第20話 畜生課課長は人嫌い



(むむむむ……)



 意地の悪い笑みを浮かべている空谷とにらみ合う京子。心を読まれないように無心でいるが今度はそれが表情に出ている。



 一触即発



 室内にはまだ部長の天海山も琴流も亜修羅もいるが、関係ない。初日からひらすらに意地の悪いこの女だけは許すことは出来ない。この考えが京子の勘違いであるから生じている考えなのか、はたまたこの女が本当に心底意地の悪い女なのかは定かではないが、京子の五蘊ごうんじんが満ち始める。と、その時――、



「すんません……遅れました」



 部屋に何かが入って来た。空谷を睨んでいた視線を先ほど入って来たふすまの方へ向けると声の主がそこにはいた。が、それは人ではなかった。人よりは長めの顔、頭頂部についている2つの耳、地面についている4本の足。



「う……うう、馬じゃああ~~~~!!」



 京子は驚いた。会議室に入って来たそれは馬であった。その馬は京子の叫び声にまったく反応することなく、会議室に上がって来た。前足で器用にふすまを閉めている。



『すたすたすた……』

「う、うわぁ……」



 後ろを通る馬に少し身構える京子。が、馬が通り過ぎた時にその後ろ足を見て気が付いた。



(あれ……? 後ろ足が……動いてない?)



 動いているのは馬の前足のみであって、馬の後ろ足は動いていないように見えた。さらにはその馬の身体にも違和感を感じた。それは生き物の皮膚というよりかはどちらかと言えば着ぐるみのような印象を受けた。



(ふふっ、本当に着ぐるみだったりして……)



 そんなことを考えていると馬は天海山部長のところへ歩み寄っていた。



「部長、すんません。ちょい朝からの転生省との打ち合わせで揉めまして……遅れました。結果から申しますと転生省側をねじ伏せて何とか必要数の転生の決済も貰ってきました。……以上、報告です」

(ね、ねじ伏せる……って)



 簡潔な報告、だが穏やかではない言葉が聞こえて来た。一体どんな打ち合わせだったのであろうか。そもそもそれは打ち合わせと言えるのであろうか。しかし、天海山は無反応で聞いているのかどうかも分からない様子。しばらくすると天海山の身体が宙に浮いた。どうやら座っていたように見えたが、昇章雲に乗っていたようである。天海山は昇章雲でふわふわと京子のいる出口のふすまに近づいてくる。



(あっ……)



 それを見た一番下座に腰かけていた京子は慌ててふすまを開ける。天海山は京子を見て、軽く会釈をするとそのまま会議室を後にした。



「遅刻だぞぉ!! 馬面ぁ……もう会議も終わってしまったぞ。がはははっ!!」



 亜修羅が馬を見て盛大に笑う。



「うるせぇよ……畜生課はお前んとこと違って忙しいんだよ。それにその言葉は俺よりも職務放棄してる餓鬼課の鬼火おにびに言ってやれ」



 鬼火おにび。相変わらず姿を見せない餓鬼課の課長は鬼火おにびと言うらしい。



「全く……、お前は毎回毎回会議にも遅れおって。せっかく新任の地獄課長の日下君が出席する最初の六課長会議だというのに……」

「あ~~? 日下?? あ、そっか…………地平の後任か……まぁ、興味はねぇけどな……」



 その馬は京子の方に目を向ける。馬が再び京子に近づいてくる。



「あっ、あうう……」 



 直立不動で固まる京子。やがて目の前で馬が立ち止まった。とその時、馬の首がもげた。



「う、うわぁあああああ!! く、首がぁああ!!」



 後ろにのけぞる京子。だが、その首元からは血が噴き出して来る……などということはない。その代わりにその首元からは別のものが現れた。顔である。その顔は馬の面ではなく、京子やその他の課長と同じような人の顔であった。どうやら着ぐるみのように感じた馬は本当に着ぐるみであったようである。



 気だるそうな目。あごには短い髭が生えている。顔はというと比較的若そうな容姿であり、イケメンである。馬の着ぐるみを脱いだ髪の頭頂部には何故か馬の耳のような形状に尖った部分がある。その耳のような髪型があご髭のあるダンディーさのある顔に可愛さを与えているように見える。



(うわぁ……結構、かっこいい。かも?)

「へぇ、こいつが地平の後任か……。まぁ、一応あいさつはしとくか。畜生課課長、馬面うまつら東風とうほんだ。まぁ、地獄課のお前さんとはそんなに関りはねぇだろうけど……よろしくな」



 馬面うまつら東風とうほん。馬面と書くが、うまづらとは読まない。顔はというと、馬面ではない。かなりのイケメンである。



「あっ、えっと……じ、地獄課の課長になりました……ひ、日下、きょ、京子です……よ、よろしくお願いいたします」



 少しきょどる京子。イケメンを目の前にし、先ほどの階段上りで爆音で動いていた心臓が再び大きく動く。



「ひ、人だったんですね…てっきり馬が入って来たのかとお、思っちゃいました……えへへっ。な、何で馬の着ぐるみなんて着てるんですか?」

『ぴくっ』



 京子の言葉に一瞬室内の空気がひりついた。……が、京子はそれに気が付いていない。



「ああ、人がよぉ……嫌いなんだよ……俺は。だから馬の姿をしてんのさ」



 気だるそうな目で上から京子を見下ろす馬面。



(えっ。人が……嫌い? な、何だろう。何か、変な人なのかな? まぁ、人が嫌いな人っているもんね……)



