木漏れ日を歩むもの



 4つめの根城襲撃から1時間、すっかり眠ってしまった武僧をテントに寝かせた二人は、焚き火を前に、残った2つの仕事の依頼書を眺めながら、カップに入った暖かい紫の飲料を啜っていた。



 ふぅ、と息を吐いた狙撃手はテントの様子を少し伺うと、ポツリと言葉を零した。



「仕事終わりのマディクスは染みるな……」



「そうね、不思議と落ち着くのよね、これ」



 マディクスは西大陸にある北の辺境を原産地とする植物の茎を乾燥させたものを煎じて、水で煮出した飲料だ。



 紫色の濁った見た目で、味は酸味と甘みが強く、さっぱりとした味が特徴で、東大陸ではポピュラーな嗜好品である。



 最も欲しがるのは軍関係者と冒険者で、長旅の友として長くに渡って重用されてきた。



 効能も人気のひとつで、高い栄養価に加え、精神的な疲労を著しく改善し、魔素粒子の定着率を安定化させる働きが報告されている。



「そりゃもうな、煙草と合わせて魔術使い御用達なぐらいだ


 アタシは手放せないね」



「魔術使いが好んでるってのは聞いたことあるから、アンタが手放せないってのは中毒性のせいじゃないの?」



「それは否定できねぇが、銃を使うのにも精神的な疲弊は酷いのさ


 魔術使いが言う所の、魔素粒子定着率が下がるってやつだ」



 自分には関係ないと言いたげな剣士はマディクスを啜りながら頬を掻く。



「お前にも関係あるからな


 お前の武器にも銃が付いてるじゃねぇか」



「……話だけは聞きましょっか


 まだ寝れなさそうだし」



「うし、じゃあちっとばかしウンチクに付き合って貰おうか──」



 狙撃手は魔素粒子定着率とは何か、という話を剣士につらつらと語り始めた。



「魔術使いが言う所の魔素粒子定着率の話の前にだが、おぇも知っての通り、魔術を行使する際にゃ『エネルギー及び質量の変換』が発生する


 その時、体内に蓄積された魔素粒子が消費されたり、食事や呼吸で魔素粒子が体内に蓄積されたりで、体内を循環する魔素粒子の量が変動すんだ


 魔素粒子定着率ってのは、生物個体が持つ魔素粒子の蓄積限界量から見た、体内を循環する魔素粒子の量のことだな」



「話が学者めいてきたわね……」



「座学でみっちり仕込まれたからな


 魔素粒子が体内に蓄積されていくと、魔素粒子定着率が安定して相対的に精神的な疲弊は改善される


 精神的な疲弊が改善されれば思考もクリアになるし、魔術の行使も十全に出来るようになる訳だ


 これは銃の話になるが、銃が実弾を撃ち出す際に、薬莢内にある魔素粒子と炸薬を混ぜた粉末を着火しなきゃならないんだが、今の技術で作られた炸薬だけだと弾丸を殺傷力のあるスピードで発射させられるだけの圧力を発生させられない


