禍獣
そんな応酬の中、ノワールの耳が小刻みに動いた。
いつか感じた嫌な既視感を覚え、瞳孔が収縮する。更に全身の毛を逆立たせると、反射的に外へ飛び出した。
「な、なにっ? どうしたんですかっ⁉」
続いてリザリィも飛び出すと、ようやくラインホルツの方角から何やら巨大な咆哮が聞こえた。
「……な⁉ アンテセッサ⁉ 封印したはずでは⁉」
リザリィには聞き覚えのある嫌な声だった。
「馬鹿な……早すぎる……おしまいじゃ……」
もちろん長も覚えている、クオリスは全員覚えているだろう。
「ノースポールの助力が得られないのは残念……でも、命を助けてもらったお礼に、仕事はしていくよ! ……まぁ、お礼というか元々私達の仕事なんだけどさ!」
仁王立ちで見得を切り、下着姿のまま走り出すノワール。
「……! わ、私も手伝います!」
リザリィが追いかけようとすると、長が止めた。
「待て! リザリィ! 今度こそ殺されるぞ!」
「……今どうにかできなかったら、村に来てどっちにしろ皆死んじゃうでしょ? 里に関係のない外の人が戦って、私達クオリスが戦わないでどうするの⁉ それに……目の前で手助けできる人を助けずに、後悔して生き永らえるくらいなら、早く死んだほうがマシです‼」
今までに無い、強い口調と意志だった。
「それに、ノワールさん……クオリアが……」
「あ、あぁ、確かに……だが……」
「もう! だが、じゃないです! お爺ちゃんのバカバカ! べぇーだ!」
思いつく限りの毒舌を振るい、走り去るリザリィ。
「あぁ、リザリィ……頼む、無事で戻ってくれ……」
残された長は、もはや祈る事しかできなかった。
「あっ、リザリィさん! 来てくれたんだ!」
少し寒くなってきたのか、腕をさすりながら、未だに下着姿のノワールが言う。
「はい、私も手伝わせてください。というか、私が行かなきゃダメなんです!」
あらかじめ熱のクオリアを付与したノワールの衣類を渡すと、リザリィが続けて話した。
「アンテセッサは……この地方で『聖獣』と呼ばれていた獣でした。10年前、突然乱心し、村を襲った……私の両親を殺した仇敵です。私の両親はクオリスの中でも、特に強い力を持っていたんですが……」
ノワールは、雪の上の着替えに苦戦しながらも、耳はリザリイに向けていた。
「そんな強かった両親が刺し違えて封印したのが、あいつです。つまり……アンテセッサはとても強いんです。私の力を使って、準備は万全にしていきましょう!」
一拍置いて、黙って聞いていたノワールが答える。
「私も……
仕上げに胸のリボンを結びながら、そう言った。
リザリィは「やはり、ノースポールだけでなく世界中で、人を不幸にする何かが起こっているんだ」と確信し、戦いに対する決意を深めるのだった。
「針葉樹から、生命のクオリアを抽出し、付与……」
「土から、大地のクオリアを抽出し……」
「岩石から、硬質のクオリアを……」
「ヌウオォー‼ パワーが……溢れるぅ‼ 私はかつてこんなに力を感じたことがあるだろうか! いやないない‼」
野太い声でノワールが叫んでいる。
二人は魔物の元へ向かう道すがら、様々な煌めきを抽出し、ノワールに付与しながら進んでいた。ラインホルツの雄大な自然の力は、一人の人間に納めるには危険な力だった。
「ハァー……! ハァーッ! ……もっど! もっどぢょうだい!」
「こ、この辺にしときましょう。頭破裂しそうですもん……」
全身から湯気も出ているし、額の血管が浮き出て脈動し、恐ろしかった。
そんなこんなで戦闘の準備を終えた二人が、ラインホルツ中腹に到達すると、先程の咆哮の主だろう獣を発見した。
獣は、狐のようにも、狼のようにも見えた。体高はノワールが見上げる程で、全身が光を反射しない漆黒の毛皮で覆われているようだった。
その獣は咆哮すると同時に、自分に良く似た分身を作り出していた。周りには2体、その分身が警戒するように徘徊している。
「アンテセッサ! このノースポールの地での狼藉は、私が許しませんよ!」
リザリィは愚直にも飛び出し、宣戦布告をした。
「ヘイ! 来いよ雑魚、ズタボロになった雑巾の搾りカスにしてふやかしてやるよ! この野郎、操り人形野郎! 傀儡がよ!」
続いて言ったのはノワールだ。もはや悪役と勘違いしそうな台詞だった。ところどころ意味も分からないし、それほどまでに血が沸いて、興奮を制御できなくなっていた。
「何かと思えば、目障りなクオリスですか……おや? そちらの、青筋の君は……?」
アンテセッサは、ノワールと違って紳士的な口調だったが、敵意剥き出しの鋭い目つきで二人を見定めていた。
「ルーデンスのアエスヴェルム侵攻を退けたとかいう、騎士じゃないですか? 何故こんなところに……? というか、どうやって……?」
「私は貴様など知らん! フーッ! 貴様、何故そんなことを知っている! フーッッ!」
ノワールは、まだ疲れてはいなかったが、肩で息をしていた。興奮状態に加えて、クオリア酔いが酷かったからだ。
