屍山血河




 響き渡る悲鳴、阿鼻叫喚の断末魔、噴き出す血潮、巻き散る五臓六腑。



 暗がりの洞窟で繰り広げられる虐殺の数々。



 脅える女子供も容赦無くその凶刃に倒れ伏し、頭を垂れた頭目も為す術なく弾け飛ぶ。



 これが人に向けられたものならば非難轟々、彼女らは日向の元を歩くことは叶わなかっただろう。



 狙撃手はサブウェポンとして所持していた消音器装備のハンドガンを手に、小鬼の遺体をひとつひとつ確認していく。



 積み重なる遺体の山から、まだ細く息のある小鬼の子供を見付けた彼女は表情一つ変えず引き金を2度引き、その小さな頭と心臓に銃弾をめり込ませた。



 読んで字の如くの虱潰し、火を見るより明らかな殺意の下に敷かれる徹底した殺戮。



 剣士もまたひとつ、息のある小鬼を持ち上げては、その喉笛を短剣で掻き切る。



 静かで、暗い、小鬼が生きる為に整えた根城は、ことごとく、渇いた音が鳴り響く度に、亡者の園へと変わっていった。



 作業を続ける二人と打って変わって、武僧は近くの岩肌に背を預けてその様子を見ていた。



 すっかり疲弊した彼女の目に映っていたのは、苦悶の表情を浮べた雌とその子供と思わしきゴブリンの遺体。



 彼女は、自身が何をしているのか、何をしていたのかと、ずっと自問自答していたのである。



 当然、答えが出る訳もなく、二人が淡々とこなしている作業も、当の二人からは手を出さなくても良いと告げられ、休息になるとも思えない休憩時間を過ごしていた。



「──よし、これで全部だな」



「今の所3つ目、残りの根城は?」



「確認出来る限りだと、この周辺にはあと1つ


 これまで通り、ここの入口にも消音用の妨害ユニットを設置してあるから、まだ、気付いては居ないはずだ


 ラッキーな話、風向きもまだ変わってないんだろ?」



「そうね、外に出てみないことには分からないけど、森の様子を見るに、この辺りの風は概ね同じ方向に流れてるみたいだから


 今まで通り、その残りの根城が風上にあるなら、物理的には探知されてない筈よ


 ……呪術に長けたのが居なければ、ね」



 現状の確認、今後の行動方針、それらを簡潔にまとめ、アイコンタクトを取った二人は、武僧の方へと歩み寄る。



 肩で呼吸をし、俯いた様子の武僧の肩を軽く揺らした狙撃手は、彼女の頭を起こし、その目をじっと見詰める。



「──あぁ、ティレン作戦変更だ


 メルミーが潰し損ねた呪詛の罠を踏んだらしい


 瞳の濁りが酷いなこりゃ、モノとしては軽いが時間稼ぎには充分な代物だ」



「切れ者アリ、か


 プランはパターン2に変更で良い?」



「プランパターンは3だ


 1度キャンプに戻って解呪する


 そこから改めて索敵を確認して、残った根城に籠城してるならそのまま叩く、部隊が展開してるなら、逃げ出す奴らから叩く


 その場合、狩りに出るのはティレン、お前がやってくれ」



「分かったわ」



 ぐったりとした様子の武僧を狙撃手が肩に担ぎ、剣士とアイコンタクトを取った彼女は、洞窟の入口を目指して歩いていく。



 洞窟の中は人間の目やゴブリン達にとってこれ以上にない暗闇となっている。



 これは、三人が突入する際にゴブリン達が用意していた照明、壁掛けの松明を真っ先に落としたからだ。



 ここまでで3つのゴブリンの根城が三人によって破壊されているが、その行動は全て事前の打ち合わせによってパターンが固定化されていた。



 ──6時間前。



 一行がメイダ樹海に入って1時間としない頃。



 日没まであと1時間程といった辺りだろうか。



 狙撃手の指示の元、簡単に舗装された山道から少し外れた地点にベースキャンプを設営していた。



 ベースキャンプは傾斜のなだらかな場所、且つ、大きな木の根元を利用して設営され、使用するテントは至る所に周辺から掻き集めた落ち葉で偽装を施している。



 こんな凝った外装にしているのも、彼女らがこの一晩でゴブリンの根城全てを根絶やしにすることを目標としていたからである。



 ゴブリンは生息する場所によって活動時間がまちまちなのだが、山道付近で報告されるゴブリンは主に昼過ぎから夕方までの被害が多く、恐らくは昼行性だろうという情報があった。



 その為、根城にゴブリンが集結しているであろう時間を見計らい、逃げ出すゴブリンを最小限に留めようという算段を立てたのだ。



 ベースキャンプ設営の後、狙撃手は改めて索敵用ドローンを射出し、周囲一帯の生体反応を徹底して調べ尽くした。



 結果、ゴブリンの根城と思わしき場所が4つ、地形としてはいずれも天然の洞窟を利用した横穴式住居となっている可能性が高く、密集の度合いから根城が出来てから差程時間は経っていないのではないか、と、推測。



 それぞれの洞窟内に生息しているのはおよそ20〜30体程度、見張りは洞窟周辺に5〜6体割いており、想定したゴブリンの合計数は多くとも150体には満たないだろうと結論付けた。



 当然だが膨大な数である。



 総勢150体に対して一行はたったの三人、歴史上で見れば、このような割合で相対した戦場での勝利もなくはないが、あくまで、一行は一介の冒険者と傭兵だ。



 相手がゴブリンであることを加味するならば、普通、正面を切って戦うことは絶望的な状況を通り越した冥府への直行便と例えていい。



 が、そこは腕利きの斥候である剣士の技量と狙撃手兼元軍師の作戦立案を駆使すれば、自ずと覆せる。



 まず、一行にとって幸運だったのが根城同士がそれほど近くにある訳ではないという点。



 これは、増援を呼ばれにくいことと、洞窟内で戦闘を行ったとしても、内部でそれぞれの根城が繋がっていない限りは、襲撃が感知されにくいことを意味する。



 ただ、狙撃手曰く、ベースキャンプにて生態行動を確認している際、根城内部に潜んでいるであろうゴブリンが、内部側でそれぞれの根城間の移動がないと判明したとのこと。



 不安は残るものの、武僧と剣士は彼女の言葉を信じつつ、剣士が最終的に確認を行う方向で話は収まった。



 ──さて、具体的な襲撃方法であるが。



 まず、剣士が洞窟周辺で警戒している見張りのゴブリンを殺害することから始まる。



 この際、狙撃手が遠方からの狙撃で補助を行っていく。



 狙撃の際の爆発音は、彼女が持つライフルのマズルブレーキを消音器付きの物へと換装することで解決した。



 そして、見張りのゴブリンを排除し、根城周辺のクリアリングが完了した後、狙撃手が武僧と共に剣士と合流、剣士が索敵用ドローンを伴って隠れながら内部へと突入する。



 この際、武僧が入口付近で陽動の為、照明用の松明等を破壊し、一定数、武装したゴブリン達を誘き寄せ、狙撃手と共にその数を減らしつつ、洞窟の奥へと進行していく。



 内部へ突入した剣士はまず、設置された罠をひとつひとつ潰し、その根城のリーダーを探して殺害、洞窟内部をドローンと共に探索しつつ入口付近まで戻り、武装したゴブリンを挟み撃ちにする。



 そうして最後、冒頭で語った惨劇──



 非戦闘員であるゴブリンと、息のあるゴブリンを徹底的に殺戮するのである。



 以降、彼女らは同様の方法で3つの根城を制圧していくが、アクシデントが起きたのは3つ目の根城、武僧が呪詛の罠を踏んでしまったことだ。



 剣士が語ったプランパターン2であるが、武僧、或いは狙撃手にアクシデントがあった場合、剣士がドローンを伴って残りの根城へと潜入するというプランである。



 その間に、狙撃手または武僧、アクシデントに見舞われた方に応急処置を行い、遅れる形で次の根城へ向かうというもの。



 狙撃手が今回提案したプランパターン3というのは、本来、今回の作戦の要である斥候役の剣士がアクシデントに見舞われた場合のプランなのだが──



 武僧が呪詛の罠を踏んだ、というのは想定外でないにしろ、それだけ負担の大きな状況であることを意味していた。



「──それで、解呪するって言ってたけど、アンタ呪い師でもないでしょう?」



「アタシはな、だがコイツは洗礼を受けたれっきとした神官だ


 万全な状態の神官なら、呪詛の類は神性から授与される加護で跳ね除けられるが、それも気力が減るなり、精神面に不調が出れば、受けられる加護も減ってくる


 言っちまえば、神性からの加護ってのはある種の強力な呪いだ


 一方の呪いが強力ならば、その他の呪いを受ける余地はなくなる


 だが、元々受け取れるものが減ってくれば、そのスペースに余白が出来、別の呪いがその余白に侵食してくるって寸法さ」



 狙撃手は首を傾げる剣士を見て、例え話として、鞄の中に大量に物が入った状態では他の物は入れられないだろう?



 と、問い掛け、加えるようにそんな大量に物が入った鞄をずっと持っていると、本人は疲れてくる、疲れた本人はその負担を軽くする為に、鞄の中身を1度外へ出しておく。



 そんな状態で突然、鞄に異物が混入し、鞄の重量が意図せず増加している状態が呪詛、呪いを貰っている状態だと説明した。



「……ふーん、じゃあ、私らがそういう呪詛を貰ってないのはどうして?」



「まぁ、詳しいことは分からねぇが、さっきの鞄の例で説明すると


 例え空っぽな状態で異物が混入してたとして、元気な奴だとそこまで異物の重量も気にならねぇし


 何なら異物だって気付いた時点で棄てるだろ?


 気力が落ちてると、それに中々気付けず、呪いの影響を受け続ける


 が、棄てちまえば、その時点で呪詛は返したことになる


 呪いってのは賜りもんだ、賜ったら返すのが原則ってのは分かるだろ?」



「なるほどね


 アンタがヤケにそういうの詳しいってのは分かったわ」



 狙撃手はそんな興味無さげな剣士の様子に苦笑しつつ、肩に担いた武僧の様子を伺い、再び口を開いた。



「ともかく、早い話がコイツの解呪には休憩が必要ってことと


 コイツが背負っちまった異物を取り除く為に、本来コイツが背負ってるモンを背負い直して貰えばいい


 ちと荒療治にはなるが」



 周囲を警戒しながらベースキャンプへと向かう二人。



 途中、索敵から帰ってきたドローンが狙撃手の背負う箱へと戻り、それによって得られた情報を、モノクル越しに確認した狙撃手は、ベースキャンプ周辺に敵影がないことを剣士へ伝える。



 ベースキャンプに三人が到着したのは、3つ目の根城を出てから30分程経った頃となった。



 到着してすぐ、狙撃手は武僧を近くの切り株に座らせ、意識の確認をする。



 武僧はすっかり衰弱した様子で、呼吸も浅い。



 疲労困憊、というのもあるだろうが、焦点が定まっていないこともあり、恐らくは何かの思考が1つの項目で埋め尽くされているのではないか、と、狙撃手は診断した。



「メルミーちゃんが疲弊してるのは分かるけど、そこまで分かるアンタもアンタで中々気持ち悪いわね……」



「現場で兵士のメンタルをチェックするのもアタシの仕事だったんだよ


 アタシが居たところは軍医が少なくてね


 真似事でも知識だけは叩き込まれたもんさ」



 狙撃手は一通り武僧の様子を調べ終えると、ポケットから煙草を取り出し、それを咥えて人差し指から黒い炎を灯して、煙草の先端を焼く。



 しばらく、それを蒸して、煙を武僧の周囲に吹き掛けると、武僧が装備していたグローブを外し、彼女に拳を握らせると煙草の先端を手の甲へと押し付けた。



 ──紛うことなき根性焼きである。



「何してんのアンタ」



「ちょっと静かにしてろ」



 振り向きもせず、剣士を一蹴した狙撃手。



 一層の力を込めて煙草の火を武僧へと押し付けていくと、突如として武僧の手の甲に火が灯ったのである。



「来た来た来た来た!


 メルミー!


 起きろ!


 祈れ!」



 狙撃手の言葉に、一瞬ハッと目を見開いた武僧は目を瞑って瞑想を始める。



 それに合わせて狙撃手は武僧から離れ、剣士にも彼女から離れるようにハンドサインを出した。



 すると、次第に武僧の手の甲に灯った炎が肥大化し、もう片方の拳にも着火、拳全体を炎が覆う。



 数十秒、武僧の拳が燃え盛ると、ゆっくりと鎮火して行き、武僧が目を開いた。



「……ええと、ここは」



「ベースキャンプだ


 メルミー、調子はどうだ?」



「少し頭が痛いです……


 でも、ここゴブリンの根城じゃ……?」



「呪詛を貰ってたのよ


 一旦拠点に帰って、あなたの解呪を優先したの」



 ホッとした様子の剣士と狙撃手、それを見た武僧は申し訳無さそうに目を伏せ、小さく溜め息を吐いた。



「修行不足でしたね……


 すみません、お二人にご迷惑を……」



「おっとメルミー、ストップだ


 まだ解呪が完全じゃねぇ


 落ち込むとまた貰っちまう


 火起こしを頼めるか?」



 再び目を見開いた彼女は、改めて自力で拳に炎を灯し、1度鎮火させた焚き火跡へとその炎を投げ込んだ。



 残っていた薪に火が灯り、しばらくすると、ベースキャンプ全体を照らせる程度の大きさに炎が成長した。



「うし、追加の薪はまだテントの中にあったな


 とりあえず、しばらく焚き火でもしながら夜食がてら休憩しておこう」



「分かったわ


 しかし、まさか根性焼きとはね……」



「根性焼き!?」



 ──武僧の気力が復活した要因、いや、これは方法と言うべきなのだが。



 兎も角、それに最も驚きの表情を見せたのは他ならぬ武僧の方であった。



「気合い、入ったろ?」



「えぇ……?


 姉さん本当なんですかそれ……」



 新たな薪を運んで来た狙撃手は、1度荷物をテントの前に置き、手にしていた薪の内、細めの物を1本焚き火へと投げ込む。



 剣士も近くの切り株に座り、ポーチから干し肉を取り出して、武僧と狙撃手に手渡してからそれを齧り始めた。



「本当だが?


 お前さんが信仰してる神様ってのは、炎の神様だ


 ちっとばっか無理矢理じゃあるが、お前が普段拳に炎をまとって祈りを捧げてるみてぇだったから


 逆に火種自体を拳に押し付けりゃ、神様とのパスが繋げられると思ってな」



「いや、どんな理屈よそれ……」



「昔な、一兵卒の頃に世話になった上官から面白い話を聞いてよ


 神官ってのは、祈ることで賜りモンを受け取るんだが、何らかの理由で祈れなくなった時に、賜りモンに近い物を神官に与えると、一時的に神様の方から呼び掛けてくれるらしくてな


 神様が呼びかけて来たら、真っ当な神官なら何が何でも応えなきゃならんから、何もかんも放っぽり出して祈り始めるんだと」



「あー、なるほど


 荒療治ってそういうこと……」



「えーと、つまり……?」



「さっきティレンには話したんだが、神様からの加護ってのは呪いに良く似てて、滅茶苦茶に精神を圧迫するモンなのさ


 加護の方は修行している内に身体に馴染むが、呪いはそうもいかない


 精神的な力を使うスペースに呪いっていう余計なモンを棄てさせるのに、無理矢理神様からの加護を賜って呪いを追い出したんだ」



 ただただ感心するだけの武僧に、呆れ果てた様子の剣士は、干し肉を口に咥えたまま、狙撃手の方をじーっと見詰める。



「別に実験でやった訳じゃねぇぜティレン


 前例を知ってたから、確信を持ってやったことだ


 ちなみに、前例もメルミーみたいに呪詛を貰って錯乱してたんだが、水に関する神様を信仰する神官だったんで──


 前日の雨で増水して流れが早くなった川に放り込んだ」



「はい!?」



「……で、その神官はどうなったの?」



「当然生きてたさ


 っても再会したのは次の日、下流の方へ歩いて探しに行って居なかったんで、諦めて駐屯地に行ったら自力でそこまで帰って来てた


 あまりにピンピンしてたんで隊のヤツら全員ドン引きだったがな」



 呆気に取られる二人であったが、ふと、狙撃手は思い出したように、メルミーの方を向いて口を開いた。



「あぁそう、言っておくがメルミー


 意識は出来てないだろうが、今お前のメンタルには滅茶苦茶な負担が掛かってる筈だ


 いいか、よく聞け


 お前は今、お前が信仰する神様に呪詛を貰ってるのと変わらない


 撃ち過ぎは厳禁だ、一昨日トロールにぶっぱなしたレベルのモンは3度が限度だと思え


 それ以上はお前が信仰する神様に身体を



 狙撃手の忠告に武僧は目を丸くし、齧っていた干し肉をポロりと落としてしまった。



 彼女は慌てながらもそれを再び宙で掴み、口に運ぶが、その手が途中で止まる。



「乗っ取られるっていうのは……」



「……これも前例で言った神官の話だ


 ヤツも戦場で神に祈り続け、その賜りものの力を使い続けた


 が、ヤツはその力の使い過ぎで、気をおかしくしちまってな


 水が視界に入らない状況では正常な思考と活動が出来なくなっちまったのさ


 ──今お前は無理言って神様から賜り物を貰うことで呪詛を返した


 今度は、お前が神様に何かを返さなきゃならねぇ


 となると、祈るしかねぇだろ?」



「はい……


 神官は神に祈りを捧げ、その賜り物として、神の一部とも言える力を一時的な授かります


 でも、それなら普段と変わらないんじゃ……」



「今決定的に違うのは、お前に掛かっている精神的な部分での負荷だ


 祈りっていうのは、大雑把に言えば心の一部を神様に供物として捧げること


 健康で、精神的に余裕がある時は、邪な念だったり、自身にある心の澱みみたいなモンが捧げ物になっていくが


 精神的に追い詰められた状態のお前が今捧げられるのは、お前自身が余剰だと思っていない部分になる


 まだしばらくはそういう余剰もあるだろうが、さっきの荒療治である程度の余剰物は持っていかれている


 なんで、使い過ぎると、お前の信念なり何なりも神様に食い潰されることになる


 今のお前はある種余計なものが無い状態に近い


 疲労はあるだろうが、気持ちの面ではかなり余裕があるように感じるだろう?」



 絶句。



 武僧はぼんやりと口を開けたまま、その顔色がどんどんと悪くなっていく。



 まさかそんなことが、とでも言いたげな、不安と驚き、困惑と迷いが混ざった何とも澱んだ表情を浮かべていた。



「ど、どうすれば良いのですか、私は……」



「祈るなとは言わねぇ、ただ、程度は考えた方が良い


 その辺も含めて、あと10分もしたら最後の根城を落とす算段を伝える」



「そうね、メルミーちゃんがどんな状態であれ、事を進めてしまった以上、今夜の内にケリは付けておきたいわね


 夜が明ければ、自分達の状況に気付いたヤツらが散り散りになる可能性は低くないし


 下手に休んじゃうと、その最中に報復されるかもしれない」



 明らかな動揺を見せる武僧に対し、剣士と狙撃手は極めて冷静だ。



 彼女らが歴戦の猛者であるのはそうだが、この仕事が最初から最後まで危険に満ち溢れており、細心の注意を払い続けなればならないと理解しているのも要因としては大きい。



 ゴブリンとは、そういう手合である。



 と、普段から茶々を飛ばし合う仲にまで親密になっていた二人が、息を合わせ慎重に行動していることから、そう如実に示されていると取って良いだろう。



 とはいえ、明らかに動揺を隠せないで居る武僧の様子を見ていた狙撃手も、多少困ったように後頭部を掻いて唸る。



 実の妹がアイデンティティを奪われつつあるのも、とうに理解している。



「まぁ、アレだメルミー


 逆に言えば、デカいの3発だけで何とかすりゃいい


 その点、少なくともアタシは問題はないと思ってるぜ」



「それに関しては私も


 どうせ内部に侵入して仕掛けるのは私なんだし、ちょっと肩の力抜いて、気楽にゴブリンをボコってやれば良いだけの話よ


 一体一体は御するのも難しい相手じゃないんだから、ぶん殴って確実に行動不能に追い込めば問題なし


 向こうも馬鹿じゃないから、力量差が分かってる相手に下手な真似は出来ないもの」



「そういうことでしたら……


 私はお二人の出すプラン通りに動きます!


 何とか、力は絞り出して、せめて足手まといにならないようには!」



 剣士と狙撃手の目を見ながら拳を作り、真剣な眼差しを二人へと送る武僧であったが、その拳は彼女自身の意識に対して、小刻みに震えている。



 本人に自覚があるかは定かではないが、二人は互いに視線を交わし、彼女のやる気を買うにしても、まだ休息は必要だろう、と、意見が合致していた。



 二人が頷き合うと、狙撃手は横に置いていた箱を操作し始め、いくつかの索敵ドローンを再び射出する。



「足手まといにはならないわよ


 これまでにもう3つも根城を潰し終わってる訳だし、結果は出てるようなものじゃない?


 次もやることは変わらない、そういうことなら、あんまりナーバスになることもないわ」



「そうだと良かったのですが……


 なんだか、二人に着いていくのが精一杯で


 自分がちゃんとお二人の役に立っているのか、不安で仕方がないんです」



「……本当の足手まといだったらね


 今頃私達は1つ目か、良くて2つ目の根城でバラバラになってるか、マシな方で生殖用の道具にされてる所じゃないかしら


 ここまでメルミーちゃん含め、私達三人が生き残ってることが何よりの証拠


 運が良かったとか、確かにそれもあるかも知れないけど、それだけで何とかなる程、今のこの作戦は甘くないのよ」



 剣士は頬杖を突きながら、穏やかな声色でそう話すと、咥えていた干し肉を噛み千切り、ゆっくり咀嚼を繰り返す。



 チラリと武僧の方へと視線を投げた剣士は、顎で彼女が持っている干し肉を指し、早く食べるようにと促した。



 はたと気付いた武僧は干し肉を齧って、その硬さに少し驚く。



「初めてって訳じゃないでしょ、それ


 よっぽど緊張してるのね、メルミーちゃん」



「あははは……


 すみません……」



「よく噛んで、しっかり食べて


 あんまり休憩する時間は取れないけど、せめて肩の力だけでも抜いて頂戴


 泣いても笑っても行きの山道での仕事は次の根城を潰せば終わるし、その後に山登りが待ってるんだから、楽しんでおかないと」



 優しく微笑む剣士に、目を大きく丸くした武僧。



 楽しむ、という発想が抜けていたことに気付いた、顔だった。



 あぁ、どうして忘れていたのだろう──



 冒険はいつだって恐ろしく、苦しいこともあるが、それ以上に、楽しく、嬉しいことも沢山あるのだと。



 そんな大切なことを武僧はようやく思い出したのだ。



「──そうですね


 楽しむ……


 大事なことです」



 武僧は自分の開いた手の平に視線を移し、人差し指から中指、薬指から小指と順番に指を折り畳み、最後に親指を折り畳んで、強く拳を握り込んだ。



「そうよ、大事なこと


 色々と思い悩むことだって必要かも知れないけど、結果も過程も放って、考えないのも時には必要だから」



「はい!