 少し面喰ったがそのまま話を続ける。



「へぇ~~、なんか……ケンタウロスみたいでかっこいいですね!!」

『ぴくっ!!』



 その瞬間、室内の空気がさらにひりついた。

 


「……あれ?」



 今度は京子にもそれが分かった。周囲を伺うと空谷は視線をそらして手で口を覆い、笑いをこらえている。琴流は驚いた表情をこちらに向けている。亜修羅は目を閉じて黙って下を向いている。



(ん?? 一体みんなどうしたんじゃ?)



 周囲を見渡し、再び視線を馬面のイケメン顔に戻すと馬面の表情が変わっていた。気だるそうだった目は痙攣し、ピクリピクリと上下している。目とまゆの間が狭くなる。



「日本に住んでねぇ生き物の名前をよぉ……」

「………え?」

「話すんじゃあねぇよ!!」

『どん!!』



 突然馬面の馬の着ぐるみの前足が跳ね上がり、京子の目の前に振り下ろされる。



「ひいっ!!」



 相当に高く振り落とされる足。あまりにも突然のことで思わず座り込んでしまう。



「……………」



 振り下ろされた足を馬面が動かした場所の畳は、――大きく深くくぼんでいる。



「あっ、やべっ……。またやっちまったか。……っち、変なこと言いやがって。おいっ、亜修羅この畳取り替えといてくれ」

「まったく……お前はまた……」



 馬面に声をかけられた亜修羅は6本ある腕の前方の2本で組んでいた腕組をほどき、馬面の方を見た。



「あ~~、だりぃ……」



 そう呟くと馬面は再び馬の着ぐるみに身を包み、とことこと会議室の外へ出ていってしまった。






 ♦  ♦  ♦






「あっ。あうう……あ……ううっ……うぅ~」



 あまりにも突然のことで何が起きたのか理解できない京子。



「大丈夫ですか?」



 放心状態の京子に声をかけてくれたのは隣に座っていた琴流である。



「あっ……ううぅ……一体、何が、起きたの? あたし……何か変なこと……言いました?」



 両手で口元を覆い隠す京子。恐怖で今にも泣きそうである。



「い、いえ!! 日下さんは特に何も悪くはないですよ!! ただ……馬面課長、今とくにすっごく忙しくってかりかりしてるんですよ……ただでさえ忙しい畜生課の一番忙しい時期なので……畜生課って日本にいる人間以外の生き物全部を管理してるんですけど、最近は日本の外からどんどん新しい生物が入って来ちゃってさらに大変みたいで。それで日本に元々住んでない生き物の名前にはとくに敏感に反応するんで気を付けてください……」



 日本にいない生き物。確かにケンタウロスは日本にはいない生き物である。



「えっ。それってブルーギルとかアメリカザリガニとか……そう言うのですか?」



 ――とその時、再びふすまが開いた。視線を上に向けると馬が。否、馬面がいた。どうやらまだいたらしい。



「何でこんなに忙しいのによお……」

『びくっ!!』



 後ろに身構える京子。



「ブルーギルとかアメリカザリガニとか元々いなかった生き物まで作んなきゃいけねぇんだよ!!」

『どん!!』



 再び馬の着ぐるみの前足が跳ね上がり、京子の目の前に振り下ろされる。



「ひいっ!!」



 馬面課長はお怒りである。畜生道。それは人間以外のすべての生き物を担う部署。故に職員数も膨大であり、その業務は多岐にわたっている。特にこの時期はすでに来期の生き物の生産数の協議等が立て込んでいるのである。



そんな中、現在進行形で現では海の向こうから日本にいなかったはずの生き物が持ち込まれる。持ち込まれるだけなら良いのであるが、無責任に放流された結果、際限なく増殖していく。しかしながら、そんな生き物であっても作られた以上はこの章の畜生課にて生産する必要がある。業務に忙殺される。



 故に馬面はお怒りなのである。日本に存在しない空想上の生き物や外来種の名前を聞くだけで不機嫌になる。



「……………」



 振り下ろされた足を馬面が動かした場所の畳は……先ほど同様に大きく深くくぼんでいる。



「あっ、やべっ……。またやっちまったか。おいっ、亜修羅この部分も取り替えといてくれ」

「だからお前は……」

「………っち」



 馬面は再び京子を見下ろすと室内から出ていった。ふすまに聞き耳を立てる。足音は次第に小さくなり完全に聞こえなくなったことを確認した。



「な、何なんじゃ!! あの馬!! 見た目は結構なイケメンじゃが、態度は最悪じゃ!!」

「まぁ、そう言うことです。今みたいな生き物の名前は馬面さんの前では絶対に言っちゃだめです」



 琴流にそう言われ、京子は再びこぼれそうになる涙をこらえながら必死に大きく『うん、うん』と大きく2回頷いた。馬面に続いて天国課の空谷。修羅課の亜修羅が室内から出ていった。 