 これを魔術で補う為に、炸薬には魔素粒子が混ぜられてる」



「銃って魔術使うの……?」



「厳密には使用者が魔術を行使する訳じゃねぇ、使用者はあくまで体内に蓄積された魔素粒子を消費させられるだけだ


 銃の機関部、特に雷管弾丸のケツを叩くハンマーってパーツに術式が仕込んであって、魔術行使の代わりをしてくれる


 コイツを起動するのに体内の魔素粒子を消費するって寸法だな」



 理解したのかしていないのか、少なくとも納得はしていないといった表情。



 その原因に彼女は目をやる。



 自分の傍に置いた得物、盾、剣、銃の複合兵装だ。



「あぁ、ラーミナ・スクートゥムか」



「アンタが言うには骨董品とか発掘兵器なんだっけ?」



「だと思うがな


 アタシの”箱”もそうだが、お前のそれも大概だぞ」



「……アンタにならいっか


 これ、一応家宝ってヤツなのよ、私の肉親の形見って言ってもいい」



 ふと視線を焚き火に落とした剣士を眺め、マディクスを啜った狙撃手は鼻を鳴らして煙草を咥えた。



 煙草の先端を指先から発火させた蒼黒い炎で焼き、それをひとつ吸い込んで煙をぼんやりと吐き出し、狙撃手が再び口を開く。



「思い出話がしたくなったか?」



「ごめんなさい


 したいけど、出来ないの」



「なら、お前の家宝とやらについての考察をしよう」



 剣士の過去への深入りを避けた狙撃手の代案に、その表情を伺うでもなく剣士は頷いた。



「お前のそれに付いてる銃だが、数百年前に流行って、最近になってから研究が進んで実用化が始まったモンの原型だろう


 ある程度形状は異なるが原理は同じだと思う


 前にも言ったがソイツはエナジーバレットガン、今までの戦闘で見た感じ、光の軌跡が回転してるように見えたから恐らくはライフルタイプ──


 俗になんて呼ばれてる代物だ」



「魔素粒子と金属粉末を混ぜたものを炎みたいにして撃ち出す銃、だっけ?」



「間違っちゃいない


 補給すりゃいいのは魔素粒子と適当な金属粉末って辺りが使い勝手の良さを後押ししてるいい武器だ


 拘りゃミスリルの粉末なんか補充すると高い殺傷力も確保出来るしな


 その代わり体内の魔素粒子消費が実弾に比べて多いが、金属粉末を加圧、加速させてプラズマ化させて発射するなんて複雑なことしてたら当たり前だろう」



「どおりで使ったら頭が鈍る訳ね」



 ようやく納得した様子の剣士が微笑みながらマディクスを口にする。



「他にもメリットはあるぜ


 実弾に比べて弾速が速いし、反動もほとんど無いんで、慣れてないヤツでも扱い易い


 熱に強いような相手には効果が薄いってのだけ覚えておけば、こんなに便利な武器はねぇな」



「でも全然当たらないけど」



「──物事には誰しも得手不得手ってのがあってな?」



「はいはい、センスなくてごめんなさいね


 それでも役に立ってるからいいけど」



 溜め息を吐いた剣士は改めて手に持った依頼書を眺め、マディクスを啜った。



「アタシの大型ライフルあいぼうも実を言うとビーム・ライフルとしての機能はある


 普段は実弾を使ってる方が運用が楽なんで使わんが」



「ふーん、じゃあコレってそんなに強くはないのね」



「いや、アタシのライフルだと、殺傷力だけなら実弾のウン100倍の破壊力が見込める


 ”箱”に積まれてる魔力融合炉ジェネレーターに直結させて使う必要はあるがな


 ただ、1発あたり、お前のそれに付属してるマガジン5個分くらいの弾薬が必要だ


 そんなコスパのわりぃモン対人じゃ勿体ねぇし、それが必要になるような相手は当然、そもそも出くわさない方がいい」



「具体的にあんま分からないんだけど、どれくらいの威力なの?」



 狙撃手は素朴な質問を続ける剣士の表情を伺い、ヤケに好奇心旺盛な様子に驚きつつも、少し考えて言葉を返した。



「──記録に残ってる実例で教えるなら


 距離2000から、今は亡きアグニア神聖王国に備えられてたミスリル銀製の正門をぶち抜いて、その約30%を溶解、爆散させた


 あの門は厚さ1.7パース、人間の平均身長と大体同じくらい、高さも10、幅が7パース、堅牢さでいうと当時の技術で最高峰と謳われれるレベルの代物だ


 それをたった3発で破壊出来る」



「戦略兵器も良い所じゃない……


 城攻めのセオリー通りだと、普通、腕利きの魔術使いが5人掛かりで城壁の方を狙って破壊を試みても丸一日は使うって言われるのに


 どうしてそんなもの持ってるのよ」



「アタシが1から設計して作ったんだよ


 だが、それをやったアタシは泡吹いて倒れて丸一日野戦病院で寝込む羽目になったし、相棒のメンテで二日掛かったんで、滅多なことじゃ使えねぇな


 悲しいかな、寝てる間に城が制圧されて戦争が終結した」



 懐かしそうに笑った狙撃手は引きった笑みを浮かべている剣士を見て、また笑う。



「お前のソレが弱いかどうかで言えば、対人想定なら強い、それ以外なら弱い


 対人ならコスパ重視な上3点バーストに対応してるんで使い勝手は悪くねぇ


 威力は低いが防具さえ着ていれば即死させず、効果的に損傷させ、戦線を離脱させやすい


 兵士なら喉から手が出る程の逸品だ


 逆に化け物相手だと威力不足になりかねん


 小型の怪物なら、相手にとっちゃ驚異的な威力があるが、大型になるとこの前みたいなことになる


 お前の剣と同じで使いようさ」



「なるほどね、よく分かったわ


 ついでにもう1つ質問していい?」



「どうぞ、寝られるようになるまで付き合うさ」



「魔素粒子定着率云々はある程度分かったけど、そもそも魔素粒子って何なの?


 私、魔術に関することは自分が使からからっきしなのよね」



 剣士の質問に遠くを見るようにして間を空けた狙撃手。



 少し考え、マディクスを飲み、煙草を吸って、口から紫煙を噴き出す。



 そうして、狙撃手はようやく口を開いた。



「アタシは魔術使いじゃねぇから詳しくは教えられん


 簡単な概要にゃなるが、魔素粒子ってのはどんな物質にも宿ってる宿素粒子らしい


 素粒子の説明までするのは面倒だから省くとして、さっきの銃に使われる弾丸で説明するが、正確には、銃に使われている魔素粒子と呼ばれる物質は、魔素粒子を多く抱え込む性質のある石英を粉末にしたものだ


 この石英をそうでない石英と分けて魔素晶石マナクォーツって呼ぶ」



「魔素粒子はそもそも物質じゃない、ってことね


 水とか鉄みたいな感じではない何かって認識で合ってる?」



「正解だ


 お前、高等教育を受けてるな?」



 澄ました表情を浮かべた剣士が鼻を鳴らして自慢げに肩を竦め、カップのマディクスを飲み干す。



 それ以上、剣士が受けた教育について言葉を返すことはなかったが、狙撃手は彼女の素振りを見て、何処か腑に落ちたといった様子でカップに残ったマディクスを煽った。



 そこでふと、狙撃手は手に持っていた依頼書に目をやり、それを少し眺めてから改めて剣士に向き直る。



「次の仕事だが、お前のそれとどっちを先にこなす?」



「そうね、こっちのはぐれた飛竜ワイバーンの討伐は、まだ痕跡も見付けられてないし、アンタが見てるお化け樹木トレントの伐採を優先しながら、痕跡探しするのがいいんじゃない?」



「オーライ、じゃ、起きたらお化け樹木トレントの群生地に向かおう


 こんなのが群生してるの自体、妙だしな」



 ──お化け樹木トレントは大気中や地中に含有された魔素粒子を多量に蓄積した大型樹木が、明確で強い意志を持って活動するようになった怪物だ。



 性格は大人しい者から、手の付けられない程悪意に満ちた者まで多岐に渡るが、今回の依頼書にあるトレントの群生地に蔓延るそれは、概ね後者のそれと一致する。



 内容を見るに、このお化け樹木トレントの群生地は、メイダ火山を登頂し参拝する冒険者が増えたことを受け、中腹にもベースキャンプを設置する予定だったのだが、その予定地に突如としてお化け樹木トレントが大量に発生してしまったのだとか。



 これが良識的で、友好的な性格のお化け樹木トレントだったのならば、交渉次第でどうにでもなったのだが、これがそうではなく、交渉に赴いた役人が行方不明となる事件を皮切りに、参拝者から大勢の負傷者が出るという散々な状態になってしまった。



 そこで、メイダ火山を管理する管理組合からついに、この群生するお化け樹木トレントの伐採命令が出されたのである。



 しかし、これに挑んだ冒険者も次々負傷し、更には死者まで出ていることから、役所はこの依頼に関する難易度を引き上げ、1ヶ月ほど依頼書が残ったままになっていたのだ。



 そのため、報酬金も引き上げられており、一行にとってこれ以上ない程、うってつけの仕事だろうということで、依頼の受理に至った。



 もう1つの依頼にある、はぐれ飛竜ワイバーンだが、まず大前提として、このメイダ火山でよく見られる飛竜ワイバーンの、炎息竜えんそくりゅうとも呼ばれるブルフラン種ではない。



 メイダ火山の山頂はこのブルフラン種の群生地であり、重要な保護区として認定され、比較的温厚で知性の高い当種の飛竜ワイバーンはこの地で軍の竜騎兵隊で騎竜として必要不可欠な人馴れの訓練を受け、周辺国に輸出されて活躍している。



 ブルフラン種は飛竜ワイバーンでもメジャーな肉食性で、鋼を凌ぐ強靭な赤い鱗と甲殻を持ち、喉に揮発性、発火性の高い液体を溜め込む器官を備え、火炎の息吹ブレスを吐き出して外敵を追い払う生態が特徴。



 それだけでなく、発達した翼による高い飛行能力や、鋭い牙や爪、長い尾を持ち、全長14パースにも及ぶ巨体を駆使して獲物に襲いかかるなど、人にとっても危険極まりない生物だ。



 野生ならば天敵が概ね存在しない生態系の頂点に君臨する生物だが、天敵とまで行かずとも、その地位を脅かすものが居ない訳ではない。



 それが今回の依頼にある、ブルフリグ種のはぐれ飛竜ワイバーンだ。



 当種はブルフラン種の突然変異で、近年になって数を増した亜種個体とされている。



 火炎の息吹ブレスを用いるブルフラン種に対し、当種は喉に揮発性の高い液体を溜め込む器官を有している点は共通しているものの、その液体から発火性が失われており、揮発性が非常に増しているのが特徴で、その息吹ブレスは、液体の高い揮発性によって強い気化冷却をもたらし、冷気の息吹ブレスに変容している。



 そういった特徴から、当種は凍息竜とうそくりゅうとも呼ばれ、シルエットや身体的能力、高い知性こそブルフラン種と同様だが、緑がかった青い鱗と甲殻を持ち、その希少性から空を飛ぶ宝石とも言われるが、性格は概ね獰猛、ブルフラン種にとっては厄介この上ない存在なのだ。



 そんなものがこのメイダ樹海で度々目撃されており、いずれ山頂の保護区にも影響が出る可能性を考慮し、先手を打つように管理組合から依頼が出されていた。



 飛竜ワイバーン退治の仕事は当然、多くの危険を伴うため、腕利きの冒険者にのみ依頼を受理することが許可されているが、今回、駆け出しを卒業した程度とされるヤマネコ級である武僧が同行しているにも関わらず、この依頼が受理出来たのには少々カラクリがある。



 それが、狙撃手の存在だ。



 狙撃手は正確に言うと役所に認められた冒険者ではない。



 彼女は国際軍事条約によって定められた認可を受けた、階級付き調停役傭兵ルーラーズ・マーセナリーである。



 ワタリガラスのエムブレムを有する彼女は、俗にレイヴン級傭兵と呼ばれ、軍に雇われた際には上級士官と同等の権限を与えられる立場にあるのだ。



 これは冒険者に仕事を斡旋する役所でも活用出来、傭兵が直接仕事を受理することは不可能だが、同行する冒険者がパーティを組んでいた際に、1種の目安として、レイヴン級ならば中位冒険者階級の1つであるユニコーン級と同様の実力があるものとして考慮される制度が整備されている。



 今回の剣士、狙撃手、武僧の三人はそれぞれ剣士が最上位冒険者階級の第三位に当たるオオワシ級、武僧が中位冒険者階級の第三位に当たるヤマネコ級、狙撃手が中位冒険者階級の第一位に当たるユニコーン級と同等扱い。



 加えて、剣士が同業処断執行役冒険者エクスキューショナーズ・ライセンサーであることも含め、上位冒険者階級から依頼が受理可能な飛竜ワイバーン討伐であれば許可が降りる階級として判断された為、仕事にありつけたと言えるだろう。



 さて、そんな狙撃手が妙だ、と言ったお化け樹木トレントの群生化について、剣士も思う所があるようで、顎に手を当てて手元の依頼書を眺めていた。



 そんな折、焚き火の弾けた音で、ふと何かに気付いた様子の剣士が、ポツリと呟く。



お化け樹木トレントだけど、本当に群生化なんてしてるのかしら」



「どうだろうな、アタシらに分かるのは文面から推察出来ることくらいだし


 深読みもクソもない」



「コレはとしての勘ね?


 そんな荒っぽいお化け樹木トレントがもし、近くで群生してるなら、ゴブリンが4つも根城を作れる程、森が大人しくないと思うのよ」



「森が、なんだって?」



 野性味溢れる剣士の言葉にほんのり耳を疑ったように聞き返した狙撃手だったが、当の剣士は至極真面目な様子で考えを巡らせていた。



 珍しく深く考えている剣士の姿を目の当たりにした狙撃手が、直前の言葉を思い返し、はたと気付く。



 剣士がわざわざ自身をと称したことに違和感を覚えたのだ。



「本当なら依頼を確認する段階でもう少し考えておくべきだったとは思ってるけど


 実際にここに立ち入ってみて、やっぱり、この森はどうにもの」



 ──誰もがエルフと言われれば、剣士のように色素が薄く、尖った長い耳に細身な体型をしており、森の奥地に住み、綺麗な川や泉の周辺に住居を作って静かに暮らし、警戒心が強く排他的で、大雑把な性格かつ、時間にルーズな性格の者が多い、と人々はイメージする。



 これは彼らが比較的古くから存在するために、それを指す俗称、あるいは略称として単にエルフと呼称されるのであって、公に定義される彼らの正式な種族名はあくまでホワイトエルフだ。



 そして、森の声を聞き、古き物や歴史ある物を珍重しつつも、古代の文明には頼らないという矛盾を孕みながら、育まれた天然自然と共に生き続けることを選んだホワイトエルフは人々からこう呼ばれている──



「──


 とはよく言ったもんだ


 お前の見立てじゃ、このメイダ樹海に何か異変があるように感じるって訳だな?」



「そう考えてもらって間違いないわね


 手元の資料にある限り、そんな荒れたお化け樹木トレントが大量発生したら森全体がもっと危険地帯になってるはず


 それこそ、他の植物系の怪物もそこら辺を跋扈して、正に魔の森になっているでしょうね」



「メイダにエルフが少ねぇのが仇になったか


 樹海の管理は山頂の組合が担当だった筈だが、少なくとも、以前に来た時にゃ組合所属のエルフは居なかった


 メイダの街にもエルフはからっきしだったしな


 森の異変に過敏に気付ける奴が誰も居ねぇ」



「冒険者でも中々進言出来る人は居ないわ


 ホワイトエルフが森の専門家とはいえ、私みたいに細かく察知出来る人はそうそう居ないでしょうし」



 溜め息を吐いた剣士は辺りを眺めると、ポットに入った追加のマディクスをカップへ注いだ。



「お前が森のことを話してると面白いな


 ダークエルフみたいな性格してるクセに言ってることはホワイトエルフそのものだ


 ちょいちょい混乱する」



 狙撃手がダークエルフと呼ぶ種族はホワイトエルフと対になる者達のことだ。



 彼らは身体的な特徴はさほど変わらないが、全体的に色素が濃く、褐色の肌と真っ黒な髪、真っ黒な瞳が特徴的で彼らは性格の明るい者が多く、好奇心旺盛で新しい物好きな傾向にあり、海辺を拠点にしているか、大きな船を用いて海上に住んでいることが多い。



 ホワイトエルフが持っていた、森に住まう古き慣習と強い警戒心、排他的思想を捨て、新天地を求めて海辺に適応し、他の種族と協力することを選んだダークエルフは、人々からと呼ばれている者達を指す。



『仕事をするならダークエルフ、友人にするならレッドドワーフ』という言葉があるほど、ダークエルフが友好関係を築きやすい種族なのはそれなりに有名な話ではある。



 狙撃手がホワイトエルフとダークエルフの差をよく知っているのは、ホワイトエルフの知名度と先の言葉による差が偏見として蔓延しているからだろう。



「育ちが良いって言って頂戴


 私、そういう古臭い慣習は冒険者になる時に捨てたつもりだから


 今更、種族間差別なんてくだらなくて仕方ない」



「あぁ、いや……


 確かにその通りだ


 すまなかった」



 そして、剣士と狙撃手のやり取りの通り、エルフとダークエルフ間はお互いに種族間差別が横行しているのも事実だ。



 中には例外もあるが、伝統と旧き遺産を守るホワイトエルフと伝統と排他的思想を捨て去ったダークエルフとでは、確執が続いているのも当然の話なのである。



「──でもまぁ、アンタのことだから、昔つるんでたエルフにいい思い出がないとかでしょ?


 叱る気があって言ってる訳じゃないから謝らないで


 ただ、私の性格がこうなのはダークエルフが育ての親だからってだけだし


 アンタだって妹がドワーフなんだから」



 やけに噛み付いたな、と、そんな感想を胸に抱きつつも狙撃手はポットに残ったマディクスを自分のカップに注ぎ切り、溜め息を吐く。



 妹のことを引き合いに出されれば何かしら反論をするだろうとタカを括った剣士だが、伺った狙撃手の表情は何処か懐かしげな様子で、口元が綻んでいた。



 それを見た剣士は何だか馬鹿らしくなった様子でマディクスをサッと飲み切ると、カップをポットの横に置き、両手で頬杖をついて焚き火を眺める。



「煽ってんだから、なんか言いなさいよ」



「言わねぇよ、アタシにだって墓場にまで持って行きたい思い出くらいある」



「そう、複雑な家庭事情してるのね」



「そっちは別に


 ウチは母親がダークドワーフで、父親がドワーフってだけさ


 5人姉弟で、アタシが長女、弟が2人と妹がメルミー含めて2人、アイツは姉弟で唯一のドワーフだ


 ダークドワーフとドワーフが結ばれてるってのは、社会的に見りゃ、アタシ個人としては嬉しいことだと思うし


 1人だけだとしても、どっちの種の子も出来てんなら、こんなに希望に満ちたことはない」



「ドワーフだって遺恨を抱えてるものね


 アンタに会うまで、そこまで深く考えてなかったけど、姿形が違うだけなのに折り合い悪いのは、異種族間であれ、亜種族間であれ、同族間であれ、誰も彼もそういう嫌悪感を持ってることが腑に落ちなかった


 アンタと出会って、明確な差を感じた時に、私の感じてた腑に落ちない感情が冒険者向きでよかったと思ったわ


 姿形が違っても、生きてて、話が出来るんだもの」



「理想論だな、綺麗事といってもいい


 お前のそういう育ちの良さ、アタシは嫌いじゃないんだ


 ──そんなお前が殺しを生業にしてたってのには気付きたくなかったが」



 同情にも似た虚しさを抱えた言葉、狙撃手の漏らした感想に、剣士は何処か寂しそうに笑った。



「──そうしなきゃ生きていけなかった訳でもないし、そうすることが楽しい訳でもない


 私の目的を果たすのに必要な技術を得るために、都合のいい相手を殺してきただけ


 私がそうしてきた人もそれなりの事情かんきょうだったり、都合りゆうがあったり、死ななければ来ていた予定あしたもあっただろうし


 でも、目は逸らせない、逸らしちゃいけない


 ルールを破ってても、私が壊してるのは人の営みであることに代わりはない


 そんなの全部織り込み済みで、私は私のためにしたいことをする


 其れが復讐むなしいことなんだから、辟易くらいはするけど


 それが、それを望む人のためなら、他でもない私の役目なのよ」



「そうかい


 さぞかし虚しいだろうが、それでもお前は走り続けたいんだな


 全く感服するよ」



「お褒めに預かり光栄ね


 雇ったのがアンタで本当に良かった


 この数週間、とっても気が楽なの


 誰かに話を聞いてもらえるって、そう思えるだけで安心するから」



 心底穏やかに微笑んだ剣士は、しばらくすると1つ欠伸をした。



 それにつられるように狙撃手も欠伸を1つ。



 そのままマディクスを飲み干した狙撃手がポットの横にカップを置くと、隣に置いていたライフルを手に取り、それの整備を始めた。



「安心したなら先に寝ていい、寝ずの番は年長者がやっておくさ」



「年長者ねぇ、アンタ今年で幾つなの?」



「28になる、ちなみにメルミーは15だ


 お前は?」



「24」



「じゃあやっぱりアタシが年長者だ


 早く寝ちまえ


 明日の朝からはまた山登りの続きだからな」



 まるで何もかもを見透かしているような素振りの狙撃手に、安心感を覚えながらも、少しの悔しさから剣士は立ち上がるのを躊躇っていた。



 それを横目に整備を続けていた狙撃手も、数分で痺れを切らし、わざわざ整備の手を止めて、武僧の寝ているテントの入口を開ける。



「寝ろガキンチョ


 明日もあるっった」



「誰が──」



「そうやって直ぐに噛み付こうとするのは、お前のどっかに甘えたい気持ちがあるってこった


 だから素直に甘えておけ


 今日のお前は喋り過ぎだ」



 冷ややかな視線を向けながらも、穏やかな声色で諭すように剣士へ言葉を送った狙撃手は、手を伸ばして剣士の頭に手を置いた。



「おやすみティレン


 今日はうなされないくらい良い夢見ろよ」



 狙撃手がニッと笑みを浮かべ、優しい言葉を送ると、思わず剣士は目を伏せ、拳を強く握る。



 頬を赤く染め、握った拳を震わせているのを確認し、狙撃手は剣士の頭から手を退かした。



「こ、子供扱い──」



「悪かったって!


 でも、お前なら分かンだろ?


 これでも結構心配してんだぜ、お前のことは」



 ふざけた様子の狙撃手であったが、ふと一瞬、悩ましげな表情、困ったように眉を八の字に傾け、小さな溜め息を吐く。



 それを見た剣士も肩の力を抜き、1つ大きな深呼吸をすると、落ち込むまでは行かずとも、僅かに寂しげな表情を浮かべて立ち上がった。



「……そう


 分かった、ありがとう」



「明日からも頼むぜ、相棒」



 剣士は遠慮がちに微笑んで頷くと、そのままテントへ入り、入口の幕を閉めた。



 焚き火の前で1人残された狙撃手は再び丸太に座り込むと、大きな溜め息を吐き、ライフルの整備を再開する。



 焚き火の弾ける音と風で揺れる木々の葉の音を聞きながら、狙撃手はぼんやりと空を眺めた。



 そして、ポツリと独り言を零す。



「明日は晴れそうだな」







 ──────







 ──翌日。



「──それじゃあ、飛竜ワイバーンお化け樹木トレントの依頼を並行して進めるってことですか?」



「無茶だと思うかい、メルミー?」



 雲ひとつない晴れ空の下、鳥の声が囁き合う森の中、試すような口振りで武僧の確認に言葉を返した狙撃手は妹の返答を待っていた。



 昨晩、剣士と狙撃手が話した内容を、二人が武僧に伝えた所、当の彼女はどこかあっけらかんとした様子で二人の顔を交互に見ている。



 というのも、武僧が起きた頃には珍しく剣士も早起きをしており、朝食の準備も済ませ、狙撃手も寝ずの番をしていたにも関わらずケロッとした様子で薪割りをしていたのだ。



 何より、剣士の様子に武僧は驚いていた。



「いえ……


 私は無茶だとは思いませんが、その……」



 剣士は、少なくとも武僧が起きた時からずっと、狙撃手から目を逸らしており、狙撃手が依頼について剣士に確認を取る際にもどこか生返事という状態。



 皮肉の効いた言葉を返すいつもの剣士の様子とはまるで違っていた。



「ティレンさん……」



「あぁ、コイツの様子がおかしい──」



「おかしくないから」



 狙撃手の言葉を遮るように全否定の返答で殴り付けた剣士の表情は明らかに、狙撃手のせいで機嫌が斜めになっていると主張している。



 昨晩のやり取りを知らない武僧からすれば、二人の間で何かあったのだろうと推測は出来るが、あまりに普段の様子からかけ離れた剣士の態度に困惑するのみだ。



「えっ、ティレンさん?」



「なんでもない」



「えぇ……?」



 流石にこの状態が続くのは良くないと思ったのか、狙撃手が一つ大きな溜め息を吐き、煙草を咥えて、指先に灯した小さな炎で先端を焼いて一服──



 もう一度大きく吐いた溜め息と同時に紫煙を吐き出すと、目を細めて剣士へ視線を向けながら口を開いた。



「ちゃんとお姉さんしろ、ティレン


 ガキンチョじゃねぇんだから」



「だ、誰が……!」



「いやおぇだよ


 寝て覚めてもへそ曲げてんのはダメだろ普通に」



 至極真っ当な意見で殴り返す狙撃手。



 それもそうだが、その前に叱った言葉の内容を思い出して狙撃手を二度見する武僧の表情は驚愕驚嘆のそれ。



 何事かと説明を求めるにも、あまりに頓痴気なせいで開いた口が塞がらず、またも剣士と狙撃手両人を交互に見比べ困惑している。



「──いや、そもそもアンタがッ!」



「拗ねんのは構わねぇけど、メルミーの前だって忘れてねぇか?


 まーだ寝惚けてるってんなら、向こうの水場で顔洗って来やがれド阿呆」



「ドぁッ……!?


 ──そうする」



 突然真顔になった剣士はそそくさと踵を返し──



 たと思った瞬間には脱兎の如く走り出し、数秒の後に姿を消し、また数秒の後、木々の向こうから水に飛び込むような音がキャンプまで響いた。



「お姉ちゃん、アレ──」



「そっとしておいてやれ、多分マディクスの飲み過ぎだ」



「あぁ……


 えぇ……?」



 数分後、何事もなかったかのようにずぶ濡れのインナー姿で、手には靴、衣服を持って剣士が帰ってきた。



 彼女はそのまま何食わぬ顔、というより、真顔で焚き火の前に座り、インナーを脱ぐと、焚き火の前でそれをヒラヒラとはためかせた。



「アンなぁティレン、せめてテントで替えのインナー着てからそれやれよなぁ?


 素っ裸でやってたら虫刺されでひでぇ目に遭うぞ?」



「私虫には刺されないから」



「あ、あの、不躾な質問なのですが


 ショーツなどは衣服と一緒に──」



「そう、マルっと脱いだ


 だから濡れたコレだけ乾かそうと思って」



「ダメだコイツ


 完全にマディクスの二日酔いだわ」



 こうなっては狙撃手と言えどお手上げである。



 マディクスによる二日酔いは体内に蓄積出来る魔素粒子の量が飽和し、白昼夢を見ているような状態と覚醒状態を交互に繰り返すと言われている。



 精神的には安定しているが、無意識的かつ突発的に行動してしまうなどの症状が出てしまう、というのが通説だ。



「メルミー、コイツの荷物はアタシが準備しておく


 お前もキャンプを出る準備をしておいてくれ


 コイツか酔いから醒めたら出発するぞ」



「分かりました


 ティレンさんにはあまりマディクスを勧められませんね……」



「アタシも迂闊だった……


 まさかたったの1、2杯でこんなことになるとは思わなんだ」



 苦笑いで狙撃手の言葉に応えた武僧はいそいそと荷物をまとめ始めた。



 深い溜め息を吐いた狙撃手の視線の先には焚き火の前でのんびりインナーを乾かしている剣士の姿が映る。



 剣士はどこか楽しそうで、見たことのないような笑顔、まるで、のような表情を浮かべていた。



 狙撃手はそれを見て目を丸くし、再び溜め息を吐く。



 そして、彼女は思わず奥歯を噛み締め、苦虫を噛み潰したような、剣士を酷く憐れむように、吐き捨てるように呟いた。



「──何が私の役目だよ」



 ──マディクスの酔いによって出る無意識的な行動に関して、愛飲者の中で有名な話がある。



 マディクスはその酔いの中で、普段、無意識的に蓋をし、最も渇望している生の感情を呼び起こす。



 心の奥深く、そこに宿る子供の自分の願望を表すのだ、と。



 剣士の浮かべている表情は、何よりも無垢な笑顔──



「やっぱり、ガキじゃねぇか」



 どうしてだ?



 狙撃手の頭の中で、昨晩の剣士の言葉が渦巻く。



 彼女はどうしてこんな心を使命感で蓋をしてまで殺しなどしなければならないのか。



 狙撃手は汚れを知っている。



 それが必要だということも。



 だが、それは大人がやることで、子供がやることではない。



 剣士がどんな人生を歩んできたかなど知る由もないが、自分を含め殺しを生業にする者達がマディクスに酔って出る症状は大抵、慟哭だ。



 怒り、悲しみ、憎しみ、それらがまるでコンクリートのようにドロドロに混ぜられ、あらゆる全てを放棄したがる姿を晒すのが普通であった。



 誰も汚れたことなどしたくはない、それが万人に共通したことだから。



 しかし、マディクスの酔いで笑っている姿を見せる者を、少なくとも狙撃手は目にしたことはなかった。



「早く乾かないかしら


 でないと、出発が遅れてしまうわ」



「ティレン」



 居ても立っても居られず、狙撃手は剣士に近付いて声を掛けた。



 彼女はただ、剣士のインナーが早く乾くように手伝おうと剣士の横に腰掛ける。



「あら、どうしたの?」



「乾かしてやる、貸してみろ」



「ありがとう──」



 狙撃手は剣士からインナーを受け取り、その中に手を突っ込んだ。



「──お母様」



 剣士の口から飛び出た言葉に、狙撃手の血の気が一気に引いていった。



 彼女はその言葉と、剣士の首筋に見えた何かに勘付き、その手を一瞬止める。



 そして、何事もなかったかのようにインナーを両手で内側から広げ、大きく空いた空間を蒼黒い炎で埋めつくし、瞬く間にインナーから白い煙が上がって、蒼黒い炎も一瞬で霧散した。



 狙撃手の手にはすっかり乾いたインナーが収まっていた。



 それを剣士に渡して狙撃手は立ち上がる。



 そのまま一つ大きな深呼吸をして、剣士へと目線を向けた。



 しばらくボーッとしていた剣士だが、ふと、その瞳に光が戻る。



「ティレン、アタシはお前の母親にゃなれねぇよ」



 狙撃手の言葉を聞いてか、インナーを受け取った剣士はそれを眺めながらゆっくりと口を開いた。



「──メルミーちゃんは?」



「テントの中で準備してるさ


 ようやく目が覚めたか」



「懐かしい夢を見てたの、私


 ほとんど覚えてないけど」



 過去を思い返すようにインナーを眺め、寂しげに微笑んでいた剣士だったが、ふと、肌に触れる風を感じ、自分の身に起きている違和感を探り始める。



 そうして数秒、自分が衣服を着ていないことに気付いた剣士は、頬から耳まで、それどころか顔全体を真っ赤に染め上げ、開いた口も塞がず、何かを訴えるように狙撃手の表情を伺った。



 それに狙撃手は咥えていた煙草を焚き火に吐き捨て、彼女の衣服を指差す。



 剣士は急いで立ち上がり、衣服を回収すると、そのままの勢いでテントへと駆け込んで行った──



 待つこと数分、準備を終えた武僧と剣士がテントから出て来て、三人が焚き火の前に揃う。



 剣士はすっかり顔を青ざめさせ、武僧がひたすらそれをフォローするように宥め、狙撃手は呆れた様子で焚き火に土をかけて消火した。



「ほんっとゴメン……」



「いえいえ、誰にだって羽目を外してしまうことはありますから……」



「それにしたって全裸はないでしょ私……」



 完全に意気消沈した剣士、猛省する彼女を見た狙撃手はまた一つ溜め息を吐いた。



 何かまた煽り文句が飛んでくるのではと身構えた剣士が狙撃手の様子を伺っていると、剣士の想像に反して狙撃手はどこか穏やかな表情を浮かべている。



「準備出来たか?」



「えぇ、テントさえ片付けたらいつでも出発出来るけど……」



「じゃあ、最後の片付けをしちまおう」



 明らかに様子のおかしい狙撃手のことを武僧に尋ねた剣士だったが、武僧は苦笑いするのみ、何がなんだか、少なくとも自分が目覚めるまでに何かしでかしたのだろうということまでは想像が付くが、そこから先が分からない。



「ティレンさん、マディクスの二日酔いのせいとはいえ、なんだか普段とすっかり雰囲気が違って驚きました」



「何か、とんでもないことをしちゃったみたいね、私……」



「テントでも言いましたけど、大したことじゃなかったんで大丈夫ですよ!


 お姉ちゃんも怒ってませんし」



「それだといいけど……」



 コソコソと内緒話をしている二人だったが、チラりとその様子を見た狙撃手に気付いてテントの片付けにそそくさと参加する。



 ものの数分でテントも片付き、一行の出発の準備は整った。



「うし、じゃあ、とりあえず山頂に向かって歩くぞ


 こっから先は依頼にあったお化け樹木トレントの群生地を目指すから山道から外れて進む


 視界も悪くなるんで、しっかり着いてきてくれ


 先導はアタシがやる、殿はティレンに任せた」



「分かったわ、何か分かればすぐに伝える


 メルミーちゃんも準備はいい?」



「はい!


 私はいつでも!


