第14話 章の暮らし
時刻は戌の刻。
20時20分程度であろうか。静寂の室内の外から機械音が聞こえてくる。おそらくは雪宮が先ほど走り去っていったバイクの音であろう。機械音が消えると室内は再び静寂に包まれた。
「おまたせしました~~、じゃあ帰りましょうか」
「あっ、はい…今、行きます」
地獄に関する資料を机の上にとりあえずは広げたままにして京子は部屋を出る。
「帰るってどこに行くんですか? 」
「1階まで戻ります。そこから外に出ればここ章の街や日下さんのこれから住む家もありますので」
「えっ……また、ここから1階に戻るんですか……」
天空省の1階あたりの段数は100段。ここから1階までの計1000段を再び上ってゆく。
♦ ♦ ♦
「うわぁ……高い建物だなぁ」
建物の外に出ると京子が出てきた建物の周囲にも何棟かの高い建物が建っているのが目に入ってきた。
「この周囲の建物は何ですか?」
京子は自身が出て来た建物の周囲にある大きな建物を指さす。
「あ~~、それは他の天空省以外の省が入っている建物です。それが私の所属している調査省、あっちが転生省で……あれは…何だったかな? まぁ、色々と他の省も近くにあるんです。……そして、これがここ……章の街並みです!!」
雪宮はそう言って京子の前からサッっとよけると薄暗い視界に飛び込んできたのは――、
「ほぇええ~~。こ、これが……章」
そこには街が広がっていた。ただ、京子のいた現のようなギラギラとした街灯ではなく、明治あるいは大正時代のような少しガス灯の放つほのかに明るい光が一面を照らしている。
もっとも京子のいた現のような高層の建物は今立っている建物程度でその他の建物の中ではマンションのような大きさの建物があちらこちらにちらほらと見える程度であった。
ほのかな明かりの中には影が見える。街の中を歩いき、だんだんと輪郭がはっきりとしてくると京子と同じ人であることが分かった。
「へぇ~~、人間もいるんですね~~」
京子は街ですれ違う人たちに目を向ける。ただ、身にまとう服装については現代のような洋服ではなく、明治期や大正期に着られていた着物……和服のように見える。
「まぁ、姿形は人って感じではありますけど…ちょっと違いますかね……」
「ん?? そうなんですか?」
「あっ。猫……」
街を歩いていると黒猫が京子の前を横切った。
「可愛いなぁ…ん?? あれ!?」
視線で黒猫を追って周囲をよく見渡すと猫以外にもたくさんの生き物がいることに気が付く。街ではあまり見ないようなキジや亀。サルやシカ、それに遠くに見えるあれは、犬であろうか。
否、犬よりもスラっとした足、前に突き出た口元。中学生の時に学習課題で『絶命した日本の動物』というテーマに取り組んでいた京子にはそれが何か分かった。
「あっ…あれは!! ニホンオオカミじゃ!! 絶滅したニホンオオカミが……こんなところに…すごいですね!! ここには絶滅した動物も暮らしているんですね、雪宮さん」
絶滅したニホンオオカミに興奮してハイテンションで雪宮に話しかける。
「あぁ~~、あれですか? …ん、まぁ……動物っちゃ……動物ですかね、今は」
「ん?? 今は…?」
京子の嬉しそうな顔に申し訳なさそうな表情を浮かべながら答える。その表情に違和感を覚えつつも京子の視線の9割はニホンオオカミになお、向いている。と、その時。ニホンオオカミの身体が突然煙に包まれる。
「えっ……な、何!? 何!?」
京子が驚いてニホンオオカミを見つめているとそれはあっという間に人の姿へと変わった。その変化した人らしきものは何事もなかったかのように向こうへと消えてった。
「い、今のは……一体」
「あれはあの方の前世の姿ですね~~」
「ぜ、前世の姿? 」
「先ほど亜修羅課長のところでの六道輪廻の話ってまだ覚えてます?」
「えっ。天道、人間道……畜生道、修羅道、餓鬼道、地獄道のこと、ですよね。覚えてますよ……ちゃんと」
たどたどしく。しかししっかりと六道を答える。
「ここではその六道の記憶、つまりは前世の記憶でその者が生きた生き物の姿形に ”変化” することがここ章では出来るんです」
「そ、そんなことが……」
周囲を見渡すと人々や動物が互いに寄り添っている光景が目につく。
親子のような人々、人に寄り添う猫、互いに毛づくろいをし合う鳩。
「ふふっ、ここではああした光景は珍しいものじゃあないですよ。『袖振り合うも他生の縁』って言葉、知ってますか?」
「い、いや…あんまり……知らないです」
何となくは聞いたことがある言葉ではあるが、素直に知らないと答える。
「ふふっ……生き物が現世で関わりあうのは前世やそのまた前世の因縁によるもので、袖が少し触れあっただけでも実はその者とは前世で関わっていたという言葉です。ここではその多くの積み重なった因縁を思い起こして実現することが出来る…そんな場所なんですよ」
そう説明され、街を改めて見渡す。皆の顔はとても幸せそうに見えた。人以外の姿をしている生き物もかつて共に同じ時代を生きた者同士なのであろうか、とても穏やかな様子であった。
「とても幸せそうですね」
「そうですねぇ……」
しばし無言のままそんな幸せそうな者たちを見つめる2人。
「この中には日下さんがどこかで関わった方もいるのかもしれませんね。それが人であったのか修羅であったのか餓鬼であったのか。はたまたこんな動物の姿の時だったかもしれませんね」
「えっ、ええ!?」
そう言われ、京子が雪宮を見ると雪宮の身体は先ほどのニホンオオカミのように煙に包まれ、その煙の中から鶴が現れる。
「う、うわぁ!! お、お主……あの時の鶴か!?」
「ううっ……決して戸を開けてはならぬとあれほど申しましたのに……お別れせねばなりませ……って!! どの時の鶴ですか……」
喋った。どうやら鶴の姿になっても会話はできるらしい。
「い、いや~~何となく鶴だから、鶴の恩返し……みたいな? ひょっとしたらあたしは昔おじいさんとして鶴を助けてたのかな~~って。それで恩返しとして色々とお世話してくれてるのかと……」
「なるほど、確かにあの話の鶴の姿で現に出かけて罠にかかった章の者だったという話は聞いたことがありますが」
「え、そうなの? 」
「ただ、私はそんなドジじゃないですし、日下さんにも助けてもらってないのであしからず」
「あ……はい」
「まぁ、どちらかというとこっちが恩返ししてもらいたいんですけどね……まぁ、日下さんが早くここでの暮らしに慣れて、立派に閻魔として仕事をしてくれれば私はそれで満足ですが」
「あ…あははっ……が、頑張ります」
(っていうか雪宮さんも動物に変化できたんだ……)
雪宮の帰りを待つ間に読んでいた資料の大半を理解し得ていない京子にとって雪宮の願いに作り笑いで返答するのがやっとである。
「はいっ、頑張ってくださいね。日下さんもここで精進して色々と知っていけば、私や他の方のように変化できるようになると思いますよ?」
「え!! そうなんですか!? わぁ~~、いいなぁ~~……すごいのう。他にも色々となれる生き物ってあるんですか?」
目の前できれいな鶴に変化した雪宮を見て、京子は仏教……ではなく、ここ章に興味を持つ。
「 ”変化” を使えば自分が六道の輪の中で経験した姿になることが出来るんです。変化できるのは主に4つ。人間型、修羅型、畜生型、餓鬼型の4つです。ただ、畜生型は容姿が多岐にわたりますから、その中でも自分が生きていた生き物にしかなることはできないんですけどね。修羅型も色々と難点がありますし……なので、通常は皆さん人間型か餓鬼型のどちらかで暮らしていますね。ほらっ、あの人に見えてる人らしき人の頭……角あるでしょう? あれが餓鬼型です」
「へぇ~~、すごいなぁ」
(でも、修羅型や餓鬼型はなんかやばそう……あの餓鬼たちも生意気そうだったしなぁ……)
