アンリの部屋
(わたし……名前は、アンリ・テルミドール……)
夢でも現実でもいいから、現状を把握しようと考えたアンリは、手近にあった机を探った。
(これ、何だか覚えがある)
紙綴りの束を手に持つと、堆積していた埃が舞った。
「けほっ……けほ」
鈴の音のような、弱々しい咳が出た。
アンリの肺は、充満する埃を無視できるほどに強くはなかったから、換気のために手近なドアを開けたが、思わず戦慄した。
ドアの先は外に続いていた。どこまでも詰まるような曇天。上下左右の感覚が分からないほどの吹雪だった。
(不思議と、これだけの吹雪で、雪が入ってくる気配が無いのね)
手を伸ばした先くらいの距離で、何か薄い膜のようなもので覆われているかのように、遮断されていた。雪の冷たさも、激しく吹いているだろう風の音も感じなかった。
戦慄したのは高さだった。下に辛うじて見える樹木からして、高さを想定するに、この部屋は4~5階の位置にあるのだろうか、1歩踏み出したら命は無いだろうと予測された。
(この行動、何回もしたような既視感がある……)
開けていた方が多少明るかったが、肝心の換気はできないし、なんとなく気分が良くないので、ドアは閉めておくことにした。
改めて紙綴りの束を調べる。当たり前だが一番下が最も古い紙のようで、茶色く変色して殆ど読めない状態だった。
『──く分からない言葉が、頭に直接聞こえてくる時が──救いを求め──』
アンリが冒頭を読もうと、持った瞬間にボロボロと崩れて落ちた。
(『風化』している……)
続いて崩れなかった中層の紙束を調べる。
『復唱で──火が付く──』
『私には無限とも──る時間がある、解析できるかもしれ──』
『──れはゴミ箱に──られた、────の残滓』
『孤独────で悲しそうな──』
しかし、これも紙とインクの劣化がひどく、それしか読めなかった。
中層から上層に至るまでの紙には、見たことの無い文字で、訳が分からない数式や記号が整然と無尽蔵に並んでいた。
(やだ、怖い。理解不能、理解不能……)
最後に調べた一番上の紙 は、埃は溜まっていたが、比較的新しいように見えた。
『ついに全てのコードを書き上げた。……けどもう限界、眠いので。次に起きる時、ついに解放される……よろしく、次の私』
(……これ私の字だっけ……?……思い出せ……思い出せ)
『次の私へ、どうせ『思い出せ……思い出せ』って考えてるだろうから、ここにレコーダを置いておきます。使ってね。では、寝ます……』
(レコーダ? この置物、かな? 親切にありがたいけど、使い方が見当もつかない……)
アンリは、百合の花を模したオブジェが付いた箱のようなものを持ち上げたり、くるくる回してみたりしたが、何も起こらないので諦めた。
一通り見まわして、この部屋にめぼしい物は無くなったから、新しい場所を探索することにした。
先ほど開いた『外へのドア』とは別にある、もう1つのドアに触れる。が、開かなかった。
(やっぱり、このドアは何となく開かない印象があった……)
途方に暮れたアンリだったが、ふと見るとドアへ直接彫られた文字に気が付いた。
(新しめの傷だわ。『出るにはこれを発声せよ!』か、魔法のおまじないのつもりかな。馬鹿馬鹿しいけど、やってみるしか……)
「アンド……トゥチェンジ・ブラケット?……ターゲットコロンドア……ブラケット・アンダー……バーディセーブル……?」
(はは……喋ったの、いつぶりなんだろう……声が出ないわ……)
全く理解ができない呪文だったが、掠れた声で詠唱し終わると、ガチャっと音をたててドアが少しだけ開いた。
(え、本当に開いた……?)
そうして理解が追い付かないままに、アンリは恐る恐る、ドアから一歩踏み出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます