、小さい女の子のような、つまり正体が掴めない。

 先程の攻撃があった空間から姿を現してきたのは、記憶の彼方にある、だが強烈に覚えのある顔だった。正確には顔があるべき場所に、それらしきものはなく、緩やかな凹凸が見られるのみだった。

 12年前、因縁の相手──

 いびつに細長い手足。皮膚とも鱗とも分からない、磨いた鉄のようにツルツルな全身。前回見た時と違うのは、山のように大きかった体が、大きな人と同じ程度のサイズである点だった。


「なんで、なんでお前が……」

 ノワールは、ブワっと全身の毛が逆立つのを感じた。こいつにやられた、恩人であるクラウスのことを想って自然と涙が溢れてきた。

「お姉ちゃん、どうしたの⁉ こいつ、知ってるの⁉」

「……知ってるよ、忘れもしない。私の最初の記憶にこびりついている、悪魔だ。……貴様ぁ‼ こんなところで何をしているッ‼」

 ノワールは尻尾を膨らませて、耳を寝かせて、歯を剥き出しにして、叫んだ。

 剣があったら何も厭わずに突撃していた。いつもあるはずの剣が無いことで、冷静でいられた。

「ご覧の通りだ。供物から魔素を蓄え、ついでに人間を手先に変換している。全く、人間というのは。破滅から自分だけ救われようと、何の根拠もない甘言を信じて、自ら死を早めにやってくるのだ、愚かすぎて閉口するだろう?」

 閉口するとは言うが、淡々と発したその言葉に感情はなかった。

「『新しい神』……やっぱり、救うなんて嘘だったんだね! 許せない‼」

 ノノアも構えて言った。

「人間が愚かなのは否定しないけど、貴様らに好き勝手される道理は無いッ!」

 ノワールが完全に刃が喪失した剣を向けてそう言うと、魔族は何かに気付いたようだった。

「大きい方の小娘、貴様は前に感じたことのある怒りの波長だな。影を倒した『』に似ている」

「……『騎士』は、お兄ちゃんは、死んだ。あそこに居たお前みたいな奴は、私がバラバラにしたはずだ」

 魔族を睨みつけて視線を外さずに言った。

「ほぉ、貴様がか。あの影はこの地方を攻め落とすべく、相応の労力をかけて造ったものだった。私だけでなく、他の奴らも想定通り攻めきれていないと思っていたが、そうか。人間の中には、他にも貴様のような邪魔者が居るのだな、死ね」

 話に何の脈絡もなく、前触れも無く激しく爆発した。

「なっ……⁉」

 刹那の余裕もないように思える大爆発だったが、ノワールはどうやったのか、身を翻してノノアを押し倒すと、そのまま覆いかぶさって爆発をやり過ごした。

「躊躇なく自爆した……⁉ つまり、こいつも、昔に殺った奴も、本体じゃないってことね……ノノ、平気?」

(ノノアは平気……だけど、お姉ちゃん……髪の毛が、半分黒くなって……目も真っ赤……)

 ノワールの下敷きになっていたノノアは、うん、とだけ返事をした。

『あの強大な影を殺ったくらいなら、この程度は流石に避けるか。厄介な奴だな』

 たった今、自爆したはずの魔族の声だけが空間に響く。

「お前ーー‼ どこ行った‼ お兄ちゃんの……許さんぞ! 出てこいッ、卑怯者‼ くそっ……」

 涙を浮かべて無い剣を振り回すノワール。

「……? 私に恨みでもあるのか? ならば都合がいい。我が名は『ルーデンス』ベルガモ石切場跡で待つ。 いつでも挑戦してくるがいい」


 その言葉の残響を最後に、交信してくる気配は無くなった。

「消えた……? お姉ちゃん?」

 ノノアは本当に消えたのか心配して、姉の方に恐る恐る目を移した。

「ベルガモ石切場跡……次は莉雁コヲ縺薙◎、確実に本体の息の根を止め縺ヲ繧?k……‼」

 今までに見たことの無い姉の表情を見て、くぐもって雑音の混じった声を聴いて、息を飲んだ。

「……お姉ちゃん……なの?」

 完全に黒くなって変質してしまったノワールを初めて見て、それが本当に自分の知っている姉なのか分からなくなる程だった。

「うん? ノノ、どしたの? 任務も終わったし、帰ろうか! 今日は記念にごちそうを作ろうね!」

 黒い絵の具を使った後の筆を、洗筆バケツの透明な水でゆすいだ時みたいに、ノワールの外見が元に戻った。それと共に、まるで先ほどまでの、仇敵とのやり取りなど無かったかのように振舞っていた。