京子はあいさつ回りで遭遇したあの小さな餓鬼集団のことを思い出していた。
「ところで日下さん、お腹空いてませんか?」
言われてみればそんな気がする。朝から忙しい京子は朝食をいつものように軽食で済ませて、そのまま絶命してここに来た。
「言われてみれば。死んじゃったのにお腹ってすくものなんですね」
「まぁ、ここは極楽じゃあないですからねぇ。色々と欲っていうのはあるものなんですよ……食欲しかり睡眠欲しかり」
「そうですか。ここでの暮らしでも皆はご飯食べるんですか?」
「食べますよ、もちろん」
「えっ、た、食べるって。まさか……」
嫌な予感がした京子は周囲を再び見渡す。まさか先ほどまで幸せそうだと見つめていた動物の姿。あれを食しているというのであろうか。
「あっ、あの方たちは動物の形をしていようとここ章で暮らしている方々なので食べないですよ? 私たちがいただくのは現に送られる前の生き物たちなので別物ですよ」
「そ、そうですか。あっ、でも食べるってことは……殺しちゃってるんじゃ…たしか五戒の一番上の不殺生戒って。不殺生って殺生するなって…要するに生き物を殺しちゃだめってことですよね? いいんですか? その……た、食べちゃって」
京子は先ほど部屋で見ていた五戒の文章を思い出した。そのほとんどは理解できない用語であったが、殺生という言葉は理解できていた。それを破る行動であるがゆえに尋ねてみた。
「まぁ、そこは諦める……ということですね~~」
「あ、諦めちゃダメじゃろ!! だ、だって五戒の不殺生戒って……人以外の生き物にも当てはまるんでしょ!? 地獄に落ちちゃうじゃない!!」
雪宮である鶴は長いくちばしを京子に向ける。
「五戒を守る。確かにそれは重要です。しかし、どうでしょう? 五戒の不殺生戒を守るということはつまりは何も食べない……ということになります。動物も魚も植物も。……残念ながら人も他の生き物を頂いて生かされているという現実があるわけです。何も食べずに生きることはできない…そう気が付いたとき、諦めるという結論に至るわけです」
「い……意味わかんないんですけど? 結局諦めちゃってるじゃないですか!!」
あれこれ説明していても結局は五戒を守れずにただ諦めている、そんなようにしか見えなかった。
「あははっ……まぁ、簡単に言うと諦めるっていうのは『うわぁ~~、ダメだわ~~もう無理っすわ~~!!』って何も考えずに使うような言葉じゃないってことです。『諦める』という言葉は本来『明らむ』という意味。……つまり物事の本質を明らかにするというところから来ているんです。物事をよく考え、論理的に物事の原因や理由を探し、そして結論を導く。その結果として自分が納得した時に初めて『諦める』という行為が生じるんです。本来の『諦める』という言葉はどちらかと言えば前向きな物事の捉え方から来ている言葉なんです」
「は、はぁ……。で、でも不殺生戒を守ることを諦める……ってことは……」
「はいっ、つまりは現なら地獄行きですね~~」
「や、やっぱり~~!!」
「いえいえ、でもいいじゃあないですかぁ?」
「な、何が!!」
ちっとも良くない。諦めた結果、地獄に行くのであれば全くもって意味がないではないか。京子はそう思った。が、雪宮の考え方はどうやら違っているようだ。
「その『地獄行き』も自分が物事をよく考察し、論理的に導いた結果の『諦める』から来た結果なんですからその結果生じる業も受け入れられるっていうものですよ」
「は……はぁ。。」
「あ、ちなみにここ、章では地獄に行くことはないのでご心配なく」
「……はい」
戒を守ることを諦めることであっさりと地獄行きを受け入れる。ここ章の者たちが皆そうなのか、はたまた雪宮が肝の据わった女なのかは分からないが、ここ章の暮らしは街並みほど ”並み” な暮らしではなさそうである。
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