彼女はそこに居る
──元宮廷魔術師の男はその身に起きたことを理解出来ずにいた。
かつて少女であった麗しの姫が今は亡き祖国を背負い、自らを断罪する宣言をした所まではハッキリと覚えている。
彼女はいつの間にやら右手の得物の刃を展開して、男へ凍てつくような視線を突き刺している。
それを見て思わず笑みを零した瞬間、彼の目の前には鈍く炎の紅を映し出す切っ先が映った。
反射的に展開した魔力障壁がそれを受け止め、彼はその隙を突いて下僕に自身を掴ませ、後方へ放り投げさせる。
斥力を発生される魔術を行使し、姿勢を制御して着地した彼はまじまじと剣士の様子を伺った。
「今のは──」
必死に頭を動かす彼の目に映るのは、剣士を囲み、それを捕らえんとする下僕達の姿、しかし、それも全く優位な状態には思えない。
何故彼女が見えなかったのか。
幼い頃から彼女が異質な力を持っていたことを知っては居たが、今の彼はそれがどう成長したのかまでは知る由もなかった。
彼の知る限りでは、在りし日の姫君ティレンは自身の存在を認識阻害する異能を持っていたのではないか。
と、そう推察することは出来ていたが、それ以上でもそれ以下でもない。
彼は剣士を正しく認識してはいなかった。
揺らめく炎と下僕に囲まれながら、彼の目に映る彼女は酷いノイズ塗れで、炎の紅と土、木々の色が混じって周囲の光景に溶け込んでいる。
そんな彼女へ下僕達は金切り声を上げながら頭部から触手をずるりと伸ばして剣士へと襲い掛かった。
「──
碧水で裂け、ニジノキセキ」
青白い閃光が彼女の得物から迸り、左手に構えていた短刀からは青く澄んだ水が鞭のように伸び、それを彼女が振るうと、いとも容易く下僕の頭部が切り裂かれる。
そのまま流れるように右の得物を振り被り、その場で横一回転したと思うと、光の刃が伸び、一瞬にして下僕達は真っ二つに両断された。
彼が眺めていた時間は僅か数秒、はたと気付いた時には、両断された下僕の上半身の1つが吹き飛び彼の眼前に迫り、彼はそれを魔力障壁で防いだ。
彼に剣士の表情を伺う術はない。
何せ、彼にはノイズだらけで彼女の輪郭すら曖昧に見えていたのだから──
──しかして、その彼女の表情は虚無そのものだ。
剣士は目の前に寄ってきた邪魔者を綺麗さっぱり斬り伏せ、残るは父母の仇のみ。
だが、そこに燃え上がるような怒りはない。
報復、復讐、そんな言葉は今の彼女の心の中にはありもせず、ただ冷ややかにかつて恋した目の前の男へと歩を進める。
今の彼女は良く出来た殺戮人形。
効率良く不要なものを斬り捨てる機械と変わりなく、閉じ込めた自らの感情が噴出することもない。
これこそ、彼女が
心を覆い尽くす頑強な鎧、泥沼の黒、輝かしい未来を滅ぼされた落胆の虚無。
生まれの高貴さを捨て、生きるという根源的なただ1つの強い意志によってもたらされた自由と無謀の裏返し。
これは最早呪いであった。
彼女が全力を出すということは、自ら課した生へ執着する呪いに従うということ。
それを今、彼女はその元凶へと向けているのだ。
ノイズに塗れ、ゆらりと水面に響く波紋のように彼女の像はブレていく。
正確には、魔術師にはそう見えている、というだけだが。
そんな彼女へ右手を向け真剣な面持ちで男は呟いた。
「──
淡い緑色の無数の光弾が彼の周囲にばら撒かれると、瞬く間にそれが全て剣士へ向けて発射される。
小手調べにと撃ち放ったそれは剣士をすり抜け彼女の後方へと着弾した。
訝しんだ男は身構え、魔力障壁を3枚自身を覆うように展開し、防御姿勢を取る。
その判断が功を奏し、目にも止まらぬ速さで、彼から見て3時方向から水流の鞭による殴打が3度無造作に打ち付けられた。
そちらへ視線を向けた彼だったが、今度は9時方向から光の刃が襲い掛かり、障壁を引き裂いて男へと迫る。
「──
刃へ左手を向けた彼は自分とそれの間に爆炎を引き起こし、刃の動きを止めた。
しかし、それでも彼は剣士の姿を捉えられずにおり、広範囲に影響を及ぼす魔術を行使するにも、隙がない。
男はかつての教え子が自らを本気で葬ろうとしていること、教え子が全力を出す姿を肌で感じていること、教え子が自らの思考を超える動きを見せていることに感動を覚え、打ち震えていた。
「──
その感動に彼もまた偽りなく本気となる。
周囲に光球をばら蒔いた彼が、合図を出すように手を叩くと、光球が強い閃光を伴って爆発した。
これは燃料として変質させた魔力へ一斉に着火し、強烈な爆発を引き起こす魔術だ。
広範囲に爆破の衝撃をばら蒔いた彼はこの隙に次なる魔術の詠唱をするため、改めて魔力障壁の準備を──
する間もなく、再び彼の頭部へ剣士の膝蹴りが着弾した。
それも、両手で後頭部を掴んで引き寄せ、顎の骨を砕く一撃。
霞んだ視界に映ったのは僅かに見えるノイズ混じりの人影、それが腰から引き抜いた短剣で自身の喉笛を引き裂き、鮮血が目の前に拡がる光景。
一瞬の御業を垣間見た男はまたも蹴り飛ばされて祭壇の石畳に叩き付けられた。
「その程度では死んでおりませんね?
ルガーラック卿」
剣士のその言葉通り、首から噴き出す血液が泡立ち、魔術師の傷はみるみるうちに塞がっていく。
とはいえ、冷ややかな眼光を突き刺す剣士に言葉を返せるほど、男の再生速度は追い付いていない。
例えどれほど生命力の強い
それを彼女は良く学んでいた。
まして、およそ彼は純血の
通常の生物に比べれば圧倒的な自然治癒速度を誇るものの、これ程重大な損傷を受ければ簡単に再生することは難しい。
そこで彼は震える左手を喉へ当て、発声と詠唱が不要な治癒魔術を行使する。
その様子を剣士はゆっくりと近付きながら眺め、やがて荒い呼吸をするかつての師の元へ辿り着いた。
「貴方には話してもらわなければならないことが沢山あります
ですので、直ぐに楽にはさせられません」
剣士は右の得物の刃を倒れた魔術師の左脚に突き立て、それを押し込んで太ももから下を切り離した。
魔術師は声をあげることも出来ずにもがきながらも必死に首の止血を急ぐ。
「ルガーラック卿
そのような醜態を晒す為に我が祖国を穢した訳ではないでしょう?
貴方が何の為に我が祖国を滅ぼしたのか、なんて、私にとっては至極どうでも良いことですが
国を代表して国民の総意を実行するのが今の私の役割ですので」
血塗れの刃を魔術師へ向け、剣士は目を細め、斬り落とした左脚を蹴り払う。
「それとも、これでも仕留めるに至らないのであれば、もう一本
脚でも腕でも斬り落として差し上げます
あるいは、まだ抵抗するならば、今のように死なない程度の苦痛を味わって頂きます
どの道貴方はまだ死なないでしょうし
さて、あと何回死ねますか?
ルガーラック卿」
2、3度咳き込み詰まった血液を口から噴き出した男は微笑んだ。
「全く、全く恐ろしい方に育ちましたね、姫様
僕は本当に嬉しい、とても素晴らしい
姫様を僕のものに出来なかったのは悔やむところですが、これ以上苦しいのは僕も堪えます
しかし、やはり僕も人です
幾つか気になることがあるので質問をしても?」
涼しげに、しかして額に脂汗を滲ませた男の懇願に、剣士は左脚の傷口を蹴って答えた。
苦痛に顔を歪ませる男の反応を余所に剣士の凍てつくような眼光は曇りなく男へ突き刺さったまま。
「私は時間稼ぎにも応じませんし、余計な質問に答えることもありませんよ」
「……いえ、大事なことです
極個人的ではありますが」
「──口を開くことを許します」
安堵の溜め息をついた男はボソリと呟いた。
「僕を恨んでいますか?」
「いいえ、私は今でも貴方を愛していますよ
例えどんなことがあっても、貴方からの寵愛と教育を忘れたことはありません
……えぇ、例え、どんなことがあったのだとしても」
「──そうですか、回りくどいことをしたのが裏目に出た訳ですね、僕というのは」
目を瞑り、微笑んだまま咳き込んだ男は口に溜まった血液を吐き出して、苦笑しながら剣士へ視線を向けた。
「僕ももう少し元宮廷魔術師として貴女を圧倒していたかったのですが……
どうやら貴女の努力を見くびっていたようですね
これでは教育係失格というもの
約束通り雇い主のことをお教えします」
表情1つ変えない剣士の姿をまじまじと目に焼き付けた男はポツリポツリと語り出す。
城を落とす計画の主犯が自分であること、その目的が剣士の母を娶った剣士の父への逆恨みだったこと、そして、剣士を自分だけのものにしたかったという願望。
「──そんな僕のささやかな望みを叶える力を与えてくれたのが今の雇い主、セルク・ノスト・アルバディノ
齢500にもなる吸血鬼、野望に生きる混沌の悪魔
魔王などと言ってもいいでしょう」
「それが、今も我が城に潜んでいるのですね?」
「えぇ、ご存知の通りです
僕の起こした騒乱でもぬけの殻になった城に彼は住んでいます
僕も思った通りの結果は得られませんでしたが、そこは気持ちを切り替えて、ただの人では出来ない自由な研究に打ち込む機会を得た訳です」
「……それで、彼の野望というのは?」
剣士の質問に嘲笑するように鼻を鳴らした魔術師は天を仰ぐ。
「大いなる神を喚ぶこと、だそうですよ
混沌の化身、旧き支配者共の王、古の時代にあったソラより来たる領域外の生命にしてマナの源
地中深くに眠るソレを目覚めさせることこそ、人の文明を推し進める引き金になるだろう、と
彼はそう言いました」
「妄言に聞こえますが……
500年も生きている
「これは後で調べて分かったことですが、リプルハート城の地下に何か強力な封印が施してある痕跡は発見しました
僕ではどうにも出来なさそうな代物でしたが
彼があの城を選んだのは何も不思議なことではなかったのでしょうね」
溜め息を1つ。
剣士は右の得物を振り被った。
「どうあれ、我々の目的は変わりなく遂行すべきもののようですね
惜しむらくは、貴方がこうして私の前に立ちはだかったことですが」
「こうも打ちのめされては、
それに、その得物で受けた傷の治りは遅い
あの混乱の中、国宝であるそれを持ち出すことを決めた方は英断でしたね」
「──
男への返答を合言葉で済ませた剣士は剣に青白い光をまとわせ、僅かに目を伏せた。
「先生、愛しています」
「僕もです、姫様」
剣士の目尻からは一筋の涙が流れ、刃が振り下ろされた。
目を瞑り、これまでの思い出を振り返るようにかつて幼い日にあった剣士の姿を思い浮かべていた男は、自分の身に刃で引き裂かれる痛みが走っていないことに違和感を覚える。
その違和感と同時に聞こえたのは2度の甲高い金属音。
男の目の前には黒く大きな翼を背に携え、2本の剣を構えた男が立っていた。
「いつぞやとは逆の立場だな、剣士殿」
左右の剣を交互に振るい、剣士の胴を裂かんとするが、彼の剣は剣士の身体をすり抜け、空を斬った。
「あの時のナイトホークでしたか
こんな時に面倒な──」
残像を残して後退した剣士は間合いを空けつつ得物を構え直す。
「魔術師殿、腑抜けている暇があるのなら目眩しの1つや2つはして頂く」
突如として現れたのはナイトホークの斥候ウィーヴ、彼の登場に眉間に皺を寄せた剣士は1歩、地面を踏み締めた。
「ウィンストン殿!
左です!」
突如目の前に現れた剣士の姿に加え、魔術師の声に反応した斥候の構えた剣に、剣士の振るう青白く光る刃が衝突した。
異様に重い一撃を受けて踏ん張る斥候だったが、不意に右頬を強い衝撃が襲う。
目にも止まらぬ速さで放たれた剣士のローリングソバットが斥候へと命中するも、彼は反射的に首を振ってその衝撃を緩和していた。
視界は歪んだが彼は後退せず、斥候は右の剣を返して見えない剣士の動きを牽制する。
そうして、斥候の目の前にあった剣士の像がノイズ混じりに消え、その向こう側には訝しげに睨み付ける剣士の姿があった。
「やはり以前は手加減をしていたか」
「貴方も良く反応しますね
ルガーラック卿も目が良い」
「……こう、何度も見ていればある程度のことは分かりますよ、姫様」
先の一瞬で斬り落とされた左脚を回収していた魔術師は切り口を繋げ、治癒の魔術を行使する。
「貴女が
しかし、まじまじと対面して分かったのは
貴女が他人の視覚に影響を及ぼす力の持ち主ということくらいですかね」
「流石ですね先生、100点満点中50点をあげます」
再び剣士の姿がノイズ混じりとなってブレる。
身構えた斥候と、よろよろと立ち上がった魔術師は周囲を伺い、剣士がどこから襲いかかって来るか、警戒する。
「先生、先生……
私、貴方ならきっと
でも、きっと貴方には本当の私がどこに居るかなんか
喋っているのは目の前のノイズ混じりの剣士、目を伏せて微笑んでいる彼女は、涙を流しながら1歩、また1歩と2人の男へと近づいて行く。
「魔術師殿!
これはダメだ、撤退するぞ!」
「いいえ、いいえ!
もう少しで彼女のことが分かるのです!
どうかそれまでは……!」
「ええい!
これだから魔術師というのは!」
「──
斥候が業を煮やして翼を広げた瞬間に、魔術師は強い光を放つ魔術を行使する。
目眩しをして逃げることが大きな目的ではあるが、魔術師は直感的にこれが彼女の異能力の正体を証す為に必要な一手であるという確信があった。
強い光に照らされた剣士の影に注目した魔術師は、瞬間的に剣士の軌跡を垣間見る。
剣士は彼らの見ていた像の場所に無く、既に剣を振り被り、斥候へと襲いかからんとしていたのだ。
だが、閃光を受けた彼女は僅かにたじろいで後退した。
閃光が止んですぐ、強い光を放つ剣士の像が斥候の前に残り、ノイズと共にそれは消え去る。
「そうか──
姫様は……!」
目を丸くして笑みを浮かべた魔術師は斥候に抱えられ、宙へと飛び上がった。
そんな二人を逃すまいと剣士は右の剣を振るい、刃を覆う淡く青白い光が光波となって撃ち放たれる。
それを難なく振り切った斥候は高度を上げ、見る見るうちにその姿が見えなくなっていった。
「──逃がしてしまいましたね
こちらも、見逃してもらったようなものですが」
微笑んだ剣士が1つ咳き込むと、口元から鮮血が零れる。
そして剣士はその場でそのまま、崩れ落ちるように倒れた。
「先生……
どうして──」
掠れた荒い呼吸、動かぬ四肢、それでいてどこか安堵したように剣士は微睡んで、やがて、意識を閉じた。
──一方、上空を行く魔術師と斥候はというと。
「魔術師殿」
「何でしょう、ウィンストン殿」
「あの剣士の力の正体は、結局分かったのですかな?」
力なく抱えられたままの魔術師が微笑む。
「えぇ、なんとなくですが」
「それは僥倖だ」
「あれは彼女から放たれる周波を操る類の異能力でしょう
非常に限定的かつ難解に聞こえますが、要は超高性能なジャミング能力です
僅かですが、音にもノイズが掛かることがあったのでおそらくはその予想で合ってるかと」
「なるほど、厄介な訳だ」
納得した面持ちで鼻を鳴らした斥候は魔術師を抱え直し、風を読んで1つ背の大きな翼を羽ばたかせた。
「そんな者をまともに相手せねばならんと思うと、全く気が重いな
「そうですね
しかし、対抗策がない訳でもありません
どれだけジャミングをされたとしても
彼女はそこに居るのですから──」
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