 ♦  ♦  ♦






 室内にいるのは恐怖で肩が震えている京子と、恐怖で立ち上がれない京子に寄り添ってくれている琴流の2人。



「あ、ありがとうございます……もう、大丈夫そうです」

「そうですか、それは良かったです。天空省での仕事は慣れないことが多いかもしれないですけど頑張ってください。何か気になることがあれば私が相談に乗りますので」



 優しい。ジーンズにだいだい色のゆったりとした上着を着た琴流は他の課長の中で一番まともそうに見える。



「あ、ありがとうございます。……じゃ、じゃあ聞きたいことが……あるんですけど……いいですか?」

「はいっ、何でも聞いてください」

「あの……琴流さんってさぁ……おへそ、ある?」



 この女、一体何を言っているのか。会うのはあいさつ回り以来2回目。初対面ではないにしても『何でも聞いて』と言われて聞いた第一声がこれである。



 実は昨日風呂で気が付いたのだ。へそがないことに。へそなどなくても構わないはずなのであるが、昨日風呂でその異変に気が付いてから京子はどうにも気になっていた。雪宮にも尋ねようとしたのだが、初めに仲良くなってくれた人物である。くだらない余計なことを聞いて嫌われたくなかった。



 そこで、自身の疑問を解決したい葛藤と嫌われるかもしれないという失礼な質問を天秤にかけた上で前者の気持ちが前に出た結果の質問なのである。もし嫌われても京子には雪宮が残されている。



「えっ。おへそ……ですか?」



 少し眉をひそめる琴流。



「あっ、ご、ごめんなさい!! 変なこと聞いちゃって……」



 気分を害してしまったか、慌てて謝る。



「ないですよ?」

「……へ?」



 以外にもあっさりした答えが返って来た。



「そ、そうなの? 琴流課長もおへそないの!? なんで!?」

「何でって、そりゃ要らないからですよぉ」



 へそ。それは哺乳類が母親の母体で栄養をもらうために繋がっていたへその緒の跡である。通常の生活で気にすることはそうそうないが、『日本のへそ』という言葉があるようにへそというのは身体の中心である。その中心が無いというのは京子にはどうにもしっくりと来ないのである。



「で、でもなんか変な感じしません? ……おへそが無いと……なんかすっごく気持ち悪いんですけど」

「確かに哺乳類ならおへそはあって普通ですけど、ここ章で暮らすのは人のようで人でない者。人間は哺乳類ですから母親と母体で繋がっていた名残だからおへそがありますけど……ここでの身体はもう人ではないですから」

「は、はぁ……人ではない」



 人ではない。確かに人というのは六道の一つである人間道に存在する者たち。ここはその六道から抜けた存在が集う地。そう言う意味では身体が人間とは違っていても仕方がないのかもしれない。2つの疑問の内、1つは解決した。続いてもう1つの質問。



 今度はへそよりもさらにデリケートな質問に移る。



「あ…あと……む、胸も……さぁ」



 これも風呂で気が付いた。いや、胸はあった。あるというほどはないかもしれないが、あった。問題はその先、胸の付属品の方である。



「あ~~、驚いちゃいました? ないですよね、あれ。私も最初の頃は気になりましたけど……すぐに慣れますよ。要らないじゃないですか。だって、哺乳類じゃないんだし」



 こちらも当然のごとく『ない』というシンプルな回答。



「は……はぁ」

(哺乳類じゃないって言われても……なぁ)



 人ではない、哺乳類ではない、だからそれらは要らない。論理的ではあるのだが、今までの身体とは微妙に違う新しい身体に慣れる気がしない。



「あっ、因みに言うとその他の生殖に関する生理現象なんかもないですからその点は良いかもしれないですね!!」



 聞いてもいないのだが、琴流は親切心なのか京子に追加の情報を教えてくれる。



(生理現象、ねぇ……。まぁ、あれが来ないってことか……。それはそれで良いかも。しれない……)

「あっ、因みに男性の生理現象の――んぐっ……」

「もう大丈夫……分かったから。もうそれ以上何も……言わないでください…………」



 京子は右の手のひらで琴流の口をふさいだ。


 

 何故、女である京子に対して男の生理現象のことまでべらべら喋ろうとしたのか。知ってどうする? 教えて何になる? 全く不要な情報である。京子は男女の恋愛事情の話であるとか、そう言った類の話が不得手である。興味がないことはないが、学生時代の修学旅行の夜にありがちなガールズトークの時も妙にきょどってしまい、何とかその輪から逃れようと毎回寝たふりをしていたほどである。



 そう言った点で京子は仏教の五戒の一つである不邪淫戒ふじゃいんかいとは縁遠く、より章土の道に近い存在なのかもしれない。



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