前の私
アンリが再度現れたのは最初の部屋だった。
(まったく、このレコーダー……使い方さえ書いていてくれれば、あんなに怖い目に合わなくて済んだのに……間が抜けた以前の私には困ったものね……)
そう思いつつ、この置物を作動させる呪文を唱えた。
「────エナブル」
僅かな駆動音をたてた後、しばらくすると、置物が作動し語り始めた。
私でありあなた、ヘンリエッタ・テルミドールは、ある症状によって、この部屋に隔離されて……長い、本当に永い時間が経つ。
長時間睡眠と長時間覚醒の繰り返し。これの起床時に、記憶の混濁が起こることが多いから、この装置に解説を残すことにするわ。
起きている時に、どこからか呪文のような言葉が聞こえてくることに気付いた。何か物悲しい、意味不明な言語の羅列。
最初は不気味だったし、無視してたんだけど、何となく口に出してみたら……火が付いたり、物が割れたり、様々なことが起こった。私は、この現象を魔法だと思った。
睡眠と覚醒の長期サイクルは、退屈を極めた。比喩じゃなく、退屈に殺されるところだった。あまりにすることが無かった私は、独学で流れてくる呪文の解読を始めることにしたの。
それからは長い……本当に気の遠くなるような長い時間をかけて、この『魔法』の仕組みを理解し、使える『呪文』の種類を増やしていった。実際これが楽しくて、ここまで生きてこれたわ。
そして今回で遂に……私に起こった時間停滞症の処方箋を書き終えられそう! 眠くなる前に、なんとかしたいけど……無理そうだったら『次の私』に任せるから、よろしくね。
置物の中のアンリは語り終わると同時に、何らかの呪文を唱え始めた。
すると、見慣れた青白く暗い部屋に、眩いばかりの光が現れて照らし上げた。一瞬目が潰されるかと思ったが、光は徐々に落ち着いて、自然な明るさになった。
次に、明かりに照らされた、古びてかび色に汚れた部屋が一変した。端からみるみる内に新品へと置き換わっていくようだった。最初にボロボロに崩れてしまった紙綴りの束なども綺麗に復元し、地層のように溜まっていた埃も、どこへ行ったのだろうか、姿を消してしまっていた。
更に呪文の詠唱は続き、今度は強風が全身を駆け巡るような感覚と共に、アンリの頭が冴え渡った。ずっと続いていた、寝起きのような頭のもやもやが完全に消えて、視界すら明瞭になった。
呪文は止んで、最後に1つだけ喋った。
「さて、起きた? 思い出せたかな、これが私達、こと『
置物が喋り終わると、衝撃のような感覚は治まり、覚醒したアンリは愚痴った。
「……やっぱり、こんなのを最初にやってくれたら嬉しかったんだけどな」
今日の苦労が、徒労だったということを理解して、脱力した。
間もなく、アンリは行動に移った。
「さて、これまでの私達、今こそ悲願を叶えよう」
紙綴りの束を持つと、それは猛烈な勢いで勝手にめくられながら、アンリも同時に呪文を唱え出す。
「──&RENATURATION(target_self);……」
アンリの体内を、
(ひとまず、時間は戻った……はず。ゆっくりと時間をかけて、元に戻る……はず)
時間が正常に戻ったかを確かめる術はなかったので、検証は後回しにせざるを得なかった。
次に、今回の起床時に、1番最初に開けたドアを開けて、右手を前に出して意識を集中させる。
(全体的に、なにか変だわ。『魔素』の暴走? 活性化……? それと、とてつもなく大きな揺らぎ……私が寝ている間に、何があったの……?)
これ以前のアンリも、こうして外界の魔素を観測したりしていたのだろう。今回はいつもと違って異常だったようだ。
(導かなければ……この世界を。救済しなければ、この世界の……。全ての理を知る私には、本当に『魔女』となった私には、その義務がある……)
アンリはそう決意して、唱えた。
「──&GATE(target_MASO_singularity,0);」
邸内で消えた時と同じく、アンリは何処かへ吸い込まれるように、中空へと消えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます