第18話 感謝を込めて、いってらっしゃい



 時刻は子の刻、0時。完全消灯していない薄明りの室内で時計を見つめる。



「ねずみかぁ……」



 時計の針が指すねずみをじっと見つめる。空腹と畳の硬さで眠れない。幸いなことは洋室のフローリングでないことであろうか。床冷えがないのは和室の利点である。



「ね…うし…う……たつ……今が12の針。雪宮さんが来るのが卯の刻だから……起きるのは……うさぎの位置。くらいで。いいかなぁ」

『カチ……カチ……カチ……』



 時間が進む。……が、遅いように感じる。1日の時間は24時間だ。それは現と同じである。しかし、章の時計は24時間表記であり、午前と午後という通常の時計のように針が2回回らない。1回のみである。それゆえ時計の針がゆっくりと進んでゆく。



「ね、うし……とら…………う……ね……うし…うし。丑三つ時……ってなん。じだろう。……えっと。うしが。……2じ。……から……三つ時。……は……」

「……………」



 寝た。



 慣れない環境で難しいことを考えると畳の上であろうと眠れるものなのかもしれない。雪宮との約束は卯の刻であったが、目覚ましをかけることもなく寝た。






 ♦  ♦  ♦






 時刻は卯の刻丁度。



『チュン……チュンチュン……』



 鳥の声がする。それが鳥に変化した者の声なのか、本当の鳥の声かは定かでないが、鳥の声がする。部屋にある窓からは朝日が差し込む。どうやらここ章にも朝があるようである。




「……………」



『タンタンタン、タンタンタン、タンタンタンタンタンタンタン』

『タンタンタン、タンタンタン、タンタンタンタンタンタンタン』



「……………」



『タンタンタン、タンタンタン、タンタンタンタンタンタンタン』

『タンタンタン、タンタンタン、タンタンタンタンタンタンタン』



「………う~~ん………っは!!」



 明るく差し込む朝日でもなく、鳥のさえずりでもなく扉が奏でるリズミカルな音で目覚める。畳から起き上がり、扉の方に向かう。



『がらがらがら……』

「おはようございま~~す!!」



 雪宮の元気な顔が姿を見せる。



「あっ……お、おはようございます。……でも、3、3、7拍子で起こすのは、やめてくださいよぉ……」

「まぁまぁ、いいじゃあないですか? って、あれ?? もう起きてたんですか? 偉い偉い」

「……え?」

「だって、もう布団がないから。もうしまったんでしょ?」



 雪宮は部屋のふすまを指さして京子に尋ねる。やはり部屋に布団がなかったことは気が付いていなかったようだ。



 「あ、あははっ……そ、そりゃあそうですよ。なんせ初出勤ですからね。気合十分ですよ!!」



 布団なしで寝ていたとは言えず、話を合わせる。



「うんうん。いいですね~~、気合十分!! ささっ、さわやかな朝に昨日のおにぎりを食べましょう~~」



 雪宮はそう言うと部屋の中へ入って来る。手には昨日買ったおにぎりがあった。部屋にはまだテーブルもない殺風景な部屋であるため2人はおにぎりを畳の上に置く。



「………なんか、すみません。テーブルとかなくて」



 なんとなく引越し直後の何もない部屋感のある部屋に京子は申し訳なく感じた。



「あっ、ううん……私の方こそ。家具とかもまだ何もないって分かってたのに……

私の部屋で食べればよかったよね……ごめん」



 何もない部屋に気まずい空気が充満する。こんな時、外で鳥のさえずりが聞こえれば良いのだが、鳥の声すら聞こえなくなった。



『ぐ~~~~…きゅるるる……』



 そんな静まり返った部屋の中で京子の腹が鳴った。



「……すみません」

「食べましょうか、おにぎり」



 2人で畳に座り、おにぎりを並べる。京子にとっては死んでから約1日ぶりの食事である。



「うわぁ、おいしそう……いっただっきま~~す!!」

「あっ、ちょっと待って!」

「ふぐっ!!」



 昨日と同じようにおにぎりではなく、京子の顔を押しのけおにぎりから遠ざける雪宮。



「もう~、何するんですか~~!?」



 手で鼻と口を覆う京子。昨日よりもさらに強い力で押しのけられた。



「すみません、つい。でもここではその『いただきます』っていうのはナシです」

「え? ……じゃあ、何て言うんですか?」



 手で鼻と口をさすりながら訪ねる京子。『いただきます』。それは日本で食事の前にその命に対し、その命をいただくという意味で行う行為である。その命をいただく行為自体は同じであるはずであるが、ここ章ではどうやら言葉が違うらしい。



「ふふふっ、ここ章では『いただきます』じゃなくて『いってらっしゃい』って言うんだよ?」

「いってらっしゃい? このおにぎりどこかに行くんですか?」



 一体このおにぎりをどこに送り出すのであろうか? おにぎりをまじまじと真剣に見つめる京子に雪宮は笑って答える。



「そう行くんです。ここ章で食べられたお米や牛、他の生き物は畜生道として生まれ出でたもの。章で食べられた生き物は現に行く……だからこの今食べようとしている梅とお米を送り出すために『いってらっしゃい』って感謝を込めて……現で頑張ってくるんだよっていう意味も込めていってあげるんだよ」

「へぇ~~、そうなんですか。『いってらっしゃい』ねぇ」

(……っていうか、これ梅のおにぎりなんだ。やだなぁ。嫌いなんだよね……梅)

 


 とりあえずは食事の掛け声を理解して改めて食事をとり始める。



「「いってらっしゃい~~!!」」



 2人で声を合わせる。



『ぱくっ』

『もぐもぐ……もぐもぐ』

『ぱくっ……もぐもぐ…』



 しっかりと1日ぶりの食事を噛みしめる。



『もぐもぐ……もぐもぐ……』



 いつもよりも余分に咀嚼する。



「お、美味しい……おいひいです…梅のおにぎりがこんらに……おいひいらんて……」

「ふふっ、それは良かったですね~~」

 


 そのおにぎりは丸一日何も口にしていない。京子はおにぎりを口に放り込みながらそう思った。おにぎりはあっという間にすべて京子の口の中に放り込まれた。 



「ふぅ。おいしかった。………あの、雪宮さん……」

「ん? 何??」



 左手で身体を支えて、右手で腹をさすっている雪宮に尋ねる。



「食べ終わったら……なんて言えばいいんですか?」



 京子は確認する。また、勝手に『ごちそうさま』などと言おうものなら再び顔を押しのけられる可能性があると感じたからだ。



「あっ、食べ終わったら『ごちそうさまでした』で大丈夫だよ?」

「あっ、そこは普通なんですね。。」



 食べ終わった後の言葉は現と同じで普通であった。



「「ごちそうさまでした~~!!」」



 2人で声と手を合わせて食事を済ませる。それから京子は身支度を整える。と言っても服は昨日のままの赤服であるし、特段もっていくような持ちものもかばんもない。なので手には昨日雪宮からもらった天空省の予定表の紙1枚だけを持って家を出る。



『がらがらがら…………がらがらがら……かちゃ!』



 戸締りをして階段を下りる。






 ♦  ♦  ♦



 



「ふわぁ、眩しい」



 視界には朝日が入って来る。長時間直視は出来ないがさんさんと輝くその様と伝わって来る熱はまるで太陽のようである。



「あれって太陽ですか、雪宮さん?」



 はたしてあれは太陽なのか。太陽であればここはもしかしたら死後の世界ではなく、地球ではない他の太陽系のどこかの星なのかもしれない。京子は雪宮に尋ねる。



「え? あれは章土だけど……」

「え……章土ってたしか極楽のことですよね?」



 極楽章土。通常、極楽とは日本よりはるか西の地方にあるという地。その名は浄土である。しかし、ここ章では皆が極楽である章土を目指している。前任の地平課長から聞いた話である。



「そうそう、私たちは皆あの場所、章土を目指しているんですよ~。もちろん日下さんも最終的にはあの場所に行けるように頑張ってください!!」



 そう言われて再び太陽のようなその球体を見る。



「………あそこって、熱くないんですかね……何か……それこそ章土じゃなくて灼熱地獄しゃくねつじごくって感じなんですけど」

「あ~、言われてみれば……考えたこと……なかったなぁ」



 2人して見上げる。その球体はなおもさんさんと日の光を2人に降り注ぐ。



「……まぁ、とりあえず歩きましょうか」



 章土が熱いかは定かではないが、雪宮に促されて京子は歩き出す。






 ♦  ♦  ♦






「う~~ん……気持ちいいなぁ」



 章の街並みは綺麗だ。現のようにあちこちに電柱があるわけでもなく、ところどころに街灯を取り付ける柱がある程度。車や電車という機械音もなければ、信号もない。街には朝から仕事の準備であろうか、軒先で何やら作業をしている人の容姿をした者たちがいる程度である。



「そうだ、日下さん。今月の8日って予定空いてる?」

「え? 8日……どうだろう?」



 雪宮にそう聞かれて京子は立ち止まって手に1枚ぺらで持っている天空省の予定表を眺める。8日は六斎日。ここ章では休日であるため8日の数字が赤字で記されている以外は何も記載がない。



「特になにもなさそうです」

「そっか。じゃあさぁ、日下さんが嫌じゃなければだけどお買い物に行かない? 部屋に必要な家具とか仕事以外のお洋服とかも揃えた方がいいと思うんだけど……どうかな?」

「い、行きます!! たぶん予定も入ってないと思うんで……行きます!!」

「良かった。じゃあ、徳が配られたらお洋服とか必要な家具とか色々揃えようね!」



 嬉しい。同じ天空省の他の課長は曲者ぞろいのような感じがして色々と聞きづらそうであった。そんな中、他の省である雪宮が親身に色々とここでの生活を教えてくれる。これならここでも楽しく暮らしていける、京子はそう感じた。



 より一層晴れやかな気持ちで天空省を目指して歩いてゆく。






 ♦  ♦  ♦






 しばらく歩くと天空省に着いた。



「ふぅ、着いた。……今って何時くらいですか?」

「え~~と……ちょうど卯の刻と辰の刻の間になるくらいかな」



 雪宮は左手にを前に出し、袖をまくる。腕には腕時計らしきものが付けられていた。



「そうですか、なら始業時間まであと1時間くらいあるので地獄課の部屋に行って部屋の掃除でもしておこうかな。色々とお世話になってありがとうございます、雪宮さん!!」



 天空省の前でお辞儀する京子。



「どういたしまして。それじゃあ楽しみにしてますね、8日」

「はいっ、楽しみです~~!!」



 京子はにっこりとして再び手の予定表を見つめる。



「え~~と、今日が4日だから~~、4,5,6,7……あと4日頑張ればお休みかぁ……楽しみだなぁ」



 予定表を見つめて喜ぶ京子。……が、その時気が付いた。本日4日の数字の下に何か書かれていることに。



「ん? ……あれ、何か書かれてる…六課長会議? あれ…これって何ですかね? 」

「ん? ……あ!! ごめん…そっか。今日は六課長会議の日だったんだ」

「な、何なんですか? 六課長会議って…」

「えっとね。六課長会議は週の終わりに毎回行われてる天空省の会議で六道の課長がそれぞれの状況とか予定を調整する会議のことなんだけど確か朝一からやるんじゃなかったかな……そっか、今日だったんだね」



 内容は今一つ分からないが、その会議に出席しなくてはならないことは分かった。京子は六道の1つの地獄道を担う地獄課長である。



「え!? あ、朝一からですか!? か、会議室って何階ですか!?」



 急いで場所を確認する。地獄課であれば間に合う時間である。だが、天空省は巨大な建物。場所によっては間に合わないかもしれない。 



「え~~と、たしか最上階だから……南無なむ階」

「な、なむ階? ……最上階!?」

「うん。76階だから通称『なむ階』と呼ばれていて……」

「76階!?」



 最上階。京子は上を見上げる。目に映る天空省ははるか高くそびえ立ちその頂上は目視では見えない。



「あっ、ちなみに南無階の『なむ』は『南無阿弥陀仏なむあみだぶつ』という言葉に使われている『南無』でその意味は阿弥陀仏に帰依する……つまり――」

「うわぁああああああ!!」



もはや『南無』の意味などどうでもよかった。とにかく朝一からの会議であるのならば今現在の時刻が卯の刻と辰の刻の間。始業時間は辰の刻。時間がない。京子は慌てて天空省へ駆け出す。



「あっ、日下さん! これっ、これ持ってって!!」



 慌ててダッシュする京子を引き留める。



「うわっ!! ……あっ、これって」



 雪宮の手には腕時計が握られている。



「そのままじゃ時間分からないでしょ!! 持ってって!! 時計は8日に返してくれればいいから!!」

「あ、ありがとうございます!!」

「じゃあ、会議に間に合うように頑張ってくださいね!! ……階段上り!」

「あ、ありがとうございます……うわぁあああああああ!!!」



 雪宮への一礼を終えると、猛ダッシュする。



 走りながら左手に腕時計を付ける。時刻を確認する。時刻は辰の刻と卯の刻の中間、よりはわずかに卯の刻に近い位置であろうか。いずれにせよ時間がない。会議が始まるまでの時間が約1時間。上るべき階段は1階から76階(南無階)までの計7500段。7500段÷60分で1分あたり約125段を上る必要がある。



 不可能――ではないかもしれないが、残された時間は少ない。



「うおぁおおおおおおお!!! 間に合わない~~~!!」



 勤務初日早々に会議に遅れるわけにはいかない。こうして京子は天空省の1階からの地獄の鬼畜階段を昨日と同じく上って行くのであった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る