 昨晩はぐっすり寝たので調子もバッチリです!」



「オーライだ


 悪いが朝食は各々歩きながらで頼む


 起きてから随分時間を食っちまったからな」



「……ごめんなさいね」



 剣士の平謝りを合図に、一行は行軍を開始する。



 道無き道、木々の間をすり抜けるように急斜面を横にひたすら進んで、三人は目的地を目指して行った。



 そうして、歩くこと2時間程。



 景色は急斜面から平地に変わり、かなり拓けた場所に三人は到着した。



 多少開墾した様子もあり、その広さは半径20パース程。



 そこは過去にベースキャンプを張ったであろう痕跡があり、風雨に晒されて朽ちたテントや焚き火の跡が残されていて、形状はキャンプ跡を中心とした円を画いている。



 中央のキャンプ跡にまず狙撃手が近付き、その痕跡を調べ始めた。



 それに合わせて剣士と武僧は周囲の警戒を強め、数分が過ぎる。



 そこから最初に口火を切ったのは狙撃手だ。



「朽ち方が不自然だな


 焚き火の痕跡から見るに、ここにベースキャンプを張ってたのは1週間くらい前だとは思うが


 テントを含めた人工物の腐食が酷い」



「こっちは特に異常ないと思います


 怪しい気配などもありませんし」



 二人の報告から少し間が空いて、次に剣士が周囲の様子について、訝しげに報告を始めた。



「やっぱり静か過ぎるわ


 この辺ってもう群生地のすぐ側なんでしょ?」



「そうだ、ここから東に距離500辺りがお化け樹木トレントの群生地な筈だ」



「ヴェリア、人工物の腐食についてもう少し詳しく話せる?」



「あぁ、二人ともこっちに来てくれ」



 狙撃手の呼び掛けに剣士と武僧の両名がキャンプ跡へ駆け寄り、立ち膝を突いてテントの支柱を手に取った狙撃手が改めて口を開く。



「コイツなら分かり易いな


 このテントの支柱だが、一般的なテントの金属支柱だが、折れた両端の錆だけが酷い


 コイツぁ、自然的な要因じゃ有り得ねぇ」



「とすると、酸を吐くような動物とか、魔術が原因ですかね……


 でも、メイダ樹海に酸を使うような動物は居ないし、冒険者が自分たちの使うテントを魔術でっていうのは考えにくいですし」



「こういうのが得意な魔術使いとすれば、錬金魔術使いアルケミストだと思うけど、お化け樹木トレントとの関係性が取れないわ


 そもそも、お化け樹木トレントの使役が出来る魔術使いなんてまず居ないでしょうし


混沌なる者共クリーチャーズ』の仕業って考えるのが一般的ね」



「およそその見立てで合ってるとは思う


 が、ティレン、それでも違和感あるんだろ?」



 狙撃手の質疑に頷いた剣士、辺りを改めて伺った彼女は二人の表情を交互に確認し、自身の中で引っかかっていることについて話し始めた。



お化け樹木トレントを従える怪物が居るとすれば、同じお化け樹木トレントの大型種に当たるお化け大樹トレントグレートか、植物系の怪物を束ねるアルラウネくらいでしょう


 でも、それが居るならこの森に人が入った時点でもっと騒がしい筈よ


 アルラウネは縄張り意識が強いし、お化け大樹トレントグレートに至っては森に居る間ずっと耳元で酷い呪詛を吐き続けられるわ


 後者は基本的に温厚だからそんなことは滅多に起きるもんじゃないし、ホワイトエルフが居るなら尚更ね」



「じゃあ、その線も概ね無しだな


 と、なると、残る可能性は軒並み厄介案件だな」



混沌なる者共クリーチャーズに限らず、高度な魔術を行使出来る魔術使い……


 ってことですよね」



 武僧の言葉を聞いて立ち上がった狙撃手は改めて東側へと視線を向け、大型ライフルあいぼつのコッキングハンドルを引いて弾丸を装填する。



「一番面倒なのがそのパターンだ


 今のメンツだと、ちょいと分が悪い」



「対人戦ならともかく、魔術への対抗策もそこまでしっかり出来てる訳じゃないし


 せめて医療魔術使いウィッチドクター、最高なのは動力魔術使いソーサラーだけど


 ないものねだりは出来ないから逐次対処するしかないわね」



 剣士の言葉の後、三人は揃って森の東側へと視線を注ぐ。



 形容するなら、鬼が出るか蛇が出るか、先の根城潰しと比べて危険な手合いなのは火を見るより明らかだ。



 ここからの指示を確認するように剣士が狙撃手の方へ視線を戻すと、彼女は一つ頷いて武僧へ視線を流した。



 剣士の様子を伺い、狙撃手からの指示を仰ぐように振り向いた武僧と視線が合った所で、狙撃手は二人に見えるようにハンドサインを出す。



 剣士への偵察指示だ。



 昨晩の根城潰しを経て、三人の間には明確なルールが生まれていた。



 ハンドサインによる剣士への偵察指示は、同時に、以降の指揮を無発声かつハンドサインのみで行う合図でもある。



 これは兵役経験のある狙撃手のノウハウから分隊指揮の技術を取り入れた、速やかに連携を取るための決まりであり、策。



 剣士はその指示に従い、森の東側へと歩を進め、木々の向こうへと姿を消した。



 それを確認した狙撃手は右耳を軽く指で弾くと、右目のみを覆うバイザーと一体化した右耳をすっぽりと覆う通信機が出現する。



 通信機が出現してすぐ、それからアンテナが伸び、バイザーの上部から小型のマイクが降りたのを確認した狙撃手は通信機に右手を当てて周囲の警戒を始めた。



 同時に武僧へ視線を向け、自身の左耳に触れるジェスチャーをする。



 それを見た武僧は慌てた様子で左耳に着けたピアスに触れ、用心深く音声が聞こえるか確認し、改めて狙撃手の方へ視線を戻して頷く。



 それから数分、木々が風に揺れ、葉の擦れる音が聞こえる空間で、二人は剣士からの報告を待っていたが、一向に知らせがない。



 左腕に着けた時計を確認した狙撃手は、武僧へハンドサインを出すと、森の東側へ向かって歩き出した。



 そうして、武僧と共に森へと足を踏み出そうとした──



 その瞬間のことである。



 突如、二人を強烈な地鳴りが襲ったのだ。



 立つこともままならない程の揺れに、二人は急いでキャンプ跡へと転がるように退避し、狙撃手は通信機に右手を当て、口を開いた。



「ティレン!


 そっちは無事か!?」



 狙撃手の言葉に返事はない。



 そして、地鳴りがピタリと止む。



「お姉ちゃん!


 ティレンさんは!?」



「ダメだ、返事がねェ


 只事じゃねぇぞコイツぁ……」



 再びの静寂、木々の擦れる音だけが二人の耳を刺激する。



 ふと、狙撃手が妙な違和感に気付く。



「なるほどな、確かに



「えっ?」



「動物の声一つ、鳥の歌一つ無いってのは明らかにおかしいだろ


 少なくとも、この辺りに来るまではそれがあった筈だ」



 そういえば、と、武僧もこの状況の異様さに気付き、周囲を警戒する。



 そうして耳にしたのは耳をつんざくような咆哮だった。



 それがした方向、二人は真上へ同時に目を向ける。



 そこに居たのは、青い鱗と甲殻、大きな翼と強靭な鉤爪を持つ二つの脚、長い尾。



 ブルフリグ、青い飛竜ワイバーン、凍息竜が二人の頭上に現れたのである。



 青い飛竜ワイバーンは鎌首をもたげ、大きく口を開くと、液状の塊を二人へ向けて吐き出した。



「マズい!」



 瞬時に反応した二人はその場から再び転がるようにして退避し、液状の塊の直撃を避ける。



 着弾した地面は一瞬で凍りつくだけでなく、氷柱が生えており、そのブレスの威力の凄まじさを物語っていた。



 二人がブレスの威力を見て絶句していると、飛竜ワイバーンは地面へと降り立ち、二人を交互に眺めて再び大きく咆哮する。



 しかし、一向に襲いかかる様子がなく、飛竜ワイバーンはまるで二人が立ち上がるのを待つかのように鎌首をもたげた。



飛竜ワイバーンが賢いってのは知ってるが、ここまで律儀だってのは聞いたことがねぇな」



「えぇ、まるで人馴れしているような……」



 武僧の言葉に二人は顔を見合わせ、同時にゆっくり立ち上がる。



「このはぐれ飛竜ワイバーン、かなりの訳アリと見た


 死なねぇ程度に仕留めるぞ、メルミー」



「えぇ、ティレンさんは気になりますが、こちらも必要な仕事です


 向こうからやって来たのですから、しっかりとお相手をしなければ、ですね!」



 二人の会話を理解しているのか否か、二人が戦闘態勢を取ったのを確認した飛竜ワイバーンは体勢を低くし、低い声で唸った。



 そして、3度みたびの咆哮。



 1歩、2歩、前へと躍り出る武僧。



飛竜ワイバーンのお相手は初めてですが、この拳、存分に振るわせていただきます


 いいですね、お姉ちゃん?」



「あぁ、見せてみろ、お前の成長っぷりをな!」



 狙撃手が大型ライフルあいぼうを腰に構え、武僧が拳を構える。



 かくして、飛竜ワイバーン童子ドワーフ姉妹の戦いの火蓋が切って落とされた。






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