第17話 京子の素敵な京住まい
おにぎり4つを抱え、ようやく次の目的地である。
「ここが今日から日下さんが暮らす建物です」
章の薄明りの中、歩いてやってきた次の目的地の前で雪宮は止まった。そう、次の目的地は京子のここ章での住まいである。その住まいはマンションのような集合住宅にはところどころに窓が見える。
その窓とその上の窓の間隔から1階あたりの階高が推測できる。肝心の階高はというと、先ほどひらすら上がり続けた天空省の鬼畜階段ではなく普通のマンションと同じくらいの階高であった。
「よ……良かった~~、普通の感じの建物だ~~」
京子の足は先ほどの天空省の階段のアップダウンで疲労困憊であった。どうやら死後の世界のようなここ章でも肉体は疲労するようである。もしかしたら怪我や病気等もあるのかもしれない。
「ふふっ、天空省は人間やその他の動物、修羅や餓鬼の管理なんかもしていますからあんなに大きいですけど、ここは私たちみたいなのが暮らすだけなので現と同じような建物なんだよ~~。私もこの建物の7階に住んでますし、天空省や他の省で働いてる方もだいたいこの辺りの集合住宅に住んでるので」
「へぇ~~、そうなんですかぁ」
マンションによくあるエントランスのようなスペースを進み、建物の階段を上がり住まいのある4階についた。エレベーターはなさそうであるが、建物の高さからしても10階程度の高さであることから不要ということなのかもしれない。続いて住まいである部屋を目指して歩く。
………歩く………歩く………歩く………
♦ ♦ ♦
「あの……この建物、横の長さが長くないですか?」
「そりゃそうですって。……だって天空省ってめちゃくちゃ人数多いでしょ? その人数が皆ここ一帯に住んでるんですから」
入口では建物の高さしか気にしていなかった。が、この建物、横に異常に長かった。歩いて進む通路の左右には扉がある。例えるなら内観はホテルのような感じであろうか。
ようやく着いた。端から数えて21番目の部屋。ここが京子の部屋である。部屋に付くと雪宮が袖の袂から鍵を取り出して解錠してくれた。
『がらがらがら……』
「さっ、ここが日下さんのお部屋です」
雪宮がそう言って開けてくれた扉はマンションによくありがちな前後開閉式の扉ではなく、日本の昔ながらの左右開閉式の扉であった。岡山の京子の実家の家もこのタイプの扉だったため懐かしい音を久しぶりに聞いた。
和風の扉を超えた先の室内は今風のフローリングではなく、こちらも昔ながらの畳と天井からは和風のライトが吊り下げられている。
その光はぴかぴかとした白ではなく、落ち着きのある橙色の光である。部屋の間取りは1DKといった感じである。
(うわぁ…広~~い)
都心のせまい1Kに住んでいた京子にとっては十分すぎる広さである。
「あ、えっと……気に入らなかったかな?」
無言で部屋を見つめている京子の顔を雪宮が心配そうに覗いてくる。
「あっ。いえ、気に入った……気に入りました!! すごく広くって、びっくりしました!!」
我に返り、顔を覗き込んでいる雪宮に慌てて答える。
「あははっ、それは良かったです。一応部屋は和風だけど建物は鉄筋構造だから防音もばっちしだし、お風呂屋トイレは今の現と同じ洋式だからそんなに気にならないと思う。部屋の水道、ガス、電気は使えるし歯ブラシやバスタオルなんかも用意されてるから今日はゆっくりお風呂に入って寝て明日から頑張りましょうね」
「あっ、そうなんですね。お風呂、あるんだ……」
閻魔として罪人を裁いたり、特段何か仕事をしたということでもないが、現ではまずあり得ないほどにひたすらに歩き倒した足には風呂はありがたい。