 今は、この拳で出来ることを、やれることだけに集中します


 それが今の私に分かることですから……」



「その意気だぜメルミー


 確かにやるこたァ、ゴブリン相手とは言え殺しに変わりはねぇ


 が、奴さんらはアタシらの領域に踏み込んだ無法者だ


 無法者には無法で返すのが道理ってもんさ」



 狙撃手、武僧の姉はカカカと笑い、二人の元へ戻った。



 しばらく間を置いて、彼女は二人の様子を軽く伺うと、改めて口を開く。



「で、だ、今しがた最終確認の為にドローンを飛ばしたが、プランはそこまで変えずに行く」



「私が根城に侵入、頭を落として、その間にメルミーちゃんが陽動、アンタがバックアップって感じね?」



「基本はそうだ


 つっても、今回はアタシも陽動に加わる


 何しろ最後の根城だからな、集まれる仲間はもうその中に居る奴らだけだ


 派手にやる」



 それを聞いた剣士が片眉を吊り上げ、狙撃手の方を見やると、狙撃手は後ろからライフルを取り出して簡単なメンテナンスを始めた。



「陽動を始めるまでのタイムは5分、前回までの半分の時間だ


 ティレンには出来るだけ早くヘッドを叩いて欲しい


 罠の破壊はそこまで優先しなくていい


 危険性が高いものだけ壊せりゃ十分さ」



「それはまた、どうしてです?」



「戦場にするのは入口付近だけで良い


 門番を狙撃したら直ぐにメルミーと合流し、時間を待って陽動を始める


 戦力のある奴らが奥に逃げ込むと対処が遅れる可能性もあるしな


 アタシらで入口を塞ぐように陣取れば、そのまま袋叩きにすりゃいい」



 分かったような分かっていないような、そんな素振りで頷いた武僧と、真剣な面持ちで頷いた剣士。



 それを確認した狙撃手は左の手首を確認する。



 視線の先には金属製の腕時計、12と60の時を刻む円盤と、長短の針、それを覆う透明な板と平たい鎖で構成された珍しい逸品だ。



 その時計が今、ちょうど日付の変わり目を示していた。



「──ちと早いが、そろそろ配置に着こう


 最後の根城はここから北西に少し登った崖下にある


 これまでと変わらず、ティレンには先行してもらう


 メルミーはアタシと一緒に狙撃ポジションだ」



「了解、まだ幸い向こうは風上ね


 手早く仕事は済ませてくるわ」



「任せる、こっちの狙撃を合図に奥からターゲット達を追い詰めてくれ」



 不敵な笑みを浮かべて鼻を鳴らした剣士は近くの木に飛び乗ると、そのまま瞬く間に夜の闇に消えてしまった──







 ──────







 欠伸を1つ。



 背伸びを1つ。



 目を細める。



 目を擦る。



 首を横に振る。



 そして──



 頭が吹き飛ぶ。



 真後ろの壁に叩きつけられたそれは、良く語られるよう、まるで潰れたトマト。



 異変に気付いた相棒がそちらを見る間もなく、その首を刃の軌跡が奪った。



 ひとひらの葉が木から落ちるよりも早く、門を護る小鬼はその命を散らされる。



 これも今日の内で3度目、手馴れたという言葉すら生ぬるい、毎朝のパンにバターを塗るが如く。



 視界の陰にふと剣士が映るも、それは洞窟の闇へするりと消える。



 溜息一つ。



 対物ライフル相棒を背負い、狙撃手は立ち上がった。



「よし、まずは第一段階はクリアだ


 メルミー、準備はいいな?」



「はい!


 もちろんです!」



「まだ1000と距離はあるが、現場に向かえば、恐らく異変に気付いた奴らが出張ってくる筈だ


 上手いことティレンが暴れてくれていれば直ぐに戦闘になる


 こっから先は会話厳禁だ、奴らは耳も良い」



 姉の言葉に首を縦に振った武僧は予定通り、今居る崖の淵を走り出した。



 二人が居たのは丁度見晴らしの良い崖の上、ゴブリンの3つ目の根城から直線で1000の距離、崖は弧を描くようにそそり立っており、ドワーフの短い脚で全力疾走で約5分と言った所。



 音を立てずに走るというのは技術がいるが、幸い、二人の走路は草原で、幾らか騒音についての苦労は少ない。



 二人が根城の入口から真上に来た頃には、洞窟内から騒ぎの音が聞こえ始めていた。



「……うっし、グッドタイミングだな


 メルミー、このまま降りるぞ!」



「そのまま内部に突入、ですね?」



「あぁ、派手に暴れるぞ」



 武僧が狙撃手の言葉に頷き、それに呼応して狙撃手も頷く。



 そのまま同時に飛び降りた二人は、中で身体を横へ捻り、根城の入口正面へ体を向けた。



 武僧は拳を地面へ向けて構え、狙撃手はライフルを手にし、爪先を軽く上へと捻る。



 すると、狙撃手の脚部に装甲板に覆われたスラスターが出現し、瞬時に装備されると同時に青い炎が噴き出した。



 また、武僧の方は拳に炎を灯し、それを地面へ向けて放出させる。



 空を裂くような轟音。



 それはハッキリと中に住まう小鬼達にも届いたことだろう。



 そうして、着地の衝撃を和らげ、速やかに根城の内部へと突入した二人は周囲の様子を伺いながら併走する。



 根城へ侵入し、1分と経たずに二人がまず出会ったのは、湾曲したショートソードを手にしたゴブリン4体。



 それを、速度を落とすことなくまず一体、武僧が身体を左へ向けて捻りつつ大振り、地面スレスレに右拳を回し、ゴブリンの下腹部目掛けて叩き込んだ。



 ブレーキを兼ねた一撃はゴブリンを大きく上方へ突き上げ、彼女の身の丈2つ以上はあろうかという天井へ叩き付けられる。



 その間、狙撃手もライフルのバイポッド兼バヨネットとなる2本の刃を銃口の左右、正面へ向けて展開し、銃口から蒼黒い炎が噴き出す。



 炎がやがてバヨネットの長さを超えた所で、狙撃手はライフルを片手で保持し、武僧が殴り飛ばしたゴブリンの横に居た1体へ突き出した。



 蒼黒い炎の刃はいとも容易くゴブリンの首を溶断し、狙撃手は軽く踏み込みつつライフルを持つ右腕を引いて、空いた左手で腰に備えていたハンドガンを引き抜く。



 流れるようにライフルの上からハンドガンの銃口を覗かせ、すぐ右傍で構えるゴブリンの頭部へ3発の弾丸を叩き込んだ。



 残ったゴブリンは1体。



 瞬時に処理された仲間の状況を把握することも叶わず、もう横一転、帰ってきた武僧の右拳が、今度は上方からその顔面に放り込まれる。



 ゴブリンは地面へとねじ伏せられ、ギシギシと音を立てながらその頭は捻り潰された。



 10秒にも満たない僅かな時間で、先発隊であろう小鬼達は後続に知られるまでもなく完膚なきまでに敗北し、そこに残ったのは爛々と紅く輝く瞳が4つ。



 それはまさに晩鐘の音を知らせる悪魔のようであった。



 ──さて、所は変わって剣士の居る最奥部。



 彼女は道なりの罠を潰し、進路の邪魔となる小鬼達を処理しながら、それまでの根城潰しと経験に倣って小鬼の親玉が潜んでいるであろう場所へと向かっていた。



 この洞窟はさほど入り組んでおらず、これまでの根城と比べても罠が少ない。



 剣士は妙な違和感を覚えつつも、先を進み、遂に突き当たりの部屋へと到着した。



 部屋というには随分と広いドーム状の空間となっており、壁一面には松明が立てられ、内部は通路に比べて非常に明るい。



 その中で彼女が目にしたのは、部屋の中央で佇むひとりの鬼だ。



 ゴブリンだろう。



 しかし、その容姿は些か小鬼と呼べるものではなかった。



 そのゴブリンは人間と同じ程の体躯であり、幾何学模様の装飾が施された法衣のような物を着て、顔には眼鏡を掛けていた。



 剣士の姿に気付いたそれは、顔を上げると、彼女にも理解の及ぶ言葉を発する。



「よもや、こんなにも早く訪れようとは


 世に居わします神は我々に幸をとんと恵んでくれはせんかったようですな」



「……雌のゴブリンが群れの長を務めているっていうのは、初めての経験ね」



「然り、我は力ではなく知によって彼らを導いた


 其方の道理と同じく、そういう者も居るというだけ……」



 ふぅ、と息を吐いた神官風のゴブリンは剣士の瞳を覗くと、目を伏せ、再び言葉を紡ぎ続ける。



「其方がここに訪れることは我が主より知らされおり申した


 今は亡き揺蕩う漣の末裔、その姫君


 喪に服すことなく、血を浴び、修羅の道を進む哀しき獣よ」



 彼女の言葉に剣士はピタリと動きを止め、息を飲み、目を細める。



 胡乱がそこにはあった。



 小鬼の策略か、あるいは本当に神による告げを以て自分に語り掛けているのか。



 警戒は解かずとも、その言葉には聞き入っていた。



「妾には視え、それは其方にこそ伝えねばならぬこと


 種を超え、族を超え、其方は今ここに現れなすった


 我が一族が根絶やされる時、狂乱の姫君、姿現さん


 故ありき、其れは血を食む男を殺す者


 彼の者は遠く西に在り、其方を待ち望む」



「生憎、占いは信じていないの


 これ以上余計なことを口にするなら叩き切るわ」



「それもまた運命さだめ、しかして、妾もまた一つの命


 死を受け入れられぬ程に妾の我欲は在りし


 ならば、妾も足掻きもしよう」



 彼女はトン、と手にした杖で地面を突くと、どこからともなく無数の小鬼達が現れ、剣士を囲んだ。



「まともに話を聞くんじゃなかったわね


 これじゃ骨が折れそうだわ」



これは生きる為の闘い、皆忘れぬよう


 ──掛かれ」



 彼女が手を挙げ、そして、それを剣士へ向けて降ろすと、無数のゴブリン達が一斉に剣士へと襲い掛かった。



「──起動エンカウント抜剣アウェイク!」



 それに合わせ、剣士も右腕に備えた武装を展開し、後腰から短刀を逆手で引き抜く。



 剣士はまず、真っ先に正面に座する頭目、神官風のゴブリン目掛けて全力疾走した。



 その進路を塞ぐように展開した小鬼達を迷うことなく右の剣で一薙ぎし、次に進路を塞いだゴブリンの1体に短刀を突き立て、ただの一太刀でそれを絶命させる。


 そのゴブリンを踏み台に高く跳躍した剣士は、頭目から視線を外さず、大きく振り被った右の剣による唐竹割りを馳走した。



 が、剣士の剣は彼女の着地と同時に地まで振り下ろされることはなく、頭目の頭上で止まったまま、まるで受け止められたように微動だにしない。



 すかさず剣士は短刀を順手に持ち替え、頭目の右目に目掛けて突きを放つ。



 何かの異変に気付いたように頭目は右手に持った杖で剣士の腹を突かんと、短刀に交差させるように突き出した。



 流石の剣士も両手の剣を引き、間合いを取りつつ、チラリと後方から進軍する小鬼の一団を確認し、再び頭目へと視線を戻す。



 しかし、そこに頭目の姿はなく、咄嗟に頭上を見やった。



 そこには杖を構え、炎の球を撃ち出さんと宙に浮く頭目。



「──抜銃バースト!」



 危機を察した剣士は敢えて進軍する小鬼の一団目掛けて一つバックステップをし、左右の剣を収め、もう一度ステップを踏むと、着地と同時に大きく後方宙返りを見せた。



 これは好機と頭目は火球を撃ち放ち、それが剣士へと迫る。



 宙で体勢を整えた剣士は盾で火球を受けつつ、両腰に収めていた短剣を引き抜き、着地と同時に手近なゴブリンの首を2つ裂いた。



 血の飛沫に塗れながら、反応の遅いゴブリンを順に、丁寧に、ひとつずつ、両手の短剣で斬り付け、一撃でその命を奪っていく。



 ものの数秒と経たぬ内に、およそ30は居たであろう小鬼は半数を減らしていた。



 この凄惨な光景を次々に生み出す剣士の腕に、小鬼達はたじろぐ。



 そうでないのは、未だ宙に浮いていた頭目のみ。



 再び頭目の動きを確認しつつ、剣士はひとつ、またひとつと小鬼の命を奪っていく。



 その間にも、頭目は小さな火球を剣士目掛けて撃ち放つも、切り付けたばかりのゴブリンに短剣を突き立てた剣士は、それをそのまま持ち上げて放り投げ、火球と衝突させて防ぎ切るのである。



