第2話 何もしないは……もうしない
「う……うぇ……な、なんであだぢが、地獄に、うっ……ううっ……」
船に乗っている間も京子は泣き続けた。その船には京子の他に誰も同乗していなかったのだが、そんなことにも気が付けない程に京子はただひたすらに泣き続けた。
(な、何がいけなかったんだろう……? やっぱり大学のあの講義で代返を1回だけ頼んじゃったこと?? で、でもあの時はどうしてもお腹が痛くって出られなかったし……。そ、それとも自販機のお釣りで前に取り忘れてた人の10円玉をそのまま出てきたお釣りと一緒に貰っちゃったことかな……で、でも、あれは……)
船でどこかに。おそらくは地獄行きの船で連れて行かれる道中に京子は生前に自分が行った地獄に行く理由をあれこれ探しては、地獄にいるであろう閻魔への弁明を懸命に考える。
あれこれ考えている間に船は陸地へと到着した。
♦ ♦ ♦
「ここが……地獄?」
船が着き、降り立つとそこは草木も生えていない荒れた大地だった。京子を乗せて来た船は京子を荒れた大地に残すとすぐさま来た道を引き返してしまった。
広大な荒々しい大地の少し向こう側には細長い山々や赤い池などが確認できる。
「ん? ……あれは……人?」
そんな荒れた大地を見つめていると遠くの方から1つの影がこちらに向かってきていることに気が付いた。京子の方に歩いてやってくるのはその歩き方からどうやら人であることが距離が縮むにつれて分かって来た。
「あっ……」
影の正体はあっという間に京子の元へやって来た。その人物はおもむろに京子の顔をじろりと見下ろす。京子よりも20cm以上はあるであろう長身の男で切れ長の目をしていた。その見た目はよく町にいるような普通の青年のような男だった。
「あ……あの…………」
京子は目の前に立つ男に聞きたいことが沢山あった。あなたは誰なのか。ここは地獄なのか。どうやったらここから帰ることができるのか。……が、あまりに突然のことで思うように言葉が出てこない。
「お前が日下京子か?」
「え??」
そんな京子に対し、先に声を発したのは男であった。その男は何故か京子の名前を知っていた。
(なんだろう? 何でこの人、あたしの名前知っているんだろう?)
「俺は
気だるそうに右手を頭の後ろに回しながら男は自分の名を京子に告げてきた。
「は……はぁ、よ、よろしくお願いします」
目の前の男に唐突の自己紹介をされ、京子も条件反射のようにぺこりと一礼する。と、同時に男に最初の質問を投げかける。
「……と、ところで天空省って何ですか? それに地獄……課? はっ!! もしかしてあなたがこれからあたしを閻魔さまのところへ連れて行く地獄の案内人ですか!?」
京子は慌てて後ろを向き、元来た川の方へ走ろうとする。……が、後ろにいる課長とか言う男に服を掴まれて捕まった。
「待てって……」
「うわぁ!! は、離して!! いやじゃあ!! 閻魔様のとこに行くのはいやじゃあ!!」
必死に手足をばたばたと動かす京子を面倒くさそうな表情で見下ろす。
「……だ~~から、違うっつの!! 俺は辞令を伝えに来たんだよ……辞令を。ったく、何でこんなのが俺の後任だよ……」
「じ……辞令?」
京子は暴れるのをやめて後ろを見る。
「そう。俺の後任がお前っていう辞令が来てるから……これからよろしく」
「えっ……。後任って……どういうことですか?」
状況が分からず怪訝な顔つきで質問する京子に対し、再び気だるそうに右手を頭の後ろに回しながら男は話を続ける。
「だ~から~~、俺は今この地獄で課長として閻魔をしてんの。……んで、異動する俺の後任がお前っていう辞令が来てるから……これからはお前が課長でお前は閻魔……よろしくっ」
「…………………」
しばし直立不動になる。
「ええっ~~~~~~~~~~~!!!!! ちょ、ちょ、ちょっと……ま、待ってください!! あ、あああ……あたし、じ…………地獄に落ちたんじゃなくって……そ、その……か、課長……? ……閻魔!?」
「そっ、課長…。すげぇじゃん、いきなり課長なんて大出世だぜ…お前。普通は
「あ……あの」
あまりに突然のことが多すぎてが、京子は咄嗟に地平の話を遮った。
「ん? ……何か分からないことでも?」
ありすぎた。死んでいきなり地獄に連れて来られていきなり課長で閻魔。何か分からないどころではない。本来ならひらすら取り乱しまくりたいところである。が、まず尋ねたかったことが最初に言葉になる。
「し……死んじゃったら普通、天国か地獄に行くものだって思ってたんですけど……。そ、その…こういうのって……普通にあることなんですか?」
単純な疑問である。人は死んだら天国か地獄に行く。そんな子供の頃から当たり前に思っていた結末とは全く異なる現実が今、目の前にある。こうしたことはよくあるものなのか、それを聞きたかったのだ。
「ん? いや、珍しいと思うぜ? 俺の後任がまさか
「う……
またも現れた聞きなれない言葉に戸惑う京子。
「あ~悪い。現ってのはお前がいた場所のこと…まぁ、一般には現世っていうのか。ここはそこから切り離された場所……
「あ……
立て続けに出てくる聞き覚えのない言葉にオウムのように地平の言葉を繰り返してしまう。
「……まぁ、いわゆるあの世ってやつよ」
先ほどから不思議そうに首を傾げ続けている京子にも分かりやすい言葉に直し、地平は言葉を続ける。
「じゃ、じゃああたしはやっぱり死んじゃったんですよね……ううっ……」
地平の口から出たあの世という言葉に京子は改めて自らが死んでしまったことを突き付けられた。自然と涙がこぼれ落ちてくる。
「まぁ、そんなに気を落とすなよ。ここの暮らしだって
「そ、そうなんですか!?」
あの世に来てしまい絶望していた京子であったが、ここにも街や人がいるようであることを知れて少し安堵した。
(……でも、死んだ後も働かなきゃいけないのか~……やだなぁ。。)
「ま~~、俺は次は転生省に異動するから天空省とは関りが少なくなるけどよ……まぁ、適当にやって頂戴よ」
「て……適当??」
「そそ。とりあえずテキトーにここに来る罪人連中の生前の調査書見て、次の転生までの地獄での刑期を決めるって感じだな。窃盗とか殺人とかな。調査書は調査省が持ってくるから。……まぁ、それを見て決めるんだけど。詳しくは引き継ぎ書にまとめてあるから、それ見てくれ」
「……は、はぁ」
先ほどの会話とは打って変わり、急に業務的な話になり、ただただ地平の話を聞く。
「あと罪人がこれ持ってる場合もあるけど、それもまぁ……見て見ぬふりで……」
そう言うと、地平は京子に向かって右手の親指と人差し指をつないで円を描いて見せる。
「こ、これって??」
「そりゃ、もちろん金だよ、金。地獄で罪人を裁く餓鬼に罪人連中が渡してんのさ」
衝撃的な事実を悪びれることもなく話す地平。
「か、金って!! それって賄賂じゃないですか!?」
「まぁ、そうだな」
「い、いいんですか!? そんなの……え、閻魔様がもらって」
目の前の閻魔と名乗る男に恐怖はあったものの、京子は思わず問うた。
「いいんじゃねぇの? 別に。お前のいた地上だってそんな大したもんじゃなかっただろ? ここだって似たようなもんさ。昔は地獄もちゃんと機能してたって話もあっけど。俺が来た時にはもうとっくに腐ってたしな」
「そ、そんな……」
「金もほとんどの罪人連中が隠し持って地獄に入って来るからきりねぇんだよ。
「え?」
地平が指さす方向を見るとそこには遠くの方で誰かが大量の紙を数えている様子が見えた。
「なっ!! だったら取りあげたらいいじゃないですか!! 何であんな勝手なこと野放しにしてるんですか!?」
「…………まぁ、色々あんのよ。ここも」
「………………」
言葉が出なかった。腐りきっている。子供の頃に絵本で見た地獄はもっとずっと怖い場所で絵本を読んだ後の夜はそれは怖くて怖くて眠れなくなるほどであった。
ところが、目の前に広がっている地獄はそれとははるかにかけ離れた地獄である。本当に腐りきっている。京子は半ば諦めなのかやる気がないのかよく分からない目の前の男を睨んだ。
「……地平さんは……ここがこんな状態でいいって…………このままでいいって思ってるんですか? 」
「まぁ、そんなもんさ。よく聞くだろ?? 『地獄の沙汰も金次第』って」
「あっ…………聞いたことある」
昔からよく聞く言葉。誰が言ったかは知らないが、誰もが聞いたことのある言葉。京子ももれなくその言葉を知っていた。
「地上に転生した奴が広めた言葉だからな、あれは。ずっと前に転生省の奴が金を貰ってここでの記憶を持たせたまま転生させちまったんだよ。……で、そういうことわざが広まったってわけさ」
「な、何でそんなことを?」
「そりゃ、天国に行きたいからじゃねぇの? ここでのことを覚えときゃ次は学習して天国に行ける可能性があがるだろ? ……まぁ、そいつはまた地獄戻ってきて地獄に居座ってるけどな」
「………………」
「まぁ、お前もせっかくここに来たんなら無難に職務をこなして出世すりゃいんじゃねぇの?」
地平にそう言われ見渡す辺り一面には意地の悪そうな罪人と思しき者たちが鬼のような生き物に何やら渡している光景や何かを貪り食う様子が飛び込んでくる。
これが地獄――
生きていた時に想像していたものとはあまりにもかけ離れた……罪人たちに都合のいいように作り変えられた、地獄。
(………これで……いいのかな。……思えば………あたしがして来たことって…何だったのかな? 日々の業務で忙殺される日々。日本のために何かを考えるというよりかは単純に作業をこなしていた。読みもしない無駄に飾りがつけられて丸々と肥えたファイル。責任という罰を受けないようにするために集めて回る印鑑。先生の嫌がらせに答えるために行う泊まり込み……。生前の業務を思い出すとどれもこれも意味がない……国のためにというよりも根回し、責任逃れ、面子を守る……そんなことをするためにしていたように思えてくる。そんなことをしたって日本が良くなるわけがないのに……分かっていたのに……できなかった)
「……ここもそうだ」
(地上では不条理によって多くの尊い命が奪われている。それなのに地上ではその罪に対してあまりにも軽い罰が下されている。京子自身、それをずっと疑問に思ってきた。しかし、法治国家で出来ることはそれが限界。人が人を裁くのには限界がある。被害に遭った人、不条理によって奪われた命はその周りの人を永遠に苦しめ続ける。そう……それこそまるで『永遠の地獄』のように……。罪のない人が命を落とし、愛する人を失った者が味わう永遠の地獄……。そんな不条理にはきっと地獄という不条理をも焼き払う地獄の業火が罪びとを……地上で人が裁くことのできない罪びとを裁いてくれている)
「………そう、思ってた……信じていた……願っていた」
しかし、その理想として思い描いていた地獄の姿は見事に打ち砕かれた。
(……誰かがやってくれるんじゃない……あたしがやらなくちゃいけないんだ。誰かが裁いてくれるんじゃない……あたしが裁かなくちゃいけないんだ……閻魔の…あたしが!!)
「………何もしないは……もうしない」
「あたしがこのだらけきった地獄を……」
「人のしがらみに囚われきった地獄を……」
「事なかれ主義に毒された地獄を……」
「本当の地獄に――――変えてみせる!!」
京子は強く、固く、決意した。
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