「あとはいっ、これあげる!!」
「あっ、これって……?」
雪宮から手渡された紙は先ほど雪宮が会計で出した紙幣のような徳であった。しかし、その紙には1000の文字ではなく、0が1つ多かった。つまりは、
「い、10000円!? ……じゃなくて、10000徳!? こ、こんなにもらえないですよ! あたし、まだここで何もしてないし……」
10000徳がどれほどの価値かは不明ではあるが、おにぎりが4つで400徳であったことからも何となく貴重であると察せられる。
「いいんですって!! 私もここに来たばかりの時は同じようにしてもらったから気にしないで。配徳日……じゃ分かんないか。徳をもらえるのは毎月8日だからそれまではそれでご飯とか買えるでしょ?」
「ううっ。嬉しい、うれじいです。……他の天空省の課長たちも意地悪女だったり、いなかったり、ごつい手のいっぱいある修羅だったり……あと職務放棄してるっていうヤバい奴だったり……。あたしここで上手くやっていけるがどうが不安で不安で。ううっ……」
やっと目的地に着き、後は寝るだけという状態になり、今日1日の緊張が解け、疲れがどっと出たところに優しい言葉をかけられて目からぽろぽろと涙がこぼれる。
「そっか、色々と気を張ってたんだねぇ~~……」
雪宮は京子の表情を見ながらやさしくうん、うんと頷く。
「はいっ。というわけで、このおにぎり2個もありがたくいただきます……あ~~ん」
そう言って京子は涙を流しながら空腹のお腹に手の中にあるおにぎりを口に入れようとした。………のだが、
「あ!! それはちょっと、待って!!」
『パッ!!』
「ふぐっ!」
おにぎりを取りあげられた……のではなく、雪宮の手はおにぎりを口から遠ざけるために何故か京子の顔を力士の張り手のごとく押しのけた。
「い、いたたっ……もう。何するんですか!?」
「あっ、ご、ごめんね……でも、空腹のところ申し訳ないんだけど……今日は平日だから、
「は……八斎戒?? て何でしたっけ?」
「さっき説明したじゃん、現では8,14,15,23,29,30の6日が八斎戒っていう戒律を守る日なの。……で、ここ章ではその逆でその6日以外は八斎戒を守って過ごすわけ。八斎戒は五戒の他にあと3つ。午後は食事をしない、娯楽にふけらずに装飾品等の贅沢品は慎む、
「えっ……じゃあつまり……」
「そう、今はもう亥の刻近い。なのでおにぎりは食べちゃダメ!!」
雪宮は部屋の壁にかけられている地獄課の室内に付けられていたのと同じ動物の時計を指さして言う。
「そ、そんな~~!! あっ、でも待って!! あの時計の針がねずみの場所に来たら0時…ってことは午後じゃないからおにぎりを食べ……ても……」
雪宮と同様に時計を指さしながら京子がそんなことを言っていると雪宮の表情はみるみる険しくなっていく。その表情にしだいに言葉がたどたどしくなる京子。
「日下さぁ~~ん、たしかに0時は午後じゃないけど……そんな時間にご飯食べるって身体にいいことなのかなぁ~~??」
「よ、良くないことだと……思います。食べない方がいいと思います!!」
「うんうん、そうですねぇ。私もこのおにぎり2つは明日の朝ごはんにするから、その時に一緒に食べようねぇ」
まるで大人と子供のような会話である。さすがは見た目の容姿が近しいとはいえ大正時代からいるだけのことはある。
「それでは、今日はもう遅いのでゆっくりと疲れをとってください。明日は初日なのでまた一緒に行きましょう。また明日、卯の刻に来ますね」
「えっ、あ、はいっ。ありがとうございます!! え~~と、卯の刻卯の刻……」
時計を確認し、卯の刻が何時か確かめる。
(よしっ、6時じゃな!!)
