第5話 鼓膜破壊必殺技

 悲鳴を聞きつけたメイド2人が現場へと到着すると、いかにも殺人鬼然とした3人の男が、獲物であろう女を囲んで、今に襲い掛からんとしていた。ただし、どうやら殺人鬼同士が互いに牽制しあって、三すくみになっているのか、事態は膠着していた。

「やっぱり……やっぱり殺人鬼は、1人じゃなかったんだ! さ、殺人鬼のバーゲン・セールだ‼」

 全くそんなことは考えていなかったくせに、都合の良いことを言うノワール。さっきの奴は関係のない殺人鬼だったのだ。

「──地獄絵図……ですかね」

 モカは見たままに思ったことを口に出した。


 2人は、下手をすると女が手にかけられそうだったから、どう手出しをしたものかと思案したが、ノワールが痺れを切らして自分に注意が向くように叫んだ。

「お嬢さん、助けに来たよ! 早く逃げて!」

 緑色の服に、灰色の外套をかけた、長い黒髪の女もノワールを見て叫んだ。


 絶叫。


 その叫び声は、この世のものとは思えない金切り声だった。同時に視認できた顔も、痩せこけた頬に血の気の無い肌で、双眸と口は穿たれた木の洞のような暗黒を彷彿とさせ、人間に似て非なるものだった。

「え、うるさ。あの女、典型的泣女バンシーじゃん」

 モカは耳が常人よりは良かったので、片目を瞑って迷惑そうに言った。

「──耳いたっ……ってあのお嬢さん、魔物じゃないか! 殺人鬼も騙されてるよっ‼」

 2人とも、特にモカよりも更に耳の良いノワールは、反射的に耳を伏せて塞ぎながら、同時に後退りした。直後、新しい獲物2人の声に気付いた殺人鬼達とバンシーが、仲良く同時に襲い掛かってきた。


 殺人鬼は所詮、狂気にてられただけの人間だったから、モノの数に入らなかったが、問題はバンシーの方だ。

 これは12年前に起こった大厄災以降、突如として現れた魔物の一種で、人間とは理からして異なる者達だった。

 また、他の魔物はいくらでも葬ってきたノワールだが、バンシー等の音波攻撃をしてくる類の者は苦手だった。

 人間より聴力に優れた大きな耳を持つノワール達にとっては、文字通り耳の痛い相手で、いくら耳を平らに寝かせても対策し難かった。

「モカちゃん、あの魔族の相手、お願いしていい? そういやモカちゃんってどのくらい戦えるのか、全く知らないけど……」

「それなりですがね。ふん、良いですよ、バンシー如き、こてんぱんにしてやりますよ」

 モカは嘲り笑うように言うと、颯爽と魔物の懐に飛び込んでいった。

 やっぱりモカちゃんは、いざという時に頼りになる。ノワールはそう思うと、バンシーから少し距離を置き、殺人鬼連中を引き付けて立ち向かった。


「父は蒸発、母は娼婦。俺を邪魔者扱いして……幼少期に愛情を全く得られなかったからこうなった……ぐふっ」

 狂気にやられた人間は皆そうだが、やる気のない虚ろな目をしていた。断末魔の言動から察するに、こいつは『めったやたらに娼婦に憎悪を抱きしジャック』だったのだろう。


「僕だって殺したくて殺したんじゃない。ただ、騒いだから……ふふ、だっておかしいでしょ? 恋人同士なのに騒ぐなんて……ぐふっ」

 こいつは第2の事件の犯人に相違ない。何が面白いのか、縄紐と短剣を持って、やる気のない瞳でニヤついていた。ノワールは、何故か殺人鬼って相当な確率で短剣好きだな、と分析した。


「女なら、処女ならだれでもよかった。新しい神への供物にしたんだ! ……ぐふっ」

 こいつは他のと少し毛色が違い、完全に体が隠れる法衣のようなものに、これまた完全に顔の隠れる三角形の目出し頭巾を被っている。退治してから気付いたが、得物は波状の儀式剣だった。こいつも言動や風体から第3の事件の犯人であろうと想像できた。