 これには頭目も焦燥。



 次の魔術をと思案している間に、また半数のゴブリンが駆逐されていく。



 そうして、次の火球が出来上がる頃にはゴブリンの数も僅か5体となり、それらが皆、最早ヤケクソになりながら剣士へ突撃する。



「──抜剣アウェイク!」



 それを剣士は、瞬時に盾に備えた幅広の剣を再び展開し、大きく振り抜くことで、一斉に叩き落とした。



 後隙を狙い放たれた火球も、返す幅広の刃に切り裂かれ、2つに分かたれたそれが剣士の後方へ着弾し、爆裂する。



「──これで、残すはアンタひとりね」



「やはり、妾の命は滅するが運命さだめか……


 だが、まだだ、まだ終わっては居らぬ」



 頭目は剣士の頭上へと移動しつつ、杖を剣士へ向け、青い電撃を複数降り注がせた。



 先程の火球も、この電撃も狙いは驚く程に正確で、剣士はまた盾で電撃を防ぐが、一部が脚に命中し、剣士が膝を突く。



「当ててくれて……!」



「妾には視える、如何様にしてとも、そこに汝は居まし」



「そう、が効かないって言うのなら!」



 膝を落としたまま、剣士は素早く左の短剣を収め、短刀を引き抜き、刃を頭目へ向け、盾で胴を射線から塞いだ。



「蒼空に染まれ!


 ニジノキセキ!」



 合言葉を唱え、短刀の名を叫んだ剣士は、青い風に包まれた短刀を頭目目掛けて投げ付ける。



 投げられた短刀はふっ、と姿を消し、剣士は右の剣を改めて構え、立ち上がると同時にグッと脚に力を込めて大きく跳躍した。



 頭目は身構え、丁寧に迫ってきていた短刀を杖で振り払って弾く。



 およそ見えていないはずの短刀を弾いたことを確認した剣士は左手を開いて短刀を待ち構え、再び合言葉を囁いた。



「紅蓮を纏え、ニジノキセキ」



 左手に収まった短刀は即座に紅く煌めく炎を纏い、同時に右の剣を振り下ろす。



 当然のように右の剣は頭目には届かず、しかしながら、頭目はほんの僅かに動きを止めた。



 その間に、炎を纏った短刀が頭目目掛けて突き立てられる。



 短刀はスルりと頭目を覆う壁をすり抜けて、その腹部に差し込まれた。



 頭目は目を見開きながら剣士へ確かな視線を送り、徐々に落下を始める。



 右の剣を受け止めていた壁のような物も消え、その刃が頭目の肩口へと降り立った。



 右の剣が頭目の心臓へと到達したのを確認した剣士は、両の刀身を頭目から引き抜き、腹部を蹴って地面へと叩き落とす。



 頭目が完全に落下し、続いて剣士も付近へ着地した。



 すっかり肩で息をする剣士だったが、頭目の生死を確認する為、それへと近寄る。



 べっとりと丸く血の池を作っていた頭目は弱々しく息をしており、放っておいても数分と持たないだろう。



「……何か、言い残したことはある?」



「──修羅の子よ、汝の道行に幸多からんことを」



「アンタ、一体何なのよ……」



 ひゅう、と息を紡ぐ彼女は光の無い瞳を剣士へ向け、柔らかく笑みを浮かべる。



「妾は唯の小鬼……


 故あって、先を視ることの出来た小さき者


 漸く、終われる」



「そう……


 それは難儀だったわね」



「おぉ、我が主よ


 未だ言葉を与えたもうか……」



 頭目は目を大きく見開き、天を仰ぐと、ポツポツと言葉を発した。



「見えざる刃、世に居まし、姫君は王へと至るがその運命さだめ……


 しかして王は孤独なり、闇夜に、煙る」



 唸り声と共に、頭目が口から鮮血を噴き出す。



 そして最早、呼吸すらせず、爛々と目を輝かせたまま絶命した。



 それをまじまじと眺めていた剣士は眉間に皺を寄せ、息を飲む間もなく踵を返し、入口方面へと歩き出す。



 屍山血河、剣士ティレンが歩いた後には死が並んでいる。



 それはまるで、彼女の人としての生を表しているようだった。







 ──────







 所は戻って、狙撃手と武僧の元。



 入口付近から数分潜った辺り、既に周囲の敵影はなく、静まり返った洞窟内を二人は進んでいた。



「ここも罠はしっかり潰してある……


 先に進んでいるとはいえ、予定より合流が遅いな」



「何かあったんでしょうか?


 ティレンさんに限って、そんなことがあるとは思えないんですが……」



「アイツの実力なら、軍のヤツらみたく統率の取れた一個中隊規模のゴブリンが相手でも、ものの数十秒あれば片が着く


 狩られたのが原因じゃないな」



 周囲を念入りに警戒しつつも、自分達の足音以外に音がないというのは逆に二人の不安を煽る。



 何があってもおかしくはない。



 そう思うのが傭兵の常であった狙撃手は異様なまでに警戒を強めていた。



 それに当てられるように、武僧にも緊張が走る。



 まだ戦いの最中か、それとも様子を伺うのに潜伏しているのか、概ね道なりに続く洞窟を一歩一歩、二人は進んでいく。



 と、二人の後ろから、ズシン、と大きな足音が響いた。



 思わず後ろを振り向いた二人がそちらを見やると──



「マジかよ」



 漏れた言葉は驚嘆のそれ。



 二人の目の前には、巨大なゴブリンの王として君臨する大物、俗にロードの名を関する根城の主がそこには居たのだ。



「ロード級!?


 そんな、今までこんなのが居る気配は……」



「どんなカラクリかは分からねえが、今は対処するしかねぇ!


 メルミー、セオリー通りで行くぞ!」



「はい!」



 阿吽の呼吸、一歩前へ鬼の王の方へ出た武僧と、大きくバックステップ踏んだ狙撃手は即座にライフルを構える。



 幸い、鬼の王は無手であり、武器を持っている様子はなかった。



 それ故、動きもシンプルで、体躯の小さな二人に向けて拳を振るうのみ。



 とはいえ、長を務める程の知性をもった個体だ。



 その大きな体躯を存分に活かして攻撃を繰り出すのが特徴である。



 その分、動きは多少鈍重であり、5分の1程の体躯である通常のゴブリンと比べてしまえば、身軽さはほぼ失われている。



 武僧はまずそこを突き、慣れない相手ながらも驚異的な瞬発力で懐へと潜ると、拳を細かく膝へ叩き込んだ。



 体躯で勝る相手の関節を狙うのは常套手段。



 まずは数発打撃を与えて様子を伺う。



 その間に狙撃手は武僧の動きに合わせて間髪入れずに、武僧が殴り付けた膝と逆の膝へと射撃を行う。



 こちらも3発と立て続けに弾丸を叩き込み、体感が揺れたのを確認すると、武僧へ引くようにと指示を飛ばした。



 鬼の長は苦々しい表情を浮かべるも、この程度では倒れることもない。



 それはまるで蚊を払うようにして大きな腕を振り、防備を固める武僧をいとも容易く壁の方へと叩き飛ばしてしまった。



「メルミー!」



「無事です!


 そのまま援護を!」



「おうよ!」



 改めてライフルを構えつつ、脚部のポケットから、銀色の弾頭を持つ弾丸を3つ手にし、それをライフルへと直接装填、狙いを定める。



 ──否、彼女はライフルを腰に構え片手でそれを保持すると、先程装填した弾丸全てを撃ち出した。



 当然のように弾丸は先程彼女が命中させた位置と全くブレることなく命中し、鬼の王の膝から下が身体から離れ、次の攻撃へ移らんとした身体は衝撃と共に崩れ落ちる。



「頭を潰せ!」



「はいっ!」



 息の合った掛け声と共に、駆け出した武僧はまさに地に伏せようとした鬼の長目掛けて地面スレスレに振りかぶったアッパーカットを叩き込んだ。



 それを、命中と同時に大きな炎を灯し、それを至近距離で爆発させたのである。



 しかし、突如として武僧の膝がガクリと落ち、フラフラとよろけて後退してしまった。



 原因は無論、という奴だ。



 祈り、借り物の力を使える限界が来てしまった。



「ぐっ……」



「使い過ぎだメルミー!


 もう抑えろ!」



「ですが!」



「良いから引け!


 こっちでフォローする!」



 狙撃手の言葉にバックステップを数回繰り返し、そのすぐ側へと控えると、狙撃手は入口付近で見せた炎の刃を銃口に形成した。



 必死に立ち上がろうとする鬼の王に対し、悠然と構えた狙撃手はライフルを片手で保持したまま、炎の出力を徐々に上げ、それがライフルの半身程の長さに成長する。



「つっても、コイツでフィニッシュだけどな!」



 高らかにそう宣言した狙撃手は、ライフルを振り上げ、そのまま鬼の王の頭部目掛けて振り下ろした。



 鬼の長が咆哮し、立ち上がらんとするが、狙撃手は刃を更に深くその頭部へとめり込ませ、徐々に溶断していく。



 盛大な断末魔もものともせず、数秒の時間を掛けて、鬼の王の頭は真っ二つに切り裂かれた。



 炎の刃は地に着く頃には数度の燃焼音を立てて消え、狙撃手は額の汗を拭いながら溜息をひとつ吐く。



「とっとと処理出来て良かったぜ……」



「……全くです」



「だが、こんなのがここに居るってのは不可思議だ


 ティレンが見逃す訳もねぇ


 アイツはまだ奥か?」



 そう、狙撃手が呟くと、洞窟の奥から走ってくる足音が響いて来ていた。



 二人がそちらを向くと、しばらくして姿が見え始める。



 剣士だ。



 彼女が無事に戻ってきたことに安堵した二人は、まるで糸が切れたようにその場に座り込んでしまった。



「そっちは無事?」



 淡々と掛けられた剣士の声に、狙撃手はヒラヒラと手を振って返事をした。



「そりゃコッチの台詞だぜティレン


 あんまり遅かったんで二人で親玉を何とかしちまった」



「親玉……?」



「えぇ、そこに倒れてるゴブリンロードです」



 武僧が沈黙した死体を指し示すと、剣士は少々訝しげにそれを一瞥した。



「力ではなく知によって導いたとは良く言ったものね……」



「なんだそりゃ?」



「飛び切り特別なのが奥に居たのよ


 さっきの根城にあった呪詛の罠も多分ソイツのせいじゃないかしら


 魔術師タイプのゴブリンなんて、久しく見てなかったけど、随分な手練だったわよ」



「手練ねぇ……


 お前がそんな成で言うんじゃ説得力ねぇよ」



「ともかく!


 無事で良かったですよ、ティレンさん!」



 すっかり疲れ果てた様子の武僧はパタリと倒れ、大の字になって気を失ってしまった。



「そっちも苦労したみたいね


 多分、ここの群れを従えるのに、元の長を封印するか何かしたんでしょう」



「それでコイツが突然現れたのか


 後ろから来たもんだから酷く驚いたぜ」



「負担かけさせて悪かったわ


 出来るだけ手早く済ませたかったんだけど


 魔術師ってのは相手するのが難しくてね」



「だろうよ


 だが、これで目的は達成だ


 メルミーを担いでキャンプに戻ろう


 証拠の持ち帰りは明日の昼にでもここに戻ってやりゃいいさ」



「同感ね」



 かくして、ゴブリン退治を終えた一行。



 狙撃手が武僧を抱え、洞窟を出た三人は、煌々と輝く月明かりの下、ようやっと帰路に着いたのであった。



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