 そんな姉の様子を不審に思ったノノアだったが、怖かったので努めて気にしないことにした。


 屋敷に帰り着き、ノワールはありったけの腕を振るって、ノノアの初任務達成記念の料理をこしらえた。

 この日の食卓は、偶然にもエリクとノノアとノワール、それにエリクの孫のエルとシノの5人で、ノワールが屋敷に来たばかりの頃を思い出させた。

 ノノアが、今日の任務が如何に大変で楽しかったかを、大げさにエリク達に話している。家族団欒の食卓は、ご馳走を食べ終わったノノアが、疲れて眠ってしまいそうになったことを皮切りに、自然と徐々に解散していった。


 ノノアを部屋で寝かしつけたノワールは、先ほどまで騒がしかった広間へと戻り、まだ少し残っていた料理とエリクを前に、無言で席に着いた。

「……何か、思い詰めてるな?」

 ノワールの様子が、どこか上の空だったことから、すぐに感情を当てて見せた。

「うん、すごいね、パパは。ノワールのこと、何でもわかっちゃうんだね」

 皆の前に居る時より、幾分か素直に、ノワールが言った。

 ノノアが語らなかった、今回の任務の最後に起こったことについて一通り説明すると、エリクは顔を伏せて考え込んでいるようだった。


「……私は、ベルガモットへ行ってくるよ」

「いや、ダメだ、行ってはいけない。お前の怒りを利用して、誘い込もうとしているんだろう。さらに言うと、奴らはまだ、こちらの場所を把握していない、できないということだ」

 晩餐に注がれたブドウ酒を一口飲んで、エリクは独りで行くつもりのノワールを制止した。

「関係ない、正面から突破して打開してやる! 私1人だとしてもだ!」

「待て待て! 頭を冷やせ! 落ち着きなさい」

 エリクは一息に杯を飲み干すと、今にも飛び出して行きそうなノワールを、優しく諭すように続けた。

「奴に恨みがあるのは、パパも同じだ、ノワール、お前も知ってるだろう? 私が自分で戦えないのがもどかしいが、ノワールに託すしかないんだよ、私の家族の仇討ちはお前にしかできないんだ。……だから、確実に葬り去る方法を、実践するんだ。冷静に。考えて。実践するんだ」

 ほとんど負の方向で感情的にならないエリクが、少し声を震わせていたので、ノワールは少し冷静さを取り戻した。

(……そうだよね、私より、パパの方が辛いはずだ。ごめんね……)

「ノワールの隊は何人だっけ? 1人で行くのと、全員で行くのと、勝てる可能性が高いのはどっち? 単純な話なんだよ。それなのに、バーカバーカ! お前の頭ノワール・アールグレイ!」

「はぁ⁉ ノワール、馬鹿じゃないんですけど! 算数? とかいうのもできるんですけど!」

 バカにされてノワールは、怒った!

 エリクは過剰に湿っぽくならないように、昔からやっているように、ふざけて場を和ませた。

「ははは、ま、今日はもう休みなさい。明日以降、お前は自由行動とするから、突撃するなら各地で任務に就いている皆を集めてからにしなさい。皆、任務の途中だろうから、お前が手伝うんだよ」

「うん、ありがとうパパ! あいつは冷静に、確実に、必ず追い詰めて消滅させる。約束する」

 そう言って納得したノワールは、意気揚々と部屋を出て言った。


「まさか、また奴が現れるとは……ゲイル、マリア、クラウス、そしてミントグラスの民たち……今度こそ、あの子達がやってくれるよ──」

 エリクが1人になって、広場の片付けを開始すると同時に、ハッとなって気付いた。

「って何で領主が片付けを⁉ こういうのって普通メイドがやらない⁉」


 そうして本格的な人類反撃開始の夜は、深々と更けていった。

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