泥沼の黒



 紫煙が朝日に照らされ、備え付けの円卓は地図と朝食、吸殻が山になっている灰皿で大渋滞。



 サンドウィッチを頬張りながら剣士はぼんやりと地図を眺め、武僧が唇を尖らせていた。



 狙撃手は、というと、地図上のメイダ周辺に視線に置きつつ、煙草を凄まじい勢いで吸引しながら、それとは違う所に頭を悩ませている。



「あー、足んねぇ、ェ足んねぇ」



「思ったよりも、路銀が稼げてないわね


 この前の砂漠のデカブツとメルミーちゃんの一件、昨日の帰り道での偽装商隊の討伐


 全部含めても30万アルム、メルミーちゃんの装備整えたりするの考えると、ちょっと厳しいかも」



 下取り用にとまとめておいた武僧の装備に視線を移した剣士。



 パッとそれを見ただけでも、一番損傷の酷い胸当ては肩のベルトが千切れ掛けており、装甲部分も表面のコーティングが禿げ、ちょっとした衝撃でもメインフレームに使われている木材が露出しそうな勢い。



 膝用のサポーターや脛当てはまだ損傷が少なく、扱いに問題はなさそうだが、そのセット品である肘当ては度重なる炎の噴出の影響で焦げがかなり酷い。



 また、武器として使っていた金属プレート付きのグローブも、直近の戦闘でプレート部分がかなり変形している。



「メルミーちゃんの装備は耐火性が課題よねぇ


 メイダは商人の街だって聞いてたけど、そういうのあるかしら……」



「一応、その辺りに関しちゃ目星を付けてる」



「そうなの?」



 吸い切った煙草を吸殻の山に捩じ込んだ狙撃手は、新たな煙草を咥えつつ、武僧の装備へチラリと視線を送り、それを今度は剣士に移す。



「元より、メイダを合流地点にしたのは、知り合いに腕の良い鍛冶師が居るからだ


 っても、ソイツが居るのはここじゃねぇが」



「どういうこと?」



「火山だよ」



「火山?」



 片眉を吊り上げた剣士は、手にしていたサンドウィッチの残りを口へ放り込み、部屋の窓から見える、轟々と黒煙を挙げるメイダ火山へと目をやった。



 メイダ火山──



 山頂に一年中雪の降り積もる高い標高、無数の飛竜ワイバーン達がねぐらを構え、本来対立している筈のドワーフとダークドワーフが共に神聖視する、炎の神が宿る山。



 このメイダという街は、流れてきた冒険者を中心にエルメナ戦役にて敗走したアグニアの民が協力し山の麓を開拓したものだ。



 しかし、元よりこの山には住まう者達がいる。



 彼らが居なければ、この街がこれ程急速に発展することはなかったと断言出来る程に、山に住まう者は強い力を有していたのだ。



 狙撃手の言葉の意図はまさしくそれで、これから向かう火山に住まう者達にコネクションがあると言っている。



「まずは山登りだ、山頂から火山の内部に向かう入口がある


 でもって、そこを抜けた先に、昔からこの山に住む奴らの街があるのさ


 アタシの知り合いはそこに居る」



「火山の中を突っ切るって、正気じゃないわね」



「言っただろ、ソイツらは昔からその街に住んでる


 面白いことに、結構インフラが進んでてな


 街自体もこの辺りじゃ一番発展してる都市さ


 とはいえ、山頂付近は飛竜ワイバーンの保護区ってのもあって意図的に自然の環境は残されてるんで、身を守る術なしには行けねぇが」



 少し怪訝な表情を浮かべた剣士だが、あまりにあっけらかんと説明をする狙撃手の語り口を信用したようで、一つ鼻を鳴らすと、荷物のチェックを始めた。