 どいつもこいつも説明的な断末魔を遺して断罪されていく。

 百戦錬磨のノワールが、気の触れた人間風情に後れを取ることは無かったから、描写するまでも無く一瞬で片が付いた。

「……なんだかんだ、理由を付けながらも一切無関係そうなバンシーを襲おうとしてたじゃない。立派なことを言っているだけの罪人でしょ。ま、もし次があるなら、まともな環境に生まれてくると良いね」

 ノワールはそう簡潔に弔辞を送ると、モカの加勢に向かった。


「きゅううう……」

 ノワールが加勢に向かうと、モカはバンシーの動く髪の毛で拘束され、身動きが取れない状態にされていた。つまり、こてんぱんにやられていた。

「……あんなに颯爽と向かっといて、弱いの⁉」

「くっ、武器さえあれば……武器と、あと、力と技と、体力と運さえあれば」

 地面に貼り付けられながらも、顔だけノワールに向けて負け惜しみを言った。

「何も足りてないじゃん……でも足止めしててくれただけで、十分だよ!」

 ノワールは、そう言って地面を蹴ると、バンシーに強襲を仕掛けた。

 しかし敵がモカの拘束を解いてノワールの方を向いて叫ぶと、着地して耳を塞がざるを得ない状況になった。

 更にバンシーの叫び声が出力を増すと、とてもじゃないが立っていられなくなった。周りの建物に辛うじて残っていたような硝子が、弾けて飛んだ。

「ぐぐ……耳が痛い……びりびりして……ん? あれ? どうした?」

 しばらくの間、徐々に出力が上がっているようだったが、ある瞬間から、猛烈な風の音以外ほとんど聞こえなくなった。

「ははっ‼ なーんだ‼ ずっと叫び続けてれば、私に勝てたかも知れないのに‼」

 ノワールはバンシーが急に叫ぶのをやめたのを不審に思い、奴の方を見たが、口を開けているだけで発声はしていないようだ。やはり風の音以外何も聞こえない。

 叫びによる抵抗が無ければ、最早叩き潰すだけだった。

「……! ……」

 地面ではモカが痙攣しながら口をパクパクさせて、更に白目を剥きながら耳から血を垂れ流していた。

 つまり、正確にはバンシーが叫ぶのを止めたのではなく、ノワールの鼓膜が破れて無くなっただけだった。

「ぃよっしゃああああーーー‼ くたばれぇえええー‼」

 ノワールは己の聴力の違和感に気付かないまま、信じられないくらいの大声をあげて、剣を振り上げて突進し、バンシーの顔面を叩き潰した。

「今度こそおおォー‼ 一件んー‼ 落着ううゥ―‼‼」

 そうしてありえないくらいの大声で勝鬨をあげると、周囲からの耳目が集まりつつあることに気付いた。

(まったく、あんなにもバンシーがうるさかったから、危うく正体がバレそうじゃないか。暗いからまだ良いようなものの……)

 そう心の中で愚痴ると、気絶して倒れているモカを抱え上げて、猛烈な勢いで退散した。


「ん……? ノワール……?」

 モカはノワールに優しくお姫様抱っこされ、屋敷へ運ばれている状態で目を覚ました。

 月の光に照らされて、無言で宵の闇を疾走するノワールは、いつもより凛々しく格好良く見えて、面食いのモカは困惑した。


「うそ、やだ……白銀の絹糸が空から落ちてきた柔らかな月明を更に反射してきらきらと瞬いてる。素敵……」

 思わずモカの語彙もあふれ出てしまっていた。

 しばらく見ていても、何か言っても反応が無かった。モカは『こいつ、何故無視するのだろうか』と思ったが、すぐに察した。単純にノワールの鼓膜が破れていたからだった。


「ふふ、享楽、愉悦……」

 反応の無いノワールを見つめては、恍惚の間抜け面でお姫様抱っこの悦に浸っていると、しばらくしてから、ようやくモカが起きていることに気付いたようだった。


「ん゛‼‼ モ゛カ゛ち゛ゃ゛ん゛起゛き゛た゛の゛‼?」

 カッスカスだ。

 ノワールは、鼓膜が破れているのを気にしないで喋るから、完全に喉がやられていた。

「あ、一生喋らないで貰っていいです?」

 そんなモカの願いは物理的に聞き入れられず、ガラガラと喋りながら、そのまま帰路をゆくのだった。

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