「我々は遠隔で情報を共有しているからですよ。下等種はできないんでしたか? まぁなんだって結構です、クオリスと一緒に消すまでのことですから」
アンテセッサは前脚で首を掻きながら、見下すように、事も無げに言った。
「消すだぁ⁉ クケケ! やれるもんならやってみろ! 勝つのは私の正義だけだがなぁー‼」
一通りのやり取りを終えた後、ノワールは勝てればそれで良かったから、言うが早いか、先に攻撃を仕掛けた。
まず狙ったのは、手前に陣取っていた分身の1体だ。両手を広げて、剣を頭の前で水平に構えると、脚のバネを限界まで駆使して、弾丸の様に飛び込んだ。ノワールが持つ4の執行技の1つ『
分身は、獣らしい反応速度で躱そうとはしたが、それを凌駕する飛び込み速度で、首と胴体が別れて消滅した。
「ぐふぅー…… 何だこの筋力ぅ⁉」
技を披露した本人が一番驚いていた。敵の首を落として尚、勢いは止まらず、雪の塊に突っ込んでようやく止まった。
近場に佇んで呆気に取られていた、もう1体の分身が、気付いてノワールの腕に思い切り噛みついた。
アンテセッサの分身による攻勢は、10年前の襲撃時に猛威を振るった。噛みつけば人体はちぎれるし、爪で引っ掻けば皮膚などは紙のように切り裂けた。
ガギィン‼
でも、今のノワールの腕は、道中に転がっていた花崗岩と同等の硬さになっていたから、派手な音を立てて歯が折れた。
「お? 効かねぇなー‼ ……ふしし!」
ノワールは正面に向き直って対峙すると、顔の右に剣を構えて地面を蹴った。そのまま回転して分身を切り伏せると、リザリィの注意が耳に入った。
「あ、危ない! ノワールちゃん!」
アンテセッサは黙って見ているだけでは無かった。しっかりと、分身を狙うノワールの隙をついて行動していた。
「ぐふっ‼」
ノワールは分身への突進を仕掛けていたため、空中で回避できないまま、アンテセッサの爪を脇腹に喰らって吹き飛んだ。
そうして雪の山に叩きつけられたノワールだが、剣を地面にさして立ち上がった。しかし、雪の上には真っ赤な血の跡が残った。
「ノワールちゃん! 大丈夫ですか⁉」
リザリィが走って近づき、応急的に『痛みのクオリア』を抜き、『生命のクオリア』を注入する処置を行った。
「興奮を、少し落ち着かせて下さい! 冷静にならないとやられちゃいます! あ、そうか、こうすれば……」
ノワールの頭に手を当てて、真紅に煌めく『興奮のクオリア』を取り出した。
「ありがとう、リザリィさん。あいつ強いね……肌を岩のように強化していても、この損傷……」
「そりゃ強いですよ! 何しろ私の両親を殺した仇なんですから!」
何故か得意気に言うリザリィ。二人は『冷静に、連携を取って戦う』その様に目と目で約束を交わして頷くと、アンテセッサに立ち向かっていった。
別々に展開した2人の内、アンテセッサが狙ったのはリザリィだった。本質的に厄介なのはクオリスの方だと思っていたし、何より、一撃で噛み殺せそうなくらいに、ひ弱そうだったからだ。
迫ってくるアンテセッサの牙に対し、リザリィは為す術も無く蹂躙され──ない。
懐に隠し持っていたのか、いつの間にか持っていた短剣を操り、牙をいなして躱した。
「ほぉ……ですが、その貧相な剣で、この毛皮を貫いて致命傷を与えられますかね?」
挑発的に吠えると、リザリィに腕を振り上げる。
「隙を作ることができれば、それでいいのですよ」
リザリィは言うと、振り下ろされた爪を回避して、腕を切りつけた。
「ほぉら! 全く刃が届いて……?」
少し時間差があって、アンテセッサの悲痛な叫び声が山中に木霊した。
「さっきノワールちゃんから採った『痛みのクオリア』を短剣に付与したのです、傷に直接注入するのは痛いでしょう?」
ふふん、と得意気なリザリィがノワールの方を見ると、ここぞとばかりに飛びかかるところだった。
「いたい……いでぇええ~~‼ 畜生が‼ この、小娘……!」
ノワールが空中に舞い飛び、翻って剣を閃かせると、アンテセッサの爪と交差した。
ややあって、崩れ落ちたのは獣だった。
「クソっ……忌々しい人間共が‼ 絶対に……食い……殺して、や……」
アンテセッサは、そんな断末魔を残し、黒い霧となって散った。
「……ふぅ。一生……二度と蘇らないでください」
リザリィは肩の力を抜き、脱力して言った。こうして生死をかけて戦うことは初めてだったので、緊張していた。
「はぁっ、はぁっ……! やっぱりクオリスの、リザリィさんの力ってすごいね……一人じゃ、危なかった」
クオリアが抜け、無理をした次の日の筋肉痛のように、どっと疲れが噴出したノワールが言った。
「いえ、こちらこそです。外の人って、ノワールちゃんみたいに強いんですか? それとも稀有な例なんです?」
リザリィも素直に思ったことを口にした。こうしてすっかり仲良しになった二人は、無事を喜びあい、お互いをたたえあった。
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