「アグニシアへ行くのも久々だよね」



「そうだな


 お前が洗礼を受けた時が最後だから、もう6、7年になるか」



「マァスおじさん、元気かなぁ……」



「ピンピンしてるさ、この前お前の武具のことを聞くのに話したが、相変わらず殺しても死ななそうだったぜ」



 武僧は幼くして神からの洗礼を受けた。



 そんな彼女の拳から噴き出す炎は、洗礼によって神を慕う者となった証である。



 彼女のそれは魔術に非ず、あるいは、稀に出現する異能者が用いる特別な力でもない。



 神からの賜り物、祈りに対する奇跡、神官とは大なり小なり、そういった神からの恩恵を受ける奇跡の御業を持つ者達、伝承者ゴッズドライバーのことを指す。



 当然、そのような凄まじい力を手にする儀式は簡単なものではなく、信仰する神の総本山でのみ行える特別な行いである。



 そして、アグニシアこそ、炎と鉄、武闘と鍛冶を司り、数多くのドワーフ、ダークドワーフ達が崇め奉る武鍛神アグナ・アグニシスが住まう総本山なのだ。



 武僧が受けた洗礼はそこ、アグニシアにて行われた。



「確かに、そういう方でしたね」



「──それで、一先ずはそっちに向かわないと私が予定してたルートを進むのは叶いそうにない、って訳ね」



「そうだな……


 今通れるか分からねぇが、アグニシアの街から火山の麓を通って北東方面へ抜けるルートがあった筈だ


 お前さんが目指している地点は、ここから北北東にある森のど真ん中、予定じゃ北西のルアークを通過して、森林地帯を北東へ進むって感じだったが


 もし、アタシの知ってるルートが使えそうなら、そっちのが近道になるかもしれねぇ」



 元より、剣士が予定していた目的地はメイダより北西のルアークから更に北東にある森の中、曰く、彼女と志を共にする者達が住まう場所で、地図には載っていないのだとか。



「本来の予定だったら、今頃あそこで3泊はしてて、次に向かう場所の予定でも立ててる頃合な筈なんだけど」



「だが、周り道をしたお陰でお前さんが追ってる奴の情報も手に入れられたじゃねぇか


 トントンって所だろ」



「そうね、この際掛けた時間は度外視するわ


 得られたモノの方が大きくなっちゃったし」



 鼻を鳴らしながら、剣士は武僧の方にチラリと目をやる。



 おおよそ、彼女にとって最も大きな収穫は武僧がもたらした吸血種ヴァンパイアの取引の件だ。



 それもあって、武僧に向けている目はある種の輝きに満ち溢れていた。



「路銀稼ぎだが、山頂付近にもここと同じような役所が山小屋を兼ねて運営されてる


 ここから山頂、アグニシアに向かうついでに、それぞれ道中でこなせそうな仕事があればそれを出来る限り下の掲示板から拾ってくるのがベストだな


 こっちは三人しか居ねぇ、1度に抱えられる仕事も3つが限度だろう


 アタシらの実力を考慮しても、それ以上の仕事を受けるのは手に余る」



「でも、そんなに仕事があるんですか?


 私が仕事を貰いに行った時は、あの仕事だけしかなかったのですが……」



「今はコイツが居る


 アタシらを1つのパーティとして見た場合、お前とアタシは冒険者としての信頼がどうしてもコイツに見劣りするが……


 あくまでアタシらはコイツのサブ、それを抱えての仕事となると、お前が受けられるギリギリの高さの危険度の仕事が下限、上限もコイツが受けられる仕事からは2つ3つランクダウンしたものの筈だ


 その中から同時にこなせるものを探すことになるんだが、これがまた範囲が広い


 ここがどれだけ火山道中の仕事を抱えてるかは聞いてみなけりゃ分からんが、ここの規模を考えるに、ザッと10は硬いだろうな」



「何でそんなこと分かるのよ」



「こちとら元々仕事を出す役人側に就いてたんだ


 冒険者にどんな仕事をどンくらい斡旋するかのシステムを頭ン中に入れてなきゃ軍は動かせねぇんだよ


 行軍中に冒険者とバッタリなんてこっちも願い下げだからな」



 吐き捨てるように語った狙撃手だったが、頭をひとつふたつと掻いて、溜め息を吐く。



わりぃ、お前らには礼を欠く発言だったな」



「別に、私は大丈夫」



「私はちょっと分からないので、お気になさらず」



「そうかい


 それなりに軍人をしてた身としちゃ、冒険者ってのはゴロツキやチンピラと変わらねぇもんだって考え方が刷り込まれててな


 軍で支給される装備ってのは高値で売れる


 もし売る相手が敵国だったなら、人材ごと売られて酷ェことにもなりかねねぇ


 そんな事情もあったんで、元々冒険者に良いイメージはねぇんだ


 今の発言はそれが理由ってことで一つ」



 相変わらず武僧は首を傾げていたが、剣士は大いに納得したようで、眉を釣り上げ、唇を尖らせてしたり顔をした後、狙撃手の肩に手を置いた。



「そう言う輩をどうにかするのも、役所から出てる仕事に含まれてるものね」



「──あぁ、なるほどな


 やたらわけェお前が何でライセンサーなのか、ようやく理解したぜ」



「えっ、え?」



「メルミー、お前は知らなくていい」



 剣士を一睨みした狙撃手は首を横に振って再び溜め息を吐きつつ、咥えた煙草に火を点けて地図を片付けた。



「ともかく、予定は定まった


 準備が出来次第、下に行って仕事探しだ


 仕事選びは三人で相談して決めっからな」



 彼女の言葉に二人は静かに頷き、それぞれ準備を始める。



 それほど荷物の多くない武僧が、疲れた表情の狙撃手の横にやって来て、剣士の姿をチラリと見つつ、耳打ちをした。



「あの、ティレンさんがライセンサーの理由って──」



「聞くな、お前にゃ手に余る」



「手に余る、ですか?」



 困惑する武僧を一睨みした狙撃手は、煙草を灰皿に放り投げ、一瞬、剣士の方へと目をやった。



 すると、ちょうど剣士が二人の方へと向き、整えた荷物を肩にかけ、不機嫌な狙撃手、困った様子の武僧を見て口を開いた。



「──隠すようなことでもないでしょ


 私に着いてくるって決めた時点で遅かれ早かれ分かるでしょうし


 ヴェリアアンタなんか薄々感づいてたから察せた訳じゃない?」



 二歩三歩と武僧へ近付いた剣士は、武僧と目線を合わせるように屈んで、改めて口火を切る。



「私はね、一番得意な仕事が殺しなの


 同業者相手のね」



 剣士の瞳は鮮やかな翠。



 武僧の紅いそれには、彼女のそれが酷く濁った輝きを映し出しているように見えた。



 冷ややかでいて濁ったそれを細め、妖しげに微笑んだ彼女は背筋を伸ばして立ち上がり、腰に手を当ててこれまでになく真剣な声色で淡々と語り出す。



「私の正確な階級は、特務オオワシ級、同業処断執行役冒険者エクスキューショナーズ・ライセンサー、法を犯した冒険者を処断執行する場合に限り二階級上のワイバーン級と同等の権限を行使出来る冒険者


 ルールを守れない悪い人にお仕置きをするのが主な仕事


 私はそういう汚れ仕事を積極的にして、その功績を認められた結果として今のライセンスと階級を持ってるの


 ま、私もそれなりに悪いことをしてる自覚はあるけどね」



「──ティレンさんが


 人殺し─」



「軽蔑して、幻滅して頂戴


 そういう風に人の生き死にに想いを馳せられるのは本来在るべき心の動きだから


 私が殺しをしてるのは、あなたみたいに夢や希望、ロマンや強さを追い求める、純粋で、良い人達が、少しでも自由と無謀を謳歌出来るようにする為


 でも、理由がそうだとしても、私がしていることを悪いことだと思えるのは、決して間違いじゃないのよ


 メルミーちゃんは、メルミーちゃんのやりたいこと、思うことをやればいい」



 剣士は静かに武僧の左胸へと指先を当てる。



 その表情は先程までとは打って変わって穏やかで、慈しみがあり、まるで聖母のよう、あるいは、涅槃の如きものがそこにはあった。



「──船を降りるのなら、ここが最後の別れ道です


 私という船から降りれば、思うがままに己の強さを磨けるでしょう


 乗り続けるというのなら、私と共に修羅の道に付き合っていただくことになります」



「──降りません


 私は、私の言葉に嘘を吐きたくはないのです


 だから、降りません」



「そう、分かったわ


 ──だ、そうよヴェリア」



 顔を上げた剣士が狙撃手の方を見ると、狙撃手は椅子の背もたれにだらりと寄りかかり、天井を見詰めていた。



 諦め、もしくは放心、身体の力が抜け切った彼女は軽く手を振って起き上がる。



「余計なことを次々教えやがって……


 コイツが断る訳ねぇだろ!」



「もちろん、知ってて教えたのだけど?」



「あークソ!


 わァってるさ!


 人の心配を他所にまぁ色々と……」



「ほんっと、過保護が過ぎるわね、アンタ」



 深い溜め息を吐いた剣士は武僧の肩を軽く叩き、部屋を出るようにと合図をする。



 項垂れていた狙撃手も、重くなってしまった腰を上げて荷物を片付け始め、それを尻目に剣士と武僧の二人は部屋を後にした。



 扉の閉まる音は言葉の皮切りとなる。



 コツコツと廊下を歩く硬い靴の音が武僧の心音と同調し、すっと息を飲んで、言の葉が吐き出された。



「──それで、あの」



「他に何か聞きたいことがあるの?」



 コクリと小さく頷いた武僧の方を見ていた剣士は、少し考えるように宙を見渡して、ひょいと言葉を投げた。



「私が何で殺しなんか生業にしてるのか


 とか?」



「えぇ、はい


 端的に言えば、そうです」



「……そうね


 必要だから


 かしら」



「必要?」



 眉を釣り上げ、眉間にシワを寄せる武僧。



 ──信仰する神こそ、戦いを望み、闘いを愛する大いなる炎の武神であるが、こと『殺生』となれば、話は変わってくる。



 戦うことを善しとし、その為の武具を産み出すことは彼女の信ずる教義に相違ないが、それはあくまで競争であることが真髄にあるのだ。



 何より、武僧はまだ若く、人の生き死ににそう多く触れたこともない。



 そんな彼女であるからこそ、どんな理由であれ、故意に他者を死に至らしめることへの不快感が拭えないのは、何ら不思議ではなかった。



 ふと、階段をゆっくりと降りる剣士の足音が踊り場で止まる。



「……復讐、報復、有り体に言えばそう


 貴女が見つけてくれたアルバディノ家の紋章を身に付けていた人物はきっと、私がどうしても殺したくて仕方のない奴じゃないかって思ってる


 私がライセンスを持ってるかどうかなんて関係ない、ソイツを葬る為に、私は生きてきたから


 



 剣士の表情はどこか穏やかで、怒りや哀しみ、そういった負の感情を思わせることはなかった。



 しかし、同時に悦びでもなければ、歓喜にも値しない、虚無感に近いモノを覚えさせる。



 それでも、目の前の武僧がたじろぐ程に強く明確な決意と意志、その人物に対する純粋な殺意がそこにはあった。



 武僧はその矛先が自分でないと理解していたにも関わらず、背筋に悪寒が走り、額に脂汗を滲ませ、身体が強ばり、身動き一つ取れない恐怖を感じ、身震いする。



 ──あぁ、彼女が囚われ、呑まれているのは紛れもなく狂気そのもの、それは、私にはどうすることも出来ない心の瑕。



 誰かがどれほど努力をしたところで、彼女の綻んでしまったそれを繕うことは出来ず、何一つ救えない、泥沼の黒。



 彼女の目の奥で澱んでいるそれを漂白する術を、誰も持ってはいない──



 武僧はこの時初めて、他者からの『拒絶』をのだ。



「そう、ですか


 なんというか、似合う感じではない、ような気がします」



「そうかもね


 私個人として、拘りがないかと言われれば嘘になるけど、それ以上の理由の方が強いと思う」



「それ以上の理由……」



「──メルミーちゃんの価値観の中で、殺しは悪いこと、っていうのが当てはまってるのを私は別に否定する気もないし、むしろそれは誇っていて欲しい


 私自身、殺し自体を善だなんて言い張る気はないの


 強いて、どうやって割り切っているかと言えば、私は結局、善人でも悪人でもないと思ってるから」



 剣士は『これで答えになったかな?』と言わんばかりに首を傾げて武僧に視線を合わせるが、等の武僧はやはり腑に落ちないといった様子で少々むくれている。



 当然、剣士は嘘こそ吐いては居ないが、真相、あるいは真実は口にせず、論点まですり替えているのだからこうもなろう。



 武僧からしてみれば、自分への信頼のなさを悔いている所ではあるのだが、同時に、剣士の心の中で、触れて欲しくはない部分が割合を大きく占めていることを悟ってしまったが故ではある。



 これほど、疑念や疑問、不透明な語り口を持つ人物を、姉が何故ここまで肩入れしているのか、そういった極個人的な不服感を武僧は抱えてしまったのだ。



「まるで蛇の巣穴に潜って、出てきたモノが巨大な蛙だった、みたいな感じですね……


 溢れかけてる水瓶に、水を差し入れてる気分というか……」



「面白い表現ね


 シンプルに受け止めたいならだけど、あなたの目の前に居る私はただのエルフの剣士──


 それ以上でも以下でもなく、貴女と同じ冒険者として扱ってくれるだけで十分


 難しいことは、私とヴェリアがやれば良いんだから


 思惑まで考えてたら、せっかく乗り付けた船なのに、船酔いをしてしまうもの」



 ふふふ、と吐息を漏らすように微笑んだ剣士は、どこか足取りも軽く、階段を降りていく。



 踊り場に取り残された武僧はというと、緊張から脱し、すっかり呆けて、剣士の背中を見送っていた。



 どうして、こうもあっけらかんとしているのだろうか。



 人を殺めることへの価値観の差を如実に感じていた彼女は、新たに持った疑念と同時に、剣士が疑いようもなく、冒険者の先達としての役割を認識し、自身へ素直な好意を向けていることに関しては、いささかのだ。



 人とは難しい。



 こういう人も居る。



 そんな他者を受け入れる思想を重んじている武僧も、剣士の言葉の数々は、受け入れ難い事実と、彼女自身の行動、そして心の拒絶を、すんなり、あるがままに武僧に受け取らせてしまっていた。



 受け取ってしまったが故、武僧は自身の心の内側にある、無闇な殺生を善しとしない戒律との間に挟まれて、思考は空転する。



 それが止まったのは、準備を終えた姉が彼女の肩を叩いた時だった。



「なぁにボーッとしてんのさ」



「あぁ、いえ、その……


 ティレンさんって、不思議な人だなって……」



「……そうかもな


 浮世離れしてるかと思えば、口は上手いし、育ちの良い振る舞いもちょくちょくある


 だが、どっかのネジが外れちまってることも奴は理解してるらしい


 おかしな奴だが、少なくとも今まで出会ってきた冒険者の中でも一番話が通じるタイプじゃねぇかとは思う」



 一つ、深い溜め息を吐いた狙撃手は、ケロリと表情をにこやかに変え、武僧の頭をワシワシと力強く撫でた。



「なぁに、少なくともアイツは悪いヤツじゃねぇよ


 あんだけ誇張して殺しだなんだって言ってるが、元軍人のアタシからしたら数も理由も余っ程人の範囲のソレさ


 お前も気負うこたねぇ、決めたことは曲げないのが


 ──お前の信条なんだろ?」



 ニカッと笑みを見せた狙撃手の言葉に、武僧の表情がぱあっと明るく変わり、一度、二度と頷くと、彼女は慌ただしく階段を駆け下りて剣士の後を追って行った。



「──そうさ、そういう巡り合わせもある


 アタシだって、顔の知らねぇ奴が波打つ水みたいに死んでいく姿は、頭の奥にこびり着いてんだからよ……


 復讐者と戦争屋ってのは、どっちも結局、悪党に変わりはねぇのさ」



 目を伏せ、口角を緩ませた狙撃手は、自嘲するようにフッと鼻を鳴らし、静かに歯軋りをすると大きく深呼吸をする。



 階段の下では、妹の元気な声と、穏やかに応える剣士の声が響いていた。



 狙撃手は、一つ、また一つと、重い足取りで階段を降りていく。



 コレで良かったんだ、そう、自戒するように、言い聞かせるように、狙撃手は1つの覚悟を決めていた。



 ──どうか、せめて、妹にだけはアタシ達みたいな、外れ者にこそならぬような旅を。



 楽しいだけの旅を。



 あの子はアタシにとっての願いだ──



 階段を降り切った狙撃手は前を向き、掲示板の前で戯れる剣士と武僧に視線を送る。



「……ま、一仕事しますか」



 狙撃手は煙草を咥え、二人の元へと合流した。







 ──────







 ──さて、時は1時間程過ぎて、朝食を摂る冒険者達で賑わっていた広間も今は落ち着き、受付周辺も、比較的余裕のある手練達ばかりがゆっくりと掲示板を吟味している。



 そんな中、一行はというと、早々に本日受ける分の仕事の手続きを終え、この楽炎の金脈亭を後にした所であった。



 街の北にある楽炎の金脈亭からやや南側、メインストリートを西側へと歩き、賑やかな商品達の声と声に惹かれながら、一行は登山用具一式を買い揃えていく。



 あれやこれやと、周囲の商人から無用の長物を押し売りされそうになる武僧と、それを止める剣士と狙撃手、という一幕もあったのだが……。



 登山経験、もとい、鉱山地帯での行軍訓練が身に染み付いていた狙撃手が品定めをし、必要な装備も一通り揃えられた。



 全ての準備を終え、山道の入口に着く頃にはすっかり日も天高くに昇っており、地熱によって水蒸気の噴き出す辺り一帯は、砂漠とは非なる湿気を伴った暑さに見舞われている。



 こういった環境に慣れている狙撃手や武僧は兎も角、剣士は連日の慣れない環境からか、その表情は曇り気味であった。



「──で、あとはここを登るだけって言ってたけど


 いや、揃えた登山道具を見れば分かるんだけどね?」



「暫くは散歩コースみたいなもんさ、ちょっとしたピクニックみたいなもんだと思えば良い


 ざっと1、2時間歩けば中腹に着く


 そこで少し休憩したら、その先が本番だ」



「この山道は元々修行僧が己を鍛える為に何度も往復して整備されていった由緒正しきものなんです


 多少厳しい場所もありますが、ティレンさんの身のこなしならきっと問題なく登頂出来ますよ!」



 気楽そうな二人の表情を伺った剣士は、すっかり溜め息を吐いて早々に意気消沈といったた様子。



 エルフである彼女は、森の中を長時間駆ける胆力はあれど、山や岩肌を歩き続ける等の純粋な筋持久力がある訳ではない。



 以前の砂漠横断も彼女にとっては苦難の連続であったが、こちらの登山もまた苦行以外の何ものでもないだろう。



「身のこなしはこの際良いんだけど、こういう暑さだけはどうにもならないくらい苦手なのよねぇ……」



「中腹辺りまで行けば随分涼しくなるぜ?


 尤も、それより先は防寒着が必要になるくらいには寒いが」



「だーかーらー!


 そういう極端な気温の変化が苦手って言ってんの!」



「ティレンさんにも苦手なものってあるんですね……」



「私は万能の超人じゃないのよ?


 それに、エルフの身じゃ、聞いてる限りの寒暖差は対策しててもまともに動ける自信ないのよね……」



 深い溜め息を吐いた剣士だが、その視線はしっかりと山道へと向かっており、頬を二度と強く叩いて気合いを入れる。



「でも、弱音を吐くのはここまで


 足踏みばっかしてたら、ライセンスに笑われちゃうわ


 行くわよ、二人とも」



「おうよ、そうでなくっちゃな!」



「ですね!


 行きましょう!」



 決意を固めた剣士を先頭に、顔を見合わせて笑い合った姉妹の三人は意気揚々と山道を登り始めた。



 一行の目的は今の所4つ。



 まず1つは、武僧の装備を新たにする為、このメイダ火山の内部に構えられたアグニシアの街を目指すこと。



 残りの3つは、そこへと至るまでの道行でこなせるようにと受けた役所からの依頼である。



 依頼の内、1つはこの山道に最近住み着き始めたというゴブリンを1、これが直近の目的だ。



 群れを成すゴブリンは、主に1人で行動する修行僧にとっては大敵であり、追い払う程度であればさほど難しくはないのだが、討滅、根絶となると話が変わってくる。



 ある程度整備された山道に現れるゴブリンは、ものの数ではないにしろ、その駆逐報告が増えたことが問題視されていた。



 本格的にゴブリンが山道付近に根城を構えた可能性があるというのが、山道を管理するメイダ火山山頂に拠点を構える管理組合が推測し出した結論だ。



 この依頼は、ゴブリン達の根城の有無を確認することと、それが存在するのであれば、根城ごとゴブリンを根絶することが内容となっている。



 ──そもそも、ゴブリンとは何かという話になるが、彼らは小鬼、餓鬼という俗称でも呼ばれる人間の平均身長の約半分程度の体躯をした小型の人型生物だ。



 全身、肌は暗い緑色をしており、四肢は細く頭部は体躯に対してかなり大きい。



 尖った大きな耳と鼻を持ち、目玉も大きく、聴覚や嗅覚、視覚にも優れている。



 特に視覚は、エルフやドワーフ程ではないが、人間に比べると夜目がかなり効く。



 その性格は残忍で狡猾、人族程の高度な文化や文明を持っている訳ではないが、原始的な住処や狩りの道具を製作したり、それを行使する程度の知性は持っている。



 群れの中には幾らか大柄な者や魔術の心得があるような個体も存在し、それらが群れを率いて社会的な生活を行っている生物というのが一般的に知られているゴブリンの生態だ。



 また、ゴブリンが恐れられているのは大きく分けて2つ、1つ目は先の説明の通り群れを成すこと──



 つまり、集団で行動する点にある。



 具体的な数にすれば、少ない場合で3体、多くなると10、20を超え、それも統率の取れた行動で人を襲うのだから、被害は甚大なものになる。



 2つ目はその食性と生殖活動の特徴。



 ゴブリンという生き物は、他の人型生物の精子か卵子があれば繁殖が可能という、他の生物には見られない異様な繁殖能力を有する。



 その被害は人が住まう場所、人が通る場所、人が存在する場所と、多岐に渡り、各地で搾取被害が問題となっている。



 更に恐るべきは食性であり、ゴブリンは雑食であるのだが、人の作り出した農作物は勿論、家畜に至っても食料となってしまう。



 ゴブリンには狩猟文化はあれど、農耕文化はなく、食料は専ら強奪するのが常だ。



 加えて、ゴブリンは人を食すことでも知られ、雌雄関わらず精を搾取した後、その身も余すことなく平らげてしまうことから、非常に嫌悪される生物なのである。



 ──そういった生物であるゴブリンの根城を叩く、というのは至難の業であり、このような仕事の難易度は凄まじく跳ね上がる。



 一方、根城を叩いたとして、生き残りが居ればまた周辺で繁殖し、活動を再開してしまう為、今回の依頼にある『1体も残さず討滅』、という内容は極めて難易度が高いと言えるだろう。



 悲しいかな、そのように難しい仕事であっても、失敗のリスク、つまり取りこぼしによるゴブリンの活動の再開を視野に入れている為、報酬金はそれほど高くはない。



 しかしながら、根城の破壊とゴブリンの根絶、それらが完璧にこなせた場合は、それなりの報酬額になるだろう、という判断から、三人はこの依頼書にサインをしたのであった。



 ──さて、そんな訳で周囲を注意深く警戒しながら山道を登っていく三人であったが、途中、狙撃手が急に脚を止めた。



「……この辺からで良いか」



「どうしたんです、姉さん?」



「あぁ、索敵用のドローンを飛ばすのね」



「おう、この辺がゴブリン被害の依頼書に書いてあった、報告されてる被害範囲の中で一番離れた遭遇地点だからな


 ここから進行方向正面と左右に、アタシらに追従するタイプの索敵機を飛ばす


 お前らは一旦周囲の警戒をしていてくれ」



 狙撃手の言葉に頷いた二人が周囲の様子を伺い始めた一方、狙撃手は背負っていた箱を1度降ろし、箱の側面に貼り付けられている蓋のようなものを開けた。



 すると、蓋のようなものには何かの入力キーようなものが備え付けられており、箱そのものの方にはディスプレイが設置されている。



 狙撃手がキーを入力していくと、それに連動して、ディスプレイに次々に文字列が並び、その様子を彼女はしばらく確認していた。



「……群れの規模を考えると、3つ出せれば充分だが、念には念を入れて、広範囲用のレーダー探知機付きのも一応組み込んでおくか」



 ぶつくさとぼやきながら、作業を進めること約5分、狙撃手が「これで良し、と」と上機嫌に言い放ちながらキーの着いた蓋を閉める。



 すると、箱の上部にあった小型の蓋が四つ開き、その中から小さな漏斗型の塊が上空へと射出され、自分達の元から離れて行くのが見えた。



「──こんなんで本当になんとかなるの?


 ていうか、前から思ってたけど、その箱は何?」



「あぁ、コイツはアタシが昔軍に所属してた時に、遺跡から発掘されたモンだよ


 アタシはコイツの解析をしてたんだが、分かったのは恐ろしくコンパクトに纏められた軍事兵器の倉庫みたいなもんだってくらいだがな


 中身はほぼブラックボックス、何かする度にこっちの精神的なパワーを要求されるが、便利なシロモノだ


 軍を抜ける時に持ってきちまってよォ、それからはずっと相棒みたいなもんさ」



「なんだか分からないですけど、色々と便利な機能があるっていうのは分かりました


 頭がこんがらがりそうですが……」



 眼を回した様子の武僧の頭に狙撃手がポンと頭を置くと、彼女は先の箱を背負い直し、箱の横に引っ掛けてあった、耳当てに一体化したような形のモノクルを装着する。



「ま、深く考えなくていい


 こっちが出来ることもシンプルに伝えるし、お前らはそれを信じてくれ


 もし見当違いなことが起きたら、それはその時に対処すりゃ良いさ」



「わ、わかりました」



「じゃ、こっちもアンタと二人だった時と同じで、前に居る私とメルミーちゃんはアンタの指揮で、アンタは私の現場からの判断を指揮として受け取る、って形でいいのね?」



「あぁ、それでいい


 索敵はもう始めてる


 何か引っ掻かれば直ぐに伝えるから、今はとりあえず山道に沿って移動するとしよう」



 ──そうして登山開始から約1時間、それまで岩肌から噴出する水蒸気に包まれる霧の道であったが、ここからは違う。



 囁き合う鳥の声、無数の葉が擦れ合う音、土の匂いに木の匂い、踏みしめる大地は岩肌から土の大地へと変わっている。



 剣士、エルフが得意とする森、メイダ火山山道の第1の試練とも呼ばれる、メイダ樹海の入口がぽっかりと口を開け、三人を待ち構えていた。



 剣士は大きく深呼吸をする。



 森を感じ、そのざわめきに耳を傾ける。



 狙撃手が科学力で何かを探すならば、剣士は自然の力を借りて何かを探す。



 そして、武僧は神に祈りを捧げていた。



 武僧にとってこれは巡礼、己が鍛えてきた力を示す、信ずる者への応え。



 三人はそういったバランスで成り立っているパーティだ。



 三者三様、それぞれのルーティンをこなし、その目に確かな決意の篝火を灯す。



「おっし、気を引き締めていくぞ


 相手が相手だ、食われんなよ」



「誰に向かって言ってんのよ


 逆に喰らい尽くしてやるくらいの気持ちよ」



「はい!


 今度は、今度こそは、私の力を存分に振るいます!」



 かくして、三人は傍若無人の小鬼達が潜む樹海へと脚を踏み入れたのであった。




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