「それではおやすみなさい~~」
「はい、おやすみなさい」
と挨拶をかわし、扉が閉まる。
『がらがらがら………がらがらがら!!』
と思いきや再び開く扉。
「おにぎり…食べちゃダメだよ?」
「わっ…分かってますってば!!」
「ではでは、おやすみなさい~~」
『がらがらがら……ぴしゃ』
「…………ふぅ~~、疑われてるなぁ……あ~~あ、お腹空いたなぁ。でも、おにぎりも食べられないし。仕方ないから寝る準備しよっと!」
雪宮と別れた後、京子は明日の仕事のために寝仕度をする。まず風呂に向かう。風呂には湯舟があった。蛇口をひねると温かいお湯が出てもくもくと湯気を上げながら湯舟をどんどんといっぱいに満たしていゆく。
「うわぁ~~、やったぁ。これならゆっくり入れそうじゃのう……」
風呂をためている間に歯磨きをする。
「……これ、歯磨き粉、かな?」
見慣れないチューブ型の容器があったが、歯ブラシの傍にあったので構わず開けて使った。
「うん。……はにらひ粉りゃ……」
『ごしごし……』
使ってみて口に伝わる感覚からそれが歯みがき粉であることを認識した。歯磨きを終えて再び湯舟を見る。まだ湯は十分にたまっていなかった。そこで一度和室に戻る……と言っても部屋には何もない。
「……81,82,83,84,85,86……あれ?? どこまで数えたんだっけ?」
特にやることがないので畳に突っ伏して畳の目の数える。まだ新しいその畳は黄色の畳のようにところどころに目印になるような印もなく、緑緑しているためどこまで数えてかを見失う。
その不毛な動作を数回繰り返している間に湯は十分にたまっていた。
♦ ♦ ♦
「んっしょっと!!」
身に着けていた閻魔の赤服を脱いで風呂場に入る。風呂場にはシャンプーとボディーソープであろうか、ボトルが2本置いてあった。
「うわぁ……シャンプーまである~~!」
ありがたく使わせてもらう京子。まずはシャンプー、頭の隅々までシャンプーでしっかりと洗う。続いてボディーソープで身体を洗う。
「ふんふんふん~~…気持ちいいのう!」
手のひらにボディーソープを乗せ、身体の隅々に行きわたらせる。……と、そこで気が付いた。身体の異変に。
「ん?? ……あれ!? な、ない!! あれ……何で!?」
風呂に入って身体を洗ってようやく気が付いた。人間であればあるであろうはずのあれがなかった。もっともそれは通常であれば気にするはずのないものなので風呂に入るまで気が付かなかったのは何の不思議もなかった。
「そう言えばさっき雪宮さん言ってたなぁ。人間型、修羅型……って。型ってことは……もしかして厳密には人間じゃないって、こと?」
しばらくぺたぺた、ぺたぺたと何度も触る。が、無いものはやはり無いのであって何も事態は変化しない。
「………とりあえず、湯船に、浸かろう……」
浸かっている間も京子の視線の先はその場所ばかり。湯につかり、疲れはとれたのだが、新たに気になることが増えてしまった。
「……ふぅ」
風呂から上がり、バスタオルで身体を拭いて部屋に戻る。寝間着となるようなものはなかったので服は先ほどまで着ていた閻魔の赤服を再び着た。
「さてと……やることもないしもう寝よう。あれ……あれ!? ない!! ないない!! あれもない!!」
風呂でなかったものに続いて寝るときになって気が付いた。
…………布団がない。
ふと部屋の時計を見る。時刻はイノシシとネスミの間。
「えっと……犬がだいたい20時だから…今は~~23時くらいかぁ……」
時間帯ももう遅い。雪宮のところに行って布団を何とかしてもらおうと思ったが、色々お世話になった上に、布団の要望まではさすがに気が引ける。なにより雪宮の部屋が7階のどの部屋なのかまでは聞いていなかった。
「……諦めて……寝よう」
そう言って京子は部屋の電気を消灯し、畳の上に仰向けに転がる。この諦めはただの諦めではない。雪宮が言っていたように今の現状。時間が深夜であること、布団がどこで買えるかが不明であること、雪宮の部屋がどこであるのかが分からないという現状を『明らかにした』上での諦めなのである。
「ううっ……畳が…硬い。ううっ……お腹空いたよう……」
『さすさす』
畳の硬さの寝心地の悪さが余計に空腹を感じさせる。
(……やっぱり無いし。……なんかしっくりこないなぁ)
お腹を擦りつつ空腹と身体のある部分の欠損を確認しながら京子は眠りにつくのであった。
この日は3月3日。ここ章では休日である8,14,15,23,29,30日の6日以外は八斎戒を守らねばならない。
その一:
その二:
その三:
その四:
その五:
その六:午後は食事をしない
その七:娯楽にふけらず、装飾品等の贅沢品は慎む
その八:
